第二十五話 貴方の呼び方
「ところで恵ちゃんは、いつまで克俊君のことを、先生って呼び続けるつもりなの?」
本日二着目のドレスを試着をしている時、イスに座っていた、秀俊お義兄さんの奥さんの香津美さんが尋ねてきた。
式場が決まってウエディングドレスを選ぶことになった時に、なかなか時間が取れない先生の代わりにと、同伴を買って出てくれたのは二人のお義姉さん達だった。お義姉さん達曰く、男どもにドレスのセンスを期待しちゃダメってことらしい。そして同行できないうちのお母さんには、写真を撮ってメールでリアルタイムで報告ってことになっている。
「先生って呼ぶの、おかしいですか?」
「おかしくはないけど他人行儀な感じがしない? ねえ、穂香ちゃん?」
そう言いながら、隣に座っていた俊哉お義兄さんの奥さんに同意を求めている。最初に会った時から先生って呼んでいるから、いまさら別の呼び方にするのも変な感じがするんだけど、考えてみたら変かな……?
「婚約もしたことだし、そろそろ名前で呼んであげたら? 先生呼びは、職場でイヤって言うほどされているだろうから」
「そうですか……じゃあ今日から名前で呼んでもいいか尋ねてみますね」
克俊さんって呼ぶの? なんだか言い慣れてないから呼びにくそうだなあ……。そんなことを考えていたら、お義姉さん二人が興味深そうな顔をして、こっちを見ているのに気がついた。その顔つきからして、ドレスを見ているわけじゃなさそうだ。
「どうかしました?」
「デレてないなあと思って」
「うん、デレてないわね」
「???」
お義姉さん達が言っていることが分からなくて、首をかしげてしまう。
「初めて相手のことを名前で呼ぶ時って、少なからず照れちゃうと思うんだけど、恵ちゃんはそれがないなあって」
「恵ちゃんが照れながら克俊君のことを名前を呼んで、それを聞いた克俊君が悶絶して、その辺を転げ回るのを期待しているんだけどなあ」
「そうそう。恵ちゃんが可愛すぎて、克俊君が萌え転がるところを見たいわよね」
「お義姉さん達、いったいなに何を期待しているんですか……」
「「そりゃあ克俊君が年甲斐もなく、デレて転げ回るところに決まってるじゃない」」
「……」
ねー?と二人で仲良くうなづきあっている。
お義姉さん達曰く、先生ってお義姉さん達が初めて会った時から、何処か達観したようなところがあって、良くいえばクールなドクター、悪くいえば可愛げがない無愛想な人、そんな感じだったらしい。そんな義弟に彼女ができて、さらには結婚すると言うことで、どんなふうに変わるのか、物凄く楽しみにしているらしかった。
「でも、お義兄さん達の前では普通に弟っぽいですよ? クールとか不愛想って感じじゃないと思うんですけど……」
「それは分かってるわよ。だけど、私達が見たいなのはそういうのじゃなくて、デレデレする克俊君なの。家では恵ちゃんの前でデレデレしてる?」
香津美お義姉さんの質問にちょっと考えてみる。
「デレデレはしませんねえ……っていうか、そういうのが似合わない感じですし」
それにデレてる先生なんて、想像がつかないな。
「じゃあいつもはどんな感じなの?」
「えーっと……そこそこ偉そう?」
それだってきっと初対面の時が医者と患者だったからで、それ以降もそんな感じが続いているのは、先生が私よりずっと年上だからだと思う。
「恵ちゃんは克俊君に甘えたりしないの?」
「え……甘えるのは私よりもキャラメルの方が上手だし……我が家の甘え担当はキャラメルなので……」
もちろんキャラメルは先生にだけではなく、私にもしっかりと甘えている。
二着目のドレスをきちんと着終えたので、先生がデレる話は取り敢えず中断して、穂香お義姉さんが私の携帯で写真を撮ると、それをお母さんにメールに添付して送ってくれた。
「さっきのより、こっちの方が恵ちゃんらしいわよね」
「そうね。同じプリンセスラインでも、可愛いデザインよりこっちのシックな感じのほうが、似合ってるわね。恵ちゃんはどう思う?」
「えっと、きっきのも素敵でしたけど、私もこっちのほうが好きかな……」
最初のドレスは、いかにも女の子が思い描くようなウエディングドレスだった。だけど私の好みとしては、ヒラヒラフワフワよりも、こっちの刺繍が綺麗なドレスが良いかな。三人で話していると、お母さんからメールが届いた。お母さんもさっきのよりこっちが気に入ったみたいだ。
「じゃあ、あとはAラインのこっちと、スレンダーラインのこっちのを試してみましょうか」
三人で選んだドレスの、三着目を試着することになった。
こういうのって、たしかに男の人には不向きかもしれない。先生はそこそこ我慢強いから、試着には付き合ってくれそうだけど、ドレスのデザインに関しては、どれも似合ってるから恵の一番気に入ったヤツにしろとか言いそうだし。やっぱりお義姉さん達に一緒に来てもらって良かったかも。
「お義姉さん達がドレスを選んだ時は、お義兄さん達はどうしてたんですか?」
「うちは聞き込みのために関西に言ってたわね」
「うちは航海訓練に出ていて、何処かの海の上だったかな」
「……なるほど」
さすが東出家男子とその奥さんになった人達だ、普通と一味も二味も違うね……。
+++++
「それで? ドレスは決まったのか?」
「うん」
試着したドレスはどれも素敵なものだったけど、ベールとの組み合わせを試してみた結果、二着目のドレスに決定した。
「式までは、お義姉さん達とお母さんと私だけの秘密ってことになったから、当日を楽しみにしていてね」
「見せてもらえないのか」
先生はちょっと残念そうな顔をした。
「うん。ほら、結婚式の前に花嫁姿を見ると不吉ってやつ? 日本ではあまり関係ないかもしれないけど、ゲンを担ぎってやつだから」
「そうか。じゃあ、当日まで我慢するしかないな」
お医者さんって現実重視で、そういうことは信じてないって思いがちだけど、実のところ意外とゲン担ぎな一面を持っている人が多い。西入先生は、大きな手術がある時は必ず決まった腕時計ををはめて、家を出る時に必ずモンブランちゃんの尻尾をモフモフして出てくるらしい。
うちの先生は、前もって決まった手術があるわけじゃないから、そういうゲンぎをすることはないみたいだけど、周囲にそういう先生が多いせいか、意外とこの手のことには寛容なのだ。
「それでね、お義姉さん達とあれこれ喋っていた時に出た話なんだけど、そろそろ先生のことを、名前で呼んであげたらどうだって話になったの」
私の言葉に先生は目を丸くして、テレビをつけようとしていたリモコンを持つ手が止まった。
「どう思う? 先生は、先生って呼ばれたほうが良い? それとも名前で呼ばれた方が良い? お義姉さん達は、先生のことを克俊君って呼んでるよね」
「いったい三人でなにの話をしてたんだ……」
「んー、女の子同士の話ってやつかな」
お義姉さん達とは年がかなり離れているけど、意外と楽しかったよ。今度はゆっくりお茶しましょうねって約束したし。うん、実は明日、お義姉さん達がここに遊びに来るんだよね、先生には内緒にしてるけど。
「どう思う? ここはやっぱり、克俊さんって呼んだほうが良い?」
「……」
なぜか先生が、その場で固まってしまった。
「せんせー? もしもしー?」
「……恵」
「なにー?」
「風呂に入ってくる」
「はい?」
この時間は、某国営放送の特集を観るんじゃなかったの? それを観るために、テレビをつけようとしてリモコンを持ったんだよね? ってか先生、リモコンを持ったまま何処に行くの? ほら、キャラメルだって、先生の膝に乗って寛ごうとソファで待ってるよ?
「先生、お風呂はいいけど、リモコンまで待っていかないで!」
慌てて後を追うと、いきなり立ち止まって振り返って、リモコンを押し付けてきた。
「ねえ、それでどっちが良いの? 先生? それとも克俊さん? どっちー?」
その問い掛けには答えないまま、脱衣所に行って服を脱ぎ始める。
「ねえってばー……」
「風呂に入りながら考えてくる」
「そんな大げさなこと?」
「考えてくるから後でな」
そう言うと、さっさとバスルームへと入ってしまった。私の足元にはいつの間にかキャラメルがやって来て、先生が入ってしまったバスルームのドアを見つめていた。
「変な先生だねえ……しかたがないね、二人だけで観ようか」
行くよと言ってリビングに引き返すと、キャラメルは後をついてきて、私がソファに座ると、膝の上に飛び乗ってきた。
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「で、どうだった?」
そして次の日、お義姉さん達がやってきてた。そして挨拶もそこそこに、私が先生のことを克俊さんって呼んだ時の反応はどうだったかと、さっそく聞く態勢に入る。
「もう、お義姉さん達、まずはお茶ぐらい出させてくださいよ。せっかく、美味しいケーキを買って来てくれたんですから~」
「早く聞きたいんだもの」
「もごもご言いながらお風呂に逃げちゃったので、正直なところデレていたのかそうじゃないのか分からないですよ。それに結局のところ、今まで通りで良いって言ってたし」
そうなんだよ。結局は克俊さんって呼ぶよりも、先生って呼ばれたほうがしっくりくるって言うから、今まで通りってことになっちゃったんだよね。だから厳密には、私は先生のことを克俊さんとは一度も呼びかけてないのだ。
私の言葉を聞いて、お義姉さん二人は、やっぱりねと言う顔をしてうなづきあっている。
「なんて言うか兄弟よね、そういうところって」
「まさに遺伝子の不思議よね。三人そろって似たような行動に出るんだもの」
「どういうことなんですか?」
「私が最初に秀俊さんのことを名前で呼んだ時にね、トイレに逃げ込んだのよ。多分、便座に座りながら一人でデレデレしてたんだと思う。見られたら、刑事としての威厳が無くなるとでも思ってるのかしらね」
香津美お義姉さんが、おかしそうに言った。
「うちなんて、無意味に猫をかまいたおしてお腹に顔をうずめて蹴られてたわね。まったく意味不明なんだから」
穂香お義姉さんが溜め息まじりに笑う。
「もしかして克俊君が一番まともかしら」
「そうかもしれない」
「えーそうですかー?」
お風呂に閉じ籠っちゃったから分からないだけで、秀俊お義兄さん以上にデレデレしてたかもしれないし、私が寝た後に俊哉お義兄さんと同じように、キャラメル相手にデレながらモフモフしていたかもしれないのに?
「でもこれで分かったわ。克俊君にとって、恵ちゃんが呼ぶ時の「先生」は特別なのね」
「私達は先生っ呼ぶのは他人行儀だって思っていたけど、そうじゃなかったってわけよね。いらぬお世話だったみたい、これからも気にせず、克俊君のことは先生って呼んであげて」
お義姉さん達は、私が克俊さんって呼ぶと先生の理性が吹っ飛ぶから、あえてやめさせたって可能性を捨て切れていないらしい。美味しいケーキでお茶をしながら、いつかこの目で克俊君がデレて転げ回るところを見てみたいものだわと、楽しそうに話し合っていた。




