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  #05 久篠乃

 脇腹から流れていく血の流れにぞっとする。戦闘の緊張か、はたまた痛みに催された本能か、強烈だった脇腹の痛みが鈍く感じられた。脳内の分泌物質が痛みを緩和しているのかもしれない。いよいよ自分もヤバいかな、と朦朧とした意識で思う中……久篠乃は金属が軋む異音を聞いた。

 ――良かった、ちゃんと動かせたか……。

 自分が敗北する可能性を考えていなかったわけではない。勿論勝つつもりで迎え撃ったが、それが出来ないことも想定に入れていた。

 可能ならば『寒光』まで食らわせた後に、何かしら『射止め』の手投げ矢などの別の道具を使って仕留める事も出来たのだが、それが出来なかった以上、これを使うしかあるまい。


 がしゃん、がしゃん、がしゃん、がしゃん、がしゃん、がしゃん、


 絡繰り細工の無機質な足音は、巨大な昆虫の軍靴めいている。

 深い闇に覆われた美術館。その中で唯一光の灯る部屋も、コンクリートの壁によって閉塞され、いるのは手負いの女が二人だけ。

 来た道を辿れば逃げられる。だが『寒光』の解創で、身体が彫刻よろしく固まっている今、上宮雅は逃げられまい。

 逃げられない獲物の様子に舌なめずりするように、軍靴はゆっくり、ゆっくりと、がしゃんがしゃんと音を立てて、二人のいる部屋まで入ってくる。

「なによこれ……!」

 天井からの『寒光』を反射し、鈍色に光る鉄骨の細工。八角形と、その対角線が鉄骨で組まれ、八角形の頂点に、それぞれ鉄骨の長い脚が生えている。身の丈を超えた蜘蛛か水黽(アメンボ)のような異形。それを見上げる雅の声は、恐怖に打ち震えている。

 それは当然の反応といえた――追求者の道具にしても、それはあまりにも歪な代物だった。身体すべてが鉄骨で出来た巨大な蜘蛛は、廃館の主のように堂々とした佇まいで、雅を見下ろしていた。

 ――安心しなさい、これが私の最後の道具よ……上宮雅さん。

 これこそ、久篠乃が最後の部屋に仕込んでおいた切り札――『彫像潰し』。

 対象は、ほとんど動かない(、 )に制限される。そして対象と出来るのは人の形をしているものだけという、ごくごく限定された代物。遠隔の操作でもなければ、使用せずとも機能する道具でもない。久篠乃自身が『使う』必要のある道具だ。

 左手の風車『風成り』を破壊されて『寒光』が効くまでの時間が稼げないと観念した久篠乃は、照明を点灯させた瞬間から、すでにこれの願いを始めていた。

「この……ッ!」

 眼前の恐怖から逃れようと、身体を氷のように固めた雅が床を這いずる。だが無駄だ。確かにこの『彫刻崩し』は足が遅い。元来、この解創は戦うために使うものではない。これは彫刻を破壊するためだけの代物なのだから。久篠乃はそれを無理やりに、こうして使えるように手を加えたの過ぎない。裏付けに、これは単体では使い物にならない。

 ゆえに今の久篠乃が願う内容も、『風成り』や『火成り』、『切断』などのような単純なものではなかった。

 トルソー――胴の肋骨の緩やかな曲線は、なんて艶やかなんだろう……。厚い胸に括れた腰……人によって違いはあるだろう。女なら胸は豊かだろうし、男なら腰は筋張っているだろう。だが男女どちらであっても、理想体型に共通するのは、胴というものは複雑な曲線で構成された立体であり、華美な装飾などなくとも、それは芸術的にまで美しいということだ。

 そう。胴だけで完璧なのだ。装飾など必要ない――完璧なる人の胴に、四肢ほど要らぬ装飾は無い。

 ついに鉄骨の女郎蜘蛛は、その毒牙をかけるように、八本の脚で雅を跨ぎ、八方を囲った。その長い脚の膝を折ると、出口に向かって這っていた雅を上から押し潰した。

 押し潰すとはいえ、鉄骨で出来た八角形だ。対角線上にそれぞれ鉄骨があるとはいえ、重量は六十キロ程度にしかならない。圧死させるには不十分だ。

 だが重量は関係ない。いずれ脱出されるであろう上からの単純な戒めであろうと、食らう間の時間稼ぎには十分だ。

 足が少しずつ、雅の身体と床の間に滑り込まれる。寝転ぶ親に上から抱きつく子供のようだが、ギィギィという鉄骨の関節の音が忌々しく周囲の人間の鼓膜を苛む。

 ついに八本の脚全てで雅を掴むと、足の戒めはどんどんときつくなっていく。鉄骨のヒンジが肉を挟んだ。ギリギリと関節は曲がり続け、挟んだ肉を磨り潰していく。

 八角形の対角線上に位置する鉄骨のいくつかの戒めが解かれて関節になると、鉄骨の蜘蛛は八角形の身体を丸くしていく。それは中の雅も同じだったが、関節の柔軟性は鉄骨細工の方が遥かに上だった。首の後ろと大腿の裏で、ぎりぎりと鉄骨が押し潰していく。(へそ)に鼻をくっつけさせようと、健気に一生懸命に、鉄骨は女の肢体を圧砕していく。

 これが『彫像潰し』。胴に要らぬ四肢と首を砕き折る為だけの解創。中の人間は内臓と気管を圧迫されて、悲痛の叫びを上げることすらままならない。

 ぼやけた視界で、久篠乃は苦い勝利を確信した。最後には、守るために頭を覆った自分に腕頭を潰されるのだ。頭蓋が潰れるのが先か、腕の骨が磨り潰されるのが先か、それだけでしかない。鼓膜には鉄骨が軋む嫌な音と、別のものがベキベキと割れたり折れたりする音が響いていた。

 バキリ、と甲高いものが割れる音がした直後、鉄骨が割れる異音が聞こえた。

 何事かと目を見開く。雅の持っていたガラスの槍の刃が、足の関節の一つを破断していた。

 丸くなった鉄骨細工から、腕のようなものが飛び出している。その手には光を反射するナイフのようなものが握られていた。

 槍の先端だ――閉じ込められて取り回せなくなった槍は不要だ。鉄骨に挟んで柄を割って短くし、短刀に見立てて刃の『切断』の解創で、鉄骨を切り裂いたのだ。

 続いて、二つ、三つと音がする。それは中の人間が逃げ出すには十分な大きさの穴となる。

 卵から生まれる猿がいたら、きっとこんな仕草と動きで出てくるのだろう――雅のそれは、そんな無様な姿だった。

 指以外、手足がまともに動かない久篠乃にとっては万事休すところだが、『彫像潰し』にやられた雅も無事ではなかった。左腕が明らかにおかしな方向に曲がっている。右足は半回転するように()じれている。あれでは歩くことすらままなるまい。それでも抜け出そうとしたのは、閉じ込められたまま潰される恐怖に耐えかねたからだろう。だが久篠乃は、その力強い本能の持ち主を称賛した。

「正直、殺したくなんて……なかったんだけどね……」

 不思議と、けれど自然に言葉がついてでた。雅を見ると、自分に理不尽な恐怖を与えたものに対する、怨念めいた視線をこちらに向けていた。

 負け惜しみか――そんな意思を感じ取る。体中を潰されたとあっては、声を上げる余裕すらないのだろう。

「これで……あなたの思惑も潰えたわね……一対一なら……斉明だって、逃げられるわ……それとも……そこから這って、私を殺しに来るかしら……?」

 息も切れ切れに問いながら、どうにか袖を破って止血できないものかと頑張ってみたが、無意味だった。仕方なく素手で傷口を圧迫する。べっとりと生温い血が、傷口の脈と同じリズムで湧き上がってくるのは不気味だった。

「やめとくわ……代わりに……こういうのは…………どうかしら?」

 雅の声は酷いものだった。だがあれだけの目に遭いながら、はっきりとした意思が感じ取れる。

 直後、外からいっせいにムクドリが羽ばたく音が聞こえてきた。

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