第二十四話 二人と一匹の一年目記念日
私とキャラメルが先生のところに来て、一年が経とうとしていた。
私と先生の見た目は大して変わっていないけど、キャラメルは随分と大きくなった。相変わらず甘えん坊で可愛いけれど、見た目はもう大人の猫ちゃんだ。先生曰く、日に日にふてぶてしい顔つきになってきているってことだけど、そんなことないよ、子猫の時と変わらず可愛いし、最近では美猫さんになりつつあると私は思ってる。
「うぅっ」
横で寝ていた先生がうめいので目をあけてみれば、キャラメルがお腹の上に乗って先生を見下ろしている。どうやら、床から先生のお腹に飛び乗ったみたい。
「おい、そろそろ自分の体重のことを考えろ」
先生は顔をしかめながら目を開けて、自分の顔を覗き込んでいるキャラメルの頭を撫でた。
「先生が起きてこないから、呼びに来たんだよ、きっと」
「まったく。時間に正確なのは時計並みだな」
キャラメルはニャーと鳴くと、そろそろ起きないの?って首をかしげながら、先生を見下ろしている。そして私のを見て同じようにニャーと鳴いた。同じニャーでも、私に対するニャーは先生に対するニャーとは、ちょっと意味が違うんだよね。
「お腹すいたんだね、分かった、朝ご飯出すから待っててね」
そう言いながら私がベッドから出ると、キャラメルも先生のお腹から飛び降りて後をついてくる。後ろでは先生が「だから自分の体重を考えろって言ってるじゃないか」と文句を言っていた。
「キャラメル~、そろそろやめてあげないと、先生のお腹が足跡でアザだらけの傷だらけになっちゃうよ? せめてベッドにワンクッションおいてから、先生の上にいかなきゃ」
飛び乗る時はまだしも、さっきみたいに飛び降りる時は、後ろ足の爪が食い込んでけっこう痛いらしいよ? そんなことを言ってもキャラメルは気にしている様子もなく、尻尾をピンと立てて、私の足にまとわりつきながら廊下をついてきた。
空っぽになっているご飯のお皿を回収して、キッチンへと向かう。いつものカリカリを入れて、お水も入れ替えて元の場所に戻ると、キャラメルはその場でおとなしく座って待っていた。このへんが賢いんだよね、普通ならキッチンにまで追いかけてくるだろうに、あそこは自分が入っちゃいけない場所って知っているみたい。
「はい、お待たせ」
音を立ててご飯を食べ始めるのを見届けてから、猫砂のお掃除をする。ちゃんとおしっこをしているか、うんちの様子は、そして、ご飯と水をちゃんと食べているかを確認するのは飼い主としての務めで、そういうところはお医者さんとよく似ていた。
今日も健康そうでなによりだねと言いながら、ゴミを片づけていると玄関のドアが開く気配がした。先生が下のポストに新聞を取りに行った音だ。
「あ、お湯を沸かさないと」
朝はコーヒーと新聞って決めている先生のために、ポットにお水を入れてスイッチを押した。最近のポットって凄いよ、あっという間にお湯が沸くんだもの、信じられない。ちなみに先生はブラックで、私はほとんど牛乳状態のカフェオレ。
「いつも思うんだが、それ、コーヒーを入れる意味はあるのか?」
それから十分後、私がマグカップに牛乳を注ぐのを見ていた先生が、口を開いた。
「あるよ。だって私はカフェオレが飲みたいんだもの」
「カフェオレって、牛乳とコーヒーが半々ぐらいだと思っていたんだがな」
たしかに私のカフォオレは九割五分ぐらいが牛乳で、色だって申し訳ない程度にコーヒー色が混ざっている状態。匂いもなんとなくコーヒー?ってな具合だ。
「良いの、気分の問題なんだから」
「ふーむ……」
「少なくとも先生のコーヒーだけよりは、朝ご飯としては栄養あると思うよ?」
「ふーむ……」
なにか言いたそうに唸っているけど、栄養価に関しては、私が言っていることに間違いないはず。カフェオレの起源も、そんな理由からだったはずだし。あれ、違ったかな?
「あ、そうだ。明日が、先生と私達が出会った一年目だって知ってた?」
「明日が?」
私の言葉に、先生が壁に掛けてあるカレンダーを見る。
「そうか。一年前の明日の早朝だったんだな、恵とキャラメルが川に流されて、うちの病院に搬送されてきたのは。そうか、明日が恵とキャラメルの、流され記念日か」
「ちょっと。どうしてそこで流され記念日になっちゃうの? 私達が出会った記念日でしょ?」
もう! 先生ってば全然ロマンチックじゃないんだから。他のことでもそう。それで文句を言うと「俺のロマンチック能力は、婚約指輪と結婚指輪のことを思いついた時点で使い切った」なんて言うんだもの、本当にどうしようもないんだから。
「間違いではないだろ、流されで」
「そうだけどさあ……」
まあたしかに流されたおかげで私達は先生と出会えたし、その後に二人と一匹で一緒に暮らすことになったのも、考えようによっては流されたおかげだけど、記念日の名前にするのはなんだか違うって感じだよねえ……。
「一日早いがお祝いでもするか?」
「記念日の?」
「キャラメルが助かった日でもあるんだからな」
そこは納得。あの時、私が明け方のお散歩をして鳴き声に気がつかなかったら、今のキャラメルはきっといなかったに違いないんだろうし。
「じゃあ、キャラメルとの出会い記念ってことにする」
「せっかくだからケーキでも買ってくるか? 今日は日勤で、何事も無ければ八時頃には戻ってこれるだろうから、俺が帰りに買ってこようか?」
「ケーキ、キャラメルの分も頼んでおいて良い?」
いつものペットショップにある猫ちゃん用のケーキ。クリスマスに買ったら、キャラメルが凄く喜んで食べていたのを思い出した。
「寄るところが二箇所になるけど、かまわない?」
「ああ。いつものペットショップだよな? そっちの方面にもついでがあるから、俺が頼んでおくよ」
「そう? だったらお願いします」
「万が一、急患が来て帰れないようなら連絡するから、その時は申し訳ないがケーキだけは引き取りに行ってくれ」
「分かった」
その時は、先生が出勤前に駅ビルに行くついでがあるなんて変じゃない?なんて、考えもしなかったんだ、私。
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先生が帰宅したのは、宣言通りの八時ちょっとすぎだった。手には大きな箱と小さな箱。大きい方はケーキ屋さんの包装紙に包まれていて、小さい方はペットショップのロゴマーク入りだ。
「おかえりー」
「ただいま。大きいほうが人間用、小さいほうがキャラメル用な」
「もしかして、人間用はホールケーキなの?」
受け取ってから、ケーキの箱が思いのほか大きくて、そこそこ重さがあるので首をかしげてしまう。
「そりゃ、せっかくの流され記念日だからな」
「だから流され記念日じゃなくてえ……」
ダイニングテーブルにケーキの箱を並べて置く。
今日は記念日前夜祭ということで、夕飯も色々と頑張ってみたんだよ。と言っても、今時のおシャレな献立ってほどじゃなくて、かき揚げにお刺身と酢の物、それから気合を入れてお出汁をとるところから作ったおすましに、気分だけでもと思って実家のお米で炊いたお赤飯。あ、それと新潟県産のお酒も少々。
「ケーキ、食べる余地あるかな……」
まさかホールで買ってくるとは思ってなかったから、心配になってきた。コートを脱いでダイニングに出てきた先生が、私が悩んでいるのを見て笑う。
「甘い物は別腹だろ?」
「あ、そうか、そうとも言うね」
うん、せっかくだもの、一口ぐらいは今夜のうちに食べたいな。本当の記念日は明日の明け方だけど。
「ケーキ、先に見てもいい?」
「かまわないが、気をつけないとキャラメルが飛びついて、大変なことになるぞ」
「分かってる。キャラメル、ケーキは後で」
足元で、テーブルの上に飛び上がりたそうな顔をしているキャラメルにメッってすると、諦めたような顔をして、離れた場所にあるソファに飛び乗った。だけどやっぱり気になるのか、ソファのところで立ち上がって、こっちを見ている。
「じゃあ、まずはこっちの方からね」
まずは人間用のケーキの箱を開ける。あらわれたケーキに目を丸くした。
「これ、もしかしてキャラメルと私?!」
フルーツと生クリームでデコレーションされたケーキの真ん中には、マジパンで作られた女の子とチャトラの猫が並んでいる。
「似てるだろ? 恵とキャラメルの写真を渡しておいたんだ」
最近は、なかなか日本に帰国できない先生のお母さんのために、メールで私達の写真を添付することが増えていたので、先生が私とキャラメルの写真を撮ってもまったく気にしていなかった。まさかこんなことに使われていたなんて!
「先生、ロマンチック能力は使い切ったって言ってたのにー」
「ロマンチックじゃないだろ、それ。足元にあるのはチョコレートだが川なんだぞ。つまりは、流され記念日のケーキだ」
「え」
言われてよく見れば、たしかにマジパンが乗っているチョコレートには金箔でナミナミの線が描かれているし、生クリームのデコレーションも、なんだか波打っている感じに見えなくもない。周囲のフルーツやクリームでできたお花のデコレーションが綺麗で豪華だから、言われるまで気がつかなかったよ。
「さすがに水色にするとあからさますぎるだろうからって、ケーキ屋の職人と相談して足元はチョコレートにしておいた」
「言われなければ気がつかなかった。……ん? でも待って。これって今朝お店に寄って注文したの? そんなに早くできるものなの?」
私の質問に、先生が少しだけ気まずそうな顔をする。
「……先週あたりに、そう言えばそろそろ一年だなと思い立って頼んでおいたんだ。おい、なんだ?」
私がいきなり先生の胸をポカポカと叩き出したので、困惑した顔で私のことを見下ろした。
「もう!! 今朝はそんな素振りまったく見せなかったくせに! ずるい!」
「ずるいって……。そりゃビックリさせるつもりでいたんだから、すっとぼけているのは当然だろ。いきなり朝になって、恵が俺達が出会った日が明日だとか言い出して焦ったんだからな」
それでケーキは自分で買ってくるって言い出したんだね。
「じゃあ、キャラメルのケーキも予約してあったの?」
「もちろん」
先生は当然のように頷く。
「じゃあこっちも見ていい?」
「どうぞ」
小さな箱のリボンを解いて箱をあける。あらわれたのは、キャラメルそっくりの猫ちゃんの形をしたケーキ。
見た目はしっかりケーキな感じだけどその実、スポンジの部分にはにぼしパウダーが入っているし、デコレーションに使われているクリームには、お魚のすり身と猫用のミルクが使われているという、私達にとってはちょっと不思議な組み合わせだ。
でも、これがキャラメルのお気に入りなんだよね。ほら、においに気がついてニャーニャー騒ぎ始めちゃった。そんなキャラメルの様子に苦笑いをする先生。
「一足先に食べさせてやったほうが良さそうだな」
「そうだね。そうしないと、私達が落ち着いてご飯食べていられないかも」
キャラメル用のお皿にケーキを乗せて、いつものご飯を食べるテーブルに置く。
「はい、どうぞ。一年前にキャラメルに出会えた大切な記念日のケーキだから、味わって食べてね」
フンフンとにおいをかいでいたキャラメルは、私達を見上げてニャーンと鳴くと、さっそくケーキにかじりついた。
「さて、じゃあ人間様も前夜祭だがお祝いをするか」
美味しいご飯と美味しいお酒、そして美味しいケーキ。去年の今頃は、こんな風に誰かと一緒に楽しくご飯を食べている自分なんて、想像できなかったな。
「じゃあ、二人と一匹の出会いに乾杯だな。よくぞ流されてきてくれた」
「ちょっと!」
「まあそれは冗談として、乾杯」
「うん、乾杯! キャラメルも乾杯だよ~~」
二人でグラスをカチンと合わせてからキャラメルの方を振り返ると、私達の相棒さんは、こっちのことなんておかまなしな様子でケーキを頬張っていた。
こうして一年目の記念日が終わり、いよいよ十一月の結婚式の日に向けての準備が始まった。




