#03 久篠乃
斉明が出てからしばらく経った。夕食を済ませてリビングのソファで再びくつろいでいた。
リビングを見渡す。既に夜が訪れ、窓から入る光はほとんど無くなっている。二十四階なので外から部屋の中が見られることもないだろうが、精神衛生上好ましくないので、一応カーテンを閉める。
「一人、か……」
呟きが、閑散とした部屋の空気に掠れて消える。いっそう虚しくなった。
斉明と住むようになって七年が経ち、孤独の耐性が低下している気がする。こういう不意に訪れる孤独は、堪えるというほどではないが、寂寞を感じるには十分なものだった。
さして互いに関心のない家族同士であれば、そうでもないのかもしれないが……自分と斉明の場合、参考資本の仕事で関わりがあり、コミュニケーションも取っているし、何より互いに信用している。
斉明は、どうするつもりなのだろう? 久篠乃自身は、いつまで斉明といても良いくらいに思っていた。もし邦宗が「どうしても」と答えを求めるようなら、斉明も養子縁組なりなんなりで一緒に住めないか訊いてみるだけだ。
邦宗とは仕事の関わり以外でも、たまに食事に行ったりしているが、かといって恋愛的な関係が出来たり進展があるわけでもない、微妙な距離感がずっと保たれていた。
けどもし斉明が一人立ちを望むようなことがあれば、自分は……。
携帯が鳴る。着信は邦宗からだった。噂をすればというやつか……苦笑して久篠乃は通話に出た。
「はいもしもし、篠原ですが」
『国枝だけど』
スピーカー越しに聞こえる邦宗の声には、普段の声音とは程遠く緊迫感があった。何かあったのだろうか?
「邦宗さん。どうかしたんですか?」
『ちょっとね……キミの参考資本の提供についてなんだけど』
「何かありましたか?」
『不正のある貸与申告があってね、一旦、すべての貸与を取りやめてる』
貸与が取りやめられるという事は、久篠乃に収入が入ってこないという事になるが……いま問題なのはそこではない。
「不正な申告……ですか?」
どういう事情か分からないので、久篠乃は問い返す。
『ああ。どうやら不正申告したものは、偽名を使っていたようなんだ』
「よく偽名なんて区別がつきましたね」
『ああ……偽名は見冷美弥。見冷などという苗字が日本では見つからない。悪意のある申請なのは目に見えているから、申告者の足取りを追っている。だけど現在のところ手掛かりは無い』
申告関係の提出書類は郵送で済ませていたのだろう。だとすると消印で投函された場所は分かるが、わざと現在の住所から離れて郵送していた場合は無意味だ。
『さっきも言った通り、上の方針で一時的に篠原さんの参考資本の提供を停止してる。以前にも、他の人でこういう事……偽名を使って貸与して借りパクされて、参考資本を取り戻すのに苦労したことがあってね。同じ轍を踏むまいという方針でね。その間、貸与はできないから、お金も入らないんだけど……』
「それは仕方ありませんね……私は大丈夫ですので……」
しばらく参考資本提供以外……委員会で実用する道具の作成や、一般の追求者とのやり取りで稼いでいくしかない。
『貸与時の本人確認を厳重にチェックする方向で、どうにか早めに解禁できるように交渉してみるよ』
「分かりました」
通話が終わってから、久篠乃は自分でもやれることはやっておこうと思い立つ。自分が提供した参考資本を貸与した人間の名前は、委員会から報告があるので、斉明のぶんも一緒に控えてある。今まで特にトラブルなどは無かったが、手掛かりになる人物はいるかもしれない。
当然というべきか、偽名の見冷美弥なる人物は存在しなかった。だが、別の名前が目に付いた。海老谷未海……四年ほど前に、斉明の道具を大量に借りたことのある人物だった。
一応は邦宗が面接を行ったようだが、特に問題がなかったため貸与し、全品が期限通りに返却されている。久篠乃も驚きこそすれ、人物に対しては特に気にしなかった。
――何か……。
思うところがあって、久篠乃はそれぞれの名前をカタカナで書きだしてみる。
ミビヤ ミヤ。
エビヤ ミウ。
語感が似ている……文字をバラバラに組み替えているとき、ふと気が付いた。
「まさかこれ……」
――アナグラム……。
ミヤ ミヤビ。
ウエ ミヤビ。
欠けているのは『ウエ』と『ミヤ』。
「上宮、雅――?」
呟いた名前は、さっき斉明が会うと言っていた人物の名前と同一だった。