第十一話 二人と一匹の部屋割り
私の元自宅から物が減っていくと言うことは、東出先生のお宅に私の物が増えると言うことで、居候ではなく本格的に一緒に暮らすとなると、色々と放っておけないこととか、決めなくちゃいけないことも出てくるわけで。
「ねえ、先生。そろそろ、ちゃんと部屋割りを考えないと、先生のソファ暮らしが定着しちゃうよ?」
「部屋割り?」
その日、珍しく早く帰ってきた先生と、一緒に晩御飯を食べながら話を切り出した。
「うん。今のままじゃ先生、リビングに住み着いちゃうことになるじゃない。だから今後のためにも、ちゃんとした部屋割りをしなきゃ」
だってこのまま放っておいたら、私の机や本棚を、先生の部屋に置くことになっちゃいそうなんだもの。先生はそれでかまわないって言ってくれているけど、それってやっぱり考えものだと思うのよね。
「別に俺は、今のままでもかまわないけどな」
「かまわなくない」
一人暮らしの東出先生のお宅、一人なのに何故か部屋が三つある。一つは先生のベッドがあって私が使わせてもらっている、部屋としては一番大きな部屋。それから現在進行形で先生の服が山積みになりつつある、壁一面難しい本がたくさん並んだ本棚のある書斎と称される部屋。そして納戸あつかいで、なんでもかんでもごちゃごちゃと置かれている、なんでも部屋。
そして今のところ一番問題なのは、先生の寝室になっちゃってるリビングだ。
「絶対に良くないよ。ちゃんとしたベッドで寝なきゃ」
「慣れてるから」
これは最初の時に聞いたこと。病院の当直の時、忙しすぎて控室まで戻る時間が無くて、待合室の長椅子で寝ることもあるから、ソファで寝ることなんて大したことないんだとか。それにうちのソファは高級で、座り心地も良いんだぞだって。でもいくら座り心地が良くても、ソファはソファなんだから、寝るのには絶対に適してないと思うのよね。だからやっぱり、今の状態はなんとかしなくちゃ。
「慣れてるとか慣れてないとか、そういう問題じゃないと思うよ? でね、考えたんだけど、なんでも部屋を私の仕事兼寝室にしてもらえると、助かるんだけどな。これで先生は、ちゃんと自分のベッドで寝られるじゃない?」
「なんでも部屋?」
先生がそんな部屋あったか?という顔をした。
「色んなものが放り込んである、あっちの部屋。そこそこの広さはあるのに、今みたいな物置状態なのはもったいないでしょ? 備え付けのクローゼットもあることだし、片づけたら、私が持ってきた服と仕事道具一式は、あそこで充分に収まりそうだもの」
ただ、机と本棚は入りそうだけど、ベッドはちょっと無理っぽい。フローリングでお布団は無理があるし、出費は痛いけど、折り畳みができるソファ式ベッドを探してみようかな。
「あの部屋は気に入らないのか?」
あの部屋というのは、私が使わせてもらっている先生のお部屋のことだ。
「そんなことないよ。日当たりも最高だし、とっても寝心地の良いベッドもあるし。ベッドは、さすがお医者さんがお勧めするメーカーだなって、感心しちゃった。だけど、あそこはもともと先生の部屋で、ベッドだって先生のベッドでしょ? 私があそこに居る限り、先生はソファで寝続けるんだもの。だから、あっちの部屋に私の場所を作って欲しいの」
私もイラストを描いたりするのに、もうちょっと落ち着ける場所が欲しい。そりゃ、先生の机を使わせてもらっているから場所的には問題ないけど、やっぱり自分のやりやすいように道具が並んでいる、専用のスペースが欲しいって思うのだ。
「今の部屋じゃ、駄目なのか?」
「だからー。先生がソファで寝ちゃうことが大問題なの。それに、私も自分の仕事をするのに、ちゃんとしたスペースが欲しい」
私の言葉に、先生はお箸を止めて考え込んだ。
「……じゃあ、部屋にあるものを片づけないとな。だが、恵の家にあったベッドは、どう考えても入らないだろ」
「うん。だからね、折りたたみ式のパイプベッドでも買おうかなって、考えてるの。先生があのベッドを買ったところに、そういうの売ってる?」
「折り畳み式なあ……」
そんなものはあったかなあと呟く。
「だったら、こっちの部屋のベッドを買い替えるか?」
「先生のベッドを?」
でも、今のベッドはうちのやつより大きいから、あっちの部屋に入らない気がするんだけど。
「サイズを大きいやつにして」
「今のベッドより大きいってことは何サイズ? キングサイズってやつ?」
「……」
先生が急に黙り込んだかと思ったら、いきなりうめいて両手で顔を覆った。
「ちょっ、先生、なんでそこで顔を隠しちゃうの?! どうしたの?! 風邪?! お腹痛くなった?!」
もしかして、急に具合が悪くなったんじゃ?って心配して、のぞきこむ。
……ん? なんか顔が赤い気がする、しかも耳まで。
「先生、なんだか赤いよ? 顔だけじゃなくて、耳も赤いんじゃないかな」
「分かっている。自分でも、馬鹿じゃないか俺はって思っているところだからな」
しばらくして溜め息をつきながら、先生が顔から手を離した。なんだかメチャクチャ困惑した顔をしている。
「ねえ、どういうこと?」
「仕事部屋を作ることはともかく、あの部屋のベッドをキングサイズにしておけば、二人で一緒に寝られるだろ? それに俺達が一緒に寝れば、グミもあっちこっち移動して、毎晩うろうろするような、落ち着かない状態にはならないだろ」
「グミじゃなくてキャラメルだってば。で、私達、一緒に川の字ね、なるほど」
うなづきながら何気なく呟いていたら、急に恥ずかしくなってきた。居候していた時から、あまりにも変化の無い状態が続いていて忘れがちたけど、私達が一緒に暮らすってことは、単なるルームシェアをしている同居人ってことじゃなくて、そういうことも含まれているってことなんだよね。
「……どうして先生が、顔と耳を赤くしてうめいたか分かった気がする」
「それでどうだ? 俺と一緒に寝ることに対しては、異議なし?」
「えっと……でも、折り畳み式のベッドは買っても良い?」
私の言葉に、先生がちょっと不機嫌そうな顔をした。
「あ、一緒に寝るのが嫌だってことじゃないの。締め切りが迫って遅くまで仕事している時あるし、そういう時は部屋でそのまま寝ちゃえる方が楽だし。途中でゴソゴソして、先生のこと起こしちゃうのも悪いかなって。駄目かな?」
先生はまだ不満げな顔をしていたけど、分かったと言ってうなづいてくれた。
「じゃあ、それで決まり?」
「そうだな。今度、俺が休みの時に見に行くか」
「うん」
そういうわけで「何でも部屋」を、私の仕事部屋兼時々寝室にすることが決まった。
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そして、私の前の部屋の退出が完了した頃に、やっと先生の「まともな」お休みの日がやってきた。ちなみにこの「まともなお休み」をとるのにも、一悶着あったらしい。そのへんの事情は、先生が嫌そうな顔をして話したがらないので、西入先生のお宅に遊びにいった時にでも、それとなく聞いてみようと思ってる。
キャラメルは、私達が出掛ける用意をしているのを見て、いつものように一緒に連れて行ってもらえると思ったらしく、バスケットの前でちょこんと座って待っていたけど、今度ばかりはお留守番。出掛ける寸前まで恨めし気な顔をして、私と先生を交互に見上げていたのが少しだけ可哀想だった。
「帰ったら拗ねてそう」
車に乗ってからも気になって、部屋のベランダを見上げる。もちろん鍵がかけてあるから、キャラメルは出ることはできないけど。
「一人で留守番することも慣れないとな」
「そうだけどさ」
「じゃあ留守番をした御褒美に、今夜はあのカフェに連れて行ってやろう」
「ふてくされて、ベッドの下から出てこなかったりして」
私が買い物に出掛けた後なんかも、ベッドの下でふてくされてるし。
「自分を置いて出掛けるなんて、ひどいパパとママだって?」
「先生と私がパパとママ?」
「それ以外になんて言えば?」
「うーん。一般的に飼い主さんは、猫の下僕とか言われてるけど」
「たしかに、ブラシ係にされて奉仕させられてるよな」
先生は呑気に笑っているけど、パパとママ発言にはちょっとドキッとしてしまった。
実のところ、ベッドを買い替えるって話になってから、急に先生と私の間で緊張感が生まれていた。こんな風に出掛ける時はそんなことないんだけど、一緒に並んでテレビを見ている時とか、お休みなさいって私が部屋に引っ込む時とか。なんて言うか今更ながらの性的緊張感、みたいな?
同居を始めた時に、キスを一回された以外は何も変わらなくて、拍子抜けな気分になっていたことも事実なんだけど、いざそういう雰囲気になってくると、自分でも戸惑うぐらいにドキドキしちゃうっていうか。それにこの前、偶然、洗面所の棚の中に見つけちゃったんだよね……その、エッチする時に男の人が使うもの。先生はまだリビングのソファで寝てるけど、新しいベッドがきたら、私達の関係は今までと違うものになるのかな……。
「恵、顔が赤いぞ? 大丈夫か?」
交差点の信号で車が止まった時、先生が心配そうに手をのばしてきて、額に手を当てる。
「え? そうかな? ほら、新しい家具を選ぶなんてそう無いことだから、ちょっと興奮しちゃってるの。ここ最近は平熱だよ」
「なら良いんだが。少しでも体調がおかしいと思ったら、遠慮なく言えよ?」
「うん、分かってます」
先生が私の発熱のことで、心配性になっていて良かった。エッチなことがあれこれ頭の中をよぎっていたのを、見透かされたんじゃないかってドキッとしてしまったよ。
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「せ、先生、ベッドって、こんなに高い物なの?!」
そしてお店でベッド選びを始めた私は、ベッドの値段を見てびっくりしながらヒソヒソとささやく。なんか私が思っていた金額より、明らかにゼロが一つ以上多いんだけど!
「まあ、キングサイズともなるとそれなりに。それに、ちゃんとしたものを買った方が後々困らないぞ。安物だと、使っている内に人間の体重でたわんだりしてくるからな」
「そういうものなの? あ、こっちの下が収納になってるよ。これだったら、何でも部屋にある細々としたものが入れられるね」
何でも部屋に置かれていたもので意外と多かったのは、先生の難しい本以外の本や映画のDVDだった。なんでも、気になって買ったまでは良いけど、時間が無くてまったく手つかずになっている本とDVDらしい。言われてみれば、本屋さんの紙製のブックカバーがかかったままの本や、CDショップの袋に入ったままのDVDが積み置きされていたものね。
「ここにしまっておけば、気が向いた時に読めるじゃない? それにDVDだって観なきゃもったいないよ」
「まあ場所を変えても、タンスの肥やしになる可能性の方が、圧倒的に高いんだが……」
「もったいないなあ。チラッと見せてもらったけど、面白そうな本がいろいろあったよ。私、シリーズ物になってるやつを、読み始めたところ」
「どうやら恵のほうが、俺より先に読破しそうな勢いだな」
先生が楽しそうに笑った。
「先生も頑張って読まなきゃ」
「だが新しいベッドが来たら、そんな時間はないと思うんだがな」
「そうなの? 病院が忙しくなりそうってこと?」
「そうじゃなくて、せっかく一緒に寝られるようになるんだ。その辺のことを、俺が考えていないとでも?」
先生が、思わせぶりな顔をして私のことを見下ろす。考えてないとは思ってないよ、だってほら、あれを買ったってことは、使う気があるってことだし? 使う気があるってことは、私とエッチする気があるってことだし? だけど本を読む時間もないぐらいって一体……?
「恵だってそうだろ? さっき車の中で顔を赤くしていたのは、そういうことを考えていたからじゃないのか?」
「え?!」
バレてた?!