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ダオ・オークの戦術

 攻めかかったアメンブルク王国軍、それに対する北部部族連合軍の両者は、その現象を前にして動揺し、動きを止めた。


 広大な原野の北東端、連合軍が布陣していた地点から三千歩の距離を境に、突如として石垣が出現した。


 隆起した地面から卵の殻が剥げるように現れたそれは、高さにして凡そ十六間半、厚み三間もあり、胸壁と狭間が無数に設けられていた。


 外観はまるで巨岩を積み上げたように見えるが、果たして人力で可能であるとは思えぬ緊密な積み方がされており、針一本差し込める隙間とてない。


 硬直する両軍の中で最初に動き出したのは連合軍、それもリシンと、彼に従うダオ・オーク族の戦士たちだった。


「余に従う勇敢なるオーク戦士らよ。そなたらの前に顕われしあの城壁は余と、余に従うダオの戦士達が造り出したものである。皆の者、あの壁に登れ。手の手斧を、爆石を持って敵を打ち散らす好機である!」


 『壁』の内側で動揺していた連合軍の戦士らはその声を聞き、次第に落ち着きを取り戻した。彼らは見た。巨大な城壁の上で自分たちを待っている、青い肌の海より来た仲間、ダオの戦士達を。


 ダオの戦士たちが胸壁に守られた壁の上に手を付くと、内側の壁の一部が沈むように動き、階段に変化した。


「登れ!」

「お、おう!」


 戦士たちはそこを登った。降り立った壁の上は原野とて遮るものがない見事な見晴らしであり、見下ろせば崩れ落ちた土砂の下敷きになったレイ・オークの戦士達の先に、どうやらまだ戦意を阻喪していないツァオの戦士と従士がこちらを見上げていた。


 

 目の前には、大地から湧き出た土くれを被って死んだ横槍を加えてきた戦士たちの屍が転がっている。


 その後方には見上げるばかりの巨大な壁が、のしかかるような威圧感でもって戦士達を見下ろす。


「な、何なんだこれは……」


 部下の肩を借りて立ち上がったグシャン・ガルウシもまた他の戦士らと同様に、この事態にどう対処してよいのか掴めずにいた。


「グシャン様、これは……俺たちはどうすれば?!」


「うるさい! 知るかそんなもの! とりあえず散って戦っていた連中を集めろ」


 流石に勇みすぎ、敵味方入り乱れた乱戦でなければもう少し思いつくこともあったろうという気持ちがグシャンにはあった。


 他の親族方たちも似たような考えなのだろう、敵方の攻撃が収まったのを良いことに、彼らは手勢の整理をするために部下を呼集した。


 十数人の塊が壁から見ていくつも出来ていく。


 伝令の帰還を待たず先鋒との接触を期して更なる進軍を行った従士隊を指揮するハイゼ・フェオンは、象の上よりそれを見た。


(なんぞ……何やら罠がある)


 王国随一の戦士の勘が、そこに死の気配を感じていた。


「グシャン殿! 親族方! 一旦後退されよ! その壁は危険だ!」


「ハイゼ! 何を言うか。どうやら敵方はこの壁の奥に引っ込んでおるようだぞ」


 徒歩かちである自分らに対して象の上より話す筆頭従士に、グシャンたち親族方は不快感を示す。


「臆病風に吹かれた従士などそこで見ておれ、邪魔じゃ」


「行くぞ者とも。あの壁を調べるのだ」


 呼集が済んだ親族方はそうして土砂で荒れた地面を踏みしめ、そろそろと壁に近寄って行った。抜かりなく、四方の影よりの奇襲を警戒しながら。


 だが、攻撃は前後左右の何れよりも来なかった。


 緊張した面持ちで先鋒隊を見守っていたハイゼが叫ぶ。


「上だ!」

「なんと?」


 意識されていない方向に対して戦士たちは、その風切り音を聞き取るのが僅かに遅れた。


 位置も悪かった。象の高みからハイゼの目には辛うじて、巨大な胸壁に見え隠れする連合軍戦士の姿が見えたのだ。近くまで寄っていたグシャンたちはそれが分からなかった。


 

 見上げたグシャンたち親族方率いる先鋒隊が見たのは、視界一杯に迫る手斧、爆石、火球と光だった。


 

 閃光と熱風が間断なく、壁の向こう側に降り注ぐ音を聞いた老マタルは震え上がった。


「これが、ダオの戦……」


「そうだ。相手に先んじて石陣を作り、より多く雷光と火球にて攻める者が勝利する。それがダオの戦であり、誇りだ」


 ダオ・オーク族であればだれでも、火球なり、雷光なりの術を持っている。大地より石を引き出す術も、多くの者は先達の戦士らに教えられ習い覚えるものだ。


 連合軍の先鋒に混じっていたダオの戦士たちは、他の戦士が乱戦に打ち興じる間に息を合わせ、今目の前にある巨大な石陣……城壁を作り出したのだ。


 そして今は、城壁の上から他の部族戦士たちが予め多く携えていた手斧や爆石を投げる間に混じって、火球や雷光を放って眼下の敵戦士たち (都合の良いことに、彼らはある程度のまとまりを成していた!) を攻め殺していた。


 長い年月を部族の長として生きてきた老マタルが、未知の戦いに恐れを覚える一方、若き族長マサ・ヘオコは高揚を覚えた。


「すごい! 分厚い鋼鉄に鎧ったツァオの戦士たちを寄せ付けぬ、圧倒的な戦闘! マタル殿、これで我らは勝てますぞ!」


「う、うむ……」


「リシン殿、私も部下を率いて、城壁より攻撃に参加します。不慣れな戦い方に、他の小部族らが狼狽えているかもしれませぬ。彼らを鼓舞して回りたい」


「存分にされよ。余の腹心を一人お付けしよう。……ウー」


 輿を担いでいた部下の一人が離れ、マサの視界に入った。他のダオ族と同じ、鮫革の防水衣を着た男で、頭巾を外すと、毒々しい深紫色をした髪が逆立っている。


「ウーよ。マサ殿に付いて石陣へ行け。大事ないとは思うが、念には念を入れてな」


「ははぁ! マサ族長をお守り致しまさぁ!」


 黒目がちな大きな目を見開き、ウーは答えた。


 

 阿鼻叫喚とはこのことか、とハイゼは思う。


 目の前で親族方に率いられたオーク戦士の集団が瞬く間にすり潰されていく。聳え立つ壁の上に控えた敵戦士らが爆石、手斧、そして何かわからぬ謎の火や光の塊を投げつける。


 直撃を受けた戦士たちは何をされたのか分からぬまま爆死したことだろう。間断なき破砕と爆裂の狭間に聞こえるのは、戦士が上げているとは思えぬ悲鳴だ。


 一生の多くを戦闘に彩られるオーク、その戦士たちが泣き叫んでいるのだ。


(なんという戦だ! だが、某はむしろこのような戦いを欲してたのかもしれん!)


 未知の戦場、未知の兵、未知の戦術。それらは武辺に生き、武辺に死ぬことを決めたハイゼにとって望むべきものだ。その心は高鳴り、武者震いを覚えた。


 とはいえ、むやみやたらに未知の攻撃者に向けて突貫するわけではない。一個の武者であると同時に、ハイゼは指揮官でもあるのだ。


「味方の救援に向かうぞ! 爆石、用意! あの壁に向けて投げる!」


「筆頭! ここからでは遠すぎる!」


「ならば近づくまでよ! 皆の者! 某に続け!」


 前鞍に乗る象使いに命じ、ハイゼ率いる従士隊が前進を始める。象は初速こそ緩慢だが、速度が乗ればかなり早くなる。そしてそれに徒歩で付いて行ける足腰の強さが従士隊にはあった。


 緩やかな円弧を描きながら従士隊は壁に近づく。間近に迫った爆破と熱と閃光に象が暴れる。


「投げよ!」象が狂乱するぎりぎりまで爆撃に接近した従士隊が、壁の上に向けて爆石を投げる。


 すかさず象を壁に周囲の生存者を探していると、壁の方より散発的な炸裂音が聞こえた。


「着弾したようだな。急げ! すぐに向こうも立て直すぞ!」


 厳しい目でハイゼは周囲を見た。手足が千切れている位ならまだいい。黒ずんだ人の形をした塊が異臭を放ちながらうめき声を上げているのは、流石に直視に堪えなかった。そんな奴でも魔術人ヨアレシュに診させれば生気を取り戻すやも知れない。


 何とか死んでない者を見つけ出すうちに、ハイゼはまた壁から不吉な気配を感じ始める。


「退くぞ!」


 号令を出すと同時に爆石と火球が近くに着弾した。従士たちはその音と光と熱に驚きながら、担いだ負傷者をこれ以上痛めぬよう必死に走る。


 一方、ハイゼは殿を務めるべく象使いに命じてその場に留まった。大きく目立つとはいえ、直撃を受けさえしなければ象の分厚い毛皮を貫くことはない。


 そうは言っても、鞍の上からでも象が暴走寸前なのはハイゼにも分かった。ぎりぎりまで我慢させ、象使いが鉤棒で象を逃げるように示すと、象は全速力で走り始めた。


「前にいる者を轢くんじゃないぞ!」ハイゼは大身槍の鞘を払うと、象使いの肩を叩いて象から飛び降りた。


 象は従士隊の脇を通ってあらぬ方向へ逃げていく。ほとぼりが冷めた頃、象使いが連れて戻ってくるだろう。


 従士隊が無残な姿の戦士達を草の上に並べている隣で、ハイゼは考えた。このまますごすごと本陣に戻るのは面白くなかった。


「筆頭! 陛下より伝達です」


「陛下は何と?」


「体勢を立て直すゆえ、一度後退せよとのこと」


「断る」


「は?」


「悔しいではないか……やられっぱなしではな」


 不協力な親族方を減らすために、先鋒に無理を強いるのは此度の戦の初めから織り込まれていたことだ。


 だが、それはそれとしてもなんとか現状、一矢報いてから下がりたい。


 爆石を投げ返す戦法が、嫌がらせ程度の効果しかなかったのは先の通りだ。


 相手がこちらにしてのけたように、相手の意表を突いてやりたい。さて、どうすれば……。


「筆頭、どうするんだ?」


「王は戻れと言ってるんだろう?」


「むむむ、待て、待て……」


 周りは後退するつもりで再び負傷者を担ぎ始めるが、ハイゼはそれを制する。


 そうしていると、本陣の側から象騎兵が率いた一隊が従士たちに近づいて来た。


 その者らは象との比率でオーク戦士ではないことが分かった。スピネイル・ハジャール率いる帝国軍駐留部隊だ。


「ハイゼ殿! 後退されよ! 援護しに参った」


「スピネイル殿、某は下がりたくないのだ」


「なーに言ってるのさおっちゃん。あんた一人で呪いに立ち向かうのは無茶ってもんさ」


 スピネイルの後ろに乗っかっていたヨアレシュが顔を出した。


「むむ、呪い娘。あの壁の仕組みは貴様と同じ呪いだと申すか」


「そうさ。ここまで近づけばよく分かるよ、あの壁も、壁の上から降ってくる火の珠や光も、私らヤオジンの持ってる力と同じものさ」


「……じゃあ連合軍はどこぞではぐれ魔術人を引き入れたということか?」


 スピネイルの問にヨアレシュは首を振る。


「いや、そうじゃない……ちょっとうまく言えないけど、あれは呪いだけど違うんだ。ヤオジンじゃない」


「分からないな。魔術人じゃない者が呪いを使えるとも思えないぞ」


「そうなんだけど! そうなんだけどぉ!」


 どうやらヨアレシュには目の前の現象に対し、尋常な同族とは違うものを感じ取っているようだったが、スピネイルには掴み切れることではなかった。


「まぁいいさ。さて、ハイゼ殿。負傷者と従士隊を回収した以上、我々は下がるべきだ。べきだが……私は威力偵察の必要を認める」


 その言葉を聞き、ハイゼはそうと知らなければ脅しつけているような迫力ある笑みを浮かべた。この小さき者の大将は、敵の出方を見るために手出ししてみよう、と言っているのだ。


「スピネイル殿ならば、そう仰ってくれると思うておりましたぞ!」


「まぁ待たれよ。やみくもに突っ込んでも、爆石その他をぶつけられてひき肉にされるだけだろう。我が隊が露払いするゆえ、しかる後仕掛けるとよいでしょう……トゥラク隊長!」

「はっ!」

「一個中隊を率いて従士隊の後ろに付け。私が残りで前に付く」


 もう一度攻めかかる、そうと決まると従士隊も駐留部隊も動きが早かった。


 一千五百の帝国歩兵は二分されると、その間に従士隊を挟む隊伍を作った。兵士たちは常時の長槍を投げ捨てると、盾に仕込まれていた投槍に持ち替えた。


「行くぞ! ……ヨアレシュ、ちょいと手綱を持ってて」


「へ? なにすんのさ?」


 嘶く象の上でいきなり手綱を渡されたヨアレシュに対し、スピネイルは足で巧みに象を制御しながら空いた両手を使って刀を取った。


 正確には、刀を佩いている帯から鞘ごと外し、両手で提げたのだ。


「こいつを試す良い機会だからね。しばらくそうして手綱を持っててくれ」


 ブッフケルンで鞘を作り直した時、スピネイルは新たな鞘に細工を施した。


 鯨革の巻かれた見事な装飾の施された刀の鞘は、さらにその上から細い鎖が幾重にも巻き付けられていた。鎖の終端には、スピネイルの拳大の錘が取り付けられている。


 スピネイルは鞘の鎖を解く。幾数尺にも渡る長い鎖が垂れ下がって地面を転がった。


 そうしている間にも城壁は近づき、今はもうはっきりと聞こえる投擲物の風切り音に、周囲の者が緊張を示す。


 着弾。西瓜大の火の玉が一千人の歩兵の傍に落下して爆ぜた。


「堪えよ! 投擲用意! ……放て!」


 兵士たちが一斉に槍を城壁の上へ向けて投げ放つ。オークたちと違い、攻城戦に慣れた兵士らの放つ槍は、見事な放物線を描いて胸壁の隙間を狙って落ちた。


 槍の振った一面からの投射攻撃が止んだ。


 そしてスピネイルは、垂らした鎖を頭上で大きく振り回し、壁に向けて投げた。


 拳大の鉄球が風を切り、胸壁の一つに命中し打ち砕いた。


「今だー!」

「おう! 突っ込むぞー!」


 ハイゼ率いる従士隊が怒声を上げて突進、壁面に肉薄する。緻密に組み上げられた壁は手の掛かるところとてなさそうだが、従士たちは懐の手斧を杭代わりに壁へ打ち込み、足掛かりにしようとする。


 だが、ハイゼは違った。


「うおおおおお!」


 壁に向かって大身槍を構えて全力疾走する。その勢いのまま反り返った壁を駆け上る!


(目測して凡そ十七間! いけるか?!)


 鉄靴の底に打たれた鋲が石の壁に食い込む。一足飛びに壁を昇る。が、足りない、足が滑る。


「なんのぉ!」構えていた大身槍を壁に突き刺して足掛かりにする。それでも足りなければ、手斧を抜いて壁に叩きつける。


 鍛え抜かれた巨体が蜻蛉を切って胸壁の間をすり抜けた時、周囲からどよめきが聞こえたことににやりと笑った。


「ふははは! どうだ貴様ら……ぬ、いかん!」


 ここでハイゼははたと気づく。登攀に手持ちの得物を使い尽くしてしまった。


 突然の乱入者に肝をつぶされていた連合軍戦士たちだったが、相手が武器を持ってないことに気付くといきり立って襲い掛かった。


「ええい、この上はこの拳で相手をするか!?」


 徒手空拳を握りしめて身を固めていたハイゼを、壁の下から呼ぶ声があった。


 槍を投げ切って後退した歩兵と入れ替わりに進み出たトゥラクの声だった。


「ハイゼ殿ー! これを使えー!」


 トゥラクは愛用の重槍を投槍の要領で持って投擲する。足元に突き刺さったそれを拾い上げ、ハイゼは構えた。


「これは良い! 悪くない得物だ!」


 普段使っている大身槍を一回り小振りにしたような重槍は、さほど広いとは言えない城壁の上では反って都合が良い。


 ハイゼは遮二無二敵戦士らの中に割り入って槍を振るう。投擲用の手斧くらいしか持ってない連合軍戦士は抗することも出来ず、草を刈るように蹴散らされた。


 そうしている間にも、協力し合いながら登攀を試みていた他の従士たちの一人が胸壁に手を掛け始めた。


「なんぞ呪い壁! このまま攻め落としてくれる!」


「そうはさせん」


 静かな声が反駁した。戦士らに取り巻かれた、やんごとない戦装束の男を背後に控えた異貌の者がそこにいた。


「何奴?」


「名乗るも惜しいわ……かぁ!」


 毒々しい髪の男がかっと口を開くと、閃光と共に拳大の火球が目にも止まらぬ速さで吐き出された。


 ハイゼはそれをモロに受けた。衝撃と熱波に身体が焼ける。


「ぐわああ!」炎に撒かれたハイゼの足元が疎かになる。息が覚束ないのだ。


 異貌の髪の男……ダオ・オーク戦士ウーは立て続けに火球を吐き出し、ハイゼへ叩きこむ。


 そのまま壁際に追い込まれたハイゼは敢え無く足を滑らせ、壁から落ちた。


「筆頭!」

「筆頭が落ちたぞー!」


 壁に取りついていた従士たちの悲痛な声を聞きながら、壁の裾を転がり落ちたハイゼは、地面を転げ回って火を消すとすぐさま立ち上がった。


「おのれい呪い男! 卑怯な手を使う奴だ。だがこれで御相子! 今日はひとまずここまでよ!」


「筆頭!」

「筆頭が生きてるぞー!」


「者ども! 引き上げるぞー!」


 煤けた顔で威勢よく従士たちに命じると、従士たちは立ち直った敵戦士が投射攻撃を再開し始めたこともあり、素直に離脱行動に入った。


 その間、アメンブルク駐留部隊は散発的ながら投槍による攻撃を続けた。


 スピネイルも仕入れたばかりの新武器を試すがごとく、鎖を振るっては投げた。


(流石に投槍の距離からでは遠すぎたな。だが、悪くはない)


「従士隊の引き上げに合わせて後退する!」


 手持ちの投槍の尽きた兵士たちが楯を掲げ、身を守りながら城壁から遠ざかる。


「スピネイル、そろそろ手綱持ってよ」


「……ああ、ごめん。もう大丈夫だよ」鎖を巻きあげてから手綱を受け取ったスピネイルに対し、ヨアレシュは城壁を見上げて言った。


「こっちを見てる……」


「この距離なら攻撃はされないさ」


「違うよ。壁の向こう側から誰かが見てるんだ」


「壁の向こう側?」


「ヤオジンによく似ている何かが……スピネイル、君を見てる」


 本人にもしかと判断できない官能に支配されてヨアレシュは口走る。

 


 リシンは嘗て己の物だった刀の気配が遠ざかっていくのを感じ取った。


「ふむ……退いたか」


「そろそろ薄暮に入る、今夜はもう攻めて来るまい」


 戦場の喧騒が引いていくのを老マタルは感じながら言った。


 間もなく、ウーに守られたマサ・ヘオコが戻って来た。


「リシン殿、マタル殿、ただいま戻った」


「ご苦労だった、マサ殿。ウー、よくぞマサ殿を守った。褒めて遣わす」


「勿体ないお言葉でさぁ! ははっ!」


 熱っぽく受け取りながらウーが平伏する。


「リシン殿、至急族長格を招集し軍議を開こうと思う。よろしいか」


「構わんよ。被害の程を確認したい。我が軍勢はこの城壁を軸に布陣して戦うことを忘れぬようにな」


 マサと老マタルが呼集を始める中で、リシンはウーを傍に寄せ、小声で聞いた。


「居たか?」


「いいえ。ユアン殿らしきオークの姿は、どこにも」


「そうか……ならば、次は余が直接見に行くとしよう」


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