ダオ・オーク族小史
海岸の村を出たスピネイル達は、南に三日間進んだ。辺りは肥沃だが丁寧に耕作されているとはいいがたい野放しの大地だ。農地を手入れする者よりも耕作用に飼われているのだろう、四つ足の獣が草を食む姿が見える。
「あれはなんだ?」
「バイソンだ。半島にはいないのか?」代官がつっけんどんに答える。
「あんな獣は初めて見ますな。馬でも山羊でも、象でもない。強いて挙げればオーロックスに似てますな」トゥラク隊長も珍しそうに牛を見ている。
スピネイルから見てバイソンと言う生き物は、馬よりは大きく象よりは小さい。毛は短いが茶色の毛皮に覆われていて、短い角が二本生えている。がっしりとした体躯を太い足で支えていた。鞭のような尻尾を振りながら糞をして、固い蹄が深く草地を掻いている。
「立派な土地だが、余り丁寧に扱われているとはいいがたいな」
「土地を開墾して畑を作るのは農奴だ。私は知らん」
「……村に居た時も言っていたな。農奴ってのはなんだ?」
「半島には農奴が居ないのか? 誰が作物を作っている?」
「農民だ。彼らは作物を作るし、王国で豊かな者は戦士として軍務に付く義務がある……帝国も同じだ」
「そうだ。私の家は父祖の代から麦や黒葡萄を作っている」トゥラクが言った。
「ふん。半島の農奴は変わっているな。豊かな財産を持っているとは! ……いいか、ブレッドヴァルの農奴とは、魔術を一つしか身に着けられなかったものがなる最低の階級だ。奴らは我々が決めた領域から外に出ることは出来ない。生産した作物は決められた割合で我々官吏が徴収する。その代わり、奴らの平穏を脅かすものから守ってやるのだ」
尊大な口ぶりで代官は説明してくれたが、これまでの道中、彼はずっと縛り付けられたまま歩いたり寝たりしていたせいか立派な衣服も擦り切れたり垢じみたりしているので、反って滑稽でさえあった。
「我々のように使える魔術が二つから三つある者が戦士や官僚として王宮に召され、誇りある魔術王陛下の忠実な僕として働く栄誉を受けられるのだ」
得々としゃべる代官をスピネイルは小突く。
「もういい。喋るな」
「どうやらここでは、魔術が使えるかどうかで価値が決まるようですわね」
「そのようだね。モグイ族も近寄らないわけだ……」
漂泊の被差別民であるモグイ族も、商売のためとはいえこのようなところへは来たくはないだろう。
一行はさらに南下すると、初めて村落以上の規模を持つ場所に出た。
そこは海沿いに作られた棚状に広がる城塞都市だった。大小の家屋、多方向への通路、水路、全てが石の壁で囲われていて、それらの頂上に白い石造りの巨大な城が築かれていた。
「あれが陛下の王宮、カムロドゥノンだ。またの名をリシンスヴァン」
「リシンスヴァン?」
「リシンの館、と言う意味だ。……ついてこい」
カムロドゥノンの出入り口には戦士が二人立っていた。彼らは近づいてきたスピネイル達に向かって杖を差し向ける。
「止まれ。何だ? お前たちは……名を名乗れ」
「あー、私は上級施政官のラドロア・モゥだ。陛下へのお目通りを願いたい。この者らと共に……」
「上級施政官閣下! なぜそのような方が正門などに? 転移で入城なさればよいのでは……」
「良いから中へ入れてくれ」
門衛の戦士は訝しんだが、施政官の装束はまさしく上級官僚の物。ここで歯向かっても利益にならないからと、彼らは黙って門を開けてくれた。
「協力感謝するよ、施政官閣下」縛っている縄を巧妙に隠し、スピネイルは囁いた。
正門を通るとそこは町だった。街と言っても、どうやら王宮で生活する権力者に仕える下男下女、彼らに消耗品を提供する生産者や製造者から成っているようだ。
その雑多な地区を抜け、水路に掛かっている橋を渡ると、王宮の外縁部らしい区画に入った。一面、くすんだ白い石材で化粧された美しい装飾で覆われて、そこここに新鮮な草花が鉢や壺でもって飾られていた。
ただ、ひと気はない。そのせいで寒々しくもあった。
「さて、リシン・ダオに合わせてもらおうか。どこへ行けば合わせてもらえる?」
「お嬢様、この部屋戸口の類がありませんわ」
「本当です。一面装飾された壁ばかりだ……」
そう、その部屋は一行が入ってきた出入り口以外に戸口がなかった。
「ええい、不敬な奴らめ! 宮殿内を行き来するには転移の魔術が要るのだ。貴様らのための戸口など元からないわ!」
「なんだって? そりゃ困ったな……どうしたらいい? 施政官殿?」
憎らし気に代官改め施政官は答える。
「私の縄を解け。私が奥院におられる方々に連絡する……」
「嘘を言うとためにならないぞ?」
「嘘ではない! 本当だ……信じてくれ」
スピネイルは施政官の目を見た。彼は身をかがめて彼女を見返す。動揺と疲労に塗れていたが、その目は何かを隠しているようには見えなかった。
もちろん、これが罠ではないという保証はない。しかもここは相手の懐内である。しかし任務を全うす
るためには、多少の賭けも必要だろう。
スピネイルは刀を抜き、一太刀で施政官のを身体を縛っていた縄を絶った。久しぶりに腕が自由になり、彼は前のめりに倒れ込んだが、直ぐに立ち上がった。
「待っていろ」そういうと手を広げて軽く胸元で腕を交差させる。施政官の姿は霞のように朧になって消えた。
「消えましたわ!」
「うん。さて、少し待つか……皆、警戒は怠るな。伏兵があるかもしれない」
トゥラク達兵士は上官の命に従う。盾と投槍から肩時も手を離さず、前後左右に目を光らせる。
「……お嬢様。お聞きしたいことがございます」
「何? こんな時に」
「お嬢様は最初、あの男が刀を奪いに来たのだと判断しましたね。なぜです?」
「ああ、そのこと……それはね」
そこでスピネイルはダオの壁が出現した日の夜、インファが自分の天幕に飛び込んでくる直前にリシン・ダオが野営地に忍び込み、自分に会いに来たこと、そしてユアン・ホーから手に入れた刀の来歴について話した。
「そのようなことがございましたのね。村の伏兵にも気づかず、インファは恥ずかしいです」
「インファの目からも隠れるほどリシンの……いや、ダオ族の魔術の姿隠しは完璧に気配を消しているのさ。足元の影さえ隠していればね」
「でも不思議ですわ。今のように隔てた場所を瞬時に行き来できるのなら、姿を隠して忍び込む労を取らなくても良かったはずでしょうに」
「いや、多分、彼らの言う『転移』の魔術は、それほど遠くまで移動することは出来ないんじゃないかと思う」
スピネイルも、だんだんとダオ族の魔術の傾向が掴めてきた。恐らく『転移』の魔術は、『念動力』のような短い距離でしか作用しないのだろう。
そう思うと外から見た時の建物の構造にも納得がいく。この王宮には行き来するための廊下がなく、全ての部屋が壁で繋がっているのだろうし、もしかすれば階段もないに違いない。
そこでスピネイルは恐ろしい発想に至った。
「皆! 上と下にも注意するんだ。彼らはどこからでも『跳んで』くるぞ!」
兵士たちが未知の方向からの奇襲に動揺する中、不安が現実のものとなった。
スピネイル、トゥラク、インファの三人を囲むように立っていた兵士たちの内側に、人型の霞が立った。
その霞は青みを帯び、瞬く間に一人のオークに姿を変えた。
リシン・ダオだった。
「我が王宮へようこそ。小さき者たち……」
「リシン・ダオ!」
動揺しながらも兵士たちは臨戦態勢に移り、一斉に投槍を突き出す。
スピネイルはそれを制止した。
「待て! 攻撃するな。……自宅とは言え無防備すぎるんじゃあないか、魔術王陛下よ」
「そなたらが余の元へ向かってきていたのは最初から分かっていた。そなたらがコースタルの浜辺に足を踏み入れたその時からな……」
全方位から鋭い穂先を突き付けられているというのに、リシンの表情は軽い。
「そうなると道中にほとんど人がいなかったのも、あんたが人払いをしていたからだな」
「そうだ。ブレッドヴァルの臣民は厳格な魔術による階級制度の元、平穏に暮らしている。外部の者との接触は常に高度な管理のもとに行わねばならない。あのコースタルの村落も、同様の処置に置かれている」
ということはあの時見た妙に若い村長は、ブレッドヴァル側が『用意した』者だということだ。村長だけじゃない。村民、家屋すべてがあの場所に後から用意されたものなのかもしれない。
それらのものを瞬く間に用意してのけるリシン・ダオの圧倒的な影響力に置かれているのが、ブレッドヴァルという場所なのだろう。
「……リシン・ダオ。そんなにこの刀が欲しいのかよ」
スピネイルが抜き身の刀を差しだした。リシンが手を伸ばすが、それに合わせて周りの兵士たちが動く。おかしな真似をすれば瞬く間に串刺しになる。
「そなたたちは何か余に話をしに参ったのではないかな?」手を降ろして王は言った。
「あんたが北部部族連合に参加するとき、その見返りに多くの物を貰っているだろう。それらに対する所有権を放棄してもらいたい。私はそれを交渉するために、わざわざあんたを追って海を渡ったんだ」
スピネイルは懐から文書を取り出して、広げて見せた。
「私はお前に贈り物をしたすべての族長から、交渉の権利を授けられている。……お前もオークの端くれなら、この印章の意味が分かるだろう」
「分かるとも。余もブレッドヴァルに栄えた七部族から集められた印章を持っている」
リシンは銀色の環で髪を抑えていた。その環には七つの特徴的な飾りが付いている。多少、形式が異なっているが、オーク部族の長が持つ印章に違いない。
「この七印章を備えた銀環こそ、ブレッドヴァル王の証。そなたの文書の印章を無碍にしては、余が余の権威を侮辱するようなものであるな……道理だ」
その言いにスピネイルは良し、と思った。どうやら、血生臭いことをしなくてもよくなりそうだった。
「あんたが話の分かる男でよかった。先の戦でダオ族にも死者が出た以上、此処で突っぱねられることも考えていたよ」
「余のために戦い、死んだ者を悼みはするが、そのために何かを施すことはない。当然ではないか」
ああ、そうか。先ほど厳格な階級制度に基づくと言っていたことにスピネイルは思い出した。ブレッドヴァルの頂点にいるリシンの臣民に向けられた愛情とは、例えばウファーゴ王のそれとは性格を異にするもののようだ。
「まぁ、よい。余はそなたたちを正式なブレッドヴァルの客人であると宣言しよう。ついてまいれ……そうか、そなたらでは部屋へはいけぬな」
そこで気付いたように魔術王は言うと、壁の一面に向けて手を出した。
「余が手づから部屋へ通してやろう」
そう言うと、突如として壁が溶けた。いや、崩れたというべきだろうか。まるで砂山を崩すように壁が下へと消えていったのだ。
「この城は壁も床も天井も、全てが余の魔術によって作られている。これを壊す程の魔術を持つ者はブレッドヴァルにはおらぬ。それこそヤハオでない限りはな……」
正式な客分になったことで、漸くスピネイル達はこの王宮の本来の姿……魔術でせわしなく行き来する、着飾った官僚や軍人、下女、従僕らの世話をする風景を見ることが出来た。
それは魔術の前提があるとはいえ、理解できるものだった。人の営みが変わらずここにある。
トゥラクと兵士たちは全員が寝泊まりできる大部屋を宛がわれた。寝床、食堂、身を清めるための沐浴室などが全てある部屋で、兵士たちは住みやすくするために自分たちで垂れ幕などを作らねばならなかった。
スピネイルとインファは二人で一つの客間が用意された。こちらもほぼ同様の構造をしていて、さっそくインファがこまごまと改造に精を出していた。
沐浴室で身体を洗い、真新しい肌着に取り替えたスピネイルは、現れたリシンの従者に連れられて部屋を転移しようとしたが、どうにもうまくいかないので、リシンが直接出迎えにくる事態になった。
「そなたの体には、何か魔術を退ける護符でも貼ってあるのか?」
「まぁね」具体的なことは伏せる。
「コースタルでもそなたは土牢を自力で脱出したそうだな。ヤハオではないかと余の臣下が騒いで実に大変だった」
「何度か聞いたけど、そのヤハオっていうのは何?」
「その刀にもかかわりのある話だ」
リシンの目はこうして話している間も、スピネイルの腰にあるそれに向いていた。
「話して欲しい。ことと次第によっては、私の交渉にも色を付けてあげてもいいわ」
「ふふ、それはよいことだ……ついてまいれ」
いくつかの壁を貫いて二人は歩き、スピネイルは王宮の奥院、つまりリシンの私室に招かれた。
「此処に棲むのは余のみだ」
「家族は?」
「故郷にいる。ブレッドヴァルの王とは魔術の才によってのみ選ばれる。余の両親も兄弟も、人並みよりは魔術が使えたが、王と肩を並べるほどではなかった……」
その言葉には一抹の寂しさがあった。
勧められた椅子によじ登り、同じく自身の玉座に座ったリシンと対面した。
「こうしてみると、あんたが本当にオーク諸族の一派なのか怪しくもなるし、そうであると言いたくもなる。不思議だな、ブレッドヴァルという土地に住むオークというのは皆こうなっていくのか?」
「ブレッドヴァルのオークが初めから魔術を宿していたわけではない。この島に入植した最初の先祖たちは、正真正銘、半島のオークと同じ者らだった。
「だが当時島で暮らしていた、ヤハオと我々が呼んでいる種族は違った。彼らは今のブレッドヴァルのオークとは比較にならぬ強大な魔術を使っていたと、言い伝えでは残っている。けれども彼らは数が少なく、やがては我々の先祖たちによって滅ぼされた。
「ヤハオの最後の一人を捕まえた先祖は、それを記念するために彼らを地神に捧げた。炎で焼いた石の台座の上で内臓を抜き取り、血を絞ったのだ。大地に血が流れる中、最後のヤハオが絶叫と共に死んだという。それからのち、ブレッドヴァルで生まれたオークには奇妙なことが起きた。体には父祖とは違う海色の者が増えた。体が父祖よりも小さくなった。そして手先から火や光を作り出す力を備える者が現れた……それが現在、ブレッドヴァルのオークとなった者たちだ」
俄かには信じがたい話だった。けれど多くのことを知ったスピネイルには、いくつか符号する事実に目を向けることが出来る。
すなわち、ブレッドヴァルの歴史にでるヤハオという人種は、現在帝国に協力するヨアレシュを含めた魔術人……ヤオジンのことに違いない。
彼らの生き残りが、焼かれながら切り裂かれ、多量の出血によって死の淵にあった時、その血がこのブレッドヴァルという大地に注がれた。
魔術人の血は、呪いの触媒である。彼は自らの死、ブレッドヴァルに暮らした同族の死に際し、強烈な呪いを大地そのものに掛けたのだ。自分たちを殺して島を支配したオークたちの子孫に、魔術人と化していく呪いを。
ダオ・オーク族とは、偶然に生まれたオーク諸族とヤオジンとの混合種族なのだ。
「……それ以後、先祖たちは種族の変化を被りながらも繁栄し、分裂を繰り返す。闘争には斧よりも魔術が用いられ、やがて最も魔術に秀でた者が諸部族の長……王と呼ばれるようになった。ヤハオの存在は伝説と化し、今では幼子を脅かす文句としか思われておらぬ」
「いろいろと納得がいく話だね……それで? その話とこの刀になんの関連がある?」
「その刀は代々の王に伝わってきた大父祖……魔術を宿す前のダオ・オーク族の頃に遡る品だ。大父祖の代より残る、王に相続されてきた武具の一つであり、一説には最後のヤハオを切った物であるとも言われる。それゆえ、その刀を持つ者には大望を掴む力を与えるとも言われた。ダオ・オークに魔術という力を与えたようにな。
今より凡そ八年前、ちょうどそなたらが上陸したコースタルの近くに、海賊が現れた。彼らを率いていたのがユアン・ホーだった。彼はいくつかの村を襲ったが、余が手勢を率いて追い返しに行くと、部下たちを裏切って余の下に一人降伏した。残された部下は長を失い、虐殺された。余はその男に興味を持ったのだ。話を聞くに、半島で爪弾きにされ、いつか自身の国を作るという野心を持っていると聞かされた余は、戯れにその刀を与えたのだ。決して鞘を捨てるなと言い添えてな」
「鞘? なんで?」
「その刀がヤハオを切ったものと言ったであろう? それゆえその刀は、多くの血を長い間浴び、ヤハオのようにオークならぬ『地神に祝福されぬ魂』を呼び寄せるという伝承があるのだ。それらは刀を通じて生ける者の生気を吸い、この世に害をなすだろうと言われる。それを封じるのが、本来あった鞘なのだ」
今ある鞘では、その悪鬼を呼び寄せる刀を放置しているに等しく、それゆえリシンは刀を回収することに執着していたのだ。
「さぁ、わかったであろう? そなたにとっても大事な得物であることは分かっている。不満あるなら鞘だけでも作らせてもらいたい。そのままでは、危険……む?!」
スピネイルの腰で、刀が震えていた。
「なんだ? これは!?」
「余ではない。これは『念動力』ではない!」
刀が独りでに抜けて宙を飛んだ。それは激しく回転すると、スピネイルに向けて襲い掛かった。
スピネイルはそれを椅子から飛び降りて回避する。刀が椅子の背もたれを両断して通り抜け、旋回して再び飛び込んでくる。
鞘から鎖を外し、投擲したが、宙を飛ぶ刀はそれをすり抜け、今度はリシンに向けて槍の様に飛んだ。
「危ない!」スピネイルには串刺しになるリシンが見えた。
だが、リシンは間一髪のところで刀に『念動力』を掛け、迫る切っ先を押しとどめることが出来た。
「遅かったか……姿を現すがよい! 幽鬼め!」
魔術王の一念が刀を露台に向けて弾き飛ばす。刀は不自然な軌道で静止した。
「お久しぶりですなぁ。リシン・ダオ陛下」
「その声は!?」
「お前は!?」
二人にはその声に聞き覚えがあった。
「ユアン・ホー!」




