#02 斉明
憂鬱な夏も終わり、季節は秋を迎えていた。セミも鳴かず、人も浮かれず、木枯らしの音も聞こえない秋は、何事もなく静かな印象があるのだが……今日は違っていた。
篠原久篠乃は窓から外を見ていた。片手を腰に当て、もう片手を額にやって困り果てていた。
「どうかしたんですか?」
困った顔を浮かべた久篠乃が、斉明に振り返る。
「ん? ああ、監視用のカラスなんだけどね……一羽消えちゃってさ。行方不明なのよ」
久篠乃の話は、こうだった――監視用のカラスは二羽いた。三日前、斉明が帰宅するまでの一部始終を一羽に追跡させていたのだが、その途中で消えてしまった。今日まで、もう一羽に探させてみていたが見つからない。
「道具にも寿命はあるでしょうから、仕方ないんじゃないですか? 誰かに拾われても問題ないようにしてあるんでしょう?」
解創――解脱と対となる、自由になる為、この世に作り出される新たな規律ないし力――は、その存在が世間に漏洩することがないよう、裁定委員会という組織が自治活動を行っている。彼らの裁定に遭わないよう、久篠乃は監視のための道具には、カラスの遺骸以外には使っていないという話だった。
「そりゃまぁ、そうだけどね……」
不安そうな面持ちで、久篠乃は窓際の壁に寄りかかる。組まれた両腕が彼女の暗鬱とした思考を物語るようだ。道具一つで大袈裟かもしれないが、追求者はたくさんの道具を作るとはいえ、一つとっても思い入れのある品物だ。参考資本ならまだしも、自分が使う道具となれば、斉明も気持ちは分からなくもない。
久篠乃は曇天から視線を外して、斉明の頭頂部辺りを見ながら言った。
「ちっとも伸びてないわね」
頭に視点が言っていることから背丈の事を言っているのが分かるが、斉明は久篠乃の発言を否定した。
「伸びてますよ……っていうか、久篠乃さんの背が高いんですよ」
あの夏の日から七年、中一の襲撃事件から四年経ち、斉明は高校二年生になっていたが、身長は一六〇センチ程度しかなく、小柄なままだった。とはいえ昔から比べるとだいぶ伸びてはいる。
「それでも高校生なら、私と同じくらいにはなると思うけど……まぁそれを言っちゃダメよね、しょうがないか」
「なんですか、その哀れな視線は」
背丈が低いことにコンプレックスは無かった。むしろ久篠乃を超すようなことがあれば、自分が一人前にさせられてしまう気がして怖かった。
久篠乃の仕事を手伝って慣れてきたものの、久篠乃が後見人から離れてからも参考資本提供者になるかと言われると、少し躊躇があった。久篠乃と一緒にということなら続けられる。だが『使い「手」』の事もあるし、自分はずっと、久篠乃と居たいと思っている節がある。
だが反面、それでいいのかという悩みもあった。自分が独り立ちしなければ、久篠乃に余計な負担をかけたり、世話を焼かせてしまうのではないか……それに自分という一人の人間として、ずっと保護者の元にいるのはどうなのか。
不意に、くぐもった電子音がリビングに響いてきた。出所は斉明の部屋のようだ。
「あら、斉明の携帯が鳴るなんて珍しいわね」
「そうですね……誰でしょう?」
斉明は足早に自分の部屋に戻る。
高校で番号を教えているような人間はいないので、電話をかけてきた人物は、おのずと斉明が提出した参考資本の関係に絞られる。普通の仕事なら後見人である久篠乃を一度通すはずだ。直接かけてきたとなると、久篠乃を通さず自分が受けた仕事だが、それはもう納品が済んでいる。何かのトラブルだろうか? それとも別件? さまざまな可能性を想像しつつ、斉明は通話に出た。
「はいもしもし、上宮ですが」
『はいもしもし、上宮ですけど』
掠れた女の声――続いて口調に違和感を抱いた。笑いを堪えているような感じがする。なんだ? オウム返しに、思わず眉をひそめた。悪戯電話か?
「あの……どちら様ですか?」
斉明が声音を強張らせると、スピーカーの向こうから小さな笑い声が聞こえてきた。
『ふふっ……ごめんなさい。ちょっと、からかいたくなって……久しぶりね斉明くん。雅よ』
「雅姉さん!?」
あまりの驚きに、斉明は思わず大きな声を出してしまった。七年前の上宮家の事件以来、彼女とは音信不通だったのだが――まさかこんな突然、再び言葉を交わすことになろうとは思ってもみなかった。
「びっくりしました……七年ぶりですね、っていうか、雅姉さんでも冗談言うんですね」
『ちょっと、私を何だと思ってるのよ』
心外だ、と言いたそうにしている電話の向こうの雅を想像する。だがその顔は七年前のままだ。今はどんな風になっているのだろう? あの頃も大人びていたが、今はもっと大人びているのだろうか?
「それで、どうしたんですか? というか番号はどこで?」
『裁定委員会の人に訊いたのよ。それで突然なんだけど、今日会えない?』
「え、今日ですか。本当に唐突ですね……」
『ごめんなさいね……こっちに用事があって来たんだけど、斉明くんがこの近くに住んでるって、ついさっき知ったものだから……』
そうだったのか……しかしどんな用事でここに来たのだろう? まぁそれはどうでもいいかと斉明は頭の片隅に追いやった。
「どこに何時くらいですか?」
『そうね……一丁目の公園に、十九時に。夕食でも一緒に食べない? できれば二人だけがいいんだけど……』
後見人無しで、という事か。雅は既に成人しているので、後見人はいないのかもしれない。
「ええっと、ちょっと待ってくださいね」
斉明は一度通話を保留にして、リビングに顔だけ出す。
「どうかしたの?」
「親戚の……雅さんって人がいるんですけど、今日会えないかって連絡が……夕食も一緒にしたいって」
「あらそうだったの。まぁ、水入らずで行ってらっしゃいな」
「分かりました」
斉明は再び通話を戻す。
「大丈夫です、予定もありませんから、さっきの場所で会いましょう」
『そう、分かったわ。突然電話かけて悪かったわね』
「いえ、そんな……じゃあ後で」
『ええ』
通話が切れると、途端にウズウズとしてきた。七年ぶりの再会だし、何を話したものかと今のうちの考え出しておきたくなる。
――小四の頃だったから、もう七年ぶりか……。
ずいぶん会っていないなと、過去の記憶を掘り返す。あれから自分は随分と変わったなとお思うと同時に、雅も変わっているんじゃないかと思うと、少々不安だった。
――いや……そんなことはないか。
普通に話せたし、それほど大きく変わっていることはないはずだ。あの日以降、どう過ごしていたのだろうか? 気になりだすと止まらない。
外出すると決まり、斉明は準備に取り掛かる。四年前のあの日以降、いつ襲撃されてもいいように、常に護身用の道具を持ち歩くようにしていた。
まず『使い「手」作り』は首に着けているのが一つと、予備が一つ、私用のバッグに入っている。『使い「手」』は『使い「手」作り』に入っているそれぞれ一つで計二つ。
これらと左右の『探り手』以外には、ガラス製の鳥のような物を二つと、直径四センチ、長さ二十センチほど、片面にレンズが付いた筒状の道具をバッグに入れてある。
さらに私用でも学校用でも靴には『風踏み』の解創を施しているし、服の下にも防備のための道具を仕込んである。
いざという時には、これらの道具を使って逃げる隙を作り、久篠乃と合流する――そういう危険対処の方法を、二人の間で取り決めていた。
そしてバッグに携帯電話を入れる。あまり好きではないが、通信手段としては必要だし、雅との待ち合わせもある。持って出ないわけにもいかないだろう。
六時半を過ぎてから、斉明は荷物を持って靴を履く。
「じゃあ、行ってきます」
リビングの久篠乃に呼びかけると、ソファに座ってくつろいでいた久篠乃が、身を乗り出して声を張り上げる。
「いってらっしゃ~い、夕ご飯もちゃんと食べるのよ~」
「はーい」
久しぶりに久篠乃と再会するのか……胸が高鳴るのを感じながら扉を開けて、斉明は待ち合わせ場所の公園に向かった。