第49話 焦りのジルベルト
「ううむ……」
私はせわしなく部屋を言ったり来たりしている。
マルチェラが今、父上の部屋に呼び出されているのだが、何の用件で呼ばれたのか誰も把握していないのだ。
「やはり噂の件だろうか?」
私と彼女が恋人のように談笑しているという噂だ。
「おのれ、周囲にはかなり気を配っていたのに……! だがこんなことで、いちいち父上が出てくるだろうか?」
結婚したばかりなのに、他の女にうつつを抜かすなど、ルーシーに対し礼を欠く行為ではあるのは間違いない。
だが、正室と結婚後、すぐに側室を迎え入れた王族・貴族はそれなりにいる。
わざわざ一国の王が首を突っ込むような話ではないはず。
――コンコンッ。
ドアがノックされた。
「何です?」
「神王陛下より言伝を承りました」
「父上から!? 入ってください!」
「失礼します!」
近衛兵は部屋に入ると敬礼の姿勢をとる。
「さっそく聞きましょう」
「はっ! ――本日をもって、主計官マルチェラ・ツィンスベルガーを、神王ディマルカス・アラヌスの第四夫人とする。――以上であります」
……は?
「ふざけるなあああああああああああああああああああああっ!」
ドゴォッ!
裏拳を叩きつけられた石壁から煙があがる。
「で、殿下……! どうか落ち着かれてくださいませ……!」
「これはいったいどういうことです!?」
手から垂れ始めた血をハンカチで拭いつつ、近衛兵を睨みつける。
「申し訳ありません! 私は言伝を頼まれただけでありまして、詳しいことは一切分からないのです……!」
「くそっ……!」
実際のところ、どういう意味なのかは分かっている。
要するに父上は私にこう言っているのだ。「この女のことは忘れ、冷静になるが良い」と。
「それではこれにて私は失礼させていただきます……!」
近衛兵は敬礼すると、そそくさと部屋を出て行く。
「おのれ……! マルチェラが父上のものにされてしまうとは……!」
これまで生きてきて、何度も悔しい思いをしたことはあるが、これほどまでの悔しさは初めてだ。
「いったいどうやって彼女を納得させたのだ、父上は!」
多くの女官たちにとって、父上の側室となることは最高の栄誉。
キャリアの頂点にして終点と言って良い。
だが彼女は違う。
元々の狙いは、我々神王国王族の暗殺だったのだ。
――ん? 暗殺?
その瞬間、私の脳に雷撃が走る。
「まさかマルチェラ……君は、父上の暗殺を……! 近づくために側室に……!」
なんということだ……!
まさか彼女が私のためにそこまでするとは……! 大誤算もいいところだ。
怒りは沸いて来る……沸いては来るが……正直嬉しさもある。
「今すぐ彼女に会って、この複雑な気持ちを伝えたい……!」
しかし、ルーシーに接近禁止令が出されているため、それはできないのだ。
ん……? いや、待て……。
「何を言っているんだ私は……! 父上の側室となったことで、ルーシーとマルチェラの身分は同等となった……! よってこの命は無効となる……!」
会える……! 会えるぞ、マルチェラと……!
私は部屋を飛び出し、父上の妃たちが住まう奥の殿へと向かう。
「お待ちください、殿下」
「なぜとめる!?」
おのれ近衛兵め、「マルチェラに会わせてはならぬ」と命を受けているな?
「何用でございますか?」
「母上のご機嫌をうかがいに参っただけだ! 何か問題があるのか!?」
「いえ……何も」
私は大股で母上の部屋へと向かう。
しっかりと近衛兵に見張られているので、マルチェラの部屋に直接向かうことはできない。
「花の手入れをすると言ってベランダに行き、そこからマルチェラの部屋へと飛び移るとしよう」
子供の頃、そうやってよく抜け出したものだ。
少し思い出にひたりながら、母上の部屋の扉をノックする。
「誰かしら?」
「ジルベルトです母上」
「あら珍しいわね。どうぞお入りなさい」
「失礼します」
ドアを開け、薔薇の香りが漂う部屋へと足を踏み入れる。
「相変わらず薔薇の良い香りが――えっ!?」
母上のすぐそば。
薔薇の手入れをしている、黒いドレスを着た美女……。
「お久しぶりですジルベルト殿下」
「マル……チェラ……?」
「うふ、私だと分かりませんでしたか?」
分からなかった。
彼女のイメージカラーは白と水色。清楚さの象徴と言えるものだった。
だが今の彼女は、黒を基調としたドレスに、赤い薔薇のアクセサリーをたずさえており、妖艶さをこれでもかと溢れさせている。
「そのドレスは……?」
「神王陛下に選んでいただいたものです」
父上め……! マルチェラを自分好みの女に仕立て上げたのか……!
私の心にどす黒い嫉妬心が沸き上がる。
「とても似合っているでしょうジルベルト」
「……はい、母上。さすがは父上です」
「おかげで今夜さっそく務めが来たのですよねマルチェラ?」
「はい。エリノーラ殿下からいただいた、この薔薇のアクセサリーのおかげでもあります」
「なっ……!」
甘かった……!
マルチェラを側室としたのは、私への戒めのためだけであり、彼女自身にはまったく興味がないと思っていた……!
「母上! ツィンスベルガー女史――ではなく、マルチェラ殿下はまだ側室となったばかりです! さすがに早すぎるのでは!?」
「いえジルベルト。時が空く方が不安になるものなのですよ」
くそっ……!
マルチェラの純潔がとうの昔に奪われていることは分かってはいる……!
分かってはいるのだが、改めて父上に奪われるといいうのが、まったくもって許せぬ……!
「母上、マルチェラ殿下と二人きりで話がしたい……! どうか席を外していただけませんか……!?」
「なりません。彼女はもう陛下の妃。他の男と二人きりにはできません」
「くっ……! そこをなんとか……!」
「……可愛い我が子の苦悩は、母である私が一番理解しています。二人きりにはできませんが、ベランダで話をするのは認めましょう」
母上ができる最大限の妥協案といってところか。
これ以上のものは、どうやっても望めまい。受け入れるとしよう。
「感謝します母上。――来てくれますかマルチェラ殿下」
「かしこまりました」
私はマルチェラを引き連れ、ベランダへと向かった。
母上はイスに座り、じっと私たちの様子を見ている。
「――母上は斥候スキルを持っていません。私たちの声は聞こえませんので安心してください」
「分かりました」
マルチェラは平然としている。
もっとばつが悪そうにしてもよいものに思えるが……。
「マルチェラ殿下……! なぜこのような勝手な真似を……!」
「申し訳ありません。どうしても殿下のお役に立ちたくて……」
やはり私のためにやったことだったか……!
怒りと嬉しさが入り混じった、何とも奇妙な感情が沸く。
「その気持ちは本当に嬉しく思います……! しかし、あまりにも危険すぎる……! それに今晩だって……」
「陛下の影の力量は把握できました。確かに相当な手練れですが、勝てない相手ではないです。夜伽に関しては何も問題ありません。私はずっとそういう仕事をしてきたのですから」
「私が嫌なのです……!」
「え……?」
マルチェラは目をぱちくりとさせる。
なんと可愛らしいのだろう。妖艶な姿とのアンバランスさが、なんとも言えない魅力を醸し出している。
「正直に言います……! あなたを父上にとられたくない……!」
「殿下……」
マルチェラはわずかに微笑むと、そっとベランダの手すりに寄っかかった。
この笑み……私の好意を嬉しがってくれたのだろうか?
「男は女を抱いている時にもっとも隙が生まれます。そこを狙うつもりでした。……でも殿下がそうおっしゃるのであれば、別の方法を選ぶつもりです」
それは良かった……!
やはり彼女に会いに来て正解だったな。
「そう言っていただけるとほっとします。ですが私としてはまず、そもそも暗殺を――」
マルチェラには危険を冒させたくない。
その気持ちをしっかり伝えるため、彼女の横に並び、私も手すりに寄っかかった。
――が。
バキッ!
手すりが折れた音がした。
預けていた体は、後ろへ――
「な……」
落ちる。
ここは5階。きっと私は死ぬ。
落ちる。
手すりの老朽化による事故死……?
なんという間抜けな最期だ。
そう思いながら、上を向く。
そこには邪悪な笑みを浮かべたマルチェラの顔が。
そうか、そういうことか……!
この女、私を裏切ったのだ!
「マル……チェラァ!」




