#09 雅
篠原久篠乃の部屋は、滅茶苦茶になっていた。雅が荒らしたのではない。篠原久篠乃の『風成り』の解創によって、部屋の中が掻きまわされた為だった。
ひっくり返ったソファの上に、テレビが乗っかっていた。不安定な体勢で、槍の後部で少しつくと、テレビは床に落ちて音を立てた。思ったよりは小さい音だった。
ドアも破壊したし、今しがたの騒音で人が寄ってくるかもしれない。しかしどこに逃げたのか……。
――まぁ、篠原久篠乃はいつでも見つけられる。
探す方法があるから、ひとまず放っておいて問題はない。篠原久篠乃は利用できる。彼女をうまく使えば、逃げた斉明をおびき出すことも可能だろう。
頭痛がする――まるで自分が悪人ね、と、もう一人の自分が嘲笑していた。
「うるさい……」
呟きが、更に感情を高ぶらせる。頭蓋が割れそうなほどに、がんがんと痛んだ。
頭の中に、ある光景が膨れ上がる――燃え上がる身体を奇妙に滑稽に躍らせながら、自分に指を差す人々が、胡乱な目をして笑っている。
そのうちの一人は祖父母たちであり、父や母、叔父や叔母であり、そして異様なほど老けた自分だった。あまりにおぞましい想像は、現実でないと分かっていても、現実よりおぞましく、もう雅の中では現実の優位性が想像と反転していた。髪をむしり痛みを催し、想像を消すために現実に逃げる。それでも笑いは止まらない。笑い声の中で、ねちねちと自分の矛盾を指摘する自分の声を少しでも鼓膜から消し去りたい衝動に駆られて、思わず叫びを上げた。
「うるさい!」
片手で思い切り振り下ろされた槍が、テレビを叩き割った。けたたましい音がして破片が飛び散る。音と手の痛みにイメージが掻き消えた。想像は脳みそから叩き落されたように、一瞬にして消えた。残滓だけが網膜に残っているが、それも現実の視界に潰されていく。暫しの間、思考が消え去る。
「はぁ、はぁ……っ」
ため息をつく。思考が、頭に思い浮かぶ情報に引っかからなくなって、思考が落ちていくような、宙に浮いているような錯覚に囚われる。さっきまで自分が何を考えて、何をしていたのか分からなくなる。忘却という名の防衛機制だった。壊れたテレビを見ていると、さっきの自分に巻き戻って思い出してしまう気がして、視線から外した。
指摘と恐慌、憤怒と鈍麻、そして忘却。自分の矛盾に気付いて陥る、よく起こる一連の流れだった。またこれか、と既に諦めている自分がいた。
「でも…………やらなくちゃいけないのよ」
そうだ、やらなくてはいけないのだ。七年間、これをやり遂げるために追求者を続けてきたのだから。
雅は意識を槍から別のものに移す。それは大方は国枝邦明が作り、雅に貸し与えている道具だった。
青黒い夜空に、無数の漆黒の影が羽ばたく。響き渡る羽の音、そして甲高い鳴き声は、夜の静寂を台無しにする。
ムクドリの群れだった。だがその全ては死んでいる。これは死体で作られた監視の解創だ。篠原久篠乃の監視用のカラスを元に作られており、情報の伝達は機械ではなく、それ専用の水を張った皿で行う。水面に像を映し、水面を揺らして音を作る。映像と音を同時に使えない点で劣化品と言わざるを得ないが、オリジナルより優れている点が無くもない。
びぃびぃと喧しい鳴き声はうるさいが、その煩さは内から沸き起こるものではなく、外からのものなので、逆に雅は落ち着いた。今の雅にとって恐ろしいのは、自分の矛盾によって内側から食い潰されてしまう事だった。
「行きなさい」
言葉は自分に言い聞かせたものだ。それが雅の願いを象り、そして願いにムクドリは従い、町の四方八方へと飛んで行った。