さいわいあれ
私は老いた。
何年も前から予兆はあった。
身体のそこここに、病が住み着き侵してゆく。
それを切り取って生きながらえていたが、切り取る場所ばかり多くなり自分で立っている事も出来なくなってきた。
思えば、私がこの地に立ったのは終戦から5年も経っていない大地に、傷跡の残っているような土煙と瓦礫ばかりの場所だった。
周りに同朋が並び、そして周囲には大きな建物から学校まで出来た。
学校に通う子供達や、その家族と寒さの和らぐ頃に、朝から一緒に春の景色を楽しんだものだ。
私は戦争で死んでいった者たちへの鎮魂と、生きていかなければならない者の励ましに、この場所に来た。
この場所に連れてきた人は、この国の人々の悲しみを癒したいとの願いがあった。
その願いを受け、私達はこの場所に立ち続けた。
荒涼とした大地に人々が戻ってくる。
時代と共に周りは豊かになり、人々の笑顔も戻った。
もう、この地に着て70年も過ぎたのだ。
行き交う人々は代替わりをしたが、どこかに面影を見ることが出来た。
70年は、人の寿命でもあったのだろう。
私達は、亡くなった人の存在を埋めるように各地に渡った。
同朋も20年前くらいから、少しずつ不調を訴えては倒れていった。
私は長生きをした方だろう。
限界を感じて、最後の力を振り絞った。
その年の春に桜並木の一本の老木が、ここ数年咲かなかった花を満開に咲かせた。
「わあ。元気なかったのに、今年は沢山お花が咲いたね!」
小さな女の子が言った。
「そうね。ここ暫く花をつけていなかったと思うわ。
お母さんが、あなたと同い年くらいには毎年花を咲かせていたのよ。
学校に行くにも、この道を通ったの。
花の散る時期には風で花びらが舞って、ピンクの世界になるのよ。
来週にもまた、お散歩で来ましょうね。きっと奇麗な桜吹雪が見れるわ」
そうか、私の花を楽しみにしていてくれたのだね。
ありがとう。
では、来週には奇麗に散らせて見せよう。
桜のトンネルを無邪気に踊るように歩いていた女の子が、大人になっていたのか。
そうか。そうか。
私達は、戦争の悲しみを大地から吸い上げて花にして天に昇らせていた。
もう、この地には戦争で苦しんだ心は次代に継がずに静かに消えたのだな。
幹の中身は病気によって深く大きく抉られていて、次の伐採の対象になっていた木であった。
翌週の昼すぎ盛大に花びらを散らせて、それを見上げる人々の顔を見下ろし願った。
「さいわいあれ。願わくば、とこしえに」