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第六話 またの名を猫村ねこ美

 目を覚ますと、いつもなら私が目を開けたと同時に、横でミャーミャー鳴いているはずの、キャラメルの姿が見えないことに気がついた。


「キャラメル?」


 もしかして、ベッドの下に隠れちゃってる? そう思ってお布団から出て、下をのぞきこむ。だけど、そこに茶色い毛玉の姿は無かった。


「どこ行っちゃった?」


 閉まっていたドアを開けて、部屋から顔を出す。私が住んでいるワンルームのアパートと違って、広いお部屋は静まり返っていた。ニャーもミャーも聞こえない。


「……」


 まさか、ベランダの窓から出て、落ちちゃったなんてことはないよね? 小走りでベランダに出る窓まで向かったけど、そこはちゃんと鍵がかかっている。そう言えば、寝床にしているバスケットも無かった。もしかして、具合でも悪くなってお医者さんに連れて行かれた? ウロウロと部屋の中を歩きながら、子猫が隠れそうな場所をのぞきこんでいると、ガチャリと玄関で鍵の開くとドアが開く音がした。そして聞こえてきたのは、キャラメルの泣き声と、静かにしないかと文句を言っている先生の声。


「キャラメル ―――― !!」

「?! どうした?!」


 玄関に走っていって、半泣きで東出(ひがしで)先生に飛びついた。正確には、先生じゃなくてキャラメルに、なんだけど。


「起きたらいないから、窓からベランダに出て、落ちちゃったんじゃないかって心配した!! それか急に具合が悪くなって、病院に連れていかれたとか!!」

「ああ、すまない。ミルクをやる時間が来るたびに、君が起きていたら養生ができないだろうと、俺が居ない間は、友人の家で預かってもらっていたんだ。ここに連れてきた翌日からそうしていたんだが、気がつかなかったのか?」

「……」


 全然そんなこと気がつかなかった。正直言って、先生のお宅にお邪魔した日のことさえ、はっきりとは覚えていないのだ。キャラメルにミルクを飲まさなきゃって、頑張っていたつもりなんだけど、それも、私の頭の中だけでの出来事だったみたい。


「その様子からして、まったく気がついていなかったようだな。しかし、それだけ大騒ぎして飛びついてきたところを見ると、薬が効いて体調は良いということか」

「お薬?」

「それも覚えていないのか。まあ、覚えていない方が良いかもしれないな、お互いに」

「どういうことですか?」


 意味深な言葉に首をかしげる。


「いや、覚えていないなら良いんだ。で、いい加減に離れてくれないと、グミが潰れるぞ」


 グミ? もしかしてキャラメルのこと?


「だから、この子の名前はキャラメルですってば!」

「俺がグミと呼べば返事をする」

「ちょっと、変な名前を憶えさせないでー!」


 東出先生に抱かれていたキャラメルを引き受けると、先生から離れた。


「名前はキャラメルだからね? 変な名前を呼ばれても返事しちゃ駄目だよ?」

「グミのどこが変なんだ。キャラメルと大して変わらんだろうに」

「大違いですー!」

「とにかく部屋に戻れ。まだ完治していないのに、フラフラ歩き回っていたらぶり返すぞ。そいつの預かり先のこともちゃんと話してやるから、ベッドに戻れ」

「……」


 ジトーッと先生を睨んだら、溜め息をつかれてしまった。


「……キャラメルと一緒にベッドに戻れ」


 ブツブツとグミのどこがいけないんだと言いながら、先生は私が使わせてもらっている部屋の、向かい側の部屋に入っていった。


「……グミだなんて」


 その言葉に反応したのか、キャラメルがミャーと鳴いた。


「君の名前はキャラメルです、分かった?」


 さらに返事をするようにミャーと鳴く。本当に分かっているのかな……。


 ベッドで座ってキャラメルに話しかけていると、着替えた先生が、コーヒーとお茶の入ったマグカップを持って部屋に入ってきた。お茶のマグカップをベッドサイドに置くと、窓際に置いてある椅子を引っ張ってきて、ベッドの横に座った。その顔は間違いなくお医者さんの顔だ。


「どうだ気分は」

「随分と良くなりました。っていうか、ここ最近のことあまり覚えてなくて」

「だろうな。かなりの高熱だった。川の水を飲んだせいで、変な感染症にでもかかったんじゃないかと心配していたんだが、それは無かったから安心しろ」


 そう言えば、最初に病院に運び込まれた時に、気分が悪くなったら病院に行くようにって言われたっけ。もしかして、そのことだったのかな?


「で、キャラメルは今まで何処に?」

「病院の同僚で、猫を飼っているヤツがいるんだ。今は春休みで子供達も家にいるから、俺達が仕事をしている間は彼等に猫の世話を頼んでいた。まあ世話をしていたのは、もっぱらそこの猫だったらしいんだがな」


 そう言って先生は肩をすくめた。


「そうなんですか……全然気がつかなかったです」

「みたいだな」

「あの、先生?」

「なんだ」

「私、いつになったら退院できますか? そろそろ次の仕事が入ってくるから、いつまでもこちらでお世話になっては、いられないんですけど」


 自分とキャラメルの食い扶持は稼がなきゃいけない。多少の貯金はあるけど、それは使っちゃったらおしまいだし。


「あー、仕事な。そう言えば、携帯に何度かかかってきたぞ。光栄(こうえい)出版の犬養(いぬかい)って人から」

「え?! それで?!」


 まさか病人だからって、仕事をキャンセルとかしていないよね?!


「まさか君が、猫村(ねこむら)ねこ美だったとはな」

「え?!」


 なんで知ってるの?!


「同封してあった別口のイラストがなかなか好評だから、シリーズで描かないかって言っていたぞ。イラストって何を描いたんだ? 次の号に載せるとか言ってたな」

「えええ?!」


 そんなことまで、犬養さんと喋っちゃったの?!


「まあそれは横に置いておいてだ、俺としては、もうしばらくここにいてもらった方が、安心なんだがな。もう少し経過観察もしておきたいし。ここでも仕事はできるんだろ? なんなら、君の家に行って、仕事道具一式を持ってくるが?」

「あー、えー……?」


 どう答えたら良いのか分からなくて困っていたら、先生が急に怖い顔になった。


「なんだ、イヤなのか」

「イヤとかそういうことじゃなくて、いつまでもここにいたら、先生の御迷惑では?が先に来ました」

「だから、経過観察のためにいてくれと言っただろう。それとだ、どうせ俺は仕事でほとんど自宅にはいないんだ。気にすることはない。医者つきのホテルにでも泊まっていると、思っておけば良いんじゃないか? まあホテルと違って、飯は大したものは食わせてやれないが」


 ここしばらくは食欲もなくて、おかゆばっかり食べていた気はするんだけど、もしかして、あれも先生が作ったってことなのかな? ……こう言っちゃなんだけど、先生が台所に立つ姿なんて想像つかないよ。


「あの、先生……」

「なんだ?」

「そのイラストのことなんですけどね、今回の件、描いても良いですか?」

「は?」


 訳が分からんと言った顔をして、私を見詰める先生。


「だから、犬養さんに送ったのは、キャラメルと先生のイラストなんです。で、もし良ければ、キャラメルを助けた時の経緯を描けたらなって……」

「俺まで描いたのか」

「だって、キャラメルを抱っこしている先生が、絵になってるなーって思ったからつい……ごめんなさい」

「まあ、特定されない程度ならかまわんが……」


 それは非常に難しいんじゃないかなって思う。


「身近な人には分かっちゃうかも……」

「何でだ」

「えっと……その……似顔絵っぽいので」


 あ、先生がうなだれてしまった。どうしよう……やっぱりダメかな? あ、じゃあ少し顔を変えれば問題ないよね? 子猫と強面(こわもて)の男の人の構図は、なかなか素敵だったんだけどなあ……。あ、強面(こわもて)はそのままにしておいても問題ないかな。


「明日、君の家に寄って、商売道具を持ってこよう。なにが必要なものがあれば、何処にあるかメモ書きにしておいてくれ。ああ、知り合いの子供を連れていく。高校生の女の子だ、あれこれ触らせるなら、まだ同性の方が良いだろう」


 それから、少しだけ何か考え込むように首をかしげた。


「あいつの家でもあの雑誌を買っていたな……君が猫村って分かったら大騒ぎになりそうだ」

「そんな大したもの描いてないんですよ。ペット雑誌のイラストと、ちょっとしたコラムを兼ねた漫画ですから」


 ペット雑誌が注目されるようになったのは、最近になってからのことだし、漫画雑誌に比べれば、知名度は物凄く低い。その中の一刊で、ちまちまと描いている猫田ねこ美のことを知っている人なんて、ごくわずかだ。


「それは描ける者の言い分だろう。あの手のイラストや漫画を描けない者からすれば、大騒ぎものだ。現に俺も驚いた。だが、あれだけで食っていけるわけじゃないんだろ?」

「まあ他に色々と描いてます。えり好みしていられるほど、売れてるわけじゃないので」


 自分の描きたいものだけを描いて、それで暮らしていけたら良いなとは思うけど、それは夢のまた夢ってやつで、現実はなかなか厳しいのだ。


「だったら、尚更ここにいれば良いじゃないか。少なくとも、数日間の一人と一匹分の食費は浮く」

「でも……」

「これでも高給取りなんだ。忙しすぎて使うヒマなんて無いから、貯まっていく一方だけどな。というわけで、話は決まった。今日は何か食べられそうか?」

「……うーん……あそこの和風ガパオライスが食べたいです」


 私の返事に先生は苦笑いをした。


「元気になった途端に、無茶ぶりをしてきたな……さて、材料がそろえば良いんだが」

「え、本当に作れるの?!」

「男が料理を作れないなんていうのは、古い考えだぞ、猫村さん」


 ニヤリと笑うと先生は椅子から立ち上がり、できたら呼ぶからそれまでグミと遊んでいろと言い残して、部屋を出ていった。


「グミじゃないって言ってるのに……!!」


 私とキャラメルの居候生活は、もう少し続きそうだ。

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