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私の主治医さん - 二人と一匹物語 -  作者: 鏡野ゆう
本編

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第二十九話 結婚した後も通常運転

「恵、あまり長い時間椅子に座ったままだと足が浮腫むんじゃないのか?」

「ニャー」

「大丈夫だよ、椅子の上で座る姿勢は頻繁に変えてるから。さっきまでは正座していて足が痺れる前にってのばしたところなんだから」

「そんな狭いところで正座なんかして座り直す時に転がり落ちたりしたらどうするんだ」

「ニャーニャー!」

「慣れてるから平気だって~」

「普段とは違う体なんだ、もう少し気をつけないと駄目だろう」

「ニャーニャーニャー!!」


 もう朝から一人と一匹が口煩くあれこれ言ってくるから仕事がはかどらないよ!


「もう! 先生もキャラメルも朝からうるさいの! カラーのお仕事をしてる時は手を止めたくないから声をかけないでって言ってるでしょ!! あっ!!」


 紙の上にポタリと赤いインキが落ちた。しかも色を塗り終えたばかりのチャトラの毛並みのど真ん中に!!


「あ、あ、あ、あ、あーーーっ!!」

「……」

「……ニャー」


 せっかく……せっかく綺麗な毛並みが表現できたと思ったのに……。


「もう今回のキャラメルは赤斑点つけたまま入稿だからね! あっちで二人とも反省してなさい!」

「すまん」

「ニャー……」


 先生とキャラメルがすごすごと部屋を出て行ったのを確かめてから目の前の原稿を見下ろした。せっかく綺麗なキャラメルの毛並みが表現できたと喜んでいたのに……無念だ。ティッシュでインクを吸い取りながら溜め息。集中力が切れちゃったよ……。


「今日の仕事はもうやめた!」


 修正するにしても完全に乾くまでは触れないし、もう今日はイラストを描くのはストップしておいた方が良いかもしれない。


「お茶でも飲んでこよ……」


 椅子から降りるとお茶を煎れにキッチンへと足を運んだ。先生とキャラメルはリビングのソファでしょんぼりと座って……キャラメルと猫じゃらしで遊んでいるところを見ると反省してないんじゃ?


「先生、お茶を煎れるけど飲む?」


 私が声をかけると先生が振り返った。


「俺が煎れよう」


 またそうやって私がすることを取り上げようとするんだから!


「もう、そんなにあれこれしてくれなくても平気だって。先生はお医者さんなんだからそんなことは私よりも分かってるでしょ?」

「平気なことも分かっているし危険性も良く分かっている」


 そう言うと立ち上がってこっちへとやって来た。


「今からそんなんじゃ先が思いやられるよ。ストレスが良くないことは知ってるでしょ?」

「俺が構うことがストレスなのか?」

「そうじゃないけどさあ……」

「だったら黙ってかしずかれていたら良いじゃないか」

「ニャーニャー」


 先生の後ろからついてきたキャラメルがカウンターに飛び乗ると先生に同意するように鳴いている。


「キャラメル、そこに乗ったらダメって言わなかったっけ? 髙いところに行きたいならキャットタワーでしょ?」

「ニャー!」

「まったくもう……」


 先生とキャラメルが私に対して口煩くあれこれ指図するようになった原因は、数日前に私のお腹に赤ちゃんがいることが分かったから。先生にとっては娘か息子、キャラメルにとっては妹か弟、または子分かってところかな、とにかく妊娠が分かってからはご覧のとおりの有り様だ。


 新婚旅行に行った時に赤ちゃんが来てくれたら良いね~なんて話していたんだけど思いのほか早く赤ちゃんは私達の家にやってきてくれた。いつかって? そりゃもう、タイミング的には結婚式の当日しか有り得ない。


 あの日、先生が帰ってきたのはやっぱり日付が変わる直前だった。



+++++



 玄関でガチャリという音がしてドアが開く気配がした。


「お帰り~、お疲れ様~」


 玄関ホールの明かりをつけると先生がちょっと疲れた顔をして立っていた。


「もっと遅くなるんじゃないかなって思ってたよ」

「ああ、俺ももう少し患者の様子を見ているつもりだったんだがな。理事長に追い出された」

「あららー……」


 先生の性格からして自分が診た患者の容体が落ち着くまでは病院に留まるつもりだろうって思っていたから、テレビのニュースで流れた事故現場の映像を見ていたら今日は午前様かな……なんて思ってたんだ。


「理事長先生に言われたら先生も大人しく従うしかないよね」

「あの人、帰るのを渋ったら泣くからな……」

「え、泣いちゃったの?!」

「ウソ泣きだって分かってるんだが、その芝居がかった泣き真似に全員がノリノリなんだよな困ったことに」

「つまりは救命救急の人達全員に追い出されちゃったってこと?」

「いや、あの場に居合わせた医者と看護師の全員にだ」


 つまりは数の暴力ってやつに押し切られちゃったのね。さすがの先生も多勢に無勢だったわけだ。


 結婚式当日に花嫁さんを残してくるなんて幾らなんでも酷過ぎると看護師さん達に言われ続け、更にはそんな状態で君を帰さなかったら僕が他のスタッフに嫌われて病院経営が立ち行かなくなるよと理事長先生が泣いちゃったんだって(ここが問題の泣き真似の部分)。そこまで言われたら帰るしかなくて渋々病院を後にしたらしい。


「そうだったの。でも緊急事態の時にそうやって皆で気を遣ってくれなんて感謝しなくちゃいけないんじゃない?」

「そうなんだろうな、心なしか全員が芝居がかっていたが」

「またそんなこと言っちゃって。あ、お腹空いたでしょ? 夜食の準備してあるから着替えてきて」

「ああ」


 そう言って先生は寝室へと入っていった。


 先生が着替えている間に私は用意してあったものをテーブルに並べて御飯の用意をする。こういう時の先生の夜食は出汁茶漬けって決まってるんだよね。もっとお洒落なものが良くない?って聞いても先生は前からそれだから今までどおりの方で頼むって言われたのね。その代わりトッピングに関しては私の好きにさせてくれているんだけど。


 だから今夜はおめでたいの鯛で鯛の出汁茶漬けなのだ。着替えてこっちに出てきた先生も直ぐに分かったみたいで、おめでたいの鯛かと笑った。


「だって二次会も出そびれちゃったでしょ? だったら夜食ぐらいはおめでたいものを加えなきゃって思ったの」

「わざわざ買いに行ったのか?」

「前に病院の近くのお魚屋さんが新鮮で美味しい魚を揃えているって西入先生の奥さんから聞いてね。買ったのを冷凍しておいたの」

「なるほどね。じゃあ有り難くいただきます」

「どうぞ~」


 先生がご飯を食べている間に私の分もお茶を煎れて椅子に座る。


「今日はすまなかったな」

「んー? 仕方がないよ、誰も事故を起こしたくて起こしている訳じゃないんだしさ。ニュースでやってたけど怪我人、たくさん出たみたいだね」

「うちと他に何箇所かの病院に分けて搬送されたからまだましだったと思う。事故現場がもっとこっち寄りだったら大変なことになっていただろうな」


 その後はテーブルに出したお漬物を摘まんでポリポリしながら今夜の二次会の様子を話してあげた。私の友達からは随分と薄情だって言われてたからムカついちゃったよって言ったら先生はすまなかったなって言いながら気の毒そうに笑った。


「私のことを気の毒がらなくても良いんだよ、気の毒なのは先生の方でしょ? その代わりに先生がいかに白衣が似合って素敵かっていうのを延々と自慢してあげたからね!」


 先生は今度は愉快そうに笑った。


「まあ確かに今日のことは反省しているよ。俺は残るべきだったかもな」

「そんなことないって。残っても先生のことだから落ち着かなかったんじゃない?」

「まあそうかもしれない。だがちゃんと埋め合わせはするから」

「別にそんなこと気にしなくても構わないのに」


 もしかして何処かで家族で改めてお祝いのお食事会でもするのかな?


「今夜からちゃんと新婚らしくする」

「今夜から?」

「だってそうだろ、今夜は初夜ってやつだぞ?」

「しょ、初夜?!」


 先生の口から意外な言葉が飛び出してびっくり。


「新妻の為に頑張るよ」

「が、頑張る……?!」


 そ、そりゃ昔ほどではないにしろ、結婚初夜っていうのはそれなりに意味があるかもしれないけどそこまで頑張らなくても良いんじゃないの?と思ったわけで……。


「あのさ、別に疲れてるんだから頑張らなくても良いんじゃないかな……?」

「誰が疲れていると言った?」

「え?」


 こんな時間まで患者さんの治療をしていたら普通は疲れない?


「このぐらいの勤務は普通だぞ? 恵と暮らすようになってからは少なくなったが」

「……そうなの?」


 そう言えばそんなこと言ってたっけ?


 そういう訳で、私達が夫婦になって初めての夜は新婚らしくすると宣言した先生がとんでもなく野獣だったせいで大変でしたとしか言いようのない夜になっちゃいました。


 ま、これもきっとそのうち何かのネタに……なるわけないじゃない!!



+++++



「恵、顔が赤いぞ? 熱でもあるんじゃないか?」


 先生が心配そうな顔をしておでこに手を当ててきた。


「なんでもないよ」

「なら良いんだけどな」


 初めての夜のことを思い出して顔が赤くなったなんて言える訳ないじゃない。あ、だけど先生の口元が変な形でフニフニしているところを見ると、何も言わないだけで察しているのかも。


「なんでもないんだからね!」

「分かった分かった」


 そう言いながら先生がマグカップを差し出してきた。


「熱いから気を付けてな」

「ありがとう」


 ニヤニヤしている先生には気が付かないふりをしてマグカップを受け取ると、フーフーしながらお茶を一口。うーん、やっぱりカフェインレスのお茶は物足りない。


「先生、やっぱり普通の紅茶が飲みたい」

「それを飲むって決めたのは俺じゃなくて恵だろ?」


 俺は別に何も言ってないだろって先生が首を傾げながら言った。


「そうなんだけど、まさかこんなに味が違うなんて思ってなくてさあ……」

「じゃあ明日からは普通のに戻すか?」

「うん。そんなにたくさん飲むわけじゃないからいつもの紅茶に戻すよ。飲む量を減らしてでも美味しい紅茶が飲みたいもの」

「美味くないものを我慢して飲むストレスよりも適量を飲む方が良いだろうな。但し飲み過ぎは厳禁だぞ?」

「ニャー!」


 不思議なことに、キャラメルは先生が私に対して何かしら注意事項らしきことを言うとそれが分かるらしく、必ずこうやって会話に参加してくるようになった。


「お茶を飲む量が増えるのは締め切り間際だけだから」

「新しい仕事が来て張り切るのは良いがほどほどにな」

「ニャーニャー」

「もう、二人とも過保護すぎるよ……」


 その言葉に先生は心外だって顔をした。


「なに言ってるんだ、初めての妊娠なんだぞ、医者の俺があれこれ注意しないと恵は分からないだろ」

「ニャーーー!」


 そうだそうだと言わんばかりのキャラメル。


「キャラメルはお医者さんじゃないでしょ?」

「ニャーーーーーッ!!」


 お、怒ってる……。


「キャラメルには動物の本能ってやつがあるんだ。野生の本能は侮れないぞ。なあ、キャラメル」

「ニャーニャーニャーーーッ!!」


 完全に一人と一匹が意気投合しちゃってるよ……。


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