ラウラちゃんと兄さん 2
「あの子、あんまり食べねぇんだって?」
「そうね。今日も水とパンひとくちふたくち、ってとこじゃないかしら」
さっぱりと汚れを洗い落とした俺は、テーブルで湯気をたてるシチューとパンを見やる。
俺は調査や視察やなんかの使いっ走りでいろんな土地に行くが、うちの食事はうまい。いや、贔屓目なしだぜ?
国境を隔てるレシュツでも食材や調理法は大して違わねぇ。つまり、味の問題じゃねぇってことなんだよな。
「俺さ、これ向こうで食べるわ」
「よぅ。邪魔していいかい?」
声をかけると、彼女は弾かれたようにこっちを振り向いた。
おぉ、動いてる、動いてる。今まで動かねぇとこしか知らなかったもんだから、ちょっとした感動だ。
「今から晩飯なんだが、ちょっと付き合ってくんない?みんな終わっちまってんだよ」
言いながらサイドテーブルにトレーに載せた俺の食事を置く。
「あんたには、ほら、ホットミルクだ。ハチミツ入りだとよ」
「あ、あの。助けてくれたの、あなたよね?…ありがとう」
ベッドサイドに置いてある椅子にどっかり腰を下ろして早速シチューに取り掛かってた俺に、彼女は話しかけてきた。
思わず視線がシチューから離れちまうような、そんな声だったよ。
「あぁ、まだ名乗ってもなかったな。俺はマートンだ。アムから聞いたのかい?」
「えぇ。優しくてかわいい弟さんね。私はラウラ。…と言っても自覚はまだないのだけど」
そうして気恥ずかしそうに少し笑いながら、俺の差し出した手を握った彼女は可愛かった。
「そうか。名前な。あーー、悪いとは思ったんだが、俺があんたの荷物にあった手紙から家族に伝えといたんだ。俺は宛名しか確かめてねぇし、ほかの誰にもあんたの荷物は触らせてねぇけど、勝手に探って済まなかったな」
「気にしてないわ。ありがとう」
「ん。ほら、ホットミルクなんだから冷めると台無しだぜ」
まだトレーに置かれたままにしてあったマグを彼女に押し付け、俺はまた食事に戻る。
…ああ!この、ホクホクで、ほんのちょっと煮崩れかかったジャガイモと、とろりと優しくも濃厚なクリームの融合?これだよ、俺はこいつが食べたかったんだ。
「ふふっ。ほんとにおいしそうに食べるのね」
「んん。うまいよ、だって。この味はどこにも負けねぇぜ?ホラ、ひとくち食ってみな」
俺はパンを小さめにちぎって、シチューに浸して彼女に差し出してやる。
一瞬目を丸くして口元のパンを見た彼女だが、そこから雫が垂れそうになってるのを見て、慌ててパクっと食べる。
「…おいし…」
その小さな口元からこぼれ落ちた言葉に、俺はニッと共犯者の笑みを向ける。
「だーろ?ほら、これ食っていいぞ。こんなうまいシチュー逃す手はないぜ」
「…でも、あなたの夕食が足りなくなっちゃうわ」
「これでも一応は、分け合う喜びを教えられてんだ。一緒に食おーぜ」
遠慮なしに食べ続ける俺をおずおずと見やる彼女に、少しシチューの皿を突き出して促してやる。そうしながらも俺は自分の食事を続けてると、そのうちに彼女も小さくパンをちぎって食べ始めた。
なんだ、この感じ。臆病な子猫でも餌付けてる気分だな。
「もう少しどうだ?うちはいつも必ず作りすぎるんだ」
気が付くと彼女に分けてやったパンはなくなり、マグのミルクも飲み干していた。
「いいえ、もうお腹いっぱいよ。ありがとう。…ふふっ。ほんとにおいしかったわ。ごちそうさま」
そう笑う彼女の頬は、少しだけ色付いててさ。それを見ながら俺は、彼女とこれからどうやってやっていくか決めたのさ。
「なぁ、ラウラ。あんたは俺達にとっちゃ今のそのまんまで、あんたなんだ。記憶が戻ったら戻ったときに色々考えるってことで、今はここの暮らしを生きてりゃいいさ」
ラウラの緩んでいた表情と雰囲気が、一気に硬くなった。
…分かるけどさ、まだ俺そんなおかしなこと言っちゃねぇだろ?――まだな。
「…なんたって俺達はもう、あんたをフィヨルハーンから来てる親戚ってことにしちまってんだ。少し付き合えよ」
ニヤッと笑って言った俺の言葉に、ラウラの目が丸くなって氷が溶けたように人間らしさが戻った。
俺の家族はちょっとやりすぎくらいなのが常なんだ。だからあんたも早く慣れたほうがいいぜ?
1章のおしまい。