―7
鮮明で明るい夢を見た。
心地よい陽射しのような白い光に包まれた公園。木の影に琥珀色の輝きを放つ揚羽蝶。蜘蛛が迫るその前に、手を差し出して救う。揚羽蝶の瞳は、エレクドラーロと同じに思えた。
目を開くと、宿の天井。固いベッドの上に横たわったまま、今の夢を忘れないように脳裏に何度も思い描く。寝ている間だけ、手首につけ変えたチョーカーの宝石を撫でる。素敵な夢だった。
起き上がって、ぐぐっと背伸びをして、深く息を吐く。この世界に来てからずいぶん伸びた髪を、ブラシでとかす。プラチナゴールド色のこの髪、とても好き。自分の髪なのにうっとりしてしまう。指を絡ませて、触り心地を確かめた。旅をしていても、ケアは怠らない。ロサとポルから、いいケア方法を教えてもらったから、傷まないで済んでいる。キノキノ祭りから、ロサとポルとはすっかり打ち解けて、昨日なんて一緒に薔薇風呂に入った。まだ薔薇の香りが匂う。女性陣に馴染めると、安心する。レムネーとは大して会話がないけれど、挨拶は出来るようになった。ジオスはもう私を睨まなくなったし、レーガは相変わらずフレンドリー。一行とは上手くやっていけている。キノキノさまさまだ。
魔物討伐一行に同行してから、三十日が経過。魔物の巣を壊滅させたから、滞在するこの街はもう安全。過酷な戦いだったから、二日三日は休むことになった。一日目のお休みの昨日書いておいた。彼らの戦いぶりも街の住人からの感謝も、しっかり記した報告書を、窓から魔法で飛ばす。長く居座れるから、王様の返事がくるはず。楽しみだな。ずっと寂しかった。王様の言葉がほしい。
窓に入り込む風を浴びながら、髪をみつあみした。
「おはようございます、ラメリー」
「おはようございます、メラ」
着替えた頃に、メラマヴロが朝食を持って部屋に来た。いつも通り、部屋にいても私のそばにいてくれる。
「……まだ、エクドラは書き進められないのですか?」
朝食後。ベッドの上でエクドラを読み返していれば、静かに訊ねてきた。エクドラの三章は、未だに書き終えられそうにない。一章や二章はところどころ付け加えるシーンを書いて、王様に送ったけれど。
「戦いの迫力を書きたくて、そんなシーンを考えてはいますが……話の中に上手く入れられないんです。三章の終わりは一応決めてはいますが……そこまで繋げるエピソードが……まとまらないうちに書くと、ぐだぐだに崩れると思うのでまだ考え中です」
しょんぼりと肩を落とす。たくさんのシーンが溢れそうなほど浮かんでいるけれど、全然まとまらない。
「なにか、真っ直ぐに積み上げられるきっかけが思い付ければいいのですがね……。一ヶ月経っても、書けないなんて……おじいちゃんに会わせる顔ない……」
ズゥン、と横たわって落ち込む。
「そんなことありません。きっと報告書と君の手紙にを楽しんでおられるでしょう」
「そう? ……そーかなぁ……返事ないからわからない……」
三章のことを考えると、なんかもう自信ない。メラマヴロの励ましも効果はいまひとつ。悩みすぎて、気力が立ち上がれそうにない。
「返事なら、明日には来るでしょう。今日は休息を楽しんで、物語から離れてみたらどうでしょう」
「そう言われても……考えちゃうんだよね……」
ベッドに顔を伏せて唸る。
「皆と過ごしましょう。さぁ」
メラマヴロは私のためにと、手を取って起こさせた。なにからなにまで世話になってしまい、申し訳ない。手を引かれて連れていかれたのは、宿の一階にある食堂。丸テーブルがいくつも並んだそこに、ジオス以外は揃っていた。挨拶をかわして、席につく。
「ジオスは?」
「アイツなら、情報収集に行ったよ」
「そっか」
レーガから聞いて、納得する。
この一行の決定権を持つリーダーはレーガ。でも行き先を決めるのは、大抵ジオスだ。方法はまだ聞いていないけれど、なんらかの手段で魔物の被害が多い方角を調べてきてくれる。
レーガはジオスを信頼しているから、その方角に進む。観察していてわかったけれど、どうやら二人は幼馴染みらしい。ジオスが親しくする相手は、レーガだけ。他とは礼儀正しいと言うよりも、距離を置いていると感じた。戦いでも、レーガと肩を並べることがあるけれど、大抵は一人で魔物と戦っている。
レムネーの方は臨機応変に協力して戦っているけれど、会話にまざることはあまりない。隙あれば眠っている。一匹狼タイプが二人もいるのは大丈夫なのかと、疑問に思ったけれど、レーガと最強の後衛がいるからバランスは取れていた。今でも、危なっかしいと思うけれど。レーガは年下なのに、立派なリーダーだと感心してしまう。
「あ、あのっ……ラメリー!」
別のテーブルにポルと座っていたロサが私の横に立った。
「なぁに? ロサ」
「そ、その……えっと……」
もじもじしていて、口ごもる。背中にはなにかを隠しているみたい。首を傾げて話してくれるのを待つと、ロサはグッと手紙を押し付けてきた。
「手紙の代筆して!」
いきなりの頼み事に目を丸める。
「誰に?」
「こ、故郷にいる……許嫁に」
「いっ、いい、許嫁!?」
恥ずかしそうに頬を赤らめながら答えてくれたことに、驚いて立ち上がった。
「え? なんでそんな驚くんだよ。ラメリーの世界じゃあ珍しいことか?」
私の驚きっぷりに、レーガは頬杖をついたまま笑う。ジオスには話したから、皆にも話しておいた。私が異世界の住人だということは知っている。
「じゃあ皆いるの!?」
「いや、ロサだけ」
呆気なく返されたそれに、ずっこけかけた。五人中一人だけに許嫁がいるなら、十分珍しいことではないのか。
「ロサは旅を終えたら結婚するって約束をしたのよ」
私の反応に、クスクスと笑うポルが言った。許嫁のランク上の婚約者じゃないか!
「あ、あたし……素直じゃないし、上手く書けないから、ずっと手紙を送ってないの……。だから、ラメリーにお願いしたいの……」
更に真っ赤になるロサは、俯きながらもまた頼む。ロサはツンデレさん。そんなロサがここまで言うのだから、萌えてしまう。
「ロサ、結婚しよう!」
「は!? なに言ってんのバカ!」
「ぶふっ!」
ロサの手を掴んでプロポーズしたら、思いっきり手を振り払われた。レーガは飲み物を吹き出して噎せる。
「ごめん。ロサが可愛すぎて、勢い余った」
「余りすぎよバカバカ!」
「あはは。レーガは大丈夫?」
「ゴホッゴホゴホッ!」
私は動揺する二人を笑った。気を取り直して椅子に座り、ロサにも椅子を出す。
「んー。手伝うのはいいけれど、やっぱりこういうのは自分で書くべきだよ。さぁ、書こう?」
テーブルを叩いて催促をした。
ロサが書き出すまでかなりの時間がかかったけれど、レーガ達も手伝う。ロサの婚約者に、話す出来事が次から次へと出てくる。キノキノ祭りはもちろん、私と会う前の出来事も出てきたから、私は楽しんで聞いた。
「ラブレターを書く時は、木に囲まれた場所がいいだよ。木が力をくれるの。森の中だとか、図書館だとか、こういうテーブルとか」
ラブレターのおまじない。木のテーブルと椅子があるここなら十分。
「ラメリーは試したことあるの?」
「うん」
ロサに問われて私がすんなりと頷くと、後ろで椅子が倒れた。振り返れば、メラマヴロ。倒したのは彼らしい。
「すみません」とメラマヴロは椅子を直す。
「誰誰? 誰にラブレターを送ったの?」
「ふふー、初恋の人にコ、ク、ハ、ク」
ポルが詰め寄ったから、笑顔で答える。するとまた後ろで椅子が倒れた。きょとんとしてメラマヴロを見上げたけれど、謝ってまた椅子を直す。座ったらどうかと話したら、いつも通り仕事だからと断られた。
「それで、おまじないの効果は?」
レーガに問われたけれど、ロサに向かって成功したと力強く答える。
「じゃあ……異世界には恋人が待ってるんだ?」
「え? ああ、違うよ。もう別れた」
「えっ」
「初恋の相手だよ? ラブレターを書いたのは十年以上も前。子どもだったの。上手くいかずに別れたよ。……はぁ、十年も前かぁ……年取ったな」
「やめなさい、ラメリー。二十代で遠い目をするのは」
ポルに止められたけれど、滲みる。あれは十年前の話……なんて語り出せるような年になった。歳だけは大人だけれど、まだ子どもな気もする。
気付けば、ロサが浮かない表情になっていた。私の破局の話でおまじないの信用がなくなってしまったみたい。
「ロサは大丈夫。私は子どもで恋に恋してただけ。ロサの愛は? 自信ないの?」
「……ううん」
話を聞いていて、絆は強いと思ったから、それは愛だと思う。くっついたり離れたりするような子どもの交際ごっことは違うはず。
「愛しい彼に、ロサの愛を送ろう」
ポン、と腕を叩いて笑顔で励ます。ロサはまた頬を赤らめると、静かに頷いた。
昼食を過ぎても、手紙は書き終わらない。多すぎて手紙は束になってしまいそうだ。私は自分の物語の誤字脱字を直すように、手紙を見直した。
「レーガ」
ジオスが音もなく戻ってきたので、私は驚く。呼ばれたレーガは、驚いた様子もなく目を向ける。
「先日の残党が別の巣の方に向かってしまった。結託して街を襲うのは時間の問題だ」
「そうか……。じゃあ明日、出発だな」
この街に危害を加えた魔物の巣は壊したけれど、不在だった魔物は移動した。魔物同士は争わない、どんな姿形をしていても、仲間だと認識する。魔物が増えれば、その分の損害も増えるだろう。あと一日休む予定だったけれど、皆は反対はしない。王様の返事が受け取れないけれど、残念。次に進む。
「買い出しに行きましょう」
「はい、じゃあくじ引き!」
出発の準備のために、レーガは余っていた紙でくじを作る。全員がそれを引くと、当ったのはポルとジオスとメラマヴロだった。メラマヴロか私がくじを当てたら、一緒に行くことになる。メラマヴロは私から離れられないから。
「え? ラメリー、行っちゃうの?」
「ラメリーはいいじゃん。手紙を早く終わらせなきゃ」
立ち上がると、ロサとレーガが引き留めてきた。明日出発するなら、ロサの手紙は今日中に書き終わらせてあげなきゃ。
メラマヴロに目をやれば、反対だと威圧で言わんばかりに眉間にシワを寄せていた。
「ラメリーには俺がついてるからさ! 安心していってくれよ、メラマヴロさん」
胸を叩くレーガは、メラマヴロの背中を押す。レーガがそう言うなら、信頼できるらしい。メラマヴロは少し考えるような表情に変わる。
「そういうことで、ね? 行ってください。ここにいますから」
「……」
私も笑顔であと押してみれば、漸くメラマヴロは私から離れることにした。
「よろしく頼む。レーガ」
「頼まれました!」
ドンッとレーガは胸を張る。一礼をすると、メラマヴロはジオスとポルと一緒に買い出しに出掛けていった。今までメラマヴロは私につきっきりだったから、離れていくのは変な感じ。ちょっと落ち着かない気持ちで席に戻ると、目の前のレーガは頬杖をつきながら私をじっと見ていた。
「ずっと聞きたかったんだけどさー、メラマヴロさんは話してくれないから、ラメリーから聞いていい?」
「なにかな? レーガくん」
「なんでメラマヴロさんがラメリーの護衛になったんだ? 天空の黒騎士が国王陛下から離れるなんて、どんな事情?」
私に答えられるものなら、なんでも答えたかったけれど、質問がよくわからず私は固まった。ぱちくりと瞬きをしてから、首を傾げる。
「……天空の黒騎士って、メラのこと?」
聞いてみれば、レーガも手紙の続きを書いていたロサもギョッとした顔を私に向けてきた。
「メラマヴロさんがどんな騎士かも知らないで一緒にいたのか!?」
「メラマヴロさんが城の守護者、天空の黒騎士と恐れられているほどの騎士だから、安心してこの旅に参加したんじゃないの!?」
「!?」
信じられないと批難されて、震え上がる。城の守護者!? 恐れられている!? あのメラマヴロが!?
「身の程知らずよ!」とロサがそこまで言うから、グサリと突き刺さった。身の程知らずでごめんなさい……。
でも、これで納得いく。だからこそ、王様は私に秘宝を持たせたまま送り出した。メラマヴロが必ず守り抜くと信じているから。
「魔物討伐のメンバーにも最初は加わるって話だったけど、魔物と戦い慣れてないことと陛下の守りの任を理由に断ったんだよな。どうして、ラメリーと来たんだ?」
レーガはまた問う。それは私を守る約束を果たすためと、エレクドラーロを守るため。でも異世界から来て迷子になった話はしたけれど、まだエレクドラーロのことは話していない。レーガ達はドラゴンの召喚の石、と認識しているだけ。私は口止めされていないけれど、メラマヴロは話してはいけないと王様に言われているみたいだし。
でも、レーガ達は信頼できるから、話してもいいよね。
「魔物討伐一行殿!」
そこで、灰色のような甲冑を着た男達がゾロゾロと入ってきた。街の警察みたいな存在、警備隊だ。顔付きからして、ただならぬ雰囲気。
「なんだ?」
リーダーが代表として、レーガは立ち上がって向き合う。
「一行の報告係、ラメリーという名の女を引き渡してください。城を襲撃し、国の秘宝を盗んだ疑いがあります!」
「!」
「!?」
高々と告げられたそれに、レーガとロサ、寝ていたはずのレムネーまでもが私に注目した。首につけ直したチョーカーの宝石が、ズンッと重くなった気がする。
微笑んだ王様の顔が脳裏に浮かんだまま、私は固まってしまった。
20150812