モブロリおばさんってどんな人?
モブロリおばさんは面倒な性格になってしまいました
てれーん
幼く見られがちな自身の容姿では生徒に侮られると、くぬぎ坂けー子は考えている。だからけー子は思う。虎のような勇ましさこそが自分に必要なのだと。
けー子は幼少のみぎりから体躯が小さい。身体的な成長期を彼女は知らない。成長痛と筋肉痛の違いがわからないほどだ。自分にないもの、足りないもの、欲しいものが大きさだった。
だからこそ、小さい頃は大きなものが好きではなかった。間違いなく自分の小ささはコンプレックスだったし、自分にとって手が届かないものの象徴が「大きさ」だったからだ。
しかし小学校6年生の夏、親に連れられ行った日本画の展覧会で円山応挙の虎絵を見た時、けー子の大きさに対する意識が変わった。応挙の描く虎が、猫のような愛らしさと同時に全てを飲み込むような精神的大きさを孕んでいる気がしたからだ。
テレビや動物園や本で見る虎は大きく、強そうで、怖いものだった。応挙の虎は丸く、ふさふさで、剽軽だった。
どこをどう見ても虎に違いない。虎だと見た瞬間にわかるのに、なんでここまで違うのかが幼いけー子にはわからない。実物の虎とは絶対に違うのに、この絵が虎以外に見えないのは何故かと、けー子は思った。そう思えば思うほど、応挙の絵の中に言葉にし難い大きさを覚えた。
わからない気持ちを抱えながら、幼いけー子は虎絵の前に立ち尽くした。
この時、大きいとはモノの形だけではないのかもしれないとけー子は漠然と理解した。「大きいという事が何かわからないけど、この虎みたいになろう」と、けー子は考えるようになった。そして応挙の虎だけでなく、とにかく虎が好きになった。
それからのけー子は自身を勇ましい虎になぞらえるように、身振り手振りが大きくなった。また人が試さない大きな事をしようとするやんちゃさが生まれた。生来は几帳面で慎重な性格だったのだが、とりあえずやってみる思い切りが生まれた。
そして応挙の虎に心を奪われてからというもの、けー子は虎の絵ばかりを描くお絵かき魔人になり、気が付けば美大に入り、気が付けば美術教諭になり、気が付けば20代の終わりが目の前に転がっていた。
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虎のぬいぐるみに猫キックをお見舞いしている愛猫を眺めながら、けー子はぼんやりと過去を思い返していた。
(身体、大きくなりたかったなぁ……)
慣れ親しんだ自分の身体だが、鏡に映る自分は同世代の友人と比べても、それどころか自身の生徒達と比べても小さく、貧相だった。
本日二本目の缶ビールの蓋を開ける。晩御飯にと買ってきた惣菜をつまみ、冷えたビールを流し込む。ビールは喉で飲むというが、けー子も多分に漏れず喉でビールを楽しむタイプだ。
炭酸が喉を通過し胃に到達するのを感じる。今日の疲れが洗い流されてゆく。手に握るビールの缶を少しだけ乱暴にテーブルに置き、小さくため息を吐く。明日は新学期最初の、しかも一年生の授業だ。
毎年この時期になるとけー子は少しだけ憂鬱な気分になる。それは女子高生が可愛いからというしょうもない理由だ。
けー子は自分の容姿があまり好きではない。決して致命的に器量が悪いわけではないし、不細工ではないという自覚も持っているが、この短躯だけは好きになれない。
最近の女子高生はもう違う人種なのではないかというくらい身体が大きいとけー子には感ぜられ、大人気ない劣等感を覚えてしまうのだ。
自身の半分程度しか生きていないはずの彼女らは、どう見ても自身よりも発育がいい。そして悲しいことに横に並ぶと自分のほうが年下に見えるのだ。
友人に一度その悩みを打ち明けたところ首筋に手刀を食らった。友人曰く、けー子の愚痴は超弩級の挑発に聞こえるそうだ。
友人の言わんとしていることはわかる。自分達はもう眼前に30歳という大台が見えているし、結婚して産後に体型が変わってしまった連中も多くいる。女子高生と並んで同様に見えるどころかそれを下回って見えるなど、魔女的とすら言える。
しかし、それはあくまで相対的な問題だと、けー子は思う。けー子が欲しいのは変化なのだ。人と同じように成長し、老い、そのことに対してあーだこーだ言いたいのだ。女子高生からしたらおばさんなのに、社会的にも既に若者扱いされない様な年齢なのに、自分の容姿を見たすべての人たちがこども扱いをする。
馴染みの店でなければお酒もスムーズに買えない。酔って街を歩こうものなら警察に保護されそうになる。繁華街のキャッチには無視され、八百屋ではオマケのお菓子を貰い、電話を取れば親に変われと言われる。
いちいち口頭で説明するのも惨めで、致し方なく社員証を下げるかの様に首から免許証を下げる様になって随分経つが、こんな悲しいことは本当はしたくないのだ。
けー子は改めて友人とのやりとりを振り返り、独りごちる。
(結局、私が幼く見えるのも、何もかも人生経験の薄さなんだよ)
けー子は恋愛の経験が他人に著しく劣る。誰かを好きになっても相手をされないことが多く、やっとのことで本気だという思いが届いても、やっぱりフられてしまう。結婚なんて夢のまた夢なのだ。
(私はもうおばさんなのに、どんなに頑張っても大人になれない)
うらぶれた気持ちでベランダに出る。
地べたに座り思い切り四肢を伸ばして、一呼吸おいたらタバコに火をつける。これも反抗だ。別に頻繁に吸うわけではないが、こども扱いをしてくる奴らに対する反撃の狼煙なのだ。
ぼんやりと空を眺めながら紫煙を燻らす。別段喫煙が好きなわけではないが、タバコに灯る小さな火と、そこに揺れるか細い煙は可愛いと思う。
しばらくタバコを吸いながら惚けていたけー子だが、突然、あっ、と叫んでタバコをもみ消す。
(明日の授業の資料、もっと詰めようと思ってたのに忘れてた!!!)
ドタドタと、部屋に戻ってパソコンや明日使うつもりの機材を並べる。
猫が迷惑そうな顔でけー子を睨みキャットタワーを駆け上る。
(絶対に、一年生の子達なんかにこども扱いなんかさせねーぞ。戦いの年季の違い、見せてっやからな)
けー子は口角を吊り上げて不気味な笑いを浮かべ、念仏か読経の様な言葉をぶつぶつ呟いている。
猫が欠伸をして丸くなる。
悪ガキの様な顔をしたけー子は眠らない。
授業の準備をするけー子は女子高生に対する羨みなど忘れて作業に没頭するのだった。






