第二十二話 お兄さん御夫妻に御挨拶
うちの両親に先生が御挨拶をしたなら、私も先生の御両親に御挨拶を、となるのが自然の流れではあるんだけど、これがまた難しいことだった。だって世界中を飛び回っていて次に帰国するのは多分年末……そこだって「多分」ってのがつくんだものね。
「だから、そっちが帰ってきてくれないと挨拶もへったくれもないだろ。は? 何処かの国で落ち合う? 馬鹿なことを言うな、そんなワールドワイドな待ち合わせなんて、できるわけないだろ。常識で考えてくれよ。それでいつ帰国? ……分かった、東出家代表で兄貴に報告に行く。それで問題ないよな」
さっきから先生は、国際電話でお母さんとお話し中。聞こえてくる先生の苛立った言葉から、あっちが何を言っているか分かるような気がするよ。
「とにかく日取りが決まったら知らせる。それで良いんだな? 年末には帰ってこれるのか? 多分? なんだそりゃ。ああ、分かった分かった、いきなり恋人を作って結婚することになった俺が悪い、はいはい、じゃあ親父によろしくな。自分が医者の世話になるハメにならないようにとだけ伝えてくれ。後は帰国した時にでも話す、いつになるのかは知らないが」
普段の先生とは違う話ぶりが面白くて、キャラメルと一緒に耳をそばだてる。
「……ああ、後ろに座っているが、電話口でなんてとんでもないだろ。とにかく恵と話すのは帰国してからにしてくれ。分かった、ちゃんと写真は送る。そんなに話したいなら、さっさと帰国すれば良いだろ。好きにしてくれ、とにかく電話だけの挨拶なんてとんでもない。じゃあ切るからな」
電話の向こうでお母さんがなにか言っていたみたいだけど、先生ははいはいと気のない返事を何度かして、電話を切ってしまった。そして軽く溜め息をつく。
「お母さんなんだって?」
「なかなか日本の地を踏めそうにないから、移動中の何処かで落ち合わないかだと」
何処かって、絶対に国内の空港じゃなくて外国の何処かってことだよね? さすが世界を股にかけて活躍する、スーパードクターなお父さんとお母さんだ。
「さすがスケールが違うねえ……」
「そこは感心することじゃないから。申し訳ないが、東出家総代として兄貴のところに報告に行くってことで良いか?」
「刑事さんのお兄さんだよね? 先生の御家族がそれで良いって言うなら、私はかまわないよ。でもさ、先生」
との点は別にかまわないんだけど、一つだけ心配なことがある。
「なんだ?」
「結婚式にはちゃんと出席してほしいよね。そのへんは大丈夫?」
「多分な」
「多分……」
なんだか今から怪しい雰囲気。だけど先生は、その点に関して心配していない様子だ。
「上の二人の時もなんとか出席したんだ。今回もなんとかなるだろう」
「ちなみにその時は……?」
「当日の朝に帰国して、披露宴が終わった二時間後には空港に向かってた」
「やっぱり……」
「早めに日程だけ決めておけば、そこを目指して全員が調整するから心配するな」
「うん……」
「猫の日なんてのがあるらしいじゃないか。結婚指輪を猫にするなら、結婚式の日も猫つながりが良いんじゃないか?」
一言に猫の日と言っても色々とあるらしい。日本で一番有名なのは二月二十二日、にゃんにゃんにゃんの日。ちなみにロシアでは三月一日、アメリカでは十月二十九日。ヨーロッパでは二月十七日が多いみたい。
ん? 良く知ってるなって? そりゃあ、雑誌でコラムを描き始めた時に、色々と調べましたから。
「二月二十二日? いくらなんでも時間が無さすぎるよ、再来年の二月二十二日でも良いなら話は別だけど」
「なるほど」
ここであっさりと引き下がったってことは、再来年に結婚するっていう選択肢は、無いってことだよね。
「じゃあさ、せめて日付は二十二日にしない? 月はもう少し先にして。季節的に十月ごろが良いんじゃないかな、暑くもなく寒くもなくで……あ!!」
「どうした?」
「十一月二十二日ってどう?」
「どうしてその日が具体的に出てきたんだ」
「確かこの日は「いい夫婦の日」なんだよ。人気のある日だとは思うけど、一年以上あるから大丈夫じゃないかな」
「なるほど。つまりは来年の十一月二十二日ってことだな?」
先生は少しだけ考え込んでからうなづいた。
「ちょっと準備期間が長すぎる?」
「いや。俺の仕事がこんなんだから、時間があるほうが一緒に準備もできるだろうし、バタバタしなくても良いかもしれないな。俺は恵がそれでいいなら、なにも言うことは無い」
「じゃあ、日付に関しては決まりかな」
「兄貴のところに挨拶しに行く時に伝えておこう。あっちはなんとかそれに合わせて、時間を捻り出すだろう。それから恵」
先生が少しだけ困ったような顔をして私のことを見る。
「なに?」
「すまないが写真を撮らせてくれないか。母親が顔だけでも見たいとさ」
まさかこの時はお互いに写真とメールのやり取りばかりで、本当に当日まで会うことが無いなんて、思ってもみなかったんだよね……。
+++++
それから、次の先生のお休みの日に、一番上のお兄さんに挨拶しにいくことになった。どうやらお兄さんが病院に顔を出した時に、次の休みの日に行くって知らせておいてくれたみたい。
「あら、猫ちゃんも一緒だと楽しみにしていたのに」
そして、お兄さんの奥さんと顔を合わせた時の第一声がこれだった。私と先生だけと知って、物凄く残念そうにされたのはちょっと複雑かも。
「今日はさすがに留守番させてきたよ。いきなり連れてくるのも失礼だろ?」
先生がお姉さんに言うと、お姉さんは残念そうにそうねとうなづいた。
「じゃあ、次に遊びに来る時には是非連れてきて。うちは猫ちゃん飼ってないけど、俊哉さんのところの猫ちゃんが良く遊びに来ているから、準備は大丈夫よ」
「ありがとうございます」
お宅に上がらせてもらうと、お兄さんが居間のソファの横に立っていて私達を迎えてくれた。……お兄さん、先生とそっくりだよね、眉毛とか顎のラインとか。二番目のお兄さんほど厳つくないけど、刑事さんだけあって目つきが物凄く鋭い感じ。
「初めまして。猫田恵と申します」
「克俊の兄、秀俊です」
な、なんか取り調べされてるみたいで緊張しちゃうよ、先生?! 先生のほうをちらりと見ると、笑いを噛み殺しているみたいなんだけど、どうして?
「兄貴、恵が怖がってるぞ」
先生の言葉に、お兄さんは困ったような顔をした。
「……これでも、頑張って穏やかな雰囲気を出しているんだけどな」
「貴方が出しているつもりになってるだけでしょ? やっぱり怖いわよね。私だって怖い顔してるわこの人って、いつも思うもの」
「おい……」
お茶を持ってきてくれたお姉さんの言葉に、顔をしかめるお兄さん。そんなちょっとした表情が、ますます先生そっくり。
「普段は、もっと怖い顔をしているから安心して。今日は恵さんのこと歓迎しているのよ、こんな顔をしていてもね」
「一言余計だぞ」
お姉さんはウフフフと笑いながら、お兄さんの隣に座ると私のことを見てニッコリと微笑んだ。
「でもびっくりしたわ。あの時のお嬢さんと、まさか結婚することになっちゃうなんて」
「?」
まるで、私のことを前から知っているみたいなお姉さんの口振りに、首をかしげる。
「恵の具合が悪かった時に、前のアパートへ色々と取りに行ったことがあったろ? あの時に一緒に行ってくれたのが、兄貴達の娘だったんだよ」
先生が説明してくれた。
「そうだったの。その節はお世話になりました」
あらためて頭を下げる。
「いえいえ。私がお世話しに行ってあげれば良かったんだけど、ちょうど年度末で忙しくて。まあ克俊君はお医者さんだし、任せておけば大丈夫かなって思ったのも事実なんだけどね」
「先生にも随分と迷惑をかけてしまったみたいで」
「そのお蔭で、こいつも人間らしい生活とお嫁さんを手に入れることができるんだ。こちらの方がお礼を言いたいぐらいだよ。よくぞ不肖の弟をもらってくれたってね」
お兄さんが微笑んだ。
「それでさっそくなんだが、来年の十一月二十二日を挙式の日に設定した。兄貴はともかく、親父達がどうなるか心配なんだがな」
「いきなり本題だな、おい」
「そこが一番問題だろ。こっちの親族が集まらないなんて、シャレにならないからな」
その言葉に、それはそうだとお兄さんとお姉さんがうなづいている。
「私達の時もそうだったわよね。結局お義父さん達が帰国できたのは、式当日だったもの」
「ああ、そうだった。披露宴が終わったらすぐに出国したもんな。俊哉なんて、途中から駆け込み参加だったし」
お兄さんは首をかしげながら、私を見詰めた。
「こんな家族だけど大丈夫かい? 克俊から聞いているとは思うけど、両親筆頭に本当に落ち着かない家族でね。恐らく式当日まで、うちの両親とは会えないと思うよ。俊哉とは一度は顔を合わせたんだよな?」
「ああ」
その質問に先生がうなづく。
「式までは一年以上ありますし、式場のことは、私が仕事でお世話になっている出版社さんから、いくつか提示されて候補をしぼりました。次のお休みの時に、二人で見に行って決める予定です」
ほんと、旅館のこともだけど、光栄出版の皆様には頭が上がらないよ。
「恵さんは出版関係の仕事をしているのかい?」
「出版関係と言いますか……」
「猫村ねこ美なんだ」
「誰が?」
「恵が」
「あのペット雑誌なんかで漫画を描いている?」
お兄さんとお姉さんが、二人そろってビックリした顔をした。
「ああ」
「そうか。それで最近のコラムに、えらく厳つい熊みたいな相方が登場するようになったのか。あれ、お前のことなんだな?」
「まあそういうことだな」
猫飼いさんじゃないのに、あの雑誌をチェックしているなんてビックリ。そんな私の気持ちを察したのか、お兄さんが笑った。
「うちの娘が急にあの雑誌を買いだしてね。どうしてだろうって思ってたんだよ。そうか、恵さんのことを知って買い始めたのか、なるほどね。そしてあの髭の熊五郎みたいなのが、お前か」
「えっと、もっとかっこよくしようと思ったんですけどね、あまり忠実にすると身バレが心配で、ちょっとばかりデフォルメしました」
「ちょっとばかり?」
先生が横で異議ありって声をあげる。
「だって……意外と出版社さんでは好評なんだもの、髭の先生」
「そのうち俺に、髭をはやせと言いださないか心配になってきた……」
「お前が髭なんかはやしたら、それこそ不審人物で警らの連中から職質されまくりだな」
「やかましい」
こうやってお兄さんと先生が話しているのを見ていると、本当に先生は末っ子なんだなって実感する。普段は私よりもずっと大人な態度なのに、お兄さん達にはしっかり弟扱いされていて可愛い。
「なんだ、ニヤニヤして気持ちが悪いぞ、恵」
「なんでもないよー。先生は末っ子なんだなーって、実感しているところ」
「末っ子でワガママな俺様だから、困ったことがあったら俺達に言いつけるといい。しっかりとお灸をすえてやるから」
「あ、それは二番目のお兄さんにも言われました」
「まったく兄貴達ときたら……」
二番目の俊哉お兄さんと同じことを言われて、憮然としている先生をよそに、私達三人は声をあげて笑ってしまった。




