#05 斉明(on=branch_20171009_1923_30.11)
いくら交渉が決裂し、会話も通じないと理解していた状態だったとはいえ、雅の槍の一撃は斉明にとっては不意打ちだった。
首筋に叩きこまれる一撃――刃ではなく、その根元の部分による打撃。首は飛ばないし威力も抑えられていたとはいえ、もろに食らえば意識を飛ばされかねない威力を秘めていた。
その時、斉明の意思とは無関係に首の下から何かが這い上がってきた。それは防壁。異様な速度で這いあがってきた防壁は、槍の衝突に間に合い、打撃を防いだ。
そして同時に防壁への第一撃は、斉明の『使い「手」作り』開始起動のスイッチとなる。
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ほんの一瞬の思考の明滅――開いた瞬間、彼は初めて『探り手』を起動させた。
それは異様な光景だった。彼の服、背中の辺りから黒い糸のようなものが大量に湧き上がってきたかと思えば、それが束になって形を成し、三本目と四本目の腕となった。
携帯性を解決した『探り手』。それは身体にまとわりつけておいた糸を、必要に応じて服の繊維の隙間から出して腕の形にして扱う、というものだった。
「驚いたわ、不意打ちが効かないなんて」
雅は彼の首筋を怪訝そうに見ていた。
初撃を防いだ防壁の正体――それは、針金細工の防壁が服の下に仕込まれており、危険を察知し襟からせり出して首や後頭部を守る『這い守り』の解創だった。
これは道具を使えない状態の上宮斉明を守る盾であり、その起動と同時に上宮斉明は道具を『使える』状態――つまり『使い「手」作り』によって『使い「手」』へ意識を譲渡するための時間稼ぎの役を担っている。
――まさか雅姉さん相手に使う事になるなんて……。
どうにか初撃を防いだとはいえ、彼にとっては好ましくない状況である。襲撃されることは常日頃から警戒していたが、まさかその相手が雅になるとは思わなかった。
躊躇はある。だが理性は冷徹に状況を推し量る……得物を持っている雅は危険だ。追求者としては『作る』事よりも『作り直す』、更にそれより『使う』才能に優れている雅だ。いくら雅の追求者としての才覚は、凡庸な追求者の程度とはいえ、上宮斉明の性質を熟知している。油断できる相手ではない。
第三と第四の腕が、バッグからある道具を取り出した。
取り出したのは、ガラスでできた、二羽の鳥である。尾にあたる部分は『探り手』用の指輪になっており、それぞれ二羽の輪を、右の『探り手』の人差し指と中指に通す。
一度『探り手』で道具を識ることさえできれば、道具を使う時にまで『探り手』である必要性はない。だが素の両手を自由にできるという利点を生かすのと、素の腕でこの道具を扱うと身体の外側にある『探り手』が邪魔になり、扱い辛いということもあって、『探り手』で使うことにした。
雅からすれば、何か理解できない珍妙な道具だろう。だが彼女の警戒心が強まっているのが分かる。雅は上宮斉明の才覚を知っている。上宮斉明作の道具となれば、どんなものでも油断はできないと考えるのは自明だ。
「変わった道具ね……それで何ができるの?」
「割と何でも」
雅の安い挑発に、彼は言葉では受け流し、行動で応じた。
ガラスの鳥が『探り手』から飛び出した――鳥の尾の部分と指輪は弦で繋がれており、弦はガラスの鳥が飛翔した跡を引いていく。
鳥――飛翔体の翼が、避け始めていた雅の髪を擦過する。なおも雅は距離を縮めようとするので、雅の目の前で飛翔体を横に飛ばす――軌道上に生まれる弦が、雅の行く先を阻む。
弦に触れると何が起こるか分からない――雅が足を止める――その瞬間、もう一羽の飛翔体が、尾の弦を鞭のようにしならせて雅の槍を叩く。
とっさに雅が手を引いた――弦は槍の後部のほんの少しを叩くにとどまるが、凄まじい音が響き渡る。片ややガラスの槍、片やガラスの弦。同じガラスという素材の筈なのに、強度の勝敗は弦が勝った。猛烈な速度でしなった弦は、槍の一部を削り取っていた。
これが上宮斉明の作りし『弦鳥』の解創。ガラス繊維の弦は、先端の飛翔体によって高速でしなり、鉄筋であろうと易々と破断する威力を有する。飛翔体自体も高速でぶつければ、先端で物体を刺突し、鉄板くらいなら易々と貫通できる。
ガラスという透明な素材、高速で飛翔し、さらに視界の悪い時間帯。視認しづらく、威力も馬鹿にできないとあって、雅からすれば脅威の筈だ。
さらに槍に比べて、自由自在に飛翔体を操れる彼の方が間合いで勝る。となれば雅は、槍の間合いまで接近してくるのは道理だ。
案の定、一度後退した雅は諦める様子を見せず、飛翔体と弦の隙間を縫うようにして突撃してくる。
それを許す彼ではない。槍の倍ほどはある間合いを維持するため、靴に『探り手』で触れてから、『風踏み』の解創を成して飛び跳ね、退く。
靴とは言えども、使うのはあくまで派生……『使い「手」』の上宮斉明だ。一度『探り手』で触れて仕様さえ確認すれば、あと自在に操れる。『探り手』で触れ続けなければ道具を使えないというわけではない。
雅の表情が険しくなる。流石にこの不利な状況で、打開策を考えぬわけにもいかない。
考える暇など与えない。彼は二度、三度と飛翔体を操作して、時に飛翔体そのもので槍を狙い、時に弦を使って槍を切断、ないし捕縛しようと試みる。
だが雅の槍捌きは、彼の想定を超えていた。初撃はマグレ当たりだったと思い知らされる。飛翔体の突貫には突きで応じ、切断しようとすると槍の刃で切り結ばれる。絡みつこうとしても、一瞬の隙を突いて捕縛の螺旋から抜け出している。
だが距離さえ詰められなければ、とりあえずの安全は確保できる。『風踏み』を利用し後退し、距離を保つ。
だが――ここでも彼は読み違えた。彼が飛翔体の一つでひときわ大きな一撃を加え、更にもう一つのカバーが遅れた隙をついて、雅が突如として前に跳んだ。
その速度は、今までとは比ではない。瞬間的な速度だけなら『風踏み』を超えていた。
「なっ……!」
ここまで温存していた機動力。雅には『風踏み』に追いつけるだけの足がある。首元に見舞われる突きは転がるようにして避けるが、完全に劣勢に立たされた。
そこからは雅のペースだった。たとえ一度に進める距離では彼が有利でも、雅は一撃加えるために一瞬だけ距離を詰められればいい。一見すると彼の方が攻め数は上だが、有効打は加えられない。対して雅の攻撃は、数こそ少ないが捌くのがギリギリなものばかりだった。
この劣勢を覆すために、彼は雅の移動手段……道具を探すが……。
――ブーツ? それとも別物……?
上宮富之の『庭園の眼』を見抜いた上宮斉明の観察眼をもってすれば、並の道具ならたちどころに見破れるだろう。だが雅の機動力については判然としなかった。
隠蔽に関する解創――欺瞞か、それとも別の何かか。それに戦闘中とあっては、いくら彼でも探す余力は少ない。
距離の競り合いでより確実な優勢を得ようとすると、互いの移動手段の奪い合いになる。その点、雅は彼の靴の正体を看破している。
彼もまた、怪しいと思われる靴を狙うが当たらない。しかも雅は避けるどころか気にする素振りすら見せない。彼は足元だけでなく全身ギリギリを狙う牽制を行った。だが雅は、どこかで弱点に攻撃が迫っているはずなのに、まるで恐れを表情に出さない。
凄まじいポーカーフェイス――裏の掻き合いという点では、雅が勝っていた。
だが機動力そのものは彼の方が勝っている。やろうと思えば大きく距離を離せるだろうが、しかしそれはリスキーだった。
『弦鳥』の性質上、最も速度が出るのは飛翔体と指輪の中間、弦が緩い弧を描く頂点にあたる部分で、両端を持った時の縄跳びと同じだ。確実な一撃を食らわせるためには、ある程度懐に入れる必要が出てくる。弦は最長で百メートルほど伸ばせるが、伸ばしすぎると速度が出にくくなるし、なにより飛翔体が彼自身から遠くなりすぎ、いざというときの対応が間に合わなくなる。
そのため『弦鳥』の飛翔範囲は、槍が届かない程度の距離を維持するしかない。最終手段として雅には槍を投擲するという手段が残されているが、そんな手を使うのは一度だけだ。敵前で得物を失うデメリットは大きすぎる。もし使うなら、確実に彼を仕留められる状況だけだろう。
上宮斉明を傷つけずに仕留める方法――それは『使い「手」作り』だ。雅は初撃から首の首輪……『使い「手」作り』を狙ってきた。その一撃で『使い「手」』や『使い「手」作り』を粉砕すれば、道具が使えなくなることを分かっているのだ。
首の『使い「手」作り』、そして脚力である『風踏み』。彼は常に複数の部分に注意を向けなくてはいけない。
彼は飛翔体を一直線に雅の顔面めがけて飛ばす。殺害を意図した行為ではなく、速度を緩めていたとはいえ、それでも雅が回避するのは至難だったはずだ。首と上体を大きく傾けて体勢が崩れた隙――このギリギリの状況で、チャンスを逃すわけにはいかない。
それなりの強度がある槍に有効打を加えるために、飛ばした飛翔体を、大きく弧を描くようにして手元に戻しつつ、弦の叩きつけを見舞う。
だが雅は後ろに目が付いているかのように、槍を攻撃圏内から逃がした。弦が地を抉って路面が割れ、礫が飛ぶ。雅が手首を返して槍を回転させて、飛んでくる礫を払う。
――後ろからでもダメか!
この機を逃さじと、雅が移動の解創を使い、一気に踏み込んでくる。完全に槍の間合いだ。彼も退がるしかない。
だが、そうはいかなかった。『探り手』の指につけられた指輪に違和感――張り詰める弦が距離を稼げないと物語る。
何事かと飛翔体を見ると……二つの『弦鳥』の弦が槍に絡まっている。
いや違う。雅は攻撃直後に手首を返して跳んでくる礫を飛ばしていたが、同時に絡めたのだ。弦の切断力はあくまで速度に依存すると読んだのだ。
「くそっ……!」
距離が詰まる。だが弦が絡んでいるなら、雅の得物はこちらが捉えたも同然だ。解く手間より先に、彼は現状の打破を優先する。
思い切り飛翔体を飛ばして、弦を張り詰めさせて均衡状態を作り出せば――逆に雅も距離を詰めることが出来なくなる。
弦は、槍の先端付近に絡んでいる。雅は長い槍の後部だけを持つて、先端を後ろに流して近づくが……そこまでが限界だ。得物を放すわけにもいくまい。
だが、均衡は突如崩れた。絡んでいた弦が――するりと槍から抜けたのだ。
「なっ……!」
何が起こった――驚愕する中、雅は槍の間合いに踏み込んでいた。
首はまずい――『使い「手」』を防御するため、首を大きく傾けて頬で受ける。
衝撃が頬骨に炸裂する――防壁ごしでも伝わる衝撃に、あえてそれに逆らわず横殴りに飛ばされながら歯噛みする。
「――ッ!」
転がりながら『風踏み』を使って距離を取り、雅の槍を見る。今のような無茶はそう何度も出来ない。『這い守り』の残りからすれば、防げて三回か四回程度だろう。『這い守り』はあくまで緊急回避、その場しのぎでしかない。防御の反応速度は一級品だが、防御力そのものは高くなく、雅の攻撃を受けるたびに道具としては死んでいる。
――何が……まさか……!
弦の緊縛をするりと抜けた槍の挙動……はっとした。
――まさかあの槍、上宮家殲滅事件の時の、僕の槍を参考に……!
それは『通過』の解創。即席のハルバード状の得物は、柄の穴の向きによって通過するか否かを切り替える代物だった。だが今はガラス製。詳細は変えている。しかも任意で向きも関係ない。解創の源は当人のイメージだ。ガラスなら通過を想像するのも容易だろう。
――厄介な……!
槍そのものへの攻撃も、あれで防がれる可能性がある。『通過』の発生は任意のため、最初に『弦鳥』で槍の一部を削いだように、隙を突けばいけるだろうが、そう何度もできる筈がない。
だが雅も、これで手を大きく晒した筈だ。こちらの隙を突くのも難しくなる。あとは流れをどう掴むか、戦況の組み立て方にかかっている……。
両者が互いに受け身に入り、膠着状態に陥る中で……ふと雅が構えを解いた。何事かと怪訝に思いつつ、誘いではないか警戒していたところに、声が掛かった。
「厳しそうだね、雅さん」
突然のことに、彼は思わず振り返って視線を向ける。街頭の元に、一人の青年が立っていた。
雅と同年代くらいの青年だった。ベージュのパンツに黒いブーツ、茶色い薄手のコートを着ている。腰や首元で銀色のアクセサリーが煌めいている。
顔立ちは良く、美丈夫と言っても差し支えないかもしれない。皮肉っぽい笑みは似合っているが、妙に狡猾な印象を与える。その笑い方は不気味だった。僅かに釣り上がった目元は笑っているように見えるが、三白眼の鋭利な眼差しと、一文字に閉じられた口を見るに、とても微笑んでいるようには思えない。
一目見て彼は確信した――この青年は、危険な存在であると。