第38話 チンゲン菜
私の新しき同居人はマジでやばい。
「え!? ちょっと!? まさかお酒飲んでるの!?」
お風呂から戻った私が部屋のドアを開けると、葡萄酒を飲みながら干し肉をかじっているマルチェラの姿が目に入った。
「うむ、元部下から送られて来たのだ。お前も一杯やるか?」
こいつ……!
普段から偉そうな奴だけど、お酒のせいでさらに不遜な態度となっている。
なんだ部下って!
「この寮ではお酒は禁止でしょ! というか、そもそもあなたの年で飲んじゃだめだから!」
「ははははは! 2000歳で飲んで駄目というのなら、じゃあ何歳なら飲めるのだ?」
「なにが2000歳だよ! ばっかじゃない! ほら、飲むのやめなって!」
「うるさい! 飲まずにやってられるかっ! 私の苦労も知らずに偉そうなことを言うな!」
「ばれたら私も責任とらされるんだから!」
「はいはい……ああ……急に眠くなってきた……やはり9歳児の体にはこたえる……」
マルチェラはぐでんと寝入ってしまった。
「もーう……!」
私は彼女を抱え、ベッドに寝かせる。
「黙ってれば可愛いのに……」
彼女に口付けをし、残った酒と干し肉の片付けを開始。
「う……うう……」
マルチェラが涙を流している。
「マルチェラ……? 大丈夫……?」
「……私から……奪わないで……」
何か悪い夢でも見ているのだろうか?
豪胆な子としか思っていなかったが、もしかしたら色々と闇を抱えているのかもしれない。
「明日からはもっと優しく接してあげようかな? 私の方がお姉さんなんだし」
そうなふうに思ってしまったことを、すぐに後悔することとなる。
翌日の夜。
「きゃはははははははははは!」
マルチェラは涙を流しながら笑い転げている。
本当こいつ……!
「好きな食べ物は何か?」と聞かれたので「チンゲン菜」と答えたらこの有様だ。
「チンゲン菜」の「チンゲ」の部分で大笑いにしてるに違いない。最悪な女だ。
「あなた、チンゲン菜知らないの? アッシズ地方の名産品だよ?」
「きゃはははははは! 知りませんよそんな野菜! もじゃもじゃの葉っぱなのですか? きゃははははは!」
「最悪……!」
マルチェラは、誰もが当たり前に知っていることを知らないことがある。
初めは、やっぱり傭兵に育てられたから教養がないのかなと思っていたのだが、それは大間違いだった。
彼女の机に山積みされているのは、どれも難しい本ばかり。
特に歴史書と魔導書を好んで読むようだ。
「それはそうとフアニー、明日は歌の授業がありますよ? 予習しておかなくていいのですか? 先日赤点を食らっていましたが?」
こいつは私をさん付けで呼ばない。年上なのに。
「す、するよ……!」
私は歌が苦手だ。
大勢の前で声を出すのが恥ずかしくて仕方ない。
「ラー……ラー……♪」
「まったく声量が出ていないですね。――ラァァァァァァァァ!♪ こうですよ?」
くっそうま!
恐ろしいことにこの子は、歌も演奏も踊りもやたらと上手い。
性格以外は完璧な女の子なのである。
「ラー……!♪」
「うーん……あなたに音楽の才能はなさそうです。唯一の取柄である安産型の体形を武器に勝負するしかないですね」
「私が下半身デブだって言ってんのか!? 殺すぞおおぉぉぉ!」
「それですよ、それ! その感じで歌ってみてください」
「ラアアアアアアアアア!! ファッキュウウウ、マルチェラアアアァァ!」
「やかましくはありますが、さっきよりは断然いいですね」
マルチェラといるとなんだか調子が狂う。
こんな嫌なことを言われたら、前までは泣いてへこんで終わりだった。
それが今じゃこうして大声でキレ散らかしている。
不思議と彼女にはそういう態度をとれるのだ。
なんだかんだで私たちは上手くいっている……のかもしれない。
「――またですか。はぁ……」
ドゴッ!
マルチェラがドアに本を投げ付けると、扉の向こうから「ひっ……!」と小さな悲鳴が聞こえた。
どうやら、またイザベラたちがドアにイタズラ描きをしに来ていたらしい。
「どうして分かるの?」
「耳がいいので」
マルチェラはつまらなさそうな顔で立ち上がり、本を拾って戻って来る。
彼女は入学早々、イザベラたちに目をつけられ色々と嫌がらせを受けているが、まったく意に介さない。強すぎる。
そしてありがたいことに、標的が彼女に移ったおかげで、私は平穏な学院生活をエンジョイできていた。
「このままやらせてていいの?」
黙って泣いていただけの私が言えることではないが、彼女が一切やり返さないことに疑問を抱いていたので、ここで聞いてみた。
「この程度でいちいち腹を立てていては、側室や女官など、とても務まりません。こんなものではありませんよ? あの世界は」
「なんかまるで経験したことがあるかのような言いぐさだね?」
「側室や女官どころではありません。私は女王でした」
「はいはい、面白い面白い。ねえその本、そろそろ返しに行った方がいいんじゃない? 返却期限が近いでしょ?」
「そうですね。じゃあフアニー、一緒に行きましょう」
「また私にいっぱい本を待たせるつもりだね?」
「うふ」
結局私はマルチェラと一緒に図書館へ行き、新しく借りた本を何冊も持たされる。
「マルチェラは歴史が好きなの?」
「好きという訳ではないのですが、とある人物をずっと探し続けていまして」
「誰?」
「不死の女王、インヴィアートゥです」
誰だそれ? 聞いたことがないな。
「およそ300年前に実在していた女王なのですが、不思議なことにどの歴史書にも載っていないのです」
「そうなんだ……」
まったく興味のない話題だったが、マルチェラが見せた儚げな瞳に目を奪われる。
「――あっ、見てくださいフアニー。雛がまた大きくなっています」
彼女が指差した先にはツバメの巣が。
図書館からの帰り道に、この一家を見るのが私たちの日課となっていた。
「いつ巣立つのかな。楽しみだねマルチェラ」
「はい、本当に。また来年来て欲しいですね」
性格に問題のある彼女だが、小動物には優し気な表情を見せる。
私はマルチェラのそういうところが好きだった。




