#06 branch_20171009_1923_30.11
街頭の傍にいた青年が、少しずつ近づいてくる。ただ歩いているだけだが、それでも彼は最大限の警戒心を働かせた。『探り手』に繋がっている『弦鳥』を操作して、一羽を青年の方に向けて牽制する。
挟まれた――この上なく厄介な状態だ。雅一人対処しきれていないのに、この青年まで出て来たら、勝ち目どころか逃げる隙を作るのも至難だ。
牽制に向けられた『弦鳥』の飛翔体を見て、青年は苦笑いを浮かべた。明らかな警戒心を見せていることにか、それともたった一羽と嘲笑っているのか。
「やぁ、上宮斉明くん……と言っても、今は派生か。原本には、また別で挨拶しないとね」
道具を使っていることから、自分が派生だと見抜いているのか。だとすれば『使い「手」』や『使い「手」作り』について知っているということだ。だが明らかに裁定委員会の関係者ではない。彼は相手の正体を単刀直入に尋ねる。
「どちら様ですか?」
青年は端的に応じる。
「国枝邦明」
国枝家。
上宮家との間で『三家交配』の取り決めをしておきながら、その子供を逃がした国枝家……邦明と言う名前にも聞き覚えがある。上宮富之の三男、卓造の孫にあたる人物の筈だ。
「貴方が……」
「篠原の娘から話くらいは聞いてた、ってところかな?」
見透かしたような言葉であり、まさしくそれは図星だった。だとしたら、そんな男が雅と結託している理由は……いや……結託という言葉を、彼は脳内で否定した。
「あなたが雅姉さんを騙してるんですか?」
「なにをしたって? 俺は協力してるだけだよ」
邦明への問いに真意を理解したらしく、雅が邦明を弁明するわけでもなく、自分の真意を打ち明ける。
「誤解しないで斉明くん。こいつとは、あくまで利害の一致で動いてるだけ。私も胡散臭いとは思ってるわ」
「酷い言いようだなぁ」
この緊迫した空気に似つかわしくない、おどけた口調で青年が言った。まるで道化のような振る舞いに、けれど彼はますます警戒を強めた。
邦明は上宮眞一の隠し子、つまり卓造の孫という事になる。裏の掻き合い、権謀術数については、兄である孝治よりも優れていた人物だ。しかも久篠乃から聞いていた話――国枝家の長男としてではなく、個人として追求者を目指すに至った経緯――を加えれば、これがどれほど危険かは言うまでもない。
「けど斉明くんから『使い「手」』と『使い「手」作り』、そして『探り手』を離す、という目的では一致してる。私はキミからそれらを奪い、裁定委員会から解き放つ。そしてこいつは、それを欲しがってる」
然りと邦明は頷いた。
「キミの『使い「手」作り』や『使い「手」』そのものを手に入れれば、俺のプラスになる。単純に戦って奪うにしても、篠原久篠乃がいては難しいからね。この人に協力してもらおうって話になったわけさ」
つまり邦明にとって雅はていの良い道具と言うわけだ。
「僕から『使い「手」』と『使い「手」作り』を奪って……」
「僕? 冗談を言うな『使い「手」』くん? 君は原本のコピーでしかない、ただの道具だ」
邦明の口調や言葉は、明らかに揺さぶりをかけてきている。そんな挑発で冷静さを欠けさせられると思ったら大間違いだ――一度息を吐いて、彼は邦明を睨み付ける。
「それで? 雅姉さんは『使い「手」』を僕から取り上げたいわけですか?」
「ええ。上宮の在り方にも、そして裁定委員会の都合にも、縛られることはないわ。それはキミの本来の追求には不要なものよ」
これは自分の意思だ――その言い分すら雅は否定した。もはや話はできない。だが雅の認識が誤りだと指摘すればどうだろうか? 雅を味方に付ければ、この不利な状況を一気に打開出来るが……。
「随分都合のいい話ですね、雅姉さんに虚言を吐いたんじゃないんですか?」
「俺や、そこの雅さんが嘘を言ったかい? あくまで事実に基づいて意見してるだけさ」
確かに『使い「手」』などについては、後見人――久篠乃の影響がないとは言えないので、ぐうの音も出ない。
「ま、それを論じても無意味さ。だからこうして実力行使に出てる。裁定委員会の側に属することが、追求者にとってどれだけ無意味か、それを分かってもらうには、互いの解創の質を比べるのが一番いい」
解創には適材適所があるので、単純に比べて優劣が決まるわけではない――が、その適材適所の違いこそ比されるべきなのだろう。裁定委員会の解創の追求を『邪道』とするなら、そちら側の解創の質が低いのは自明であり、純粋な追求者が目指すところではないと言える……普通の追求者が言うのなら、確かにそれは理屈の通る話だ。だが、この青年を果たして普通の追求者と呼んで良いかどうかは……。
「そんなわけで、俺も己の解創を使って、キミの目を覚まさせる事にするよ。こいつを使って……『我が復讐の権化』……とでも言ったところかな?」
何のことかと彼は訝しみ――そして、三人目がいることに気付いた。
木陰から出てきた見覚えのある人影に、彼は大きく息を呑む。背丈は一九〇センチを優に超えている。この季節に黒いコートを着てフードをかぶっており、中には包帯で巻かれた顔面が見える。
先ほど邦明は「完成した」と言った……という事は、これは何かの道具なのか?
なんだこれは……人形なのだろうか? 追求者の解創が用いられているのならば、尋常な人形と違い、人のように歩き、動かすことは可能だろう。
だが、ただそれだけのものだろうか? 四年前、この黒い人形は上宮家殲滅時に用いられた解創をいくつも使って……。
ふと彼は、今になって気づいた。この男は上宮家殲滅に関わっている……!
上宮斉明には、殲滅事件に関係する解創を用いて事実をちらつかせておきながら、今はこうして雅を操っている。雅が邦明から聞かされていることは断片的なもので、重要な事実は抜け落ちているに違いない。
雅こそ邦明に操られているのだ。だがそれを雅に教える手段は無い。普通に話しても自分の言い分は裁定委員会や後見人のにとって都合のいい……雅の意思に反するバイアスの掛かったものとして、雅には認識されてしまうのだ。状況は覆せない。
これでは解創による競り合いではなく、頭数による勝負になってくる。これこそ邪道というものだ。だが雅にそれを指摘しても無意味だろう。彼女は彼女の目的――上宮斉明を裁定委員会から解放するためには、手段を選ばない。国枝邦明が言ったのだって、もはや建前に過ぎない。雅を利用して、三人がかりで上宮斉明を潰せればそれでいいのだ。
――なら、まずは……。
突如、彼は『弦鳥』の解創を地面に叩きつけた。弦が地を割り礫を飛ばす――二人が怯む一瞬の隙を突いて、彼は公園の中央に駆けていく。
首だけ少し振り返ると、先に黒い人形――『我が復讐の権化』が迫ってくるのを見た。両袖から三日月形の刃をちらつかせている……。
背後には小さな池――彼は柵を踏みつつ『風踏み』を成し、池を飛び越えた――さらに『探り手』は踏んだ柵の両端を切断すると、飛翔体を使って器用に絡め取り、それを『我が復讐の権化』に向かって投擲した。
一瞬で良い。尖兵を足止めすれば、後方に控えている邦明も援護のしようが無い。唯一の懸念は雅だ。移動する解創はあるかもしれないが、池を迂回する道の途中で止まっている。下手な接近は『我が復讐の権化』の邪魔になるからだろう。
だが――彼の考えは甘かった。
黒い人形へ投擲した柵の残骸は、威力も勢いも『投擲』などの解創には遠く及ばないにせよ、それなりの威力を秘めていたし、人の頭に直撃すれば、軽い脳震盪くらいは起こせる速度だった。弦で切断された断面も鋭いため、大きな創傷を負わせることもできただろう。
だが『我が復讐の権化』というその人形は、空中に回転しながら放られた柵の残骸を難なく掴み取ると、まるでそれが『投擲』の解創の道具かと言わんばかりの速度で投げ返してきたのだ。
それも一つ二つではなく六つ――ほぼ全てを投げ返してきたのだ。投げられた柵の残骸は、まるで意思を持つかのように、猛烈にスピンしながら弧を描き、四方と正面から上宮斉明を捉えんと飛んでくる。
「なっ……!」
動揺しつつも、けれど彼は冷静に『弦鳥』を操作し、投擲された柵をあえて切断せずに飛翔体で打って軌道を逸らす。軌道の逸れた残骸が、もう一つの残骸と衝突して、あらぬ方向へ飛んでいく。
上と右、左と下の残骸を迎撃し、残るは正面――一つしかない? 残り一つは?
正面から迫る残骸を、飛翔体で突いて真後ろに飛ばす――すっ飛んでいった残骸は、空中で突然止まった。後ろに隠れていた残骸とぶつかったのだ。
二つの残骸は互いの力を相殺し、池に落ちて大きな水飛沫を上げる。
――危なかった……!
警戒して『弦鳥』そのものではなく柵を切って飛ばしたのが不幸中の幸いだった。下手をしたら『弦鳥』を掴み取られていたかもしれない。
――だけど、今の投擲は……!
あれほどの絶技を、偶然と一笑に付す余裕はなかった。
手に入れた道具を一瞬で使いこなす――というのとは、些かニュアンスが違う。そもそも柵の残骸は投げるための物ではない。
たとえば上宮斉明の解創である『探り手』は、触れることによる理解を極限まで高めた腕だ。人は見たり、触れたりすることで物体を観察するように、『探り手』は触れることによって得る上昇を極限まで増やすことで理解を加速させる。
そういう点で『探り手』は、最終的に手に入れた情報を自分に入力して理解しているため、使用者が最終的に分かるものしか分からない。
だが今しがた『我が復讐の権化』が行ったのはどうか?
そもそも投げる道具ではない物で、解創に迫りそうな使用を実現してみせた。これは『探り手』と同じ理解ではない。我流――それも道具に合わせているのではなく、道具を自分がやりたいように操っている……。
ピンと来た。これは全部を理解せず、性能だけを理解し、それを自分の目的のために無理矢理使っている。だがその理解は『探り手』とは違う。理解し準ずるのではなく、理解し利用する使い方だ。
だからこそ、解創の道具でもない柵の残骸を投げるという新たな使い方を導き出したのだ。だがあれは『探り手』の影響を受けている。あの理解の速さはそういう事だ。どこで『探り手』の情報を手に入れたのか……一つしかない。
三年前に上宮殲滅時の解創を狙って出してきた人形が、今度は上宮斉明の『探り手』を倣ってきた。つまり四年前の襲撃は、『探り手』を理解するための学習だったのだ。
人形が池の手前で停止する。池を飛び越えるほどの機動力はないのかもしれない。すぐに逃げるべきだろうが、どうせ逃げても追いつかれる――ならそれまでに、どんな情報でもいいから手に入れておきたい。
「なんですかこれ? ずいぶん変わった人形ですね。四年前といい、他人の解創を真似るのが得意なんですか?」
今ので分からなかったわけではあるまい――邦明はそう思っただろう、鼻で笑って彼を射すくめる。問いの真意を理解したのだ。
そのうえで邦明は、あえて大仰に肩を竦めて応じる。
「技術の盗奪と言って欲しいね。すでに俺のものとして完成している」
トウダツ……盗むに奪う、か。今度は彼が鼻で笑った。
「盗むも奪うも、まだ『探り手』は、まだ僕が持ってますよ」
「あくまで読み取れた性質の一部だけだよ。今後の追求のためにも、俺としては『探り手』とかの道具の全部知りたい。とはいえ、そのために元の所有者であるキミを殺すのは忍びないからね。だからできれば、キミからそいつを手渡してくれるとありがたい」
――しらじらと……。
『我が復讐の権化』はあの時、自分を殺すつもりだった。だが雅は従っている……手駒を増やすために今は利用しているだけなのか?
なら雅に邦明への疑念を生ませれば、可能性はある。
池を迂回する道にいた雅に、彼は声を張り上げる。
「雅姉さん……どうしてこの男に協力するんです? 僕の為とは言いますけど、やってることが無茶苦茶じゃないですか?」
「確かに無茶な選択肢かも知れない。褒められた手段じゃないとも自覚してるわ。けど斉明くん、私は『探り手』がキミに不要という意見だけは、この男と一致してるの」
ダメだ、会話にならない――雅が信じている上宮斉明の在り方は、七年前から変わっていない……そして今ですら、雅との会話で彼は自分の在り方に疑問を抱いてしまっているのだ。
それに、と雅が付け加える。
「四年前に明日香ちゃんを襲撃したのは、斉明くんかもしれないとまで言ったわ」
雅の言い分を理解するには、それから数秒を要した。濡れ衣を着せられていると分かって、彼は全力で否定する。
「なんで僕が……してませんよ! 証拠があるんですか! そいつが出鱈目言ってるに決まってるじゃないですか!」
斉明の怒気に触れて、雅も声を張り上げる。
「そんなものは後からでもいいわ! 私が考えてるのは、キミの追求の事だけよ!」
「なんで僕の言う事より、そいつの言う事を信用するんですか!」
「キミが裁定委員会に従ってるからよ!」
裁定委員会が上宮を殲滅した理不尽を、雅は受け入れがたいものとしている――そこが二人の食い違いだった。
理不尽を起こした裁定委員会を、上宮や自分たち追求者にとって悪と断ずる上宮雅。
理不尽を起こした裁定委員会にも事情があり、上宮だけが全てではないと考える上宮斉明。
あの事件による歪みは、七年たった今でもこうして影響を残している……。
あの事を言っても仕方がない。別の方向に話を転換する。
「むしろ四年前の事件は、そっちの国枝邦明が犯人とは考えないんですか!?」
虚を突かれ、呆ける雅――続いて鋭く視線を尖らせて、雅が邦明を射抜く。
「まさか……」
「考えた事も無かったかい?」
茶化すように邦明が蛇のように微笑むと、雅は一層鋭く射竦める。
「答えなさい、国枝邦明」
「待てよ、いくら俺が信用できないって言っても、俺が自分の妹を狙う理由があるとでも?」
「妹……」
「そう。上宮明日香は、俺の義理の妹にあたる」
笑みの消えた真剣な表情は、鉄仮面の彫刻か、それとも本心の素顔か。前者であれば、その言い訳が使えるから明日香を狙ったという事に……。
どちらにしても推測にすぎない。ここで四年前の事件の真相は追及できない。
「それに、俺が襲撃する理由がどこにある? なにもメリットが無い」
「それは僕も一緒です」
「それは違うわ」
斉明の言葉を、割って入った雅が否定した。
「斉明くん……キミには使う才能を手に入れるという動機があったはずよ」
「は……?」
使う才能? 何を言ってるんだ? しかもそれを手に入れる? まったく読めない、分からない。雅が何を意図しているのか察せれない。
「とぼけるのか?」
邦明の言葉に籠る感情の色……だが上宮斉明の感受性は、虚構の怒りだと悟った。
「斉明くん、キミの使う才能の無さは異常よ。誰かの意図が介在している……それは富之大爺様と考えるのが自然でしょう? あの人がキミの使う才能を、他の曾孫に分散したのよ」
何を言ってるんだ? そう思いつつも雅が冗談や嘘を言っているようには見えない。雅の言葉を真実としたうえで、彼は不自然な点を指摘する。
「そんな馬鹿な……なら明日香さんは道具を使えなくなってるんですか?」
雅が再び邦明を見つめる。彼の言ったことを雅は確認していないのだと悟った。二人に注目されている邦明は、いけしゃあしゃあと言ってのける。
「さぁ……そこまでは。けど追求者の使う際のは、普段必要とされるものじゃないから、奪ったところでその前後に本人が変化を感じるかは微妙だね」
ぐるりと首を回して、邦明は二人を順に見た。
「さて、話ならあとでいくらでもできる……それとも、こっちの要求を呑んでくれるかい?」
「……『使い「手」』と『使い「手」作り』、そして『探り手』を手放すという事ですか?」
「そうだ」
話を聞きたいと思わせる誘導こそが、この男の目的だ。その為に『使い「手」』の使用を止めれば自衛手段は無くなる。もはや上宮斉明の命は奴の手の平の上だ。よって彼の返答は一つしかない。
「断ります」
「だろうね」
はっとした。この会話を仕掛けたのは彼だが、それに付き合った邦明は、無策だったわけではない――!
黒い人形――『我が復讐の権化』は、あるものを取り出していた。邦明は話に夢中になるこちらの隙を伺っていたのだ。
黒い人形は、両手に一メートルほどの刀を持っていた。その切っ先を彼に向けられており、先端から陽炎が立ち上っている。
熱で物を切断し圧で吹き飛ばす二重解創――『大蛇殺し』。
――まさかこんなところで……!
「雅さん」
邦明の呼びかけに、雅は腕で視界を覆った。邦明も同様である。
「くっそ……!」
直後、膨大な熱と圧力が、太陽のような光をまとって放たれた。