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第三話 ちょっと早すぎる再会

 とにかく、帰ってからはやることが色々とありすぎて、今の私はちょっとしたパニック状態だ。


 子猫のために、あれこれを揃えることもだけど、その前に、水浸しになったバッグの中身を、なんとかしなくちゃいけない。当然のことながら、中に入っていたお財布も携帯電話も使い物にならなくなっていた。そしてバッグも、水を吸って表面がもろもろになってしまい、使い物にならなくなってしまっている。


「もう、このバッグは使えないよね……」


 きっと乾かしても、泥臭い匂いで使えたもんじゃないだろうなあと溜め息をつく。これも、靴と同様に気に入っていたのに……無念。


「バッグって、お洗濯できるかな……」


 未練たらしくそんなことを呟きながら、空腹を訴え始めた子猫にミルクを与え、まずは、お財布の中身を確認してみることにした。プラスチックのキャッシュカードは大丈夫そうだけど、パン屋さんや、行きつけのファミレス等の紙製のポイントカードは全滅。コツコツとポイントを集めていたのでガッカリだ。


「あと5ポイントで300円引きだったのにー……」


 スタンプのにじんだパン屋さんのポイントカードを見詰めながら、出るのはそんな言葉と溜め息ばかり、重ね重ね無念だ……。 


「お札は乾かして持っていったら、銀行で交換してもらえるよね……」


 日当たりの良い南側のガラス窓に、お財布から取り出したお札をペタリペタリと貼りつけていく。最後の一枚を貼りつけたところで、ベランダに洗濯物を干しに出てきた、お向かいの奥さんと目が合ってしまった。目が合っちゃったことだし、無視するわけにもいかないので、挨拶がてらに窓を開けた。奥さんは、不思議そうな顔をしてこっちを見ている。


「おはようございます」

「どうしたの? ガラス窓で障子はりって、わけじゃないわよね?」


 そう言って、窓に貼りつけたお札を指さす奥さん。


「カバンを川に落としちゃって、お札を乾かしているところなんです。銀行で交換してもらうにしても、ビショビショのままでは、相手も困るだろうと思って」

「他のものは大丈夫だったの?」

「携帯電話がお亡くなりに……」

「あらあら。だけど、カバンだけですんで良かったわね。桜川、この前の雨でまだ水位が高いでしょ? 溺れなくて良かったじゃない」

「そうでね……」


 溺れてはいないけど、子猫と一緒に、しっかり流されちゃいましたとはとても言えない……。


「じゃあ、携帯電話を買い替えに行くのでこれで」

「元気出してね」

「はい」


 そう言って顔を引っ込めると、窓を閉めた。そうなんだよ、お金のこともだけど、携帯電話を早くなんとかしなきゃ。我が家には固定電話が無いから、今のままだと誰とも連絡が取れなくて、行方不明か行き倒れになっているかと思われちゃう。


「っと、その前にお風呂……」


 子猫が寝ている間に、お風呂に入って綺麗にして、他のバッグに、予備のお財布とカードを入れて出掛ける準備……途中で銀行に寄って、キャッシュカードでお金を下ろして携帯電話のショップに行く……と頭の中でやることを整理しながら、行動に移した。


 途中で子猫が鳴くので、準備をとめてミルクをやったりしていたら、あっと言う間に昼すぎになってしまった。鏡を出してメイクをしていると、いつの間にか、箱の中から子猫がヒョッコリと顔を出して、こっちを見ていた。


「この子も、一緒に連れて行ったほうが良いかな。まだお留守番は、できないものね」


 一時間ぐらいなら問題なさそうだけど、初めてのところで一匹だけ残して出掛けるのも可哀想だし、連れて行くことにする。


「たしかこの辺に、小さなバスケットがあったはずなんだけどな……あった」


 クローゼットにしまいこんであった、小さなバスケット。普段は、お裁縫道具や小物を入れておくためのものだけど、小さな子猫ぐらいなら入りそうだ。タオルを敷いて、お湯を入れたペットボトルをタオルで包んだものを、子猫と一緒に入れた。


「ちょっと狭いけど、我慢してね。銀行と携帯ショップに行くだけだから。あ、それと君のご飯とトイレも、なんとかしなくちゃね」


 ミャーミャーと鳴いている子猫を撫でてから、バスケットの蓋を閉めて、留め金をかけた。



+++++



 キャッシュカードは問題なく使えた。これが使えなくなったら、さらに面倒なことになっていたから、本当にラッキーだった。あとのものは、お金さえあればなんとかなるものだったし、とにかく一安心。


 そして携帯電話は、予想通りお亡くなりになっていて、中に入っていたメモリーも、綺麗さっぱり洗い流されてしまっていた。でも、今までほったらかしにして貯まるに任せていたポイントのお蔭で、意外と新しい携帯電話はお安くで済んだ。塵も積もれば山となるってやつで、ほんと、ポイントって偉大だと思った瞬間だった。


 それから、おろしたお金を持って、さっそく子猫のためのエサとトイレ、それから猫砂を買いに、最寄り駅にある駅ビル内のペットショップに立ち寄る。猫砂に関してはかなり重たくて、片手にバッグと子猫のバスケットで、どうやって持ち帰ろうか悩んでいたら、お店の人が夜になっても良ければって条件付きで、配達してくれることになった。


「凄いね、こんなサービスをしてもらえるなんて、もしかして君は福を招く猫かも?」

「おい」


 バスケット越しに鳴いている猫に、そんなことを話しかけながら歩道橋の階段を上がろうとしたところで、声をかけられた。


「?」


 こんなところでナンパなんて珍しいなと思いつつ、女の子をナンパするのに「おい」ってのもどうなの?と振り返ると、見たことのある顔の男の人が立っていた。


「あ、東出(ひがしで)先生」

「こんなところで、なにをしている」

「なにをって、携帯電話を買い替えるのと、猫ちゃんのものを買いに、駅ビルのペットショップに来たんですよ」

「その猫はどうした、置いてきたのか?」

「御心配なく。ここにいますよ、ほら」


 ミャーミャーと鳴き声をあげているバスケットを持ち上げる。


「短時間とは言え、一匹でお留守番させるのは可哀想ですし。あ、そうだ。お借りしていたタクシー代、せっかくここで会えたんだから、お返しします。えーと、ですね、あ、これを持っててください」


 東出先生に子猫入りのバスケットを押しつけて、バッグの中からお財布を引っ張り出す。


「私、駅向こうなんで、あんなに渡してもらわなくても良かったのに」

「カバンが水浸しになっていたんだ、財布も中身も使い物にならなかっただろう。あれだけあれば、しばらくは人間も猫も、飢えることもないだろうと考えたんだが」

「だからって、三万円も見ず知らずの人間に渡しますか? タクシーの運転手さんも、どんだけ遠いところに住んでいるのかと思ったよって、笑ってましたよ?」


 お財布を出してお札を出そうとしたところで、先生が私の手をつかんだ。


「待て待て。こんなところで金のやり取りなんて、あやしすぎる。せめて、どこか店に入るなりしてから渡してくれ」


 そう言って先生が顎をクイッとした先には、派出所があってお巡りさんが立っていた。


「そうですか? 別にお借りしたお金を返すんだから、あやしまれることなんて無いと思いますけど」

「いや、どう考えてもあやしいから」


 そうかなあ……。


「だけど、ペット同伴で入れるお店なんて、この辺には……」

「ある」

「え?!」

「あっちの大通りから少し入った場所に、夕方から深夜にかけてやってるカフェなんだが、よく近所の人が、犬の散歩の途中で立ち寄る店なんだ。今の時間なら、もうオープンしているだろう」

「知らなかったです。詳しいですね」

「仕事で遅くなった時、そこに立ち寄ることがあるんだ。行くぞ」


 そう言って、東出先生はバスケットを片手に持ったまま、スタスタと歩道橋の階段を上っていく。お財布をバッグに押し込むと、慌てて先生の後を追った。


「先生、もしかして近所なんですか?」

「ああ」

「ってことは、私とも御近所?」

「君が何処に住んでいるかは知らんが、駅向こうってことは、そう遠くはないんだろうな」

「へえ、奇遇ですね~~」

「そうだな」


 それから“ん?”となった。


「あれ? 先生、今日のお仕事は、もう終わりなんですか?」

「当直で朝までの勤務だった」

「へえ……」


 うなずきながら、さらに“あれ?”と首をかしげる。朝までなのに、今まで病院にいたってこと? 今はもう夕方近いよね? もしかして、あの控室とかいう部屋で寝ていたとか?


「朝までと言っても、すぐに帰ることができるわけじゃないんだ。急患が運び込まれれば、対応しなくちゃならん」

「お医者さんって大変なんですね……」


 横断歩道を渡って、小さな商業ビルのある角を曲がって進むと、そこには洒落たカフェがあった。お店の入口に『ペット同伴可』の看板が立て掛けてある。


「こんな場所に、こんな素敵なお店があるなんて、知らなかったです」

「腹は減ってないか?」


 いきなりの質問に、首をかしげて先生を見上げた。


「私ですか?」

「そうだ。あれからちゃんと飯は食ったのか?」

「あ、えーと……」


 そう言えば、バタバタしていてなにも口にしていないことに気がついた。気がついてしまうと体っていうのは正直なもので、猛烈な空腹感が襲い掛かってきた。つまり簡単に言うと、お腹の虫が騒ぎ出したってこと。そんな私を見て先生が微かに笑った、ような気がした、笑ったんだと思う、多分、恐らく、気のせいでなければ。


「食ってないんだな。じゃあここで食っていけ」


 そう言うと私の答えを待たず、ドアを開けてお店に入ってしまったので、慌ててその後に続いた。

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