第42話 虫
――翌日のお昼時間。
イザベラ侯爵令嬢は、木製のトレーを持って配膳を待つ列に並んでいた。
「はいどうぞ、イラベラ嬢」
「ありがとですわマルチェラ」
このクソガキめ、本当にやりやがりましたわね。
袖の中に隠した小瓶から、何かの液体を私のスープに垂らしたのが見えましたわよ。
ふん。ま、いいですわ。
結局は自分が食べることになるのですから。おほほ。
「はい、どうぞフアニー」
「ありがとうマルチェラ。――あ、そうだ。あなたの分も持っていくよ」
「それは助かります」
マルチェラが二人分の料理をフアニーのトレーに乗せましたわ。計画通りに進んでいますわね。
あとは――
私とフアニーはマルチェラの死角に移動し、料理を交換します。
「おほほ、これでマルチェラは虫にたかられる訳ですわね。楽しみですわ」
「はい。では私はいつもの席に行きますので」
フアニーと別れ、自分の席へとつきます。
「お待たせしましたフアニー」
配膳の仕事を終えたマルチェラが席につきましたわ。
「いただきます」
「いただきます」
「今日のイモはおいしいですね」
「そう? いつもと同じじゃない?」
まさかフアニーが裏切っていることなど知るよしもないマルチェラは、ばくばくと料理を食べております。
「おほほほほ、見なさいあなたたち。あの馬鹿丸出しの食べっぷりを」
「うふふふふふ! いつにも増して食い意地が張っていますわね」
「この後虫にたかられるとも知らず、呑気なものですわ。おほほほほ!」
そしてお昼の休み時間が終わり、園芸の授業が始まります。
花壇に生息する虫たちが、あのクソガキに群がることでしょうね。
「ふんふんふーん♪ 肥料はふーん♪」
マルチェラは呑気に鼻歌を歌いながら土いじりをしています。
「あら? 全然虫が来ないじゃない。どうなっていますの?」
「効き目が出るまでに多少時間がかかるそうですよ。マルチェラがそう言っていました」
そうなんですのね。
じゃあその時が来るまで待っているとしましょう。
私は花に水をあげながら、マルチェラの様子を見ます。
「きれいな百合の花です。――百合と言えば女性同士の恋愛ですが、この学院にそれで有名な方がいますよね」
マルチェラがフアニーに話かけました。
百合で有名……2年生のレイチェル侯爵令嬢のことですわね。
「うん、レイチェル先輩でしょ?」
「カミングアウトしてるのは彼女だけですけど、他にも百合の人は結構います」
「え……そ、そうなの?」
「はい。例えばあなたですフアニー」
フアニーが!? ――え!? そ、そうなんですの!?
「ち、違うよ! 私は普通の女の子だよ!」
「嘘をつけ。毎晩私にキスしてるだろう。気付いていないと思ったか? おとといの夜など、ついに舌まで入れやがって」
え!? 舌まで!? これはもう「挨拶しただけ」という言い訳は通用しませんわよ!
「あ……あ……」
「ああ、哀れなフアニー……。心の弱いあなたはレイチェル嬢のようにオープンにはなれません。素直に気持ちを伝えられないせいで愛情が歪み、憎しみとなってしまったのですね。――知っていますよ? あなたがずっと前から裏切っていることは」
「う……」
え……?
奴はフアニーが裏切っているのを知っている……!?
「聞こえているかイザベラ? 私が袖口から垂らした液体はただの水」
マルチェラが私の方を見て、恐ろしい笑みを浮かべます。
「フアニーに渡した料理に、本命の誘引剤が仕込まれているのだ」
は……?
ということは……それを食べたのは……私……?
「ギジビ蜂の誘引剤だ。ギジビ蜂に刺されると悲惨だぞ? 患部はボコボコに腫れ、魔法でも治すことはできない」
私は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
「あ……あ……」
「当初はハエやアブをたからせる予定だった。が、お前はやりすぎたのだ。――さて、そろそろ時間だな」
「ひい!」
私は全力で屋内へと走り出す。
ブウウウウウウウウウウウウウウウウウウン!
凄まじい羽音が私の背後から聞こえてきました。
「いやあああああああああああああ!」
目が覚めましたわ。
ここは……ベッドの上?
私の部屋で間違いありませんわ。
ああ……ということは、今のは夢だったのですわね。良かった……。
「いや、夢ではない」
「ひっ!」
ぬっ。
邪悪な笑みを浮かべたあのクソガキが、私の顔をのぞき込みます。
「ごめんなさいマルチェラ! 謝るから許して!」
「あはははは、心配するなイザベラ。私はお前に慈悲をかけに来てやったのだ」
「慈悲……?」
「うむ、まずはこれを見て欲しい」
マルチェラは手鏡を私の顔の前に差し出しました。
「……え?」
これが私……?
まるで化け物じゃない!
「きゃはははは! 私の死んだクソ姉もびっくりするほどの美しさだ! ――オーク基準でな。きゃははははは!」
「いやああああああああああああああああああああああああああああああ! お願い! なんでもするから治してええええええええええ!」
「どんな薬草や回復魔法を使おうが、この顔は元には戻らん。せいぜい赤味が引くくらいだ。変形しただけで機能には問題無いからな。傷と判定されないのだ」
「うわああああああああああああああああああああああああああああ!」
「お前のキャリアはここで終わった。後は修道院に引きこもるしかあるまい。だがそれはあまりにも残酷。そこで慈悲深い私はお前にプレゼントを持ってきた」
マルチェラは小さな小瓶を私の枕元に置きました。
「即効性の猛毒が入っている。それで楽になると良かろう」
「ううううううううう……!」
「ではさらばだ。あの世でツバメの一家に詫び続けるが良い。あははははは!」
* * *
イザベラの部屋を出ると、廊下にはイザベラの友人二人とフアニーが、怯えた表情で立っていた。
「うごっ……! うごおおおおおおおおおおっ……!」
部屋の中から、化け物のようなうめき声が響きわたる。
「きゃはははははは! 即効性とは言ったが、すぐに死ねるとは言っていない」
ガタガタと震える3人の女たち。
「お前たちは賢い。最後の最後で、どちらにつくかを誤らなかった。きっと女官としてうまくやっていけるだろう」
「あ、ありがとうございます……!」
イザベラの友人二人が頭を深々と下げる。
この手の女は己の能力が低い代わりに、誰に媚びへつらえばいいかを見抜く力は高い。
かなり前からイザベラが私に負けるのを予感し、鞍替えのタイミングを狙っていたそうだ。
私がツバメの親子を殺されたことに激怒していたとフアニーから聞かされ、イザベラの終焉を確信。彼女を裏切り、私についた。
「そしてフアニー。色々ありましたが、終わりよければすべてよしとしましょう。これからも私たちは友達です」
「ごめん……マルチェラ……」
愛情と憎悪は紙一重の感情。フアニーは私を憎んでいるが、愛してもいる。
彼女はずっと前からイザベラに情報を流しており、そのおかげでイザベラは効果的な嫌がらせができたのだ。
「一つ聞いても?」
「なに……?」
「最終的に私についた理由はなぜですか?」
「うんと……ツバメの親子を殺したのは許せなかったから……」
「それだけですか?」
「それは……それは……やっぱりあなたが好きだから……」
「ありがとうフアニー。私もあなたが好きですよ?」
「――んっ……」
私はぴょんと彼女に飛びつき、唇を重ねた。
「うふふ。さあ皆さん、イザベラの素敵な小夜曲を最期まで楽しみましょう」
「は、はい……」
「おぼおおおおおおおおおおおおおっ! おぼぼぼぼっ……!」
血ヘドを吐いているようだ。
内臓が溶け出してきたかな?
「ああ、素敵……これで私たちは共犯者ですね。うふふふふふふふ!」




