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バトル・イン・ザ・ブラック・シティ

 人間と機械、人間と人形、人間と動物、人間とアンドロイドのコラボレーションが日常となった世界───キメラ生命体感染症(Chimerik Living Organism Infrection 略してCLOI:クロイ)により人間を超える者が現れるだろう───預言者マルア・クレナンドス 予言の書 第4節より

 

第1章 ブラック・シティ(黒の都市)


 ざんざんと降り続く雨の中、ブラウスが透けるほど濡れそぼった姿のまま、一人の少女が膝を抱えた姿勢で、薄暗い回廊の端にうずくまっていた。

 

 雨に濡れて良くは分からなかったが、少女の頬には幾つもの赤黒い筋が見え、その上を幾つもの涙の筋が流れ落ちていた。


 薄黒い雲が渦巻く空からは、時々、わずかな雷光とともに、ゴロゴロと唸るような小さい雷鳴が聞こえてきた。


(...もう、このまま、動きたくないな...) 


 少女は、うずくまった姿勢のまま、涙に濡れた顔を膝に埋めた。


 ......


 それから、幾分かの時間が過ぎた後、不意に彼女の頭上で低い男の声が聞こえた。


「...おい」


(...男の声...誰?...でも、もうどうでもいい...)

 男の声に、彼女は更に顔を膝の中に埋めていった。


「お前、CLOIクロイなのか?」


 男の言葉に、少女は思わず顔を上げ、その男の顔を見やった

 男は重たげな灰色のフード付きレインコートをまとい、その顔は半分程フードに隠れていたが、おもむろにフードを背後にめくり上げ、その素顔を少女に見せた。


 その頬には、少女のものとはまた違った青黒い縦筋が何本か走っていた。


「俺もそうだ」


 男はそう言うと少女の前に回り込み、しゃがんで正面から彼女の目を見た。


「...帰るところが無いのか?」


「...」

 男の言葉に少女は僅かに頷いただけであったが、その目はしっかりと男の目を見据えていた。


「俺の家に来るか?」


 男の問い掛けに少女は再度頷うなづき、無言で左手を差し出した。


 左手のひらと手首を同時ににぎられて、少女はその感覚にハッとした。

(!?...手は機械?)


 少女は男に支えられるように立ったが、びしょ濡れのブラウスが透けて乳房が見えていることに気付き、ハッと胸を両手で隠した。


「さあ、着いて来な」


 男は先に立って歩き始め、やがて回廊の端の非常階段にたどり着くと、どこからか取り出した青い光を放つオプティカルキーで、階段に通じる金網の扉を開き下に降り始めた。


「扉は閉めておいてくれ」


 男の言葉に少女は金網の扉を後ろ手で閉めると、扉は自動的にロックした。


 ここはビルの15階であったので、雨が降りしきる中、1階まで降りるのには滑って苦労したが、二人は何とか地上に着いた。

 

 非常階段の1階の鉄格子の扉も男は先ほどと同様に開き、今度は少女が出てくるのを待って自分で扉を閉めた。


 雨はあいかわらずの強さで、多少周囲が見辛かったが、彼女の10m程前に、エア・タフ・モビリティの車が停まっており、ドアロック解除の光のシグナルが点滅した。


「助手席に乗ってくれ」

 男は運転席のほうに回っていった。


「びしょ濡れなんだけど」

 雨の中、少女は大きめな声で初めて口をきいた。


「構わんよ、気にするな」


 少女が助手席に座りドアを閉めると、男は運転席に座る前に後部座席から毛布を掴んで彼女に投げて渡した。


「かけろ。風邪を引くぞ」


 男は車のオプティカルキーをセットしたが、AIに発進命令は出さずに手動運転を選択し、車を垂直離陸させた。


 エア・トレインの軌道を越えた30m程で、彼はアクセルを踏み車は空中を飛行し始めた。


 降りしきる雨は強さを増し、尖塔のようなビル群の先端の赤い炎と立ち上る黒い水蒸気は、空の渦巻く黒い雲とやがて一つに溶け込んでいった。


---------------------------------------------------------------

第1章 ブラック・シティ(黒の都市)section2


「俺の名はチェスコン...お前の名は?」


 エア・タフ・モビリティ(空中を走行する車、通称エアモビ)を運転する男は言った。

 両頬の青黒い筋が痛々しく見えるが、本人は痛みを感じていないようであった。


「...ニリーア」

 少女は髪から雨の滴が垂れないように頭から毛布をかぶり、座席も濡れないように、お尻の下まで毛布を敷いていた。


「俺もCLOI(Chimeric Living Organism Infectionキメラ生命体感染症)(クロイ)だ」

 チェスコンは事も無げにそう言いきった。


「...チェスコンさんは、何のキメラなんですか?」

 ニリーアから見ると、チェスコンは、だいぶ年上の...恐らく30才半ばくらいに見えるので、彼女はそう聞いた。


「遺伝子レベルでのナノ・セル・マシーンと、鳥類...解析によればクマゲラという名の鳥らしい、、、後はアザラシ科のバイカルアザラシだ」

 チェスコンはそう言いながらハンドルを回し、エアモビを右方向に90度旋回させた。


「ニリーア、君はどうなんだ?」


 ニリーアは、僅かに唇を噛んだ後、一つ一つ確認するように答えた。

「1つ目はピコ・セル・マシーン、2つ目は昆虫、、、オオカマキリという昆虫、3つ目は猫科の動物、、、ピューマ、、、カマキリとピューマの相性にどうも問題があるらしいんです」


「...なるほど、それは素人目にも、DNAの相互作用にだいぶ問題が出てきそうな組み合わせだな...」

 チェスコンはやや眉間に皺を寄せてそう応じると、更に続けて言った。


「もうすぐ俺の家に着くが、シートベルトをつけるぞ!」

 

 チェスコンは、そう言うや否や、ベルト装着装置のスイッチをオンにすると、蛇のようなベルトがニリーアの体の前面で交差し、左右のバックルでロックされた。


 チェスコン自身もシートベルトをつけると、ハンドルを下方向に引いて、エアモビを急上昇させ、さらに90度程度転回させた後に、一気に降下を開始した。


 ニリーアの眼下には、強い雨を源とする黒い濁流が流れ落ちる巨大な排水口が見え、四方を濁流の滝に囲まれた真ん中の四角い穴めがけて、エアモビは突っ込んでいった。


「あっ!、、、え?!、、、キャア!!」


 ニリーアが小さな叫び声をあげる中、エアモビは四方を滝に囲まれた中央の滝壺の中に沈んでいった。


「安心しな、このエアモビは水陸空対応型だ」


 チェスコンはエアモビをさらに水中に潜水させながら一言追加した。

「大雨でなければもっと楽なんだがな」


 ニリーアは目を丸くして、濁って渦を巻く水中を見回した。


 7~8m程潜ったところで、水中レーダーと何かしらのビーコンの表示を見つつ、チェスコンはエアモビを前進させた。


 30m程前進した後に、エアモビは浮上を開始し、やがてポッカリと四角いプールに浮かび上がると、さらに空中に上昇し、そのあと前進した。


 ニリーアは下水の中の汚い壁面を予想していたが、壁は筒型で光沢を放つスーパー・ハイテンション・アルミ合金で出来ており、等間隔に白色のハイパーLEDの照明が光っていた。


 まもなくすると、エアモビは広い円柱形の空間に到着し、その中央にある円形のテーブルの上に着陸した。


「降りるぞモビ、開けてくれ」


 チェスコンの言葉に、エアモビのAIが反応し、

「お疲れ様でした。チェスコン」

 としゃべりつつ、ガルウィングのドアを開けた。


「ここが、、、あなたの家なの?」


 ニリーアは周囲を見回しながら、驚きつつチェスコンに尋ねた。


「ああ、アジトとも言うがね」


 チェスコンは円柱形の格納庫の壁面にある一つの扉の横のテンキーでパスワードを入力し、更にフィッシュアイカメラで網膜認証を行った。


 ガコンという音とともにドアが横方向にスライドし、奥の部屋に通じる通路が見えた。


「さぁ、入ってくれ」

 チェスコンはニリーアを先に中に入らせ、自分は後から入りつつドアをロックした。


 ニリーアが通路の端のドアに達すると、ドアが開き部屋の中を見渡せた。

 部屋の中央には金属製の円卓があり、白色の照明の中、円卓に寄りかかる一人の若い男がいることに気がついた。


 チェスコンはニリーアに部屋に入るよう促した。


「紹介しよう。俺たちのメンバーの一人のグリナダだ」


 チェスコンはニリーアの顔を見つつ、会釈で彼女に挨拶を促した。


「グリナダです。よろしく...」

 若い男はニリーアに右手を差し出した。


「はじめまして、ニリーアと言います」

 彼女は左手で胸を隠しつつ、グリナダが差し出した右手を軽く握った。


「まずは、着替えとシャワーだな。左の部屋に着替えとシャワーがあるから自由に使ってくれ」

 チェスコンはそう言いながら、ニリーアがグリナダから離した右手と軽く握手を交わした。


「...それと、このグリナダは俺たちのメンバーであると同時に、俺のかたきでもある」


 チェスコンの言葉に左の部屋に入ろうとしたニリーアは、「えっ?!」と振り向いたが、

 チェスコンが顎を突き出して(入れよ)と促し、

「出てきたら話す」

と付け足したので、黙って左の開き戸の部屋へ入っていった。


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第1章 ブラック・シティ(黒の都市)section3


 ニリーアは部屋に入るなり入口のドアを手動でロックしたが、部屋を見渡してギョッとした。


 部屋の左手に薄水色のベッドがあったが、そこに等身大の少女人形が腰かけていたのである。


(人形?...顔や手足は人形のようだけど...?)


 人形は透き通るように白く滑らかな肌で、ほんの僅かにピンクがかっていた。

 服は銀色、水色、黒の模様で彩られた薄いグレーのワンピースで、髪は薄いバイオレットのツインテールだった。


 ニリーアは好奇心で人形に近づいていった。


「こんにちは」

 人形がいきなり顔をニリーアの方に向けて口をきいた。


 今まで人形のように微動だにしていなかったので、ニリーアは再びギョッとしたが、直ぐにヒューマロイド(ヒューマノイド・ロボット)だと分かった。


「...あなたは、ヒューマロイドね?」

 ニリーアは確認するように言った。


「はい、ヒューマロイドで、名前はセリテアといいます」

 人形は体を全く動かさずに、顔と口だけで返事をした。


「私はニリーア、新入りよ」

 ニリーアは仲間入りしたことを強調するように言った。


「はい、チェスコン様から連絡があったので知っています。では、まず右手のシャワー室をお使い下さい。着替えは私が用意しておきます」


 ヒューマロイドのセリテアは、そう言いながらベッドから立ち上がりニリーアをシャワー室に案内した。

 その動きは人間とは異なり、必要な動作以外の動きが全く無かったので、普通のヒューマロイドというよりも、やはり人形を思わせた。


「連絡?それはいつあったの?」

 ニリーアは不思議に思い聞いた。


 チェスコンに出会ってから今までの間、彼が通信をしている様子は全く無かったからである。


「はい、チェスコン様がニリーア様に話しかける直前に連絡をもらいました」


「え?!それじゃ、私がここに来ることは分かっていたってことなの?」

 ニリーアは驚いて尋ねた。


「風邪を引きますので、まずはシャワーを浴びてください。脱いだ服は、この籠に入れて下さい。私が洗濯します」

 セリテアはチェスコンのように、やや強制的に言った。


 仕方なくニリーアはシャワー室の前の空間をカーテンで半分だけ仕切り、ぐっしょりと濡れたシューズと、スカート、ニーハイソックスを脱ぎ、続いてブラウスを脱いだ。

 ブラは着けていなかったので、後はショーツを脱いで籠に入れ、シャワー室に入った。


 温度調整をしてシャワーコックをひねると、湯量は思ったよりも多く、快適に冷えた体を温めることができた。


(はぁー...)


 自分の長年の居場所を追われた後の、最初の湯浴み《ゆあみ》である。


 辛い記憶が甦りそうになるのをグッと抑えて、ニリーアは手早く髪と体を洗い、シャワーを止めると、パワーシーリングブローで髪と体を乾かした。


・・・・・・


 ニリーアがシャワー室から出ると、籠の中に薄い水色のブラとショーツ、薄いターコイズブルーのワンピースが入っており、床にはウルトラマリンブルーと白の混じったスニーカーが一足置いてあった。


(全部、青系...セリテアの趣味?)

 ニリーアはそう思いつつ下着から身に付け始めた。


 半分仕切ったカーテンの陰からセリテアが話しかけてきた。


「サイズはほぼ合っていると思います」


「...この色は、あなたの趣味なの?」

 ニリーアはブラを着けながら聞いた。


「いえ、チェスコン様の妹のチェルシル様の服だったものです」


「...だった?...それはどういうこと?」とニリーア。


「チェルシル様は2年前にお亡くなりになりました」

 セリテアは機械的な口調でそう言った。


「え?!何があったの?!」

 ニリーアは驚いて叫ぶように言った。


「2年前、グリナダ様とチェルシル様の二人でゴーザ・ギルドと戦闘を行っていたときです。強力な敵の攻撃でチェルシル様は殺され、グリナダ様は重症を負いましたが、その後チェルシル様が駆けつけて敵を倒して助かりました」

 セリテアは人形らしからぬ雄弁さで答えた。


「...そういうことだったのね。チェスコンさんがグレナダさんをかたきと言った意味は...」

 ワンピースを着て、スニーカーを履いたニリーアはカーテンを引き、セリテアの前に立った。


「...チェスコンさんは、最初から私をここに連れてくるつもりだったのね?」

 ニリーアは確かめるようにそう言った。


「はい、チェスコン様の言葉を借りて説明すれば、スカウトということだそうです」

 セリテアはまたも機械的な口調でそう言った。


 一瞬にして自分の役割を悟ったニリーアは、少々青ざめて身動きが止まってしまった。


「...これは、今さら断ることはできないわよね?...」


「さあ、ここから後は、私には分かりませんので、チェスコン様にお尋ねください」

 セリテアはそう言い終えると、またデジャブのようにベッドに腰かけて動かなくなった。


 ニリーアは息をスゥーッと吸い込むと、意を決して部屋のドアに向かっていった。


---------------------------------------------------------------

第1章 ブラック・シティ(黒の都市)section4


 ニリーアがドアを開け中央の部屋に入ると、そこにはチェスコンの姿だけがあった。


 チェスコンも同じく素早くシャワーを浴びて着替えたらしく、黄土色に銀のアクセントの入ったストレッチパンツと、上半身は青と白の不揃いな縦じまストライプのボタンダウンシャツ、履き物は、深い焦げ茶のショートブーツであった。


「チェスコンさん...最初から私がここに来ることは分かっていたんですね?」

 チェスコンのすぐ前に来ると、ニリーアはいきなり話の核心から入り始めた。


「その通りだ。メイドのセリテアが少し話してくれただろう」

 チェスコンはそう言うと、中央の丸テーブルの横にある丸椅子に座るようにニリーアに促した。


 二人が1m程離れて向かい合うように座ると、先ほどのチェルシルの部屋から、人形のセリテアが何か飲み物の入った2つの透明のコップをトレイに載せて現れ、二人の横の丸テーブルの上に置いた。


「ありがとう」

 チェスコンの言葉にセリテアは僅かに頷いた。

 彼女の動きは相変わらず人形のようで、必要な動作以外は何もなく、コップを置いた後はまた元の部屋に戻って行った。


「ある意味、君をだまして連れてきたことは申し訳ない」

 チェスコンはそう言いながらニリーアに向けて頭を下げた。

「...だが、背に腹は代えられないというのが、今の俺たちの状況なんだ」


「...どういうことなんですか?」とニーリア。


「これから、ゆっくり話そう...その前に、せっかくセリテアが用意してくれたエナジー・プロテイン・ドリンクを飲もうじゃないか、、、多分チョコレート味だがね」

 チェスコンはそう言うと、自分の前のコップの中のチョコレート色の液体を半分ほど飲み干した。


 ニリーアもチェスコンの様子を見つつ、ドリンクを1/4程飲んだが、想定外の美味しさに思わず残りもグイグイと飲み干してしまった。

 今の今まで自分が空腹であることを忘れていたが、最後の食事からもう丸2日以上経過していたのである。


 そんなニリーアを見てチェスコンは自分もドリンクを飲み干すと、呼び鈴を押すようにテーブルの端を人差し指で軽く2回叩いた。

 すると、その動作を待っていたかように、再びセリテアが現れ、今度はサンドイッチの載った皿と、温かいコーヒーの入ったカップを二人の前のテーブルに置くと、今度はチェルシルの部屋には戻らずに、テーブルを挟んで二人とは反対側に腰掛け、テーブルの上に携帯端末を乗せて何かの操作をし始めた。


「...空腹の状態でいきなり固形物を食べると体に悪いからな」

 チェスコンはそう言うと、サンドイッチを1切れつかんで食べ始めた。

 ニリーアもそれに倣い、サンドイッチを1切れをあっという間に食べてしまうと、コーヒーを一口すすり、

「続きを話してください」とチェスコンを促した。


「それでは、驚くだろうが聞いてくれ」

 チェスコンは1切れのサンドイッチを飲み込むと、両手の指を組みテーブルに乗せて話し始めた。


「俺たちが君に目をつけたのは1年前のことだった」

 ニリーアはちょっと驚いたが、目でチェスコンに話を続けるように促した。


「ニリーア、君が両親を亡くし、フランジール家にメイドとして雇われたのは12歳のときだった。それから3年間は特に大事なく過ぎた...しかし、君が15歳になったときに事件は起こった」

 チェスコンはそこで一旦言葉を切り、更に話を続けた。


「フランジール家で君がお世話をしていたジェリアお嬢様はそのとき14歳だったが、彼女のお気に入りだったオンジーロ家の若旦那のビーラーが、君の美貌に目を留めた...そして、あるパーティの夜、君の弱い立場を利用してビーラーは無理やり君を犯した」


 ニリーアは驚くと同時に恥ずかしさと悔しさでチェスコンに思わず強く問いかけた。

「なんで、あなたがそこまで知っているの!?...1年前だってさっきは言ったじゃない!!」


「ニリーア...すべて話す。頼むから最後まで聞いてくれ」

チェスコンが右手で彼女を制する仕草をして、真剣な眼差しで彼女を見つめたので、ニリーアはようやく自分を抑えた。


「...そして、そこからジェリアの君に対するいやがらせが始まった...最初は世間に良くあるいやがらせ程度だったが、君が音を上げないことに業を煮やしたジェリアは、自分の父親にありもしないことをたっぷりと言い含め、ついに君をボディガードの実験台にするように仕向けた」


 そこまで聞いてニリーアは事実の辛さに耐えかねて、胸を右手で押さえながらうつむいてしまった。

 彼女の頬を一筋の涙が流れ落ちたときに、いつのまにか人形のセリテアが彼女の背後に来て、テーブルの上にあったニリーアの左手に優しく手を重ねてきたことに、ニリーアは気が付いた。


 そんなニリーアを見てもチェスコンは心を鬼にして容赦なく話を続けた。

「そして父親のボールレンは、君を私設研究者の実験台にした。1つは通常通りの極微機構体ナノ・セル・マシーンの注入だったが、後2つはDNAの相互作用の臨床結果の無い昆虫と哺乳類の遺伝子をDNAキャリアーウィルスを使って注入した」

 チェスコンはそこで自身の頬の青黒い何本かの傷に指を触れた。


「研究者の予想では、君はPECO(PErfect Chimeric Organism)(完全キメラ生命体)(ペコ)になるはずだった...だが、あまりうまくいかなかった。キメラ生命体の特殊能力はほとんど出現せずに、君の頬や体には赤黒い筋が何本も走っている」


(えっ!?)ニリーアは自分がシャワーを浴びている姿を覗き見られたのかと思い、思わず両手で胸を覆った。


「いや、誤解しないでくれ、君がシャワーを浴びたところを見たわけじゃない。密偵からの報告さ」

チェスコンはあいかわらず視線をニリーアから外さなかった。


「密偵って、誰なの?!」ニリーアは思わず尋ねた。


「...それは、今は言うことはできない。もしそれが漏れたらその者の命は無いだろう。俺たちも危ないがね」

チェスコンはそう言いながら、ちらりとニリーアの後ろにいるセリテアを見やった。


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第1章ブラック・シティ(黒の都市)section5


 時間はそろそろ日暮れ時に近づいていた...が、地下のアジトの中では、それは分からない。

 いや、地上に出ていても分からないかもしれない...何しろ空を覆いつくし渦巻く黒雲からは、止むこと無く黒い雨が降り注いでいたのだから...


 雨が叩きつける地面の下のアジトの中ではチェスコンからの辛い話が続いていた。


「...そして、ニリーア、君が16歳の誕生日を迎える直前に、ついにCLOI(Chimeric Living Organism Infectionキメラ生命体感染症)(クロイ)を発症した」

 チェスコンは話のその部分で少々、自身の頬を押えた。

 彼の脳裏には自分が発症したときのことが、まざまざと思い起こされていた。


「何日も続く高熱と、全身に広がる赤黒いあざ...それを見て、、、君を追い詰めたはずのジェリア自身も恐れおののき、君を避けて別宅へと逃げて行ってしまった...」


 耳を塞ぐように両手で顔を左右から抑え、ニリーアは震えていた。

 そんな彼女を人形のセリテアは背後から抱きしめてくれた。

(この...感じは...どこかで...?)

 ニリーアはやや震えが収まりつつある中で思った。


「高熱の中で、君はあまり覚えていないかもしれないが、君を助けたのは一人の執事と、一人の娼婦だった...」

 チェスコンはそう言いつつ、眉間にしわを寄せ、厳しい顔となった。


「執事と...娼婦?」ニリーアは半開きの目でチェスコンを見た。


「ただの執事ではない。私設の医師としての役割も持っていた執事だ。、、、そして、娼婦は毎週末にフランジール家に招かれ、主人に遊ばれた後は、決まって執事たちに順番が回ってきた。その一番最後が医師の執事だったのさ」チェスコンの顔は厳しいままだった。


「...その娼婦の人は大変だったのね...なのに私のことを看病をしてくれたの?」とニリーア。


「そうだ、そのときは彼女は3日3晩泊りがけで君を看病した。、、、今のセリテアのように背後から抱いて吸熱と排熱をしてくれた」


「えっ?!じゃあ、その女の人は?!」ニリーアはハッとした。


「そう、ヒューマロイドさ。しかも特別スペシャーレな」


(まさか?)


 ニリーアは今自分を抱きしめているセリテアの感触に何か懐かしいものを感じていた。

 そうだ、毎週末に来ていたその娼婦の女性と時々顔を合わせ、二言三言話した覚えはある。

 でも、背格好は小柄でセリテアと同じくらいであったものの、美少女のセリテアとはまた異なる妖艶な大人の美人の顔立ちであったことを思い出した。


(やっぱり...別人?)



 その娼婦が、今、初めてヒューマロイドと伝えられて、ニリーアは、そういえばと思いあたるふしはあったが、館で会ったときは普通の人間にしか見えないリアルな動きをしていたので、やはりセリテアでは無いのだろうか?


「そして、医師の執事は自費で高価なピコ・セル・マシーンを買い求め、弱っていた君に点滴として注入し、激烈な抗体反応を徐々に抑えていった。そのことで彼は主人のボールレンから借金することになってしまったがね」

 チェスコンのその言葉にニリーアは驚いた。


「...そうだったのね...執事のランデールさんが看病してくれたことはおぼろげに覚えているけれど...借金をしてまで、そうしたなんて、、、なぜそうまでして、私を助けてくれたの?...あ!」

 ニリーアは、今までの話から事の真相が見え始めた。


「もしかすると、、、セリテアは、ただのヒューマロイドでなくて、、、全身がナノ・セル・マシーンで構成されているの? だから体を使って直接の吸熱と排熱ができるのね、、、そして、大人の女性へのメタモルフォーゼもできる、、、つまり、ランデールさんが密偵で、セリテアがメッセンジャーとしてその情報を運ぶ役...そうなんでしょ?」


 チェスコンは、ニリーアの驚くべき聡明さとその推理力に舌を巻いた。


「...どうも、君には隠し事は通用しないようだな...もっとも俺も少し話過ぎたがね」

 チェスコンは頭を掻きつつ立ち上がると、機械の右腕の表面に浮き上がってきたプラチナ色に輝く仮想アナログ腕時計の長針を見た。

「おや、そろそろ出勤の時間だな」


「え?出勤?時計の時刻では午後の6時のようだけど...何の仕事をしているの?」


「こう見えてもパブのオーナー兼マスターなのさ...そしてセリテアはパブの看板娘でもある」

 そう言いながらチェスコンはネイビーブルゾンを羽織って外出の用意を始めた。


「そういえばグリナダさんは?」とニリーア。


「ああ、奴はバーテンダー兼ボーイだ。俺たちより30分早く出勤して開店の準備をするのさ」


 セリテアは、ニリーアの体から手をほどき、立ち上がりつつ彼女に言った。

「ニリーアは、私が娼婦をやっていると知って軽蔑する?」


「そんなこと無い!!」

ニリーアも振り向きつつ勢いよく立ち上がり、セリテアの体をギュッと強く抱きしめた。

「セリテア...セリテア!...ありがとう。私を助けてくれて!」


「...あなたをスカウトするためでも?」とセリテア。


「...セリテアはヒューマロイドだけど...私が今まで会った人間の中で、一番人間らしいよ!」

 ニリーアはセリテアの頬に口づけした。


「...良かった。嬉しい....」セリテアもニリーアの頬に口づけを返した。


 そして、セリテアはニリーアから少し離れて言った。

「...これが私のメタモルフォーゼよ...」


 ニリーアが言った通りに、全身がナノ・セル・マシーンで構成されているセリテアの顔がモーフィングのように変化し、ものの1分くらいで24、5歳の妖艶な大人の女性の顔に変貌を遂げた。


「さすがに背格好を変えるのは、そんなにできないけどね」セリテアがそう言いながらも、やや彼女の身長が伸び、バストとヒップがやや大きくなったようであった。その代わりにややスレンダーになったのだが...


「セリテア、仕事着に着替えてくれ」

 チェスコンのその言葉に、セリテアはニリーアに向かってニッコリと微笑み、チェルシルの部屋に入り、3分ほどで、薄いスミレ色とバーミリオンがコラボし、ウェストにベルトのあるセクシーなワンピース、薄いグレーのタイツ、編み上げのブーツサンダル、グレージュのクールカーデで姿を現した。


「じゃあ、行くか。セリテア...ニリーア、君は留守番だ」

チェスコンはそう言いつつ、セリテアを伴って部屋の端の一番大きな扉に向かおうとしたが、ニリーアがそれを制した。


「チェスコンさん!私も行くわ!」

to be continued...




 


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