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トツカノツルギ  作者: 天野織
8/8

第三話 新学期

初めての一万字を超える投稿ですが、読んで下さると幸いです。

「「‥げ」」

 俺の寮生活は最悪なハモりで始まった。扉を開けた俺を待っていたのが見知った顔--受験のとき散々お世話になった、貴族様の取り巻きだったからだ。

 考え得る限り最悪の部屋割りだが……それでも、一度は俺に味方してくれた方の取り巻きだったのは不幸中の幸いとでも言うべきか--。

 半開きの扉から身を滑りこませ、廊下側からドアノブを握っている手を離して部屋の中に入れる。すると、支えを失った扉は自然と後退し、入り口で呆然と立ち尽くす俺をよそに動き続ける。そして、ついには--バタン--という音をたてて閉じきった。それと同時に一時停止していた俺の脳がたたき起こされる。ハッとするとはまさにこのことだ。

(‥‥とりあえずこいつをどうにかしたいが--)

 そう思いながら右手に目をやり、次いで部屋を見渡す。この荷物をどこかに置いて部屋のセッティングをしたいところだが‥‥下手なところに置けば「魔力の無い分際で~」とか「僕の部屋の床を汚すな~」みたいな小言が飛んでくるのは想像に難くない。--やはりここは自分のベッドに置くべきだろう。

 そう思って、ベッドに向かって歩き出したところ--

「お前、受かってたんだな」

 と話しかけられた。これが初めての会話に臨む態度か--とも思ったが、他の二人を考えると話しかけてきただけマシかもしれない。

「おかげさまで。‥‥悪いか?」

「いいや全然」

 売り言葉に買い言葉、そうとしか形容できないやりとりを最後に俺達にとって最初の会話は幕を閉じた。それにしても、同室で過ごす生徒同士の初めてする会話がこんな内容でいいのか‥‥。

 --残念ながら、それ以降お互いの口が開かれることはなかった。部屋に居るときはもちろん、食堂で食事をした時も、浴場に行った時も、挙げ句の果てには就寝するときでさえ、断りを入れずに勝手に明かりを消し、布団をかぶるという状況だ。

 部屋もお先も真っ暗になってしまっては、眠る以外の選択肢は残っていない。反感覚悟で明かりを付けるほどやりたいことはないし、ストレスから逃げられることも期待して--できれば明日からストレスを感じなくなることも期待して--ベッドにもぐった。

 --しかし、現実というのは残酷で、目を閉じた程度では逃げることはできなかった。脳のなかで今日という日の思い出--とくに嫌な思い出ばかりが次々に上映される。

 初めてこの部屋を覗いた時のこと、初めて会った受験の日のこと、口を開いたかと思えばいきなり馬鹿にされた事……と、上映された嫌~な思い出は多岐にわたった。というのも、食事のように何かに夢中になれる瞬間は同室相手のことを忘れられるが、ふとした瞬間にいちいち同室相手が嫌いな人間であることを思い出してしまい、不快感がよみがえるからだ。そういう思い出--今日という一日で経験したものにしては多すぎると思うが--が脳裏をよぎり続ける。

 もちろん、嫌いじゃなくなる自信はないし、退学させられない限りは五年間ここで過ごすことになる‥‥。

(--これからもこんなストレスまみれの日々が続くのだろうか--)

 不安は積もる一方。おかげで眠れない夜を予感させるような状況だったが、春の陽気に誘われたからか、眠りにつくのは意外と早かった--。

  

 大声で起こされることが日常だった俺は、一人で時間通りに起きられるか心配だった。そのうえストレスに苛まされながらの眠りだったのだ、起きられないことは誰でも予測できる。

 案の上この懸念は的中することに----はならなかった。

 扉の小窓から朝日が差し込み、ほの暗い部屋を突っ切る光がはっきりと目で捉えられる、青々とした気持ちの良い朝に俺は目覚めたのだ。

 俺とは違い、取り巻き様はまだ寝息を立てているが--触らぬ神に祟りなし、起こさないほうが賢明だろう。

 半開きの目をこすりながらベッドから滑り降り、うっかり目を覚ました取り巻き様に着替えを見られないよう、そそくさと寝間着の袖から腕を抜いていく。さいわい、着替えが終わるまで取り巻き様が目を覚ますことはなく、着替えが終わったときも呑気に寝息を立てていた。

 仕上げに、机の上に置いたバッジ--合格通知と共に届いた黄金の校章バッジをつまみ上げ、私服の胸の辺りに付ける。これで完璧だとは思うが、最後にダメ押しとばかりに忘れ物がないか確認し、小窓から陽光が差し込む扉を勢いよく--は開けなかった。なにせ、取り巻き様を起こさないようにする必要がある(と思う)のだ、そろりそろりと開け、閉めるときも警戒を怠らずにゆっくりと閉めなければならなかった。

 念のため、小窓から取り巻き様が起きていないことを確認し、一階の食堂へ向かう。

 道すがら(といっても二階から一階に降りるだけだが)なにを食べようか、今まで食べていたトレーニング用メニューはあるだろうかと考えていたが----結論から言うとメニューなんてものは見つからなかった。内部にも入り口にも昨晩はさまざまなメニューが並んでいたが、今では見る影もない。どうやら朝食は夕食と違って一択しかないらしい。

 食堂の入り口を入ってすぐそばにあるお盆を取り、カウンターまで持って行くと--料理の香りに包まれた、五十代ぐらいのおじさんが立っていた。おじさんから料理の入った皿を受け取り、料理をこぼさないように細心の注意を払いつつも、良い席--朝日がよく当たるテーブルに腰を下ろす。お盆の上には三つの皿が乗っており、それぞれにパンとサラダ、そしてスープが入っている。なんの特色もない、ごく一般的な朝食だ。

 トレーニング用の食事が食べられないのは残念だった--が、この時間に作ってくれている(しかも寮が広いので他にも人がいる)ことを考えれば、それだけでありがたい。もちろん、感謝を示すためにも残さず完食した。

 からのお皿を乗せたお盆を、食器の返却口--料理の受け取り口と同じところ--へ片付けた。その際、おじさんに「ありがとうございます」と伝え、そのまま横を向いて立ち去ろうとしたときだった--。

「頑張りな!」

「‥はい!」

 ‥‥自分にとって、先程の行動は最低限の礼儀を尽くしただけであり、ちょっとした挨拶のつもりだったので、まさか言葉が返ってくるとは思ってもいなかった。しかし実際は、いかにもぶっきらぼうで、無口そうな顔にも笑顔が浮かび--頑張りな!--という激励が返ってきたのだった。お世辞かもしれないが、こんなお先真っ暗な状況にも希望が‥‥‥‥。

 嫌なことを思い出した。

 そう、俺は最悪の同室相手との寮生活をスタートしたのだ。できることなら、思い出したくなかった。

 学校生活初日から悪環境が始まり、いまだ暗雲が立ちこめているが、そんな状況における希望をおじさんは与えてくれたのだ。ここで挫けるわけにはいかない--と気持ちを切り替えて食堂から出る。

 食堂の扉を抜けると、先程降りてきた階段の正面--現在位置からだと左前方に寮の出入り口が待ち構えている。一応、忘れ物がないか確認しながら、そこへ向かうと--青々とした晴天に向かって扉が開け放たれていて、向かいの寮の上に日が昇っている--そんな美しい景色が、入り口という四角形に収っていた。

 まるで名画を見たかのような心地だった。心が洗われ、感動が昂揚を呼び起こす。嫌なことを思い出したことによるモヤモヤも、いつの間にか浄化されていた--。

 玄関の左右の壁に合わせて四十八個(一部屋二人×一フロア六部屋×四階)も連なっている下駄箱から自分の靴を取り出し、土間に向かって放り投げる。無造作に放り投げられた靴は、数秒のタイムラグのおかげでバラバラに音を立てて、別々の方向を向いて着地した--と同時に、わずかな罪悪感を覚えた。

 罪悪感--と言うと大げさかもしれないが、新品・・の靴をいつもの流れで雑に扱ってしまってのだ。物を大事に扱えと教育されているなら、「やってしまったかな‥」ぐらいには思うだろう。

 気を改めて、新品の靴に右足を突っ込むと、慣れていないが故の違和感--なんとも言えない履き心地が片足を包み込んだ。

 左の足も靴に突っ込み、つま先で地面を「トントン--」と叩く。ぴったり合うように整えたつもりだが、新品ゆえの違和感はやはり拭えない。

 もう片方の靴も同じように地面を叩いて整え、準備を終えた俺は新しい学校へと走り出した--。

 

 一日の始まり、一時間目の授業は八時に開始される。そして五十分で一授業が行われ、終了後、十分の休憩を挟んで次の授業が始まる。午前には四時間授業があり、昼は一時間の自由時間で食事や運動、休憩などをして過ごす。さらに、その後に続く午後の授業は午前と同じ時間配分で三コマ受けることになっている。

 初日の一時間目--この学校に来て最初の授業は、魔法理論基礎だ。実用的な(戦闘用ともいえる)魔法だけでなく、魔法をどのように役立てるべきかなど、基礎的だが、だからこそ重要ともいえることを学ぶ。まあ、魔法が使えない俺からすればどのように役立てるか--などという話は全くもって無意味だが。

 この授業を受けるにあたり、押さえておかなければいけない魔法の大原則がある。それは、「この世界では、魔法を発動する手段が二通りある」ということだ。

 一つは「自信の魔力を使って固有魔法を発動する」方法。こちらは詠唱を必要とせず、技名の指定のみで発動できる他、練度が上がれば技の指定すらもスキップできる。当然こちらが主流ではあるが、遺跡の暗いところを照らす光魔法や、遭難時に信号を上げる魔法は全員--俺のような奴は除いてだが--使えるほうがいい。そこで、二つ目の方法が重要となる。

 二つ目は、「自身の魔力と詠唱を用いて、自身の固有魔法と関係ない魔法を発動する」方法。魔法によっては長めの詠唱が必要となるうえ、習得するのにも魔法によっては時間がかかる--が、先述した汎用魔法を誰でも使えるようになるのが魅力だ。この授業で学習している魔法はこちらの手段を用いて発動させることになる。

 今回習うのは「小光ライト」という魔法だ。暗闇での光源としてだけでなく、戦闘中の目くらましにも使える便利魔法らしい。無論、俺は使えないが。

 ‥‥授業開始から二十分が過ぎ、先生が魔法板にさも「テストに出る!」と言いたそうに記述した『小光ライト』の詠唱を写し終え、時間を持て余していた。隣では、同じように写し終えた生徒が習った魔法の練習をしていた。その子の手は力が入っているかのように震えている、指先に魔力を込めているのだろう。小声ではあるが、魔法板に書かれたものと一言一句違わない詠唱も聞こえる。

 周りを見渡せば--魔法学校なので当然だが--他の生徒も同じように魔法の練習をしているが、俺は練習する意味が無いので隣の人を観察することにした。

 ……十分ほど観察し続けただろうか。十何回目かの実行に、俺もよく飽きないで見続けられたなぁ--と思っていたところだった。詠唱を終えた途端、「パッ」と光を出現させ、魔法の行使を成功させたのだ。それと同時に、周りでは成功させているのに対して、自分は成功していないことに焦り‥‥いや、腹立たしさか?--ともかく、眉間にしわが寄りつつあった顔にも達成感に満ちた笑顔が浮ぶ。

 それを見て

(昔の俺も、いつか魔法が使えるようになるのを夢見て何度も練習していたっけ)

 --と感傷に浸りながら、隣の生徒から目を背けると相変わらず『小光ライト』の詠唱が魔法板の中心で目立っていた。

 『魔法板』というのは、セットになっているペンの先端と板が衝突すると、板の内側に込められたマナとペンに込められたマナとが反応して、文字を書けるという一種の機械だ。遠くの工学が発展した国で開発され、この国に流通した第一波を大量に買ったらしい。どの教室にもこの機械が備え付けられている。

 二時間目は魔法史。世界の歴史と魔法学の歴史を学ぶ科目だ。

 現代魔法研究の目的は、先程説明した「二つ目の方法」で使用、あるいは共有できる魔法を増やすことであり、その研究目的に至るまでの変遷について学ぶ。

 歴史の勉強には魔力の有無は関係ないので、一時間目と比べると遙かに役に立つ授業だった。

 どうやらこの授業によると、『トツカノツルギ』は記録が残っている時代より遙か昔から存在するらしい。

 それから三時間目、四時間目、五時間目……と続いていき、とうとう例の魔力訓練の時間がやってきた--。

 

 他の同級生がグラウンドで魔力訓練の授業を受けている最中さなか、校舎の裏側に面した山を登りながらその音を聞いていた。

 木々が生い茂り、そこそこ登るのが困難なこの山は、将来騎士団で任務を受けたときのサバイバル生活に向けた演習や、山での任務を想定した実習などに使われるそうだ。危険な生物はいないものの、夜の立ち入りは全面禁止で、昼だとしても授業以外での立ち入りには監督が必要となる。特例として、正月はこの規則が緩くなり、初日の出を拝むために登山する者もいるらしい。

(--昼休みに先輩経由で伝えてもらった話によれば、この辺りに監督の先生が待機しているはずだが--)

「‥‥お、来たか」

 山道が続く先のひらけた場所、まさに秘密のトレーニング場というような場所に筋肉質な男性が立っていた。年齢の差もあるだろうが俺より遙かにガタイが良い。

 身長は俺より二、三回り大きく、極太としか形容のしようがない腕は周りの木々にすら劣っていないほどだ。トレーニングを真面目にやっているので分かるが、この筋肉を維持するのには相当な努力が必要となる。それを実現しているとは‥‥。

「六道ミロクです。よろしくお願いします。‥‥それと--遅刻してしまって申し訳ありません」

 挨拶の意だけでなく、謝罪の意も込めて深々と頭を下げる。もちろん意図的に遅刻したわけではない。

 そもそも、この山はグラウンドを挟んだ校舎の向かいに存在し、ここまで来るのには相応の時間を要するのだ。遅刻理由の追求に対するカウンターとしてこれを使おうと考えていたのだが--

「構わんよ」

 --その必要はなかった。

「ここに来るまでの課程もトレーニング--すなわち授業の一環だと思って貰いたい。だからこの程度では遅刻扱いにはせんよ」

「‥‥ありがとうございます」

 もう一度頭を下げ、感謝の意を述べる。発言から察するに、これ以降の授業でも遅刻の心配をしなくても良いのだろう。

 充分だろうと思い頭を上げると、微笑を浮かべて目を輝かせている先生と目が合った。この表情もそうだが、雰囲気からも--早く特訓を始めたくてうずうずしている--というのがはっきりと分かる。その証拠に、待ってましたと言わんばかりに

「では、早速始めるとしよう!」

 と大声で言い放った。

 恥ずかしながら、早く特訓をしたかったのは俺も同じで、負けじと

「はい!!」

 と大声で応じた。


 最初は標準的な筋トレから始まった。腹筋、腕立て、スクワット……。いつもの日課と大差ないが、俺がやるべき努力はこれしかないので不満はない。何より、あんな筋肉を見せられては筋トレへのモチベーションもぶち上がってしまう。

「「18、19、20……」」

 俺と先生の位置関係は、ある程度の幅を取って真正面から見つめ合う--という立ち位置だ。お手本を示すように、はたまた自分も筋トレしたいだけなのかは定かではないが、一緒にトレーニングをこなしていたところだった。

 --開始から三十分ほどが経過した頃だろうか、スクワットの50回目にさしかかったところで

「よし、これで筋トレは終わりにしよう。これから、本格的な授業を始める」

 と先生に言われた。

 本格的な授業。筋トレだけなら山に呼び出す必要も、先生に監督してもらう必要もない。わざわざここまで大がかりなのは何か裏があるのだろう--と思っていたが、やはり何かあるらしい。筋トレが標準的だったのも、このためだろう。

 先んじて背筋の姿勢から直立に戻っていた先生を追うように手足を地面につき、膝を曲げ--ついでに衣服に付いた土を払いながら--体育座りに移行する。

 こちらの姿勢が整ったのを見て先生も口を開き、『本格的な授業』が始まった。

「俺の固有魔法は『筋力増強』。魔力がないお前同様、戦闘では肉弾戦に頼ることになる。‥‥だが、相手は問答無用で魔法による攻撃を仕掛けてくる。

この魔法の有無は大きなハンデとなり、それを乗り越えて俺達が勝つには『技』を覚えることが必要となる‥‥。

--そこで、君にこの『技』を教えようと思う!」

 こうして、半信半疑で裏山に入った俺は、魔法が使えない者が勝つための『技』とやらを教授されることになった。


「……と。まあ、こんな感じだ」

(……これが『技』!?どう考えても『力業』がいいところだ!)

 一通り『技』とやらを教えて貰ったわけだが‥‥『技術』を想定していた俺には寝耳に水だった。

「とはいえ、これには相当な判断力と身体能力が必要となる‥‥。そこで、今からこの山の中で追いかけっこをしようと思う!」

(‥???)

 一人唖然とする俺をよそに先生は続ける。

「三十数えたら君を追いかけるから全力で逃げなさい。逃げ切れたら君の勝ち、逃げ切れなかったら俺の勝ちだ。」

 ‥‥いろいろ腑に落ちないところもあるが、強気で迫られては納得するしかない。仕方なく首を縦に振ると、先生もこちらの意思は受け取ったと言わんばかりに強く頷いた。

「……では、開始!!」

 1……とすでにカウントダウンを開始した先生を横目に、大急ぎで起立して深い緑の中に飛び込む--が、「全力で逃げたまえ」という言葉通りにしたわけではない。

 ここは山の中だ。逃げ切る以外にも隠れ切るという勝利方法がある。息を切らすという行為は、隠れて勝つという選択肢を潰すばかりか、純粋な勝負になったときの勝ちの目を潰す行為でもあるのだ。故に全力疾走はせず、小走り程度にとどめる。

「5、6、……」

 カウントダウンが進む一方で俺と先生の距離はどんどん離れていく、それと共に先生の姿と数字を数える声も少しずつ自然へと溶けていく--。


「はあーー」

 安心‥‥できる状況ではないが、隠れ場所を見つけ、一段落がついた。

(--ここまで逃げるのに30秒はゆうにかかった。先生もこちらを追いかけ始めているはずだ)

 息を殺し、終わるまで維持できる姿勢を探す。できれば、このまま見つからずに勝利--といきたいところだが……そう上手くはいかないだろう。それを暗示するかのように--

「パキッ」

 という音が前方から聞こえた。よく耳をすませば「ザッ、ザッ」という足音も聞こえる。

 こうして身を潜めている間にも先生はこちらに向かっているのだろう。実際、それらの音は徐々に強くなっている。

 ピンチ--と思われる状況だが、一応、ここまではあらかた想定内だ。

 逃げ出した時の、草むらと擦れる音や、枝を踏んでしまった時の音から逃げた方向を割り出すことは充分可能だろう。だから、この状況は必然的に起こる事といえる。想定できないことではないし、居場所がばれているから近づかれている--とは判断できないはず‥なのだが……。

「ザッ、ザッッ、ザッッッ……」

 どう考えても足音はこちらに向かっていた。

(気付かれた!?----いや、ありえない。いくら身長が高いとしても、ここが見つかるはずがない。……だが--)

「ザッッッッ……」

(‥‥どう考えてもこちらに向かっている‥‥。ばれた!?そんなはずは‥いや、でもこの状況は--って違う。逃げる?逃げない?どうする?いずれにせよ、タイミングを間違えれば負ける!一体どうしたら--)

「ザッ!!!……」

 思考にふけっているあいだにも刻一刻と迫る足音が決断を急かす。もはや俺の脳みそはまともに動いているとは言いがたかった。

(もうタイミングは逃したか!?いや、まだ間に合う‥‥でも、ここで飛び出したりなんかしたら……。どうする!?逃げる?偶然であることを祈る?いや、偶然と考えられる段階はとうに過ぎ去った、そうだとして逃げるなら今しか----)

「‥‥くそっ!」

 逃げるしかない!!--そう感じた瞬間に茂みから飛び出していた。

 先生に背を向け、振り返ることすらせずに真逆の方向へと一目散に駆け出す。木々がつまずかせようとしていることに脇目も振らず、一心不乱に身体を躍動させ、可能な限りの全力を尽くして逃走する。

 ……が、全く--いや、むしろ距離は詰められていく一方だ。

 もちろん、背中に目が着いているわけではないし、後ろを見る余裕があったわけでもないので、目視したわけではない。それでも、音だけで近づいているということはわかった。

 --どれだけ走り続けただろうか。今の俺には、できるだけ遠ざからなければ--と頭ではわかっていても、身体にそれを実現するほどの力は残っていない。肺は今にも張り裂けそうだし、足の感覚があることも不思議なくらいだ。

「はぁっ、はぁっ‥‥」

 呼吸が苦しい。汗が噴き出す。筋肉は今にも爆発しそうだ。--だというのに、立ち塞がる木々は容赦なく妨害を行い、体力をさらに奪う。

(右、左、右、‥‥右!、ここは--左!)

 障害物を避け、高台に飛び乗り、傾斜を滑り降りる。なんとかして逃げ切りたいが、後を追ってくる「ガサガサ」という音は一向に引き離せない。

(左、右、左、--左、右‥、左、右、--右、--段差‥‥、‥‥今だ、跳べ!)

 全力で走り続け、いよいよ呼吸も「ぜぇ、ぜぇ‥」という音に変わってしまった。風を切る音も、木々のさえずりも全て呼吸によってかき消されていく。

 だが、離れない。何故だ?相手も限界ではないのか?

(なんで?どうして?こうなった!?あとどれだけ逃げ続ければ----)

『ポン』

 そこまで考えたところで肩に手が置かれた。筋肉質なこの手は間違い無く先生の手、俺は捕まったのだ。

 手が離れる瞬間、そこで立ち止まろうとしたが--全力疾走の勢いをすぐに殺せるはずもなく、数歩あるいたところでようやく止まることができた。そのまま振り返ると、優しそうな表情を浮かべながらも汗まみれになっている先生の姿があった。学生との勝負にも全力で向き合ってくれたあかしだろう。

「はぁ‥なかなか‥やるな、‥はぁ‥‥君‥」

「‥‥‥ありがとう‥‥‥‥ございます‥‥」

 先生も、呼吸は、乱れて、いる、ものの、喋るのが、やっとな、俺、と、比べると、まだまだ、余裕だった、と、言わざるを、得ない。

 --そんな状況だったため、話すことすら苦痛に感じていたことを察してか、まともに話せるようになるまでその場で休憩することになった。

 それなりに呼吸が整い、そろそろ会話もできるだろう--というタイミングで先生が話しかけてきた。

「‥では、戻ろうか」

 小さく頷きながら「はい」と答え、「ついてきなさい」と言って歩き出した先生を後ろから追いかける。道すがら、どうやって元の場所に戻っているのか聞いたところ、追いかけっこの時に魔法を使っていたらしく、魔力の残滓を追って帰っているのだとか。もちろん、俺の魔力は残っていないらしい。

 これらの話が本当なのか魔力がない俺には真偽の確かめようがないが、逆を言えば俺は魔力の残滓を残すことなく行動できるということだ。

「--そういえば、どうして俺の隠れている場所がわかったんですか?」

「ああ、それは次に教えようと思ったんだが‥‥」 

 チラリとこちらに目配せすると、再び前を向いて話を続ける。

「実はね、俺の固有魔法は『筋力増強』じゃないんだ」

「え?」

「本当は『身体強化』。筋力だけじゃなくて、嗅覚とか聴覚とかも強化できるんだ」

 なるほど、合点がいった。道理で隠れている場所まで一直線に向かってこれたわけだ。

「‥‥これは次の授業で教えるつもりだった『技』の一つなんだが‥‥ブラフを張るという『技』でね。魔力がない君なら----片腕をかばっているように見せて、不意の一撃を狙うといった感じかな」

「ブラフ……」

 まんまと騙されたわけだが、おかげで魔法を使われることのキツさや、ブラフとやらの効果を思い知ることができた。今まで魔法を使う相手と勝負したことはなかったので、これは大きな経験値だ。次回に話す予定だったことをこんな山道で話させてしまったのは申し訳ないが、授業に余裕ができたと思えば悪いことではない。それに、先生と二人きりなのに黙って行動するというのも居心地が悪い、話をしながら‥というのも大事なことだろう。

 --そうこうしているうちに見慣れた広場が眼前に広がっていた。

「よし、戻ってこれたな」

 木の根をまたぎながら先生がつぶやく。何か反応したほうが良いのか--と考えているうちに先生の次の言葉が続いた。

「--今日の授業はこれで終わりだ。気をつけて帰りなさい」

 これで一度目の特別授業が終わった。一対一で相手してくれた先生にはもちろん、この場を整えてくれた担任のリナリア先生にも感謝しなければ。

「‥‥ありがとうございました!」

 頭を深く下げ、感謝する。この時間に対する感謝だけでなく、これからの指導への感謝も込めて、だ。

 下山する道中、この山で起こったことを反芻はんすうした。

 ここでの追いかけっこは猛スピードで山を走り回ることになり、障害物とは高頻度でエンカウントする。そのたびに選択肢を迫られるが、猛スピードで移動していることが--時間切れの瞬間には木にぶつかっているため--長考を許さない。結果、短いスパンで選択が連続し、それに正解し続けなければいけない状況となる。つまり、あの追いかけっこは身体のみならず、頭も酷使することが求められるのだ。

(判断力と身体能力が必要とは‥‥よくいったものだ。確かに、この訓練ならそれらを伸ばすのに最適だろう)

 山の中で一人納得し、噛みしめるように頷く。最初はどうなることかと心配で、生きた心地がしなかったし、一人で熟考する余裕すらなかったものだ。そう思うとこの状況はかなり進歩したといえる。

 さらに言えば、この余裕は「信頼できる先生に指導してもらえる--」と確信したからこその産物だ。やはり俺は人間関係においては恵まれている。

 --という考えも寮の扉を開けた瞬間に崩れ落ちる。待っているのが取り巻き様の嫌みったらしい顔だからだ。

 俺の学校生活は一体どこに向かうというのだろうか----。

 

 

 


 

 

 






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