空手とは何ぞや?
今回は空手について語りたいと思います。
空手というのは複雑怪奇な歴史を持った武道です。
多くの日本人が空手に魅せられました。なかには関わったがゆえに思いが反転して毛嫌いする人もいます。
良くも悪くも空手というのは日本人の歴史を凝縮したようなところがあります。さまざまルール、オカルトじみた鍛錬法、最新科学による練習、カリスマ指導者、ペテン師、陰湿な権力争い、私事を捨てた聖人・・・
今回はQ&Aに近い形で文章を進めたいと思います。
といいますのもアンサイクロペディアという書いてあることがすべて嘘とユーモアにというコンセプトのサイトにある空手の記事が優秀すぎるからです。
興味のある方は「アンサイクロペディア 空手」で検索をかけてみてください。
空手の大まかの歴史は?
琉球武術時代:このころは空手と名乗っていません。簡単にいうと中国武術もどきです。この時代の空手は空手着というものが存在しないので練習しているところ見ても空手とわからないでしょう。当然、体系づけられた技術体系は無く口伝が主なので今となってはどんなものなのかイマイチわからない感じです。
柔道パシリ時代:ちょっと悪意のある書きかたをしましたが空手が柔道の下におかれていたのは事実です。嘉納治五郎先生が空手の良さをみとめたがゆえに起こった事です。
おかげで日本全国に広まりましたが柔道のために空手になってしまいました。
沖縄側は空手の秘伝を本土の人間に対しては隠したと言われていますが・・・武術と武道の違いで述べたように日本側が空手の秘伝に興味がなかったと言った方がいいと思います。このころは寸止めと言いながらもガッツリ当ていたりとか型がすごくいい加減だったりと技術体系的にはかなりカオスです。
独立及び全盛時代:時期としては第2次大戦後になります。
やっと空手は空手として独立する事ができましたが・・・伝統派空手、フルコンタクト空手、防具空手、サバキ空手、古流空手など複数の空手が生まれました。フルコンタクト空手の本家である極真空手が最強幻想をメディアでやらかし、それに各空手が乗っかったためカオスな状況になりました。
技術体系的にはおのおのが独立した事により技術体系としては多少なりともまとまってきました。
幻想崩壊時代:日本の武道、格闘技会にとって黒船と言われたグレーシー柔術がやってきました。彼らが開催した大会が起点となり総合格闘技という新たなジャンルが発生します。また、同時期にK-1という第2次格闘技ブームが始まりました。
日本においてはK-1、総合格闘技ともに興行的に失敗し日本人の強いチャンピオンも瞬間風速的にしか生まれず大変残念な感じになり終了しました。当然、国内で最大規模の競技人口を持つ空手もその影響をうけ、見事に最強幻想が崩壊したうえに、極真空手の創設者である大山先生がなくなっていた事もありカオスな状況に拍車がかかりさらに各空手の数が増えます。
伝統派空手は?もともと4大流派で揉めているので最初からカオスです。
転換時代:東京オリンピックの開催が決まった事により、まじめにスポーツとして確立しようという動きが始まりましたが・・・伝統派については海外の統一協会の力で東京オリンピックでは開催されるものの次のオリンピックではリストラされてしまいました。
海外の伝統派協会はかなりの努力をしたのですが日本では報道されず相変わらず4大流派で揉めています。フルコンタクト空手については統一協会ができましたがすぐに内ゲバをやらかす日本人の性質があるので油断はできません。何年か後には分裂している可能性もあります。
空手の歴史を細かく書こうと思うと、とてもとてもややこしいのでかなり乱暴にまとめました。書いていて思います、なんでこんなにややこしいんだと。
空手はどのように流れで発展したのか?
各空手がどんなものかルールと系統を書いていきたいと思います。
当てないルールの空手
こちらは琉球武術を元として柔道用にアレンジされ伝統派空手となりました。
伝統派空手は4大流派があるといわれ松涛館流、剛柔流、糸東流、和道流などがあり流派により型や突き方、蹴り方が違うそうです。
あと松涛館流空手→韓国空手→テコンドウという分派もあります。
日本で作られた武道の特徴としては様式美を追求した見なし稽古です。柔道でいうところの投げた背中がついたら一本→あなたは死んじゃいましたという奴です。投げについては人二人分の体重がのる関係で固い地面へ受け身を取れないように投げるとガチで死んじゃいます。
当時の状況としては当てると怪我をしてしまいますし、攻撃した方の手足もケガをするので寸止めで攻撃を止めて、当たった→ダメージ有→あんたの負けという判定をつくりました。
そんな見なし稽古の打撃で相手を倒せるのか?倒せるわけがありません。ただ、柔道家が習うなら怯んだすきに投げて倒す事ができるので問題なく、どちらかというと柔道家が打撃や武器での攻撃に対しての対応を覚えるための技術体系です。
この事は現在の総合格闘技にて空手スタイルというのがある事からも打撃の技術でありながらも組技とか武器術と相性がいいという、面白い技術体系に仕上がっています。
ちなみに総合格闘技のよくあるパターンとしては一発、いい打撃が入り怯む、怯んだところを組んで投げる倒す、上にのって殴る、嫌がったところを関節技で仕留めるという黄金パターンがあるので一発いいのが入ったとみなす=負けというの必ずしも間違いではないのですが・・・あくまで起点になるだけで1発で勝てるわけではありません。また、一発いいのが入る、そこから打撃の連打で倒すという流れもあります。
これらのパターンがたびたびTVで放送されたため、当たれば相手が一撃で倒れると妄想を撒き散らかしていた伝統派空手の一部の人達は大変恥ずかしい思いをした事だと思います。しかも初期の総合格闘技では反則して目や喉などの急所を攻撃する、しようとした選手が結構いたと思うのですが鍛えられた同士だと思ったほど効果がないという現実が発生しました。
しかし、伝統派という名称については個人的にはかなりの疑問を覚えます。明治時代の始まりは1868年で日本に伝わったのが1900年あたり、協会の設立が第2次大戦終戦1945年から後なので伝統派といいつつも、歴史が長くないのです。
何ももって伝統派と言い出したのか調べてもよくわからないですし、調べれば調べるほど歴史的な経緯から考えても珍妙な名称です。
とはいえ、寸止めの試合ルールは非常に科学的、論理的にできています。おそらくは嘉納治五郎先生を初めとする柔道勢が裏にいたため?のような気がします。
その反面、型に関しては先生や柔道関係者が興味なかったためか、すごくいい加減です。
嘉納治五郎先生は空手に影響をうけて精力善用国民体育という型なのか体操なのかよくわからないものを作ったりもしていので、研究はしていたのですが秘伝とか奥義という妄想放つ一部の人達に見て嫌になっていたのかもしれません。
この寸止めのルールというのは思ったよりも優秀で、これと小太刀術を組み合わせたスポーツチャンバラという武道があります。スポーツチャンバラではエアーソフト剣という軽い武器を使って当たった方が負けというルールです。武器の種類が非常に豊富で長いのから短いのまでよりどりみどりです。
また、構えや動きも伝統派空手の試合によく似ています。
攻撃力はともかくとして寸止めルールやスポーツチャンバラ上がりの人達のフットワークは凄いものがあります。寸止めルールについては否定の声が大きいですが伝統派空手は世界で最も競技人口が多い武道です。
護身や戦闘において重要な技術でフットワークを覚えれるというのは明らかな実利ですし、体に大きな負担がかからない技術体系です。
全世界のでNO1武道というのは伊達ではないと思います。
当るルールの空手
当てるルールの空手といえばフルコンタクト空手、そしてのその本家である極真空手が源流のように思いますが実は違います。歴史を探ってみると琉球武術→日本拳法→防具を使った空手→極真空手(フルコンタクト空手)という流れです。
日本拳法は当てない空手に満足がいかない人が沖縄から直系で技術を引っ張ってきて、剣道防具を改良して当てる。柔道の投げや関節技を取り入れるといった形で作られた元祖総合格闘技です。組織運営もできた当初から独立運営でした。
当時の空手は当てる当てないがいい加減だった事と日本拳法で内ゲバが起こったため空手側も似たような防具を使いだします。極真空手の創立者である大山倍達はこの防具を使った空手を学んでいました。
大山先生は道場を構えた当初は防具を使った空手も検討したようですが紆余曲折があったのちに顔面を素手で攻撃しないが防具を使わず素手素足で戦うフルコンタクト空手ルールを作りだします。
初期の極真空手は柔道技が認められていたので日本拳法の亜種というは必ずしも間違っていないと思います。
極真空手についてはかなり功罪があります。というのも大山先生には梶原一騎という作家がついてメディア戦略を行っていたからです。まあ、おおらかな昔の事なので捏造や誇張も過分に入っていました。これは当時の創作物がどれもこれも似たような感じなので一概に攻めるわけにはいきません。そういう時代であったとするのが良いと思います。
そして、このメディア戦略を真にうけて妄想を撒き散らかす人を作ってしまいました。
とはいえ、このメディア戦略が極真空手拡大の原動力の一つであったのは間違いないと思います。また、大山先生は極真空手を武道ではあるもののあくまで私塾という形をとり続けました。フルコンタクト空手に統一協会がなく流派が異常に多いのはこの方針のためです。
その一方で私塾であるため柔道や剣道に敵視される事なく成長できたという良い面もあります。
顔面を殴らないというのはかなり理にかなった英断だった思います。パンチ最強といえばボクシングなのですが・・・実はボクシングを習ったからといって顔面を殴って人を倒せるようになるのは極一部の才能のある人だけなのです。
人によっては倒せないどころか逆に拳を壊してしまいます。これは頭というのはふらふらと動くうえに頭蓋骨というのは極めて強固なため、繊細な手で殴るのには向いていないのです。
喧嘩空手という過激なキャッチコピーの割には比較的安全に誰でも強くなれるという技術体系になっています。また、相手を壊す事よりも痛めつけて屈服させる技が多いのも特徴です。
どうも大山先生は若いころに素手での闘争に明け暮れた時期があったようで、その時のこのルールについて開眼したとの噂もありますし、顔面を素手殴る闘争の虚しさを弟子に語っていたとの事です。そういった経験がフルコンタクト空手独自のルールを生んだのだと思います。
また、試合でガンガンに殴りあうので妄想に陥りにくいという長所があります。すくなくとも何度か試合にでた人間なら自分達の技術体系に穴がある事は自覚できますし、空手最強なんていうフルコンの経験者に実体験としてあったことがありません。
フルコンタクト空手については大山先生が1994年まで存命でカリスマとして君臨していたため諸流派は多かったものの試合ルールは繰り返し検証されしっかりとしたものを作ってくれました。
一応当てる系の空手の派生としてはグローブ空手というのもありますが、どちらかというとキックボクシングの亜種です。まあ、キックボクシングとフルコンタクト空手はプロとアマの関係なるため、お互いに良い関係を造りつつ交流し切磋琢磨した関係で技術の根本の部分が非常に似通っています。
キックボクシングジムの創立者がフルコンタクト空手出身というケースも多いですし、ヨーロッパのキックボクシングの源流は極真空手です。カマクラジムとかドウジョーチャクリキとか変な名前をときおり見かけるのはそれが原因です。
日本において喧嘩したくないという武道NO1はフルコンタクト空手です。無駄に頑丈で体力があり、無駄に痛みが強いため、急所を攻撃しないと倒せないためです。急所を攻撃するという事は行った側が後で過剰防衛を取られる可能性があります。
それに対してフルコンタクト側は過剰防衛になりにくい箇所を全力で攻撃してきます。強いというよりかは面倒なといった方がいい技術体系です。
総合武道としての空手
これについては当てる空手で書いた日本拳法がそれにあたります。
ただ、残念な事に内ゲバを起こし組織が東西に分かれてしまい団体としての発展が止まってしまいました。優れた技術体系とノウハウを持っていたのに非常にもったいない事です。
この日本拳法のスキをつくかのごとく生まれたのが少林寺拳法です。
日本拳法は結構過激なルールなのでそれをソフトにしつつ合気道のような関節、投げ技を柔法としてとりいれ、打撃を剛法とした新たな総合武道の技術体系を作ります。
当初は強さを追求した団体だったのですが・・・1970年代にソフト路線に転向して誰にでも学べる武道として変貌し全国へその規模を広げていきます。
ただ、創立者の宗 道臣先生が1980年と早く亡くなったためソフト路線が上手くいかなかった面があり、妄想を撒き散らかす人がときおりいます。
続いて生まれたのが芦原会館です。芦原会館は作った芦原英幸先生は極真空手の指導員として四国で活動されていた方です。1960年代に極真空手と少林寺拳法は創立者どうしがメディア上で罵り合うという今では考えれないような子供じみた事を行っています。
当然、創立者同士の対立は下部の門下生にも及び暴動一歩手前の騒動を起こしています。そういう中で四国に乗り込んだ芦原英幸先生もいろんな意味で勢いがある人だったようです。
また、少林寺拳法側も1970年代あたりからの方針変更、創立者の死去に伴い御家騒動が発生します。極真側もフルコンタクトルールの制定によるスポーツ化が本格化します。
そういった複雑な事情が重なり芦原会館は生まれます。そして、少林寺拳法の方針変更に離れた人達が合流したりしています。白蓮会館の創立者も少林寺拳法出身ですし防具空手の設立にも少林寺拳法の関係者がいます。
まあ、この時期にいろいろとカオスな事がたくさんあったようです。
芦原会館の技術体系はフルコンタクト空手+サバキです。このサバキという技術は少林寺拳法の柔法と同じく合気道を技術体系を参考にしているので非常に似通っています。
芦原会館の特徴としては自流派では試合を開催せず、武術としての強さを追求するいう事です。あくまで開催しないというだけで他流派のフルコンタクト空手の試合には選手はでていますので、分類が少しややこしい感じです。
ただ、試合にでれる機会があるためか芦原会館の方は妄想にとらわれにくいようです。また、サバキの技術は試合では使えないなんて当の芦原の人が言ったりもします。これはサバキという技術に問題があるのではなくて合気道系の技は相手と正面から戦うのではなく、有利に行使できる状況を作ってから使うものだからです。
相手と正面から戦うなら普通に殴ったり蹴ったりする方が有効です。
芦原会館はソフト路線をとりつつも門下生が妄想とらわれないようにする上手い仕組みを作ったのがうけて広まり、フルコンタクト空手では最大大手の流派です。試合というのは二人戦えば一人負ける厳しい世界です。試合以外でも強くなれるというのはフルコンタクト空手の理念でもある誰に強くなれるというのを体現しているのかもしれません。
芦原会館がソフト路線ならハード路線もあります。それが現:空道、旧:大道塾です。
創立者はやはり極真空手出身でスポーツ化するフルコンタクト空手ルールに満足できず、新たな流派を起こします。コンセプトとしては日本拳法の焼き直しです。直接のつながりは薄いですがリニューアルされた日本拳法と言ってもいいと思います。
空道の特徴としてはポリカーボネイト性の透明の面をかぶり戦う事です。打撃の制限がゆるく、肘打ちや頭突きが認められ、身長と体重の差が激しい場合は金的まで認められます。当然、投げや寝技も一部は解禁されています。
日本拳法という先駆者がいたおかげではあるのですが、これほど制限がないルールでスポーツ化したのはなかなかだと思います。
1990年代には大道塾最強論もありましたが、近年は少し勢いがないです。というのもブラジリアン柔術をメインとして、それに打撃を加えた総合ジムが増えたからです。いわゆる寝技柔道の復活です。また、ロシアが空道に力を入れ始めた関係で日本人選手が勝てなくなっています。
その一方でオリンピック化を目指しての活動や一般社会人への普及に力をいれており、堅実な方針を取っています。学校教育に取り込まれるなどのブレイクスルーがあれば一気に広まるポテンシャルを持っていると思います。
また、1980年代辺りに古流空手とか沖縄、琉球空手などという名称の空手が生まれました。これは日本伝来前の空手の再生を狙い日本武道の仕組みを使い沖縄の空手を再編したものです。寸止め稽古+当てる型稽古、フルコンもどきなど流派によりバラツキがありますが、技術体系の考え方としては芦原会館とか少林寺の別verみたいな感じです。
この手の技術体系の欠点としては護身術として使った時に過剰防衛になりやすいという事です。逆に海外などではそれが逆に受けている面もあります。フルコンタウト空手が決闘術=喧嘩術、相手を痛めつけて屈服させるという事に主眼を置いてあるのに対して、総合武道としての空手は相手を壊す、死傷するという事に主眼が置かれています。
実のところ殺人術と護身術というのは表裏一体です。
各空手は仲が悪いのか?
悪いといえば悪いのですが・・・確実に揉めるパターンが幾つかあります。
伝統派空手とフルコンタクト空手
伝統派の方からフルコンタクト空手は毛嫌いされる傾向が高いです。理由はメディア戦略で泥仕合がありフルコン本家の極真会館がメディア戦略で勝ったので伝統派の方は恨みを骨髄です。それが現代にまで引き継がれています。
フルコンタクト空手側は伝統派からの転向者がいたりする関係であまり悪感情はありません。むしろ、伝統派の技術体系の良さを認めているくらいです。
伝統派空手と古流空手
古流空手は伝統派空手に近い技術体系のところが多いので伝統派空手と一緒にされると怒ります。俺達はあいつらとは違うんだと。
フルコンタクト空手に対してはその技術を使っている関係で同族意識があります。
極真空手分裂騒動時に分派した流派同士
ここはエゲツなく中が悪いため現在進行形で洒落になりません。原因は極真空手の創設者である大山倍達先生が鬼籍に入られたことを起点に発生しました。実際に裁判などの法的闘争を繰り広げていますし、闇社会とのつながりなど・・・この騒動に関する本もかなりの数でています。
関係者を下手に煽るとガチの揉め事になるのでそっとしておきましょう。
伝統派空手の4大流派の違いについて
松涛館流、剛柔流、糸東流、和道流が4大流派と言われていますが・・・どこか優れているとか、どこがダメだとか言ってはいけません。伝統派空手の寸止めルールはお互いに殴り合わないため、仮定に仮定を重ねる不毛の論争が発生しますし、直接殴り合って決着をつけないので陰湿な争いになりがちです。ちなみに試合のルールが微妙ちがったり、型が違ったりしています。
そんなに揉めるんなら殴り合って決めたらいいんじゃないの?と思ったあなたは正常です。海外の伝統派空手はそう思って殴り合った?ためか流派間のもめごとがあまり無いようです。ただ、世の中は正しい事が必ずしも良い結果を生むとは限りません。そっとしておきましょう。
武道ノイローゼになった人
いわゆる〇〇最強とか実戦だったら〇〇という人達です。
武道ノイローゼ状態なのでそっとしておきましょう。殴り合って決めたらいいのにとか言ってはいけません。実際に妄想を撒き散らかす老人と試合を行い怪我をさせて仕事を首になった人がいます。
彼らは武道、格闘技界の癒し系なのでおおらかな気持ちで見守りましょう。
え、何を書いているかまとまっておらず、まったくわからない?
そう思うのも当然です。私自身もそう思います。
最初に書いたように空手というのは複雑怪奇な歴史を持った武道なので、1回ではとてもとても書き切れるものではありません。今回は殴り方、蹴り方などの技法ついては書きませんが、こちらもカオスな状況です。
では創作物に空手をとりいれる、楽しむなら何が大切かというと妄想力が大事です。私はフルコンタクト空手の経験があるので戦いというものに対しての妄想力がかけております。
というのも実際の戦いというのは試合にしろ実戦にしろ、しごく地味なのです。そういったものが足かせとなり、妄想力があまり高まらないのです。これは実際に自分で小説を書いてみて痛感しました。
なろうでの創作活動はよくも悪くもアマチュアです。空手について妄想を撒き散らかす作者の方がいたなら、批判するよりも彼らの妄想力がより高まる方向に応援すべきだと思います。
極限まで妄想力を高めて書いたなら、それはそれで現実とは違うあらたな世界構築され、その中では整合性がとれた素晴らしい作品が生まれるのではないかと思います。