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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

灰色の夢

作者: 藤 都斗

※自サイト(『鏡水期会』)に載せていた短編を加筆修正したものです。

流血、グロ、カニバリズム等、猟奇的な内容となっております。ご注意ください。




 

 







 ─── わからない


  分からない


 判らない


    解らない






     僕は


  どうして ───










 物心ついた時から、僕はずっと家に閉じ込められていた。


 でも、15になった時だっただろうか。

 母さんが寝てる間に、家を飛び出したのを覚えている。


 その時はただの興味だったけど、初めて出た外の世界は凄く楽しくて、それから何度も家を抜け出してあちこちへ行った。

 色んな友達を作って、羽目を外すみたいに沢山悪い事もした。


 危険は沢山あった。


 ナイフ持った人に金出せって追い掛けられたり、遊びみたいに意味も無く発砲されたり、気に入らないって理由で殺されそうになったり。


 戦う術は、その頃に覚えた。


 治安なんて、僕の住んでた塵溜ごみだめみたいな街では、とにかく最悪で、気が付いたらある程度は身を守れるようになってた。


 そんな街でも、変化の無い家に閉じ込められてるより、ずっとマシだった。


 どんな悪意も、蔑みも、暴力も、

 痛みでさえも。


 自分が外に居る事には変えられなかった。



 楽しかったんだ。



 家の中に居るよりもずっとずっと。



 だけど、母さんはそれを嫌がった。

 ちょくちょく抜け出して遊びに行く僕に気付いていたけど、始めの内はそれでも気付かないフリをしてくれていた。


 でも、怪我して帰ってくるのが多くなって、


 だからきっと、母さんはそんな僕を凄く心配したんだと思う。



 僕はとうとう、抜け出す事が出来ないようにと、自分の部屋に閉じ込められてしまった。

 気が付いたら椅子やベッドに鎖で拘束されていて、少しだけ驚くと同時に、あぁ、やっぱり、とも感じた。


 それでも最初の内は、耐える事が出来た。


 まだ心に余裕が有ったし、僕が悪いんだと理解もしていたから。



 だけど、用を足す為にトイレに行く事すら許されないという状況に、時が経つにつれてだんだんと余裕が無くなって、

 腹が立って、悲しくなって、訳もなくイライラして、


 どうして僕の気持ちを分かってくれないんだろうって、自分勝手に罵ったり、トイレ替わりの壷をドアに投げ付けたりした事もあった。


 でも母さんはただ僕を心配してくれていただけで。


 泣きながら、誰よりも僕を愛していると。


 だから僕は何がいけない事なのか、理解出来なくなった。



 母さんが僕を閉じ込めるのは、僕を愛しているからで、当たり前で、日常だった。

 だけど、外の世界を知ってしまった僕にとっては苦痛でしかなくて、不安定で。


 僕は毎日、鎖を外して、この家から逃げ出す事を考えるようになった。


 ある日僕は、ベッドと椅子の脚に付けられた重い鎖を、その脚自体を折る事で無理矢理外す事に成功した。

 どうして始めからこうしなかったんだろう、そう思った。


 そして僕は、食事を持って来てくれた母さんを突き飛ばして、鎖を引きずりながら家から飛び出したんだ。



 違う。



 僕は飛び出したんじゃない、...逃げたんだ。



 僕は、母さんから逃げたんだ。



 母さんの僕を見る目が怖くて、

 僕を見ている時の目が恐しくて、


 だから、そんな母さんと同じ家に居るのが怖かった。


 何故だかは全く理解出来なかったけど、凄く、怖かったんだ。





 ******





 彼の名は、アッシュ

 白い肌の父と、褐色の母の間に産まれた。


 名付けたのは父。

 『白』と『黒』から産まれたから『アッシュ


 ただの皮肉で、彼はそう名付けられた。


 そして父は、母の元を去った。


 “肌の色が違う”という、些末な理由で。



 それから月日は流れ、父によく似た美しい顔立ちに成長した彼は、塵溜めのような街では浮いた存在だった。


 そしてそんな彼を心配した母は、彼を外へ出そうとはしなかった。


 否、母は、

 肌の色は己と同じだが、顔立ちは父に似てしまった己の子に、


 もう帰っては来ない男の面影を見てしまった。



 だからこそ、彼女は彼を溺愛した。



 まるで、彼が己のいとしい恋人であるかのように。





 ******





 鎖を引きずりながら家から逃げ出した日。

 何処かから僕の名を呼ぶ悲痛な叫び声が聞こえた気がした。


 でも僕はそれを無視して、街を走った。



 その時、僕は18で、自分の事をもう大分大人だと思ってたから、一人でも暮らして行けると思ってた。

 でも、僕はやっぱり一人じゃ何も出来なくて、結局何日も放浪した。


 何だかんだ甘やかされて育った僕は、食べる物も確保出来なくて、一日を生きる事も大変だった。


 このままじゃ死んでしまうんじゃないか、そう思って、ただただ途方にくれてた時、


 僕は彼女に出会ったんだ。





 彼女の名はエリーシャ。


 金色の髪の美しい彼女は、とても優しくて、まるで天使のような、本当に素敵な人だった。


 僕の体に付いたままだった鎖を必死になって外そうとしてくれて、

 行く所が無いんだと言ったら、彼女はにっこりと笑って、じゃあ、うちにおいでよ、とまで言ってくれた。



 彼女の、エリーシャの周りの人達は皆優しかった。


 とても、温かい世界だった。


 たまに誰かが余所者の僕の事を蔑んだりもしたけど、でもエリーシャは僕の為に本気でそいつに怒ってくれた。


 嬉しかった。


 僕を思いやってくれる人達がいるって事が凄く、嬉しかった。


 その中でもエリーシャは、本当に誰よりも優しくて、

 僕は本当に純粋に、彼女は神様の生まれ変わりなんだと思った。


 そんな彼女と一緒に暮らす内に、僕は彼女が大好きになった。


 可愛くて、明るくて、優しくて、誰よりも心の澄んだ、天使のようなひと。


 そんな彼女だからこそ、僕は、彼女を愛してしまった。


 彼女の家に世話になるようになってから何年か過ぎた日に、僕はとうとう彼女に想いを打ち明けた。


 すると彼女は嬉しそうに、私も、そう言ってくれて、


 僕は本当に嬉しくて、思わず涙が零れてしまった。


 僕は、


 僕等は、本当に幸福だった。










 エリーシャと想いを通じ合わせてから数年が過ぎ、僕が24歳になった頃。


 彼女は22で、僕等が出会っていつの間にか6年が過ぎていて、僕等は、恋人から夫婦になろうとしていた。



 そんなある日、母さんから手紙が届いた。



 “私の愛しいアッシュ


 貴方が私の元から離れていってもう6年になります


 元気にしていますか?

 私は病気をしてしまって体調は優れませんが、変わらずあの家で生活しています


 風の噂でこちらでお世話になっていると聞きました

 私も貴方の親だからやっぱり心配してしまいます


 今どんな生活をしていますか?


 あなたは昔から好き嫌いが多いから、お世話になっている皆さんに迷惑をかけていないか、心配です


 一度くらいはこっちに顔見せて下さいね


 誰よりもあなたを愛しています


            母より”





 余りにも突然で、驚きはしたけれど、僕は母さんの優しい手紙に嬉しくなってしまった。

 読んでいる内に涙が流れて、この手紙の母さんは、僕が逃げ出したあの頃と違うんだ、とそう思って、


 だから、エリーシャを母さんに紹介しようと思ったんだ。


 彼女も母さんの手紙を読んで、凄く賛成してくれて、僕等は、母さんの居る僕の住んでいた家に行く事を決めた。










 それから、久し振りに会った母さんは、記憶よりも少し痩せてしまってたけど、でも昔の優しい母さんだった。

 エリーシャとの結婚の事も、まるで実の娘が出来たみたいに喜んでくれて、母さんと彼女も気が合ったみたいで、凄く楽しそうに会話していた。


 僕はそんな二人に、ちょっと仲間外れにされたような気がして、少し複雑な気分になったんだ。



 何もかもが順調だった。



 皆仲良しの、凄く良い家族になれると、そう思ってた。





 楽しそうに会話しながら、夕食の準備に取り掛かる二人を見て、このままじゃ二人の邪魔になるんじゃないかと思った僕は、散歩に出掛ける事にした。

 昔の友達にも挨拶したかったし、街の様子がどう変わったかとか、気になる事も多かったから。


 あちこち回ってるといつの間にかすっかり帰るのが遅くなってしまって、もう夕食なんかとっくに終わってしまってるような時間になっていた。

 それを友達から指摘されてようやく気付いた僕は、大急ぎで帰路を辿った。


 でも、これから続いて行くだろう幸せな生活を考えると、ほんの瑣末な事のような気がした。










 家に辿り着いて、中に足を踏み入れた途端、微かに鉄のような匂いがした。


 何処かで嗅いだ事のある匂いだった。


 何処で嗅いだのかは思い出せなかった。

 不思議に思って辺りを見回すけど、出掛ける前と何一つ変わって居なくて、僕はただ首を傾げるしかなかった。


 そこへちょうど洗い物が終わったらしい母さんが、布で手を拭きながらパタパタとやって来て、僕を見つけた途端嬉しそうに微笑んだ。


 「あら!おかえりなさい!

 遅かったわね、お腹空いたでしょう?、テーブルでちょっと待ってて?

 今作った物を取って来るから」


 「あ、......うん」


 無邪気にそう言われて、エリーシャがいない事を少し不思議に思いながら、言われた通りに、昔の僕の席についた。

 きっと時間も遅いし、お風呂かトイレにでも入っているんだろう、そう思った。



 暫くして、母さんの手で運ばれて来たのは、一人分のビーフシチューだった。


 今日はエリーシャと、僕の好きな母さんの得意料理を作ってくれたんだ、嬉しくなったけど、だからこそ帰宅が遅くなってしまった事に罪悪感を覚えた。


 懐かしい母さんのシチューを口に入れて、ふと感じた、ぐにゃりとした歯ごたえに、違和感を覚えた。



 なんだか、今まで食べた事の無い感じの肉が入っていた。




 「美味しい?

 今日は特別なお肉を使ってみたのよ、

 何のお肉か分かる?」


 「いや、全然...、なんだい?コレ」


 「うふふふ、当ててみて」


 機嫌が良いのか、にこにこと笑う母さんの様子に、僕はよく解らないままスプーンを進めて、これは一体何なんだろうと思案した。


 分からないままに、何度目か、シチューを掬おうとした時だった。


 スプーンに、金属か何かが当たったような感触と、カチリという音が聞こえた。


 疑問に思って、それをスプーンで掬ってみる。


 一見、形の悪いウインナーに見えた。





 でも



 それは違った。




 まじまじと見詰めて居れば、ふと、関節がある事に気付く。





 「...ッ!?」




 自分の喉から、引き攣るみたいな、今まで出した事のない変な声が出た。





 それは『指』だった。




 細くて小さい、人間の指。




 訳が解らなくて、そんな恐怖に僕の表情が引き攣ったのが分かった。

 ただただ戸惑いながら、母さんに視線を送り、異様な喉の渇きを覚えながら、口を、開く。



 「...か、...母さん、この悪戯凄く笑えないよ...一体なんのつもり?」


 「うふふふ」



 でも母さんは、ただ微笑んでいるだけだった。





 そして


 僕は気付いてしまった。



 スプーンの中の人間の指に、見覚えのあるシルバーの指輪が嵌まっている事に。






 それは僕が彼女に、エリーシャに、婚約の証として贈った指輪だった。






 「...っあ゛ぅぁあ゛アア゛ぁァア゛あアッ!!!」



 自分の喉から獣みたいな叫び声が出る事を初めて知った。

 反射みたいにシチューの皿をひっ掴んで、スプーンと一緒に床へ投げ付けた。

 中身が床に叩き付けられて、鈍い音を立てながら皿が割れた。



 そんな僕を見ながら、母さんはただ微笑んでいた。


 僕は床へ座り込んで、とにかく食べてしまった物を吐き出そうと必死に口へ指を突っ込む。

 上手く嘔吐する事が出来なくて、訳も分からない涙が出た。



 「アッシュ、貴方が悪いのよ?

 私が居るのに、こんな女にうつつを抜かすんだもの」



 まるで歌うみたいにそう言った母さんは、僕の傍に寄り添った。


 そして、僕の目の前に、ゴトリ、と、


 エリーシャを『置いた』



 さらりと音を微かな立てながら、彼女の綺麗な金髪が床に広がる。


 でもその美しかった金色の髪は、途中から血に濡れてしまっていて、そしてその髪は、二度と彼女の肩に掛かる事は無いという事が、悲しくて、苦しくて、涙が溢れた。



 「美味しかったでしょう?

 貴方が大好きな人なんだもの、ねぇアッシュ」


 ただただにこにこと微笑みながら、僕に寄り添う母さんは、エリーシャをその指先でちょんと小突いた。


 それでバランスが崩れたのか、生々しい傷口を僕の方へ見せながら、エリーシャはゴロリと床の上を転がる。


 床にはエリーシャが転がった赤い跡が付いた。



 彼女は

 頭だけになっていた。



 自分の表情が絶望に歪むのが分かる。



 涙が、止まらなかった。




 ───あぁ、そうか

 母さんは狂ってたんだ。


 僕が逃げ出したあの日からずっと。




 「...あ、あぁァ...っ!」




 泣きながら、いつも持ち歩いている護身用のナイフを力の限り、キツく握り締める。



 ───...エリーシャ


 愛しい愛しい、僕のエリーシャ


 ...ごめんなさい


 僕がいけなかったんだ


 ...どんなに苦しかっただろう

 どんなに怖かっただろう

 どんなに、心細かっただろう


 何度、僕の名を呼んだんだろう


 いくら呼んでも来ない僕をどんなに恨んだ事だろう


 そして、どんなに絶望しただろう───



 「ねぇアッシュ、貴方の大好きな人はもう私だけでしょ?

 だからまた私と暮らせるわよね?

 だって、この女がいたから帰って来なかったんでしょう?

 ね?だって貴方には私しかいないもの、そうでしょう?」


 まるで死んだ動物のような瞳で、何処か恍惚としたような表情を浮かべながら僕を見詰め、

 歌か何かでも歌うように、母さんの口からそんな言葉が告げられる。


 母さんの言ってる事を、全く理解する事が出来なかった。


 ───......母さん?


 違う

 ...違う!!


 ...こんなのが僕の母さんな筈が無い!!


 違う

  違う!

 違う

   違う

 違うチガウ違う違うちがう違う!

 違う違うちがう違う違う違うちがう違うチガウ違う違う違うチガウ違うちがう違うチガウ違う違うチガウ!!───






 「ゥうあ゛ア゛ア゛あ゛あぁぁアァア゛ァぁァあ゛ぁぁあぁあア!!!!」






 ナイフを持った手を大きく振りかぶって、


 そのまま勢いよく振り下ろす。





 目の前で鮮血が飛び散った。



 何度も


 何度も

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。




 そいつはそのまま、ずっと微笑んでいた。









 ふと気が付いたら、僕は血の海の中でぼんやりしていた。





 状況がよく解らなくて、ぼんやりと、腕の中の生首(かのじょ)に語りかける。




 ───...エリーシャ...


 エリーシャ?


 どうして冷たいの?


  どうして

 いつもみたいに

  笑ってくれないの?


 どうして

  目を

 開けてくれないの...?───




 ふと、視界に何だかよく分からない物が入った。


 真っ赤に染まった、人の形をしたモノだった。


 笑顔を浮かべた、何か。


 ...何だかわからないけど、とても気持ちが悪かった。


 だから“今度”は、笑顔が消えるまで足で踏み付け、破壊した。



 全身真っ赤に染まりながら、手の中のエリーシャをじっと見詰める。




 ───...あぁ、エリーシャ


 エリーシャ


 愛しい、僕のエリーシャ


 ......ごめんね


 僕が気付かなかったから

 僕が遅くなったから

 僕が散歩になんか出たから


 僕が母さんと君を二人きりにしたから

 僕が母さんに会いに行くって決めたから

 僕が母さんに君を会わせたいと言ったから


 僕が君を好きになったから

 僕が......


 僕が君に出会ったから......





 僕のせいで君は死んだ

   僕のせいで母さんは狂った

  僕のせいで母さんが狂った…


    僕が

   君を

      殺してしまった───




 「...っぅぁァアああアアァぁぁアアあ!

 母さ...!かぁ......っエリーシャ...!!

 エリーシャぁあ...っ!!」




 叫んだ。

 声が枯れるまで叫んで、


 ただただ泣いた。




 ───...   僕は

 

      人を

         殺した


         母さんを

      最愛の人を



    僕が

  殺した




      僕が

     僕が

       僕が

 ボクガ

    僕が

       ぼくが

    僕がボクガ僕が僕が僕が

      ぼくが僕がボクガ僕が僕が

   ぼくが僕が僕がボクガ僕が僕が僕がボクガ




     思考が


        追い

     付かない



        欠落


     する





         僕が



      壊れ

         る








 ふと、自分がまだナイフを持ってるのに気付いた。


 そして、頬を流れる涙にも気付いた。


 訳も解らないまま、ナイフの刃でその痕をなぞってみる。


 ───...あぁ


  痛

     い


  ぴりぴり

        する


  僕

    は

      生きて

        るのか



    じゃぁ

       死ね な い


   なん

        でだっけ


  あぁ

      そう だ


      人を

     殺し

       た からだ



     よく

     わからないけど

      生きな きゃ。

          ...───



 何度も顔に涙の痕の傷を付ける。


 これは、罪の証だ。


 僕は 『人殺し』 だから。




 その先の記憶は夢だか現実だかよくわからないけど、ただ一つだけ、わかったことがある。




 それは、僕がこの後からも、色んな人を殺した事。


 ただ、笑いながら。





 「っひャはハハハはははハハはハハはハははははは!!」





 泣きながら己を嘲笑う。





 僕は殺人鬼だ。


 人を 殺した鬼。

   人を 殺せる鬼。



 ───...あぁ、

        そ

         うか

 僕はきっ

     と


      産ま

        れた時から


  既に

       狂ってたんだ...───











 








 私は、誰よりも卑怯な人間だ。


 美しい母に優しい父。

 そんな両親に育てられた私は、母によく似た綺麗な容姿が自慢だった。


 金色の髪に、青い瞳。

 まるでお人形さんみたいな白い肌。


 にっこりと笑えば、大抵の事は何とかなった。

 どんな人間が相手でも、周りの人達に恵まれた私には誰も適わなかった。


 大事に大事に、育ててもらった。

 皆、私を好きになってくれた。


 私を嫌う人なんて、居なかった。


 私はそんな皆が好きだった。

 取り柄なんて外見くらいしかないのに、優しくしてくれる皆が本当に好きだった。

 嫌われても仕方ないくらい中身が無い私を、皆が大事にしてくれた。


 世界が好きだった。


 何もかも全てが愛おしかった。




 私はある日、運命の人と出会った。


 黒い髪に、浅黒い肌。

 真っ黒の瞳の男の子。


 私と正反対の色彩のその子は、ボロボロの姿で、足の鎖を引き摺りながら、フラフラと歩いていた。


 ちゃりちゃり、ざりざり。


 耳障りな音を立てながら歩く、まるで奴隷みたいな出で立ちのその子は、恵まれていた私にはとても可哀想に見えた。


 だから、助けてあげたくなった。

 私はたくさん、色んなものを持ってたから。


 だから、何も無いあの子に少しでも分けてあげたかった。


 ご飯をあげて、服をあげて、寝る所もあげて。

 考えられる事を全部、頑張った。


 そうしたら、その子は見違えるみたいに綺麗になった。

 長い前髪に隠れて見えなかった顔は、本当はとても綺麗だった。


 宝石を拾ったような、不思議な気持ちだった。

 優しくすればするだけ、その子も私を好きになってくれた。


 私を大事にしてくれた。


 でも、他の人とは違った。

 その子は、私がいけない事をしたら、怒ってくれた。

 いい事をしたら、褒めてくれた。


 私と、対等で居てくれた。


 私はすぐに、その子が大好きになった。


 その気持ちが恋になって、愛になるのはきっと必然だったと思う。


 私はその人を、アッシュを愛した。


 彼も、私を愛してくれた。


 婚約のシルバーの指輪。

 内側に小さく二人の名前が彫ってあった。

 嬉しかった。


 幸せだった。


 ある日、彼のお母さんから手紙が来て、会いに行く事になった時。

 浮かれてた私は、何も考えずに彼に着いて行ったの。


 実はちょっと怖かったけど、ちゃんと話してみると、彼のお母さんはとてもいい人で、だからきっと大丈夫だと思った。


 そして彼のお母さんと一緒に晩御飯を作ることになって、手持ち無沙汰な彼が散歩に出て、そこで全てが一変した。


 私のお腹に、彼のお母さんが持つ包丁が刺さった。


 何が起きたのか分からなくて、呆然と彼のお母さんを見た。


 「お前が私のアッシュを奪った、許せない、許せない、許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない!」


 痛みよりも、熱さを感じた。

 火傷みたいな熱さ。


 「あ、...ぐぅ!」


 感じた事の無い痛みと熱さに、包丁が刺さったまま、後ろ向きに倒れ込む。

 後頭部が床に叩き付けられて、くらくらした。


 どうして?

 どうしてこんな酷い事が出来るの?


 「あぁ、アッシュ、私の可愛い子。

 こんな売女に騙されて可哀想に、すぐにお母さんが助けてあげるわ、待っててアッシュ」


 目が、虚空を見ていた。


 一体何を言ってるんだろう?


 あぁ、でも、待って、こんなにも可哀想な人が、ここにも居たのね。


 どうして気付いてあげられなかったのかしら。

 こんな状態じゃ、助けてあげられない。


 寂しくて悲しくてつらい思いをしてる人が目の前に居るのに、苦しくて何も出来ないの。


 「お前が!お前さえ!居なければ!」


 包丁が抜かれて、また刺さる。

 血が、滝みたいに流れて、息が出来なかった。


 助けてあげなきゃ、いけないのに。


 みんなに、大事にしてもらった。

 みんなに、あいしてもらえた。


 だから、返さなきゃいけないのに。


 どうして?

 それしか、わたしには存在意義がなかったから。


 わたしは、ひきょうだから、そうやって、じぶんをまもっていたの。



 びちゃ、ぐちゃ、ぐちゅっ。


 嫌な音しか聞こえない。


 痛みはもう、分からない。


 目は、霞んで何も分からなかった。


 酷い目眩と、吐き気がする。


 息が苦しくて、何かに溺れているみたい。

 口から、生暖かい何かがどんどん溢れてくる。


 指先から、感覚が無くなっていく。


 寒い。


 あぁ、アッシュ、ごめんね。


 こんなのみたら、あのひときっと、ないちゃうわ。


 ねぇ、だれもわるくないのよ。


 だから、なかないで。


 おねがいよ、アッシュ。



 あなたは、なにもわるくないのよ。



 ねぇ、どうして?


 どうしてかみさまは、あのひとをたすけてあげないの?

 あんなにもかなしくて、くるしくて、つらくて、ないているのに。


 かみさま、かみさま、おねがいします。

 わたしにはたすけてあげられないの


 だから、どうか


 あのひとをたすけて


 アッシュを、かれをすくって


 あいしているの


 あいしているのよ


 だれよりもしあわせになってほしいの


 おねがい、だれか、───────







 「ふふっ、ふふふふ、死んだ?死んだわ!あぁアッシュ!私の可愛い子!これであなたは自由よ!」


 女の狂笑が響き渡る。

 台所であった筈のその場所は、惨劇が繰り広げられ、赤く染まっていた。

 物言わぬ骸となった女性は、涙と血を流しながら横たわっている。


 虚空を見詰める青い瞳は、まるでガラス玉のようにきらめいていた。



 女は骸をバラバラにした。


 適当な大きさに切って、頭と、入り切らなかった分を残してシチューにした。

 息子が戻らないのを確認すると、衣服を変え、顔と手を洗う。


 玄関の扉が開く音が聞こえた。


 女は布で手を拭きながら玄関へと向かう。

 そこには、愛する息子がちょうど帰宅した所だった。


 女が嬉しそうに微笑む。


 「あら!おかえりなさい!

 遅かったわね、お腹空いたでしょう?、テーブルでちょっと待ってて?

 今作った物を取って来るから」


 「あ、......うん」


 女は何事も無かったかのように、少し戸惑っている様子の息子を席につかせた。


 運ばれた一人分のビーフシチュー。


 息子も始めは何も気付かず、食べた。


 そして、彼は気付いてしまう。


 スプーンの中に見付けてしまった人間の指に、見覚えのあるシルバーの指輪が嵌まっている事に。


 それは彼が彼女に、エリーシャに、婚約の証として贈った指輪。


 彼は獣のように叫び、そしてシチューの皿を掴んで、持っていたスプーンと一緒に床へ投げ付けた。

 中身が床に叩き付けられ、鈍い音を立てながら皿が割れる。


 そんな息子を見ながら、女はただ微笑んでいた。


 座り込み、必死に口へ指を突っ込んで吐き出そうとしている息子を見下ろしながら、その場を離れ、あるものを手に取る。


 「アッシュ、貴方が悪いのよ?

 私が居るのに、こんな女にうつつを抜かすんだもの」


 女は歌うように言葉を発し、そっと息子の傍に寄り添った。

 そして、息子の目の前に、それを置いた。


 息子の表情が絶望に歪むのも気付かず、女は笑う。


 「美味しかったでしょう?

 貴方が大好きな人なんだもの、ねぇアッシュ」


 涙に濡れ、絶望に塗れた息子は、

 その日、獣になった。



 愛用していた護身用のナイフで女を刺し殺し、死んだ後も狂ったように刺し続けた。


 愛しい女の骸の頭を抱き締めて泣き叫び、そして、壊れた。


 艶やかな黒髪はまだらな白髪となり、綺麗だった顔は涙の痕をナイフの刃でなぞった為、傷だらけとなった。


 バラバラになってしまった心で、ぼんやりと虚空を見詰める黒い瞳は、死人のようにすら見えた。


 血溜まりの中、その死んだ瞳が女の骸を捉えると、男は容赦なく、その骸の頭を踏んで、踏んで、踏んで、踏み潰した。


 肉塊が散らばるリビングで、愛しい女の頭を抱き締めながら、男は笑った。


 泣きながら、嗤った。





 ───────私は、卑怯な人間なのよ。


 自分が大事だから、大事にされたいから、優しくするような人間。


 本当に卑怯よ。

 卑怯で、打算的で、あさましい女なの。


 だって、私が死んだら、あなたの心の中にずっと居られるのよ。

 あなたの中で一番の場所に、綺麗なまま住み着くことが出来るの。


 そんな事を考えてしまうような卑怯な人間なの。


 あなたは何も悪くないのよ。


 だからね、どうか、こんな女の事なんて忘れて、お願いよ。

 どうか、あなたは幸せになって、アッシュ───────




 男は、狂人となった。

 思考は長く出来ず、その為言動は支離滅裂。

 寝る度にあの惨劇を夢に見るせいで、満足な睡眠も取れない。


 日が経つ事に、彼の目の下にはくっきりとした隈が出来た。

 幽鬼のようにふらふらと左右に揺れながら、時折フラッシュバックする惨劇に怯え、嘆き、悲しみ、母に似た女を殺した。


 ある時は、母と同じ黒髪の女

 ある時は、母のように赤い唇の女

 ある時は、母のような浅黒い肌の女。


 灰色の殺人鬼は、そうやって完成した。


 街を転々と渡り歩きながら、彼は人を殺す。



 ───────ねぇ、私の可愛い可愛い子。

 これでいつまでも一緒に居られるわ。

 ずうっと、一緒よ。


 愛しているわ、アッシュ───────



 灰色の殺人鬼の背後には、狂ったように嗤う浅黒い肌の女が見えた。












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