第十九話 快気祝い、それとも?
「恵、来月の夏期休暇の日程が決まったぞ」
キャラメルの抜糸が無事にすんでから数日後、先生が夏休みの日程が決まったと教えてくれた。お休み期間は五日間。それに自分先生の通常のお休みを合わせると、だいたい一週間ぐらいってことになっている。
「これって先生としては短いの? 長いの?」
カレンダーの日付を赤ペンで囲みながら尋ねてみる。
「今までに比べると断然長いな」
「ちにみに去年は何日だったのか、聞いても良いのかな?」
なんとなく聞く前から答えが分かるような気はするんだけど、念のため。
「ゼロ」
「へ?」
「だからゼロだった」
「やっぱり……」
病院の名誉のために言っておくと、お休みをくれなかったわけじゃないんだって。先生が勝手にお休みを切り上げちゃったと言うか、お休みなんて無かったことにして、あの控室に住み着いていたらしいので。
で、なぜかここ最近お休みをとるようになった先生に対して、ここぞとばかりにお休みを取らせようとしている事務局長さんが、今まで消化できずに消えていった有給休暇を取り戻すべき!と、変な意気込みを出しちゃったものだから、今年は普段より長い夏期休暇になったらしい。
でもさ、他の先生に変なしわ寄せが行くんじゃないかって、そっちのほうが心配だよね……。
「じゃあ、この最初の土日をあっちに行く日にして良い? お父さんの仕事も、普通に休みだから」
銀行は、各自がバラバラに夏休みを取っていくスタイルでお盆休みは無い。だから年末年始以外は通常営業だけど、土日祝日は確実にお休みだから、あっちに行くなら週末の方が間違いないはず。弟の紘君は、夏期講習で不在かもしれないけど、まあ大事なのは両親がいるかどうかだし。
「それは御両親の都合に合わせるよ」
「分かった。じゃあ、後でお母さんに電話して聞いてみるね」
「ああ。それとこっちにきて座ってくれるか?」
「なにー?」
呼ばれてリビングのソファに座っている先生の横に腰をおろす。
「まずはこれ。キャラメルの快気祝い」
そう言ってテーブルの上に置かれたのは、可愛い包装紙とリボンでラッピングされた袋。
「……なんだか先生とは、いちじるしくイメージがかけ離れた袋だね」
「やかましい。開けてみろ」
「うん」
袋から出てきたのは可愛らしい首輪だ。しかも、ペットショップで売られている物より、何気にお高そうな雰囲気。
「ベルトの長さがそこそこあるから、大きくなっても使えるだろう。まあ想定外に大きくなったら分からないが、その時はその時だ」
「チャトラは大きくなるって言うしね」
「手術もしたしな。そっちへ行くはずのエネルギーが使われて、大きくなったり太ったりするらしい」
「へえ、ホルモンバランスだけのことじゃなかったんだ」
今のところ急に大きくなる兆しは見せてないけど、食べさせるご飯は今まで以上に気をつけなくちゃ。そんなことを考えながらキャラメルを呼ぶと、雰囲気を察したのか、胡散臭げな顔をしてやってきた。
「イヤがるかな?」
「さて、どうだろうな」
「警戒してるよ?」
「ここしばらく、術後服を無理やり着せていたからなあ……」
苦笑いしている先生を足元で見上げていたキャラメルは、先生の手にあの白い服が無いことが分かって安心したのか、ニャーと鳴いてソファに飛び乗ると、私と先生の間に割り込んできた。
「キャラメル、先生からの快気祝いだって。つけてみる?」
首輪を目の前で振ると、キラキラ光る飾りに興味をひかれたのか、前足をのばしてきた。その隙に輪っかをいっぱいに広げた首輪を頭からかぶせて、適当なベルト穴に金具を通して止めてみる。
「おー、似合ってるね、キャラメル~」
顎の下で揺れている光っている石が、キャラメルの目と同じ色でなかなかお洒落だ。
「あ、せっかくだし写真撮っておこう!」
携帯電話を持ってきてカメラでバシャリと撮る。うんうん、なかなか美人に撮れてるよ。
「イヤがらないね、良かった」
「まだ自分の状況に気がついてないのかもな。じゃあキャラメル、ちょっとこっちに移動してくれ」
そう言って先生は、二人の間に座っていたキャラメルを抱っこして、自分の反対側へと移動させた。いきなり移動させられて不満げなのか、キャラメルはニャーニャー言いながら、先生の膝の上へとよじ登ってくる。
「少しの間だけだと言うのにまったく。じゃあ、そこで大人しくしてろよ」
先生の膝の上で器用に香箱座りをするキャラメルにそう言い渡すと、今度は四角い形にラッピングされたリボンのかかった箱を、私の膝の上に置いた。
「これは恵に」
「私に? 私にも快気祝いなの?」
「ちょっと違う。まあ開けてみろ」
「うん」
リボンをほどいて、包装紙を丁寧にはがす。その途中で、その包装紙が有名どころのジュエリーショップのものだと気がついた。包装紙の中から出てきたのは、ビロードのリングケース。
「開けても良い?」
「もちろん」
ドキドキしながら開けると。
「猫だ!」
そこにあったのはピンクゴールドの指輪で、表面には猫のシルエットと肉球が彫り込まれている。そして猫がじゃれついているボールは、も、もしかしてダイヤ?!
「もっとあらたまったデザインのものをって最初は考えていたんだがな。なぜかカタログであれこれと見せてもらって、オーダーメイドもできるって言われてつい魔がさした」
先生はちょっと困ったような顔をして、弁明らしきものをしている。だけどそんな必要ないよ、すっごく可愛いし、一目で気に入ったんだもの。
「魔がさしたなんてそんなことないよ、私にぴったりじゃない? はめて良い?」
「それは俺がする」
先生はリングケースから指輪をつまみ出すと、私の左手をとって迷わず薬指に滑り込ませた。
「実はこの指輪を選んでいる時に、他の指輪のことも考えていたんだ。最終的には、恵に了解を取らなきゃいけないのは分かっているんだけどな」
先生は私の手を握ったまま言葉を続ける。
「これは表側に猫のシルエットが刻印されているが、実のところ裏側に同じような細工が出来るらしい」
「へえ、それだとパッと見ただけでは普通の指輪と変わらないわけだね。それはそれで面白いかも」
猫好きさんでも、指輪までは恥ずかしいって感じちゃう人もいるだろうし。
「そうだな。そっちだと男がはめても違和感が無いわけだ」
「なるほどね~」
「……」
「?」
先生が私の手を握ったまま、変な顔をしてこっちを見詰めている。
「どうしたの?」
「……いや、だから」
「うん、だから?」
続きをうながしたんだけど、先生はなかなか次の言葉を口にせず、視線をあっちこっちに泳がせるばかりだ。
「……プラチナの指輪だったら、俺がしても問題ないわけで」
「うんうん、そうだね」
ちょっと高くなりそうなのが、気になるところだけどね。
「二人でそろいの指輪を作ったらどうだろうかと、考えているわけだ」
「先生とおそろい? それいいね、デザインは? やっぱり猫と肉球? 私も一緒に選びたいな。あ、でも先生、仕事中でも指輪をしていても良いの?」
「結婚指輪をしている医者はたくさんいるぞ」
「そうなんだ。じゃあ問題なし?」
再び先生が黙り込んで、こっちを見詰めてきた。
「恵、俺が言いたいのはそこじゃない」
「そこじゃないならどこ?」
首をかしげながら、先生を見上げる。なんか心なしかイラッとしてる?
「つまりだ」
「つまり?」
「つまりはそろいの指輪っていうのは結婚指輪なわけで、そいつはプラチナで、裏面に猫のシルエットと肉球が刻印されていてだな、とにかく一見は普通の結婚指輪なんだが、デザインは猫なわけだ」
「先生、言ってることがメチャクチャだよ」
それは先生自身も分かっていることらしく、自分でもなにを言ってるんだ状態になって、軽く落ち込んでいるみたい。
「もっと分かりやすく説明してくれる?」
「だから、俺と結婚してくれないかって話だ」
「……えっと、私が?」
「恵以外に誰がいるんだ」
指にはめられた指輪を見下ろした。猫がじゃれついているダイヤモンド。よく見たらハートの形をしている。
「ってことは、これは婚約指輪なの?」
「だから、猫のデザインになったのは魔がさしたと言ってるじゃないか」
「デザインは気に入ってるから心配ないよ。だけどさ、先生ってば返事を聞く前にはめちゃったじゃん。っていうか、なにも言わないままで」
それって酷くない? 一生に一度のことなのに酷くないですかー?
「分かった。じゃあやり直す」
そう言って先生は、私の指から指輪を引き抜くと私をジッと見詰めた。そして口を開いてなにか言おうとした矢先、キャラメルがキラキラした石に興味をひかれたのか、いきなり立ち上がって先生が持っていた指輪に手をのばす。……じゃれてるよ、指輪に。
「待て、キャラメル。これはお前のものじゃない」
そんなこと言っても、まだ子供なんだから分からないよね、キャラメルにはさ。先生の手にじゃれついているキャラメルに手をのばして抱っこする。だけどまだ石に御執心なのか、体をひねって先生の方へ行こうと頑張ってるけど、ここはジッとしてもらわなきゃ。
「キャラメル、いい子だからジッとして。大事なところなんだから」
両腕で抱き締めると、あきらめたのかニャーと情けない声を出して私達を見上げた。
「お前に首輪があるだろ。それだって特注なんだぞ?」
「え、まさかこの石、本物とか言わないよね?!」
キャラメルの目と同じ黄色い石、まさか宝石?!
「恵、いま大事なのはそこじゃないだろ。俺と結婚するか?」
そこでさっきみたいに「してくれるか」って言わないところが先生らしいよね。って言うか、キャラメルに邪魔されてタイミングを逸しちゃたから、ムカついているのかもしれないけどさ。
「私は、先生が私のことを一生離さないでいてくれると嬉しいなって思ってた。だからそのことを、こうやって約束してくれるのはすっごく嬉しいよ」
「ってことはつまりどうなんだ」
「つまりは、私は先生と結婚します。もちろんキャラメルも一緒に、お嫁入りさせてもらえるんだよね?」
「当たり前だ」
ぶっきらぼうな口調でそう言うと、先生は改めて私の指に指輪をはめ、満足そうに笑みを浮かべた。
「ねえ先生」
「なんだ?」
「さっきの結婚指輪の話は本気?」
「そのつもりでカタログももらってきたぞ。見るか?」
「見たい!!」
その夜は、西入先生御夫婦だってこんな結婚指輪はしてないよね?と話しながら、二人でデザインをあれこれ考えることになった。私達がかまってあげないものだから、拗ねちゃったキャラメルがカタログの真ん中に居座るまでは、だけど。