第一話 入学試験
入学試験、まだまだ続きます。きりの良いところまで書こうとしたら、少し長くなってしまいました。
最終項目の長距離走は八人同時に走り、計測する形式だ。一緒に走るグループは、他の試験が終わった者の中から試験官が選んで決める。無作為に選ぶのではなく、受験生全体で公平性を保つために、充分な休憩を取ったもの同士で組ませる。
休憩時間に差が出ないように決めなければ、公平性は保たれない。名門魔法学校の試験が公平性に欠けることは、国すら揺るがしかねない大問題だ。それ故にグループを決めている試験官の表情からは、受験生にも劣らないほどの真剣さがうかがえる。無意識のうちに眉間にしわが寄り、雫が彫りの深い顔をなぞるように滑った。目と手も大河が流れるように、休むことなく走り続ける。
スタートを担当する試験官が掲げる板に、とうとう自分の受験番号が記載された。AS4230--間違い無く自分の受験番号だ。ようやく試験にひと区切りつけられるが、次に魔力試験があると思うと安心というよりむしろ恐怖が勝る。受験前なら恐怖で足が震え、立ちすくんでいただろう。だが、今までの項目で取り戻した自信が足を前に進ませる。
深呼吸しながら、スタートラインの少し後ろ、つま先が届かないギリギリの地面に足を乗せる。グループは八人一組、あと二人が来ていないようだ。一瞬たりとも無駄にしまいと、準備運動を始める。足を開き、手を添えようとすると--。
「どけ。俺様が通れないだろ」
あの貴族様と同じようなセリフと声が聞こえた。嫌な予感が頭をかすめ、予感を確信にしようと首を回す。「予感のままにしておいたほうがいい」そんな声が聞こえた、あるいは直感が語りかけたような気がした。しかし、すでに瞳は答えを得ていた。
自分と同じスタートラインの少し後ろ、これから走る者だけが立つ場所に、ジェームズ・プロメテウスは立っていた。
不安という一点の曇りすらない表情、勝ちを確信したかのようなスッとのびた姿勢。本人だけでなく、衣服さえも高貴なオーラを放っている。実際、それなりに高い服なのだろう。男は受験前となんらかわらない貴族らしさを携え、俺と同じ場に立っている。
しばらく見つめていたような気も、ほんの一瞬しか見つめていないような気もしたが、貴族様の性格を鑑みて目をそらす。そうこうしているうちに八人が揃った。受験生も試験官も、スイッチが入れ替わったように試験モードに入る。
「位置について、よーい----」
全員が構えの姿勢をとり、静止する。あのうるさそうな貴族様ですら、銅像のように固まっている。
八人だけ時間が止まっているようだった。そして、たった一回、たった一つの合図だけが止まった時間を動かすことができる。
「ドン!」
合図とともに、時間のダムが決壊する。その崩壊を再現するように、スタートラインからは人が溢れ出す。
魔法使いとしての才能は、魔力量と固有魔法によって決まる。両方とも秀でていることが、「一流」の条件といっても差し支えないだろう。
プロメテウス家を名門貴族たらしめているのは、これら二つの質が担保されている点とその異質さにある。
固有魔法は、各個人が別のものを発現させることが多い。しかし、俺様達は本家のみならず、全ての分家までもが炎の固有魔法を発現させる。一家に属するものが全員高い魔力量を持つのは、他の貴族どもと同じだが、固有魔法まで同じ系統なのは俺様達の一家だけである。
先代のレーヴァテイン継承者、フレイ・プロメテウスの息子である俺様にも、歴代の継承者や、これまでの本家および分家の者と同様に、炎の固有魔法が発現した。高い魔力量も受け継ぎ、次期継承者として申し分のない才能を持った。
次期継承者として期待されていた俺様は、そうなるべく育てられた。一般教育も、魔法教育も庶民とは一線を画すものを受けてきた。
最強のトツカノツルギ、レーヴァテインの次期継承者。その期待は、一般人には想像もできないだろう。特に、先代継承者を親に持つ俺様は、親にできたことは俺様にもできて当然と思われて、より多くの期待がかけられていた。俺様自身もできて当然と思っていたし、実際、かけられた期待に応えることは、想像以上に難しくなく、当然のことだった。
貴族産まれの天才である俺様には、期待に応えられなかったことなど一度もない。それどころか、できるのが当たり前すぎて、期待に応えられないことを考えたことすらない。
そう、俺様にとって、何もかもができて当然のこと。不遜にも、俺様と同じレーンに立ち、速さ比べをしている庶民どもに勝つことすら、俺様ならできて当然のことだ。俺様が破れることなど、決してありえない----。
前を走る庶民はたった一人。砂を盛大にまき散らした、たいそう立派なスタートダッシュだったが、最初の勢いだけではなんの意味もない。今、俺様の前を走っているのも、後先考えず、スタートからずっと全力で走り続けているからだろう。
こいつも所詮は庶民。弱者らしく俺様の後ろに固まり、俺様についてくるのに必死になっている有象無象となんら変わりない。最後の最後でスタミナが切れ、無様な顔と姿をさらしながら俺様に抜かれるのだろう。
(愚か者め)
俺様を抜かすのに精一杯で、思わず歪んでいるであろう顔が見えないのが残念だ。だが、最後に勝つのはこの俺様。抜かしたときに、こいつの顔を拝むのが楽しみだ。
(ありえない)
すでに3分の2以上の距離は走ったはずだ。だというのに、こいつのスピードは全く衰えていないどころか、その気配すら見せない。
(今も、今までも、全力ではなかったのか!?)
もしそれが本当なら、全力を出さずしてこの俺様の前を走り続けていることになる。庶民風情が全力を出さずに張り合うなど、腹立たしいことこの上ない。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「敗北」が喉を通り、外へあふれる。「こんなはずではない」と思いながらも、止めることはできない。こびりつくような呼吸の音が耳障りだ。
俺様の前にいるこいつは、息すら切らしてないというのに、俺様の肺は空気が欲しいと悲鳴をあげている。ただ、いつでも抜かせるように走っていただけなのに、限界を迎えようとしている。庶民を相手にしてここまで追い詰められるなど、俺様にあるまじき屈辱だ。
(勝たなければ、勝たなければ!)
しかし、いくら心の中で吠え続けようが、その差は縮まらない。
(あれがゴール!)
こいつを抜かすなら、今がスパートのかけ時。
今の今まで、こいつを抜かせたことは一度もない。俺様ともあろうものが、こいつの後ろを走り続けていたのだ。もし負けたら------いや、このジェームズ・プロメテウスが庶民に遅れをとり続け、その上で一度も抜かせず負けるなどあってはならない。あるはずがないのだ。
スパートをかけるために息を深く吸い込み、足に全力で力を込め--
(--は?)
信じられない光景を見た。
目の前にいる庶民は、ただでさえ俺様を負かし続けたというのに、あろうことかラストスパートまでかけてみせたのだ。
スタートダッシュを思わせるような、強烈な踏み込み。それによって引き出された加速は、今までのペースが嘘であるかのような、速度を生みだしている。
(さらにスパートをかけた!?ありえない、今までずっとあのスピードで走り続けていたんだぞ!あれを超えるスピードを、ここで出せるのか!?)
そんなことを思っているうちに、ますます距離が離れていく。あわてて自分もスパートをかけ直すが、差が縮まる気配はない。
(待て待て待て待て待て待て)
俺様は、お前に負けるわけにはいかない。負けていいはずがない。
川の流れに抗うかのように、必死に腕を振る。張り裂けるぐらい筋肉を総動員して、ひたすら足を回転させる。まるで、死の間際に立たされた動物が、最後に抵抗するかのようにひた走る。
ただ勝ちに執着し、負けを認ようとしない走り。限界を超えた身体を無理矢理引きずるような、品性のない格好。絶えず呼吸がもれているせいで、悔しさで歯を食いしばることすらできない。その姿は皮肉にも、目の前の庶民に期待していた有様に似ていた。
必死の懇願も、聞き届けるものは誰もいない。どれほど足掻いても差は縮まらず、ただ、彼との差は開いていくのみ。
結局、ゴールラインを踏むまでその差は縮まらなかった。
先程まで遙か先にいた庶民も、今はすぐ横にいる。少し歩き、胸ぐらを両手で掴んだ。
「貴様!いったいどんなズルをした!」
こんなことになると想定していなかったのか、庶民の顔には、驚きのなかに戸惑いが混じった表情が浮かんでいる。
(ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえない)
「この僕が庶民ごときに負けるなど、あるはずがない!!いったいどんな小細工を使った!!」
小細工なんて使っていない。そもそも小細工を使う術がない。だから、身体部門でいい結果が出せるように努力を続けてきた。
朝と夜の走り込みも、過酷な筋トレも、無理を言って変えてもらった食事も、今まで欠かしたことはない。全ては純然たる努力の結果。だから----
「小細工なんて使っていない!!」
「なら、証拠を見せろ!貴族であるこの僕に勝てた理由が、小細工でないならなんなんだ!」
反抗的な態度が気に入らなかったのか、貴族様の顔が余計に怒りで歪む。しかし、これ以外の回答を用意しろといわれても、無理な話だ。
「‥‥」
埒があかないことは解っているが、黙って睨み返すしかなかった。誰も止めに入らないが、他の受験生が走っているだろうし、試験官がすぐに来ないのも無理ないだろう。
「そこ!何をしている」
計測で忙しい試験官の代わりに、手の空いている試験管がやってきた。あれだけ叫べば、こうなるのも当然だ。それと同時に、取り巻きと思われる受験生が二人割り込んでくる。同じような装飾と色の服を着ていたため、一目で関係者だとわかる。
「やましいことがあるなら、とっとと吐いちまえよ。実際、周りにいるやつらもお前が勝てたのは、小細工のおかげだと思っているだろうよ」
一人がこちらの首に腕をかけ、そそのかすように話しかけた。
「さ、さすがにここで揉め事はまずいだろ…」
俺の肩に寄りかかり、貴族らしさを存分に発揮している前者と違い、もう片方はかなり冷静で真っ当だ。
そんなことをしているうちにも、試験官は近づいてくる。一触即発の緊張状態で、試験管の足音だけがザッ、ザッと響く。
「もういい。----お前の顔、覚えたからな」
胸ぐらから手が離れた瞬間、ホッと胸をなでおろす。一方で、緊張が解けきっていないからか、心臓ははっきり認識できるほどの鼓動を放っている。それと同時に少し悪寒を感じた。先程は気付かなかったが、全身から冷や汗が吹き出ていたようだ。そのうちの一滴が、肌をぬめりと滑った。
先程の取り巻きを連れ、貴族様の姿が徐々に遠ざかる。試験官が近づいてくる気配はもうしないし、大事にならずに済んだようだ。
「大丈夫!?」
幼馴染みのユウナ・ディストピアが駆け寄って、声をかけてくれた。
「大丈夫。さあ、次の試験に行こう」
「次の試験」、この言葉を口にすると恐怖がわき上がる。恐れていた瞬間が迫っていると、否が応でも思い知らされるからだ。
これで試験の身体部門は終わった。次は魔力部門だ。幼馴染みと共に、先程、貴族様が消えていった方向に向かう。
長い話を読んでくださって、ありがとうございます。