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日本の盾は特殊すぎる。

 日本の武士は何故、盾を使わなかったのか?

 今回は知ってそうで知らないこの点について書いていきたいと思います。



 今回は結論から書きます。

 「古今東西において盾を使わない軍隊は存在しないが、盾というものが必ずしも手に持つものとは限定されない。」

 が答えとなります。



 現代の戦争においても盾は機能が分化する形で使われています。

 現代戦の防御陣地を示すキーワードとしては塹壕と鉄条網です。塹壕は地面に深く掘った溝で鉄条網は針のついた網と思っていただくのが分かりやすいです。


 塹壕と鉄条網の登場により馬を利用した戦術や集団突撃が死に体となってしまいました。塹壕が複数にあると馬で乗り越えにくいため突撃戦術が使えないうえに死角となる地面の下から相手が攻撃してきます。弓騎兵にしても塹壕に隠れられると手がだしにくく、塹壕の何処から攻撃されるかわかりません。

 陣地内に入り込んでも今度は鉄条網があり、陣地内を自由に移動する事ができません。下手に塹壕の中を移動しようとすると塹壕に内に隠れている相手からバックアタックを受けます。


 戦車や自走砲は鉄条網と塹壕を突破するために生まれたと言っていいのですが、イタチごっこ繰り返され現在に至っています。まあ、最近は非正規戦闘といって戦場で戦わない戦いが増えておりますが・・・



 それでは日本の歴史と盾について書きたいと思います。

 日本で盾が猛威を振るったのは大和朝廷による全国統一時です。盾、石弓、矛という先進の武器を使う事により律令制と全国支配を確立し平安時代へと突入します。ここまでは日本でも盾があったんですよね。


 そして、平安時代中期に盾の歴史は大きな転換点を迎えます。

 それは貴族による荘園の発生に伴う律令制度の崩壊と武士の台頭です。律令政治の問題点としてはすべての土地は国のものなので誰も進んで新しい農地を開墾しなかった事です。そのため緩やかに大和朝廷は衰退していきました。

 それらを防ぐために開墾した土地は開墾した人のものとしたのですが・・・貴族による土地の囲い込みによる荘園が発生します。土地の私物化はどんどん進んでいき大和朝廷の力はさらに落ち込み武士という存在が生まれます。


 武士の本質は何かというと武装農民です。織田信長が常設軍を設けるまでは武士は半農の状態が長く続きます。私は平安中期から末期にかけての日本は無政府状態に準ずる状態にあったのではないかと思います。

 自分の身は自分で守るしかなかった農民が武装してお互いに小規模の戦闘を繰り返す。そういった中で生まれたのは武士の象徴と言われる和弓という変態兵器です。


 和弓の全長は七尺三寸(約221cm)ものによってさらに大きなものもあったそうです。このデカイ弓に重くてデカい矢じりをつけて飛ばすのが和弓の特徴です。また、上下対称ではなく弓の下部に矢をつがえて引くため、地上でも馬に乗っても使えるという利便性がありました。

 この強力な変態兵器に対抗するために鎧と盾も進化せざるをえないのですが・・・盾については弓の進化についていけなくなりました。それでどうなったかというと地面に置く事にしました。

 置き盾の誕生です。なろうの中でも巨大な盾の下部を地面に打ち込んで防御力を上げるという描写が見られますが、それをさらに突き詰めた感じです。ただ、こうなってくると盾というよりかは障害物というか陣地ですね。


 それでも手持ちの盾を無くすのはいろいろと不都合があったようで生まれたのが鎌倉、室町時代の鎧、大鎧についていた大袖です。大袖が何かというとショルダーシールドです。いわゆる機動兵器によく搭載されているアレです。


 全長が2Mを超えるような大きな弓は世界的にみても類がありません。一応、和弓は弓のカテゴリーでいえば複合弓にあたり竹などを膠で固めたものです。ですが世界各国の弓は基本的に上下対称です。和弓は上下非対称のため複合弓でありながら別カテゴリーとなっており、威力も運用も他の複合弓と大きく異なります。



 話を元に戻すと日本では平安中期からの武士の台頭に伴う和弓の進歩により持つ盾がなくなってしまったのです。それは攻撃力が近接武器<飛び道具という図式のためです。

 これは威力を上げるためには小さい面積により強い力をかけた方が有利だからです。斬撃に対して刺突の方が威力があるのは、そのためなのですが、手で刺突を行う場合は動かし代が取れないという問題があります。ですので手で攻撃するにあたっては必ずしも突く方が有利とはいえません。動かせる範囲は切る方が広いからです。


 飛び道具の場合はこの動かし代が非常に大きく、準備して構えて打つという問題すらも解決されています。むしろ、威力をだすためにはある程度の距離があった方がよいくらいです。


 この構図は戦国時代に火縄銃が生まれてからもかわりませんでした。むしろ、火縄銃が生まれた事により飛び道具への傾倒はより悪化します。そんな中で大鎧は当世具足という新たな形態へと変化します。

 この当世具足は数ある鎧の中で最もバランスがよいと言われていますが・・・近接防御力については実は低下しています。肩、肘、手の装甲が薄いのです。

 これは飛び道具を扱うためには繊細な動作が必要なため、装甲で覆うのが効率が悪かったからです。これは現代の兵士がつけるボディアーマーなどに通じる考え方です。現代の兵士が主に防御するのは頭:ヘルメット、腹部と首:ボディアーマーです。

 そして、これらの装備では重機関銃の弾やミサイルなどは防げません。当たれば即死です。かわり塹壕や戦車などを盾の替わりにします。そんな状況でも何故、防具を装備するかというと、爆発などで生まれた破片から身を護るためです。


 当世具足も同じように火縄銃の直撃を防げなかったと推測されます。ただ、射程外からの流れ弾に即死しない十分な防御力を持っていたと思います。

 また、置き盾についても防御力不足により竹を束ねた竹柄という新しい盾が登場します。こうなってくると盾というよりかは壁ですね。


 そこらの事情を考慮すると日本で行われていた戦いというのは我々が創作物で見ていたものとは大きく異なっていた可能性がかなり高いです。勝負は1日ではつかず、戦力をお互いに陣地から少しづつだしてチマチマと戦う。防御用の壁を少しづづ動かしながらジリジリと相手によっていく、下手に突撃でもかけようものなら飛び道具でハチの巣にされる。



 なろう的な観点でいくと地面や建物の耐久度をどれくらいにするかという問題につながります。創作物の世界では地面や建物というのは非常にもろく、すぐに壊れますが現実ではかなり強固です。また、土壁を作って攻撃を防ぐより地面を堀ってそこに沈みこんだ方が明らかに防御力が高いです。

 これは地面や建物というのは質量が大きい、重いという事が原因です。基本的に破壊力=運動エネルギーといってもいいと思います。この質量に運動エネルギーが食われるために地面や建物というのは現実世界では防御力が高いのです。

 ただ、創作物の世界ではこの質量をキャンセルできる謎の法則があるのがポイントで、ここらの描き方により流派がわかれると思います。

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