第22話 新しき母
だめだ。完全に詰んだ。
今、私が見ているのは兵士たちの死体。
――の臭いをクンクンと嗅いでいる、一匹の魔狼だ。
死臭に誘われてやって来たか……。
あの魔狼はすぐに私の存在に気付くだろう。
永遠に食い殺され続ける地獄の始まりだ。
「グゥゥゥゥゥ……!」
魔狼は化け物――いや、ジナの死体を警戒している。
よし、いいぞ! もっと怖がれ!
そしてここから去るのだ!
魔狼が去ったところで、今度は永遠の餓死地獄が待っているだけだが、まあ食われるよりはましだろう。
……いや、そうなのか? 餓死の方がきついかもしれんぞ。
それに、これはあくまで推測の域を過ぎないが、魔狼に食い殺された場合、私は糞から生まれ変わるのではないかと思う。
だとすると、あの魔狼が人の通る場所で糞をしてくれれば、誰かに拾ってもらえる可能性が生まれる。
よし、ここは魔狼に食われるべきだ。
このチャンス、逃せば次はない。
私は覚悟を決めて、大声で泣いた。
「びいいいいいいいいいい!」
魔狼が反応し、こっちに向かってくる。
いいぞ、来い!
私は美味しいぞ!
魔狼は一瞬洞窟に入るのをためらったが、私がもう一度泣くと、意を決したかのように洞窟内に入って来た。
フンフンフンフン……。
魔狼はもう私の目の前。
必死に私の匂いを嗅いでいる。
ふぅ……さすがに恐ろしいな。
幾多の修羅場をくぐり抜けてきた私だが、生きながら食われた経験はない。
ペロペロペロ。
なんだ!? 魔狼が私の顔を舐めてきたぞ?
何か味がするのか?
魔狼は私に腹を見せるように寝そべった。
乳が見える。こいつ雌なのだな。
それにしてもどうした? 私を食べないのか?
魔狼はさらに腹を私に近付けて、顔を舐めてきた。
いや、まさか……そういうことなのか……!?
最初から気にはなっていた。
魔狼は群れで生きる魔物だ。一匹でいることは基本ない。
私は恐る恐る魔狼の乳を吸った。
――ああ、やっぱり。
乳が出てくる。
母乳が出るということは、小さい子供がいるということ。
だが、この魔狼は一匹だけである。
それが意味することは――
そうか……お前も家族を失ったのだな……。
魔物か何かに襲われて、群れが壊滅したのだろう。
おそらくその時に子供も……。
寂しさか、それとも群れを作ろうとする習性のためか、どうやら私を子に見立てたようである。
私はいったん乳を吸うのをやめ、魔狼の目を見る。
……魔物にもこんな目ができるのか。
あの司教や騎兵たちよりもずっと慈しみを感じるぞ。
* * *
満腹になるまで乳を吸い終えると、魔狼は私のブカブカになった修道服をうまく咥え、自分の住処へと私を運んだ。
あのまま洞窟にいたら、腐乱死体に囲まれる日々である。
匂い、衛生面において最悪だし、何より他の魔物や肉食獣が寄って来てしまう。これには本当に感謝だ。
魔狼の住処は岩にできた窪みだったが、雨風はちゃんと凌げたし、いつも彼女がべったりくっついてくれていたので、とても温かかった。
獣臭くて、不衛生ではあるが、あの教会よりもはるかに安らげる住処だ。
そして敵が寄ってくれば、彼女は逃げることなく勇敢に戦い私を守り、また私が夜泣きをすれば、ペろぺろと顔を舐めあやす。
魔狼は完璧な母親であった。
――約2年後。
いつものように私はピットの背中に乗り、少し離れた場所にある小川に向かった。
ピットというのは魔狼の名前だ。落し穴――多分、大昔に魔族が仕掛けたものだろう――に落ちたのでそう名付けた。
意外に間抜けな所があるのだ彼女は。
川に近づくと、ピットが反応した。
何かの臭いを嗅いだようだ。
「――様子を見てきます。あなたはここに」
ピットから降りた私は、姿勢を低くし川へと進む。
魔狼は高い隠密性を持った魔物だが、それでも私に比べればまだまだ。
私一人で偵察した方が見つかりにくい。
川が見えたので、私は茂みに潜み、周囲をうかがった。
岸辺を這っている生物が5体見える。
「あれは――魚人ですね。最悪です」
水辺に棲む魔物だ。
獲物を水中に引きずり込み、溺死させて捕食する。
まあ、それは別にいいのだが、問題はこいつらの粘液だ。
人間に対し毒性があり、摂取すると下痢と嘔吐を引き起こす。
つまりこいつらの生息域、及びその下流から水を飲んではいけないし、魚もとってはいけないということだ。
「この川は使えなくなりました。別の水源を確保しましょう」
私はピットのところまで戻り、背中に乗った。
「別の川はありますか? 池でもいいですが」
ピットが走り出す。
無論、調教スキルなど使っていない。母である彼女に調教を使うなど、無礼にもほどがある。
ピットは私の考えていることが分かるのだ。実に賢い魔狼である。
……まあ、落し穴には落ちたが。
しばらく森の中を駆けると、小さな泉にたどり着いた。
「こんなところがあったのですね」
私は毛皮で作った一枚布を脱ぎ、泉の中に入って行く。
「しかも、とてもきれいな水です!」
私を見守っていたピットに微笑む。
「ガウ」
彼女も笑ったように見えた。
「ふん♪ ふんふん♪ ――ん? あれは、まさか」
自慢の水色の髪を洗っていると、水辺に紫色の草が生えていることに気付いた。
私はバシャバシャと水を掻きわけ、その草の元へと走り寄る。
「間違いありません! 月光草です!」
マジックポーションの原料となる素材だ。
「しかもこんなに……! ここは月光草の群生地ですか!」
私の目の前に、紫色の絨毯が広がる。
これだけあれば、マジックポーションは作りたい放題だ。
「これで効率的な魔力トレーニングが可能となりました! ――ああ、ピット! ありがとう!」
抱きしめると、ピットは顔をぺろぺろと舐めてきた。
彼女も嬉しいのだろう。
私は月光草を摘めるだけ摘み、住処へと持ち帰った。
「乳鉢はないので……代わりに、この石を使いましょう」
いつも木の実をすり潰すのに使っている石だ。
「ごりごりごりごり……」
石を使って月光草をすり潰していく。
「蒸留器も焼炉もないので、あとはこのお湯に直接入れて混ぜるだけです」
竹で作った水筒を火にくべてお湯を沸かしたが、燃えてしまうので数回も使えない。マジックポーションを量産するには、まず土器を作る必要があるな。
「よし、完成です!」
<発火>を使ったので、すでに魔力は消耗している。
飲めば、効果があるかはすぐに分かるはずだ。
「んぐ……んぐ……ぷはっ。――よし、成功です! ――うう、いたたた……ううう……」
ピットが立ち上がり、心配そうに私を見る。
「大丈夫……ただの副作用です……」
月光草は魔力を回復させる効果を持つが、めまいや頭痛を引き起こす成分も持っている。
本来であれば蒸留器や焼炉を使い、これらの副作用を取り除いていくのだが、当然ここにそんなものはない。気合と根性で耐えるのみ。
また本来マジックポーションとは、これに紫蝶の鱗粉を加えたものを指す。
月光草自体の魔力回復量は少なく、鱗粉の効果で増幅させないとマジックポーションとして使い物にならないのだ。
だが幸い私の魔力はまだ低いので、月光草のみの回復量でも問題無い。
「木を集めて、炭を作って、粘土を集めて、炉を作って、また粘土を集めて、土器を作って……それからやっとマジックポーション作りです……はぁ……」
なんだか部族時代を思い出す。
「あの頃は、火を起こすのもいちいち大変でした……土器を焼いたり、槍や弓を作ったり、草で編み物をしたり、オールラウンダーの私は何をやらせてもいまいちだったんですよね」
どれも中途半端にはできるのだが、名人たちの技には遠く及ばないので任されることはなかった。
「だから結局、水汲みや粘土集めばかりやらされて……それで、あの人と仲良くなったんです……」
最愛の夫の顔を思いだす。
彼もオールラウンダーだったから、与えられた役割は私と同じだった。
「でも彼は、私と違って明るい男でしたね。どうして仲間外れにされているのに、あんな自信があったのか。……本当謎です。うふふ」
――あ、なんかいい感じ。
部族時代の仕事をしたら、もっと彼との思い出にひたれそう。
「なんだか粘土を集めるのが楽しみになってきました。2歳の体でやり遂げるのは大変ですが、頑張りましょう」
私はその晩、久しぶりに笑顔で眠ることができた。
TSUTAYAさんで1巻を購入すると限定特典のイラストカードがもらえるそうです。
(一部店舗のみ)
https://twitter.com/shop_TSUTAYA/status/1656222549385318403?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Etweet




