6.美味しいケーキはいかが?
魔導図書館の一日は平穏に過ぎる。ヨム・リードナーは配架――魔導書を棚に戻す作業をしながらも、この平穏がいつまで続くのか、不安で仕方なかった。図書館にある「なにか」とそれを狙う「敵」の存在を知ってしまったからだ。これまでに出会った魔導書のどれとも違う邪悪な魔力。思い出すだけでも嫌な気分になるが、その印象の強さに忘れることができない。
(突発的に暴走する魔導書達も怖いけど、あの魔導書はレベルが違った・・・。魔導書そのものから、『人の邪悪』が伝わってくるような・・・)
配架作業を終えて、受付のカウンターに戻ってきたヨム。椅子に腰掛けて一息つくと、リンクが入り口から走ってくるのが目に入った。手には一冊の本を抱えている。写真集などでよく使われるA4判サイズの本だ。
「先輩先輩!見てくださいこれ!」
「リナちゃん。図書館ではお静かに。走っちゃだめだよ。」
ヨムは少しふくれっ面になり、リンクに対して人差し指を立てて注意する。第三者からみると子供が大人を叱っているようにも見える滑稽な図だが、年齢はヨムの方が上のため、これも立派な後輩指導であるのだが。リンクは、すみませんと一言詫びるとすぐに調子を戻して話を続ける。
「でもついに手に入ったんですよ!あの有名洋菓子店の魔導シェフの一冊!限定品ですよ!」
リンクがヨムに見せてきたのは魔導書だ。タイトルに『極上のケーキをあなたに・・』と書いてあり、表紙にはカットされた美味しそうなショートケーキがアップで写っている。ヨムはそれを見た瞬間、思わず体をカウンターに身を乗り出してリンクの持つ魔導書を羨望の眼差しで見つめる。
「うわぁ!リナちゃん、これどこで手に入れたの!?最近じゃどこの店でも売り切れって話だったけど?」
「結構前から予約していたんですけど、ようやく今日になって届いたんですよ~!先輩と一緒に食べようと思ってたんで安心して下さい!」
リンクは魔導書をカウンターに置き、自分の胸に手を置いてどうだと言わんばかりの表情を見せる。本を入手するのに苦労をしたのだろう。その表情は喜びに満ちていた。
この世界の魔導書には、いくつか種類がある。読む者に知識を与え、将来的にそのものに魔術を会得させるための魔導書。読む者の魔力を一時的に借りて、魔導書自体が魔術を使役する魔導書。一般人にも利用することができる魔導書だけで魔術を完結させることのできる魔導書など、様々な用途に合わせた魔導書が存在した。
リンクが持ってきた魔導書は「ケーキの写真集」でも「ケーキのレシピ」でもなく、「ケーキ」そのものなのだ。
「この作者さん、『自分の料理を自分の手の届かない人にも食べてもらって、幸せな気分になって欲しい。』っていう気持ちから魔術を覚えて、魔導書から自分の作った料理を呼び出す術を手に入れたんだよね。すごいなぁ。」
ヨムは表紙に写ったケーキを眺めながら、よだれが出そうになるのを抑えている。
「もうすぐ休憩時間ですから、そのときに頂きましょう。私は休憩室で紅茶でも淹れておきますね。」
リンクは駆け足で休憩室に向かっていった。その様を再度ヨムが注意したのは言うまでもない。リンクを見送ったヨムは再び椅子に掛け直す。休憩時間まで少し時間があるが、やることはない。配架作業も一通り終わってしまって何をするにしても中途半端な時間だった。
(楽しみだなー。でも休憩まで何をしてようかな・・)
考えるヨムの目には、先程リンクが持ってきた魔導書がカウンターに置きっぱなしになっていることに気づいた。休憩室に持っていくつもりが、興奮して忘れてしまったのだろう。
(リナちゃん、メインの本を忘れて行くなんて・・・。休憩入るときに持っていけばいいかな・・。ちょっとだけ読んでみてもいいよね・・・?)
ヨムは恐る恐る魔導書に手をのばす。その魔導書を手に取ろうとしたとき、魔導書はふわりと浮かび上がって少し離れた1Fのフロアにある本棚に向かって飛んでいく。
「あっ!待って・・!」
思わず本に待ってとお願いしてしまうが、本が待つはずもない。そのまま飛んでいく本をヨムはカウンターを回って出て、追いかけていく。本棚の間を抜けていくと、少し異様な雰囲気を感じた。しかし、嫌な感じはしない。そのまま進んでいくと、本はコトンと地面に落ちた。
「君、わかりやすいね。こんなに簡単に追いかけてくるなんて。」
ヨムの目の前にいたのは、風の中に浮かんでいる小さな少年だった。140cmほどと思える小さな体に、ブラウンのパーマがかかった髪、上品そうなブレザーを着たその少年は図書館の魔導書を読みながらくつろいでおり、ヨムが目の前に来ても読書をやめることはなかった。
「あなたは一体誰?」
質問するヨムに対して、少年は読んでいた本をパタリと閉じる。そして本を手から離すと、本はそのまま宙を浮かんで自ら本棚へと戻っていく。
「ヨム・リードナー。これは試練だよ。今君が抱えている不安を解消したいんだったら、僕と戦って正体を暴いてみせてよ!」
少年は自分の体を宙に浮かせたまま、ヨムに向かって腕を振る。その腕からは、目には見えないが強い風が流れてきた。その風圧にヨムはその場に尻もちをついてしまう。
「風・・・!?私と同じ風使いの魔術師なの?」
ヨムはすぐに自分の周りに風を纏う。両者が起こす風はぶつかりあって、周囲に強烈な風を起こしていた。
「ヨム・リードナー。風の魔装術師。君の魔装術には決定的に《・》か《・》け《・》て《・》い《・》る《・》も《・》の《・》がある。」
宙に浮いていた少年は、ゆっくりと地面に降り立つ。そして、右腕を自分の体の左側から思い切り振り回した。その勢いに乗って、風は鋭い刃のようにヨムへと飛んでいく。
(風刃と同じ類の技・・・?直接受けるのはまずい・・!)
ヨムは自分の目の前に、地面から天井に向けての強烈な風を巻き起こす。それと同時に身をかがめると、少年の放った風の刃は、かがんだヨムのギリギリ上空を抜けていく。体勢を戻したヨムは再び少年のいた方を向くが、そこには既に少年はいない。
「遅いよ。」
一瞬の間にヨムの背後に回っていた少年はヨムに対して再び強風を起こし、ヨムを吹き飛ばす。
「きゃあああああ。」
吹き飛ばされ床に叩きつけられたヨムは、一瞬息ができなくなる。すぐに起き上がり、構え直すも息切れ状態である。風を操る少年。唐突に攻撃される理由。魔装術師の自分に足りないもの。それらを考えて、ヨムの中にひとつの答えが浮かんでいた。
「私のような魔装術師は、自分の周囲の短い範囲にしか魔術を使えない。魔装術において、それは半人前の状態。一人前になるには、あなたのような存在の力が必要ってことでしょう。」
少年の瞳をしっかりと見てヨムは自分の中にある答えを少年にぶつける。
「風の精霊、風狸。それがあなたの正体ね。」
少年はキョトンとした表情でヨムを見つめる。少し間があけて少年はニヤリと笑うと、突如現れた煙に包まれて姿を消す。代わりに現れたのは、風に浮かぶ小さな狸の姿であった。
「ははは、なるほど。魔術自体は強くないが、知識は十二分に持っているってことか。風の精霊というところまでは見抜いてもらいたいと思ってたけど、まさか僕が風狸であることまで当てるとはね。」
風を操る狸。地域によっては妖怪として呼ばれるその存在は、風のように飛び、刃で切ることが叶わず、そしてどんな傷を負おうと風を食すだけで治してしまうと言われていた。
「あなたの狙いは一体・・・?」
警戒するヨムに対し、風狸の方は完全に戦闘体勢を解除している。再び煙に包まれたかと思うと、風狸は少年の姿に戻っていた。ヨムの方へと歩いて寄りながら風狸は話を始める。
「僕は君の師に言われてここに来た。『弟子が職場でピンチらしいから力を借してやってくれ』ってね。この前のウルフェンとの戦闘も見ていたよ。相手が炎とはいえ、あんなに簡単に打ち破られたら魔装術も形無しじゃないか。」
「あなた、師匠の使いだったのね。道理でやり方が意地悪なわけね・・。」
ヨムは肩の力を抜いて警戒を解除した。風狸はヨムの目の前まで来ると右手をヨムの前に出して握手を求める。
「これからは僕が君のパートナーだ。また君の力が成長したときに、僕よりも上位の精霊と契約することにはなると思うけど、それまでは僕が力を借すよ。」
ヨムは、すこしためらいがあったが風狸の手を握り握手に応じる。
「これから、もしかするともっと強い何かが来るかもしれない。私も力が欲しい。これからよろしくね、風狸。」
握手している右手が緑色の優しい光を放つ。気がつくと風狸は目の前から消え、そしてヨムの右手に風の紋が浮かんでいた。
(これで契約は完了だ。使い方は後々覚えていってもらうよ・・。)
頭の中で声がした。先程まで目の前にいた風狸の声だ。契約が完了し、自分が好きなときに力を借してくれる味方ができた。ヨムは突如自分に加わった新しい力に、少し安心感を覚える。
「さて、美味しいケーキが待ってる。行かなくちゃ。」
床に落ちている魔導書を拾い上げ、ヨムは休憩室に向かう。
その足取りは先程までよりも軽く感じた。