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第十五話 番猫キャラメル

 そして次の日、お母さんは早々に新潟に帰ると言い出した。先生は朝から仕事なので、キャラメルにお留守番をさせて、私が新幹線の駅まで見送っていくことに。


「せっかくこっちに出てきたんだから、もうちょっと居れば良いのに。先生も遠慮することはないって言ってたよ?」


 先生から前日の夜に渡されていたお金で、お土産と車内で食べるお弁当を買うと、ホームまで見送りに上がった。本当は新幹線の切符代も含めて渡されていたんだけど、そこはお母さんが自分が勝手に押し掛けたんだからと言って、頑として譲らなかったんだよね。だからその代りに、お土産を豪華にしてみた。


「先生と(めぐみ)が良くてもこっちが良くないのよ。放っておいたら家がとっ散らかって、大変なことになっちゃうわ」


 ほんと無能な男共なんだからと、溜め息をつく。


 現在の実家のやりくりは、すべてお母さんが取り仕切っていて、(しゅうと)にあたるお爺ちゃんを筆頭にお父さんと弟の男三人は、仲良くお母さんのお尻に敷かれている状態だ。お婆ちゃんが生きていた頃は、もう少し統率がとれていたんだけどねえと笑った。


「キャラメルちゃんとお別れするのは悲しいけれど、あっちにも通ってくる野良ちゃんがいるからね。その猫ちゃん達のためにも、帰ったほうが良いみたい」

「その言い方だと、お父さん達より、野良ちゃん達のために帰るみたいに聞こえるけど?」

「そうに決まってるじゃない」


 さすがマタタビ人間、言うことが違う。


「次に会う時は、二人で挨拶しに来るときかしらね?」

「どうなんだろ。先生の仕事って本当に不規則だから、本人にそのつもりがあっても、まとめて休むところまでなかなかいかないんだよね。だけど、お盆休みが終わるまでには必ず挨拶にうかがいますって、言ってたよ」


 私の言葉にうなづくお母さん。


「楽しみにしているわ。来る前に、ちゃんと連絡ちょうだいね」

「お母さんみたいにいきなりは絶対ないから。キャラメルも連れて行くことになるから、ちゃんと連絡いれるよ」

「それまでは写真で様子を知らせてね」

「キャラメルの?」

「当たり前でしょ」


 ほんと、お母さんって猫好きだよね。まあ、キャラメルが可愛いのは誰もが認めるところだけど。


 え? 発言が親馬鹿っぽい?


 だって、本当にキャラメルは可愛いんだもの。病院でも、あの時の猫ちゃんが東出(ひがしで)先生のお宅にいるらしいって話が広まって、先生も写真をねだられているらしいよ? 自分の携帯に猫フォルダなんてとんでもないって言った手前、私には黙っているけれど、今じゃ少なくとも二十枚の写真が、先生の携帯に保存されているはずなんだから。


「あ、それとさあ、先生のこと、お父さんにはどう説明するの?」

「どうって?」

「だからー……男の人と同棲しているなんて話をしたら、頭から湯気出したりしないかなあって」

「先生がこっちに挨拶にみえるまでは、ちゃんとした人とルームシェアしているって話しておくつもり。お父さんだけじゃなく、昔気質のお爺ちゃんの血圧が上がっても困るしね」


 お母さんが悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべる。お婆ちゃんが生きていたら、きっと当分は三人だけの秘密ねって、クスクス笑っていたところなんだろうなぁ。


 それから、お母さんはちょっとだけ真面目な顔をした。


「先生は大人だから心配していないけど、順番だけはきちんとね」

「え……?」

「えって。まさかまだってことはないんでしょ? あんな立派な寝室があるんだから。昨日は私の目があるから、遠慮して先生はソファで寝ていたみたいだけど」

「え、いや、まあ……なんて言うか……」


 そういうことを親と話すのって、今更だけど物凄く恥ずかしい。そりゃ隠すことでもないけど、親に自分の夜の生活を話すのは、やっぱり抵抗があるかな。


「とにかく、お付き合いして一緒に暮らしているのは良いとしても、スジだけはきちんと通しておかないと駄目よ。先生の御家族に対しても申し訳が立たないでしょ? 恵だってもう二十歳を越えた大人なんだし、こういうのは男だけが悪いなんて問題じゃないんだから」

「うん、分かってる」

「本当に分かってる? 貴女はのんびり屋さんだから、お母さん心配だわ」

「本当に分かってるから大丈夫だって」

「そうだと良いんだけれど」


 少しだけ疑わしそうな顔をされてしまったのは、心外かもしれない。


 それからお母さんが乗った新幹線を見送って、せっかく東京駅に出てきたんだからと、自分のお買い物を楽しむことにした。読むかどうか分からないけど先生にもメールをしておいたし、ペットショップでキャラメルへのお土産も買ったから、少しばかりお留守番が長くなっても大丈夫なはず。


 そしてマンションに戻ってきたのは夕方近く。渡されていた鍵を鍵穴に挿し込んでから、あれ?と首をかしげた。鍵が開いてる……。


「嘘、私もしかして、鍵を閉め忘れて出掛けちゃってた?」


 お母さんとここを出る時に、ちゃんと確かめたはずなのに……。


 ここは私が前に住んでいたアパートと違って、下の玄関ホール横には管理人室もあるし、エレベーターホールにも暗証番号を入力しないと入れないようになっている。だから少しの時間ぐらいなら、鍵をかけてなくても大丈夫だとは思うけど、今回はかなりの時間をあけていたことになる。自分一人の部屋だったら“、ーやっちゃったよで済むけどここは先生のお宅、なにかあったら一大事だ。


「自分で自分が信じられない……」


 自分のやらかしてしまったことにショックを受けながら、ドアを開けた。


「……?」


 玄関に入ってから水が流れる音がして、さらに首をかしげた。


 あの音はバスルームでシャワーを使う音。もしかして先生が帰ってるとか? 私がカギをかけ忘れたわけじゃなくて、先生が先に帰っていたってこと? だけど今日は日勤で、帰宅するのはまだ先のはずだったよね? バッグの中から携帯電話を引っ張り出して、メールを確認する。先生からの着信は無い。そしてさらに変なのは、いつもなら私が帰ってきたら玄関に走ってくるキャラメルが、姿を見せないこと。


「……」


 玄関に並んでいる靴を見下ろす。……見た覚えのない靴が、先生のスニーカーの横にきちんとそろった状態で並んでいる。やっぱり先生なのかな?


 部屋に上がると、バッグと荷物を持ったままそっとバスルームへと近づく。やっぱり聞こえていた音はシャワーで、お湯が流れる音だ。廊下から脱衣所を覗き込むと、お風呂場のドア越しに人影。


「なんだ、やっぱり先生が帰ってたのかあ……ビックリして損しちゃった」


 脱衣所に入ると、バスルームのドアを軽く片手で叩く。


「先生、東京駅でお菓子買ってきたよ、おやつに食べるー?」


 人影がピタッと動きを止めて、こっちを振り返ったような動きを見せた。


「お母さんがね、切符代を受け取ってくれなくってさあ、その代わりにお土産を色々と買ったら、重すぎるって文句言われちゃったよ。あ、それとね、あっちに来るの楽しみにしてるって。……ねえ、先生、聞いてる?」


 返事が無いので、話が聞こえていないの?と言いながら、バスルームのドアを思いっ切り開けた。


 …………あれ?


「……」


 そこに裸で立っていたのは、何故か先生じゃなかった。


「えっと……どちら様ですか?」

「え……いや……そちらこそどちら様?」


 お互いに見詰め合って、口から出たのはそんな言葉。


「も、もしかして……ど、どろぼう?!」


 我に返って頭に浮かんだのは、とにかく110番しなきゃ!だった。荷物をその場に放り出して、一目散に脱衣所から飛び出した。なんか後ろで呼んでる声がした気がするけど、泥棒の言うことなんて聞くわけないじゃない!


「えっと、110番110番……あれ? お巡りさんって119番だっけ? 117番だっけ?!」


 受話器を取ってプッシュボタンを押そうとしたところで、後ろから手が伸びてきて受話器が取り上げられてしまった。振り返るとさっきの人が立っている、しかもまだ裸のままだよ!! も、もしかして襲われちゃうとか?! 思わず悲鳴をあげそうになった私の口を、その人が素早く抑え込んだ。


「ちょっと待った!! 俺は泥棒じゃない!!」


 泥棒が自分のことを泥棒だって認めるわけないよね?! 


「落ち着いてくれ。とにかくまずは俺の話を聞いてくれないか? ……っておい、大丈夫か? おい? しっかりしろ?!」


 こっちを睨んでいたその人の顔が急にぼやけたかと思ったら、急に目の前が真っ暗になって、私の意識はそこでプッツリ途切れてしまった。



+++++



 そして気がついた時には、ベッドに寝かされていた。最初に耳に入ってくるのは、キャラメルの物凄いうなり声とシャーッていう威嚇の声。こんな怖い声でうなったり威嚇したりするなんて、初めてのことじゃないかなと目を閉じたまま考える。


「おい、これはどうにかならんのか」

「どうにもならん。どうせ兄貴が脅しでもしたんだろ?」

「脅してなんかいない、さっきまで、俺は猫がいるなんてまったく知らなかったんだ。この子をベッドに寝かせたは良いが、介抱しようにもこいつが飛び出してきたせいで、近づきもできなかったんだぞ」


 溜め息をつく気配。


「それで俺を? まったく……滅多に来ない人間がたまに顔を出すと、ロクなことが無いな」


 この声は間違いなく先生の声だ。


「俺が悪いのか?」

「いや。タイミングが悪かったんだ。俺も兄貴がここに寄ることがあるって話しておくのを、すっかり忘れていたし」

「……先生?」


 目を開けると、先生が心配そうな顔をして覗き込んでいた。


「気がついたか? 気絶したそうだが大丈夫か?」

「泥棒がいて……」

「それってもしかして俺のことか?」


 先生の後ろからこっちを覗き込んでくる見知らぬ男の人。今は服を着ているけど、さっき私のことを素っ裸で追いかけてきた人だ! 慌てて飛び起きようとする私を、先生が慌てて押さえつけてきた。


「落ち着け恵。見た目が厳つくて悪人に見えるのは認めるが、これは俺の兄だ」

「……お兄さん?」

「初めまして。克俊の兄、俊哉(としや)です」

「えっと……どっちのお兄さん?」

「自衛官のほう」


 私、よりによって先生のお兄さんを、泥棒だと間違えちゃったの?


「見ず知らずの人間が部屋にいたら、そう思って当然だろ」

「先生が帰ってきてるんだと思ってね、それでお風呂場のドアを開けたら、お兄さんが立ってたの。それでびっくりしちゃって……」


 私の言葉に先生が眉をひそめた。


「風呂場? 電話のところで気を失ったんだよな?」


 先生の不穏な様子に、お兄さんは少しだけ気まずそうな顔をする。


「俺がシャワーを浴びていたところに彼女が帰ってきてだな。どうやらお前が風呂場にいると思ったらしい。おい、睨むな。俺だって恥ずかしいんだぞ、こんな若いお嬢さんに素っ裸を見られて」

「恵」

「はい?」

「目の消毒をしたほうが良いんじゃないか? 眼科に行くか?」

「なんでだ」


 あまりに真面目な顔で言うものだから、思わず吹き出してしまった。


「先生ってば、自分のお兄さんなのに酷い」

「俺は真面目に言ってるんだぞ」

「目の消毒なんて必要ないよ。だってまじまじと見たわけでもないし。それでちゃんと紹介してもらえる?」


 そこで先生は、やっと緊張を解いたようだ。


「こっちは二番目の兄貴の俊哉。前にも話した通り、海上自衛官で神出鬼没な鉄の鯨勤務の男。兄貴、こちらは俺の彼女の猫田(ねこだ)(めぐみ)。それと猫のキャラメル」

「風の噂で弟に彼女ができたとは聞いていたが、まさか一緒に暮らしているとは思わなかったよ。さきほどは失礼した」


 お兄さんがよろしくと片手を差し出してきたところで、横からキャラメルが割り込んできてうなり声をあげた。普段の甘えん坊ぶりからは想像がつかないぐらい怒り狂っていて、全身の毛が逆立っている。


「……お兄さん、物凄く警戒されてる」

「気を失った君をベッドに寝かせたまでは良かったんだが、ずっとこんな調子でまったく近寄れなくてね、仕方なく弟に連絡を取ったというわけだ」

「番犬ならぬ番猫だな」


 そういうわけでキャラメルは気に入らないだろうけど、私は先生の二番目のお兄さんとお知り合いになった。

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