#04 斉明
午後七時。昼間遊んでいたであろう子供たちも既に帰宅しており、待ち合わせ場所の公園は閑散としていた。
赤色にペイントされた街頭が敷地内を照らしている。最低限の光は確保されていても、それだけでは周囲の闇を消しきれず、かえって暗さを際立たせていた。
公園に人影はない。外周を囲う桜やモミといった樹木が、外界から公園を視覚的に切り離し、その内側は斉明一人だけの空間だった。
斉明は公園の中ほどにあるベンチに腰かけていた。少し眠い。携帯電話の時計を見ると、待ち合わせまであと十分ほど時間がある。妙に時間が進むのが遅い。
落ち着こうと、大きく息を吐く。周りに人がいないからこそできた。出入り口をじっと見ていると、人影が入ってきた。
斉明はベンチから立ち上がって、小走りに近づいていくと……この暗闇、七年間のブランクがあっても、長い髪や背格好から、すぐに誰か判別できた。
「雅姉さん……」
近づいて、かつ街頭に照らされた雅の顔を見て、斉明は驚きを禁じえなかった。
「久しぶりね、斉明くん……大きくなったわね」
ちっとも伸びないと言った久篠乃とは真反対の意見だったが、今はそんなものはどうでもよかった。
やつれた――そう感じた。手入れの行き届いていない長髪と、少しこけた頬、目の下のクマ……七年間ずっとなのだろうか?
「どうしたんですか? その、ええっと……」
どうしたものかと言いあぐねる斉明の心中を察したように、雅は苦々しく笑った。
「ああ……色んな人に言われるわ。そんなに顔とか変わったかしら?」
「そ、そうですね……」
電話で話していたときとは、印象が百八十度変わってしまった。電話で話していたときと今を比べても、口調はそれほど変わらない。だが顔を見ると同じ印象は抱けなかった。もしかして話すときは、こっちに気を遣わせまいと無理をしていたのだろうか?
「斉明くんも、ずいぶん背が伸びたわね」
「そうですかね……でも突然でしたね、その全然大丈夫でしたけど、どうかしたんです?」
気まずくなってつい口走ってしまい、他意は無いと言葉を補う。
「まぁ大した用事じゃないんだけどね……」
視線を外した雅の様子に、斉明は違和感を抱いた。何か隠しているのではないだろうか?
「私、追求者になったわ」
単語は雅が知っていても驚かない――だがその一言が、いったい何を意味しているのか理解が及ぶと、容貌に対するのと同じくらいの衝撃が斉明を襲った。
「あんなことがあったのに……」
あの夜……自分もだが、それ以上に雅は辛い経験をしたはずだ。その原因は上宮家、ひいては追求者というものが原因だ。だというのに雅は、この七年間で、むしろ積極的に関わっていた。
「だからこそよ。あの日の事を無駄にしないために、私はこの道に進んだの」
雅の眼の鋭さが増す。それは彼女の覚悟の重さと信念の強さだった。雅には追求者になれる才能があったとはいえ、あの日までは大して解創の世界に触れていなかった。追求者になるまでの苦労は、並大抵のものではなかったはずだ。
あの夜に、あんな経験をさせた引け目のようなものが、斉明にはあった。だが雅が自分自身で選んだのであれば、自分がどうこう言う筋合いはない。
「その……なんて言ったらいいか分かりませんけど……」
元気でやっているなら良かった、なんて言えない。電話越しならいざしらず、雅の顔を見た今、そんなことを言えるはずが無かった。
「えっと、色々やってると思いますけど、順調ですか……?」
「順調か……そうね、それなりに。その件でこっちに来たんだけど……斉明くんはどう?」
「僕は――」
どこから話すべきだろうか? 参考資本の事? 『使い「手」』の事? 色々あったが、そんな説明は些事だと思った。
「まぁ、充実はしてますよ……」
言ってから、嫌味や皮肉に聞こえてしまわないかとヒヤっとした。だが雅が困ったように眉を寄せてこそいたが、苛立ちや怒りといった感情を表していないのを見て、杞憂に終わったと悟った。
「斉明くんの参考資本、見たわ」
「えっ……?」
雅は斉明が提供している参考資本の名前を、三つほど列挙していった。
「どれも追求者として質の高い道具だったわ。流石だと思ったけど、一つ気になる事があったの。どうして使う事を、あれほどまでに考慮できるの? たとえば刃物を作るのは、作るために道具を使わなければ無理でしょう? 斉明くんは道具を使うのが、あまり得意でないというのは知ってるけど」
七年間の空白を知らない雅の疑問は、もっともだった。
「それは……ええっと、話は長くなるんですけど……」
「『使い「手」』と『使い「手」作り』、そして『探り手』」
雅の知る筈の無い単語が出てくる。同時に、雅の口調に少しずつ険しい色が帯びてくる。
「そこまでは知ってるわ。問題は……どうしてそれを知ろうと思ったの?」
険しいが、けれど強い口調ではない。なのに尋問されているような圧力を感じた。なんだ、この状況は……七年ぶりに鳩子にあって、談笑して夕食するくらいに思っていたのに……。
とにかく今は、訊かれたことに答えよう。
「その、今の自分の後見人の方の仕事を手伝うには、どうしたらって考えて……それで『使い「手」』とかを作ろうと……」
「それは斉明くんの意思? 後見人に作るように言われたんじゃないの?」
声音も表情も、より一層に険しいものになっている。だが質問の内容から察するに、それは自分の身を案じてくれているからだと気づいて、斉明は両手を振って否定する。
「嫌々させらられてるんじゃないですよ。あくまで僕の意思です」
「斉明くんが、自分で……?」
意外だったのだろう。無理もない。斉明は理解してもらえるように、丁寧に説明する。
「そうです。後見人の篠原久篠乃さんに引き取られてから、僕は彼女の仕事の手伝いをすることになりました。けどその上では、使う道具を作る必要があったんです。だから自分で考えて『使い「手」』を作ろうと考えたんです」
「なるほどね」
雅は一度目を伏せる。再び見開かれた時も、まだ眼光の鋭さは衰えていなかった。
「後見人の手伝いっていうのは……参考資本の作成?」
斉明は首を縦に振る。
「はい。まぁ、成り行きというか、追求者としての技術を身に着ける一環として……」
「そう、後見人の教育だったのね……つまり斉明くんが『使う』才能を求めるように、後見人が誘導したかもしれないわね」
突拍子もない雅のセリフに、斉明は当惑した。
「ちょっと待ってください、そんな暴論……」
「じゃあ後見人は、斉明くんの使う才能の無さを把握してなかったの?」
昔の事なので記憶はあいまいだが、久篠乃と一悶着あった前には、久篠乃は既に自分の特異性を見抜いていたと思う。
「それはないと思いますけど……」
「最初から陥れるつもりだったかどうかは分からない。けれど、自分の都合の良いようにした可能性は否定できないわ。参考資本の製作の手伝いをしていれば、いずれ『使う』事に対する壁にぶつかる。あとは使う才能を求めるだろうという蓋然性に任せたかもしれない」
斉明は反射的に首を横に振った。そんなことはありえないと。久篠乃は本気で自分のことを心配してくれていた。久篠乃の都合や組織の都合より、上宮斉明という個人がどうしたいかを問うて、考えてくれた。
だが雅の言う事も否定はできない。確固たる反証が無いからだ。なので斉明は否定せず、話を修正する。
「それは、どちらかと言えば裁定委員会の都合でしょう? 後見人は裁定委員会から言われたのに従っているに過ぎません。それに裁定委員会が、そういう教育を施そうと考えるのは仕方ないことでしょう? 裁定委員会が、あの夜の上宮家を襲撃するだけの理由があったんですから……」
斉明の言葉が終わる前に、雅は断固たる態度をとった。
「じゃあ斉明くんは、あの夜の理不尽が、仕方ない事だっていうの?」
「それは……」
言葉が出なかった。
暗闇の中、炎に包まれ燃える人影。
不気味なほど明るく燃え上がる上宮邸。
あの夜の残虐な惨劇が、果たして許されていいことなのか……。
苦悩に歪む斉明の顔を一瞥した雅が、助け舟を出すように、幾分か柔らかい口調で言った。
「今のは、ちょっと意地悪な質問だったかもしれないわね……けど、私はあんな事をした裁定委員会を信じていいとは到底思えない」
自分だって、裁定委員会を信頼しているわけではない――そう言おうとしたが、雅に示せる根拠が、まるで無かった。
「斉明くん、追求者って何かしら」
唐突な雅の問いかけに、今までずっと触れてきていた筈の事柄だというのに、斉明はすぐに答えを出せなかった。
「裁定委員会という組織と密接に関わりを持って、それで追求者としての本分を果たせるかしら? 私はそうとは思えないわ。今の斉明くんは、後見人を通して委員会の言いなりになっているだけよ」
そんなつもりは毛頭ない――だが、想像してしまった。いつの間にか『使い「手」』も『使い「手」作り』も『探り手』も、全て裁定委員会に奪われてしまうのではないかという不安を……。
久篠乃の元で学んで、自分は成長したと思っていた……だがそれは成長ではなく、矯正だったのではないか?
「でも……それも全部、僕が自分の意思で手に入れようとしたことです」
絞り出すように苦し紛れのセリフを吐くが、雅はサラリと言い返す。
「その斉明くんの意思が斉明くん「だけ」によるものだとする根拠はないわ。キミの意見は、既にキミだけのものじゃなくなってる。人の影響を受けて成長するのは人として当然だけど、偏りのある影響は洗脳に近いわ」
偏り――裁定委員会に都合のよい教育、技術、知識……あの夜の事を「仕方が無かった」で済ませた自分は、果たして影響を受けていないと言えるのか?
七年の歪みに気づかされた気がした。自分は、果たしてこのままでいいのだろうか……?
「斉明くん、あなたが裁定委員会にとって都合のいい存在である必要性はないの」
雅は柔らかい口調で、斉明を説得しに掛かる。斉明に歪みを気づかせた当人の言葉は、斉明の耳に嫌でも染み入ってくる。
何が嫌か? それは、この七年間の努力が否定されている気がしたからだ。
「でも……雅姉さん、僕はどちらにせよ委員会を見限ろうとしても、裁定委員会にマークされます」
「なら逃げてしまえばいいじゃない。君が本当にキミらしい追求をできる……追求者として在れるように」
雅は優しく斉明を射すくめていた。まるで聖母の眼差しだった。斉明は、もう雅の事を無視できなくなっていた。
いまだに解決のメドの立たない『使い「手」』の統合……今後自分が成人してからの事……裁定委員会との関係を維持した追求者であることで生まれる数々の悩みは、雅の言葉を是と受け入れれば、全て解決するのだから。
それでも七年間の経験を斉明は否定したくなかった。悩んだ末に手に入れた結論に、間違いはないと信じたい。残った課題も、自分が解決するべきものだと思いたい。
「逃げても追いかけられるだけです……それに今は、追求は、作ることは、ただ単純に自分が作る時に感じる幸福だけじゃないとも思ってるんです。雅姉さんの言うように、これは矯正のせいかもしれませんけど……それはこの七年、後見人の元で過ごしてきたからこそ手に入れられたとも思うんです。あの人……久篠乃さんは、裁定委員会という組織から視点じゃなくて、個人として僕を見てくれてると思ってます」
「ねぇ斉明くん……あくまで後見人は、後見人でしかないわ。斉明くんが作る事を最も好んでいる事を、私は知ってる。けど裁定委員会にいて、作る物はどうなる? 彼らの資金源として奪われていくだけじゃない。『使い「手」』による作成を、斉明くんは覚えてる? 後見人はそれをどうしてるの?」
『使い「手」』による作成――それは、斉明の模造品が行った作成だ。当然、斉明は覚えてない。
「覚えては……いません。けれどそれでいいんです。作ったという結果が手に入るなら、それで……」
本意ではない。だが仕方がない――雅の言葉を受け入れたい気持ちと否定したい感情が僅かに勝り、まるで信念の籠っていない言葉を紡ぎ出していた。それはある種の呪縛のようなものだった。
「そう……本当に変わったわね、斉明くん」
もはや話しても無駄だ――雅はもう踏ん切りがついているようだ。対して斉明の心には、澱のようなものが蓄積していた。
「他者の為の製作が、追求者としての自分の本分だと勘違いしているのなら――キミの考えが間違っていると証明するわ……勘違いしないでね、私は斉明くんが悪いとは全然思ってない。ただ経験によって蓄積した理屈は、経験で覆した方が早いと思うのよ」
雅の口調が、言葉が、だんだんと今までと違う色を帯びてくるのを斉明は感じ取り、警戒心を強めた。
雅が唐突に、隣の植木に手を突っ込んだ……引き戻された手に、何か握られている……凝視して正体に気付く、斉明は戦慄した。それはガラス製の槍だった。
嵌められた――直感した。斉明がここに来る前に、雅は得物の仕込みを先にしていたのだ。いや、嵌められたというより、これは自分の返答を想定していたのか……!
「待ってください! 雅姉さん、僕はそんな……」
「いいの、斉明くん……七年もの間、委員会と、委員会に従う後見人の影響を受け続けてきたんだから、初志が歪んでしまうのも、それこそ仕方ないことだわ」
雅の表情から、険しいものは一切合切抜け落ちていた。柔らかい表情と優しげな眼差しには、けれど確固たる信念が宿っている。
斉明は戦慄した――それは解創を揮おうとしている者の眼だと。
斉明が距離を取ろうと足を下げる――その一瞬前に、雅が間合いに踏み込んで、最初の一撃が振るわれた。