―15
無事に街に辿り着き、雪崩れ込むように宿に入り、各々眠りに落ちた。
海の波のように揺れている青い瞳に見つめられる夢を見る。鮮明で、美しい、眼差し。心地よくて、心地よくて、気持ちがいい。目が覚めたら、気分がとてもよかった。窓を開けて、朝日を浴びる。今日は外で執筆しようかな。昨日の報告書も。早速、部屋に来たメラマヴロと一緒に外で書ける場所を捜してみた。これと言って観光ができる場所がない小さな街だけれど、花屋が多くてどれも店の前に商品をたくさん置いているから、華やかな街と印象を持った。せっかくなので花屋が見えるカフェのテラス席に座って、報告書を書くことにする。メラマヴロに座るように言ったけれど、相変わらず真面目でそばに立つだけ。いつものことだと割り切って、花の香りが満たされたパラソルの下で書く。
他の二人と合流するために、危険な狩人の森を突き抜けようとした。ファメーの狩りの腕は想像以上。魔物に負けたことのない一行、皆があっという間に捕まってしまった。華麗なお手並みと表現したいほどだけれど、仲間が浚われる姿は恐ろしかった。レムネーが自力で脱出し、合流して救出。レムネーとジオスの真の姿を見たことも、救出方法も、細かく書いていく。
「ご一緒してもよろしいですか?」
書き終えて背伸びをしていたら、ジオスが来た。私は笑顔で頷いて許可を出す。
「少し、外していただけますか?」
「……」
ジオスはメラマヴロに目を向ける。押し黙ったあと、メラマヴロは私を見下ろした。頭を下げると、カフェテラスの一番隅まで下がる。メラマヴロが離れた。珍しい。思い返せば、メラマヴロが畏まった言葉使いをする相手は私とジオスだけだった。ヒントが一杯あったのに、全然気付かなかったなんて悔しい。
「どうかしましたか?」
「……あなたが王子様だと、気付かなかった。観察力も推理力もまだまだだな……」
「クス……そう落胆しないでください。王子がこの旅に参加していると、予想ができなかったのでしょう」
椅子に腰を下ろしたジオスは、頬杖をついて気品に笑う。そんな笑みを見て、王子様みたいとは思っていたのだから、ある意味正解していたんだ。
「じゃあ、レーガもガラ国の育ちなんだね?」
ジオスとともに育ったのだから、レーガはガラ国育ち。でもレーガは人間。
「はい。僕の元でずっと剣を振るってくれました。お恥ずかしい話、王の座を巡り、争いが暗躍していて……信じられるのはレーガくらいでした」
敵が誰かもわからない場所で育った。きっと大人皆が信用できず、レーガだけに背を預けて生きてきたのだろう。幼い頃からずっと。疑心の鎧を纏うほどの場所。そこから離れるために、この旅に参加したのだろうか。
「また、あなたに救われましたね」
「仲間ですからね、当然です!」
笑顔で元気よく返したけれど、ジオスは浮かない顔をする。
「……ファメーから逃げ切る自信があったのですが、抵抗することも出来ずに捕まってしまい……自分が情けないです」
「ちょっとファメーを甘く見すぎたよね」
「……ええ、命拾いしました。あなたには不甲斐ない姿ばかり見せてしまい、申し訳ありません」
その話だから、メラマヴロを下がらせたのか。面目無さそうに俯くジオスに、私はただ笑いかける。
「ガラの姿、とってもかっこよかったわ」
ジオスは反省をすぐに終わらせて、にこりと笑い返した。
「エクドラを書いているのですか?」
「うん!」
私の手元を指差して、話題を変えた。今からエクドラを書こうと思っていたけれど。
「一つ、気になるのですが……ラメリーは剣術を習いましたか?」
「へ? うん。一応」
「エクドラの剣の戦闘シーンに迫力がありました。経験しているからこそ、なのですね」
「そうなの! 剣の戦いはね、自信があるのです!」
優しい微笑で褒めてくれるから、私は調子に乗って言い切る。
「一方では、魔法の戦闘は剣と比べて少なく、そして迫力に欠如しているように感じました」
「そうなのです……私、魔法は召喚ぐらいしか見たことなかったから……想像力で頑張っただけなの」
ダメ出しが出るなり、テーブルにべたりと貼り付く。
「そう落ち込まないでください。剣の戦闘シーンに比べたら、です。十分だと思いますよ」
「んー、魔法が当然のこの世界の住人からすると、少し足りないと思うな。この旅で表現力を得ようと考えていたの」
「そうですね、城に居るだけでは、得られなかったでしょう」
魔法を見慣れたこの世界の住人には、魔法は足りないと思うから、成長させなきゃいけない点。旅に出てからは、少しは表現力が上がったと思いたい。
「剣術も、執筆のために学んだのですか?」
「剣術はね、本を読んでいるとわからない言葉と描写があるから、メラに教えてもらったの。一緒に剣を持って。たまに剣弾いてもらってその迫力を体験させてもらったりして、あれは怖かった……」
剣を弾いてもらうという体験は、本当に怖かった。剣だけとは言え、メラマヴロの威圧と剣さばきには、無傷でも血の気が引いた。いい思い出だ。なんて遠目になる私だけれど、ジオスの方は目を丸めた。
「もしや……あなたに言葉を教えたのは、メラマヴロ?」
「あ、うん。そうだよ」
言ってなかったっけ。
「塔の部屋にこもっていたと聞きましたが……メラマヴロがつきっきりだったということですか?」
「うん。メラマヴロが最初本を読み聞かせて、必死にジェスチャーで意味を教えてくれたの」
離れたメラマヴロに聞こえないように、掌を口元に添えて、そっとジオスに話す。あの時のメラマヴロといったら、おかしくておかしくて。
「あの無表情のままで、必死で教えてくれるけれど、失笑しそうになっちゃって、とても楽しかったの」
思い出して、ふふふっと笑う。楽しい言葉学びだった。ふと、紙の上にてんとう虫がいることに気付く。花屋がたくさんあるからだろうか。こんなところで休憩しているみたい。相変わらず、この世界のてんとう虫は大きいなぁ。
「本に書いてある剣の戦闘シーンも、進んでやってくれたから、私も言葉が上達するのも早かったんだぁ。メラマヴロのおかげ」
「……ほう……。そうでしたか……ずっと、つきっきり……」
ジオスに目を戻すと、頬杖をついてメラマヴロに目を向けていた。でもすぐに私に向き直る。顔が近い。それもそうか。ひそひそ話をするように、私もジオスも身を乗り出していたから。
「僕が魔法を教えて差し上げましょう」
「へ? 魔法?」
その近さのまま、ジオスが王子様微笑を浮かべたから、私は離れることを忘れてしまった。
「はい。自分で魔法を使えれば、表現力が増すでしょう? 今の魔力なら、小さな魔法から使えるはずです」
「それは嬉しいけれど……そんな暇はないでしょ?」
「クス、ありますよ。クロロがこの街に来るまで、数日はかかるでしょう。付近の魔物を討伐後、少しずつ魔法を得る方法を僕が教えます」
情報収集もしているジオスには負担になるのではと思ったけれど、そんなことはないみたいで魔法を学ぶことを勧めてくれる。魔法が人を選ぶ。取得する方法は読んだことあるけど、実行するには、当時は魔力が足りなかった。巨大なドラゴンを召喚できるほどまで魔力が増えた今なら確かに出来る。
「じゃあ……お願い、しようかな。お願いします、ジオス先生」
「はい、引き受けました」
頭を下げれば、頬杖をついたままジオスは優美な微笑を返す。相も変わらず、理想の王子様のようで素敵。
「今日は執筆もほどほどに休んでください。明日は魔物討伐に行きますよ」
「はぁい」
もう休んだから大丈夫だけれど、元気よく頷いておく。ジオスは立ち上がるから、話はもう終わりかな。見送ろうと立ち上がろうとしたら、ジオスがテーブルに右手を置いた。かと思えば、左手が私の頬に当てられる。昨日と同じ、冷たく感じるけれど、やっぱり気持ちがいい。
「ラメリーは小さくて愛らしい顔をしていますね」
そう言いながら、指先が私の輪郭をなぞった。そしてわざと垂らした髪を指ですくうと、耳にかける。その耳も撫でられたから、びくりと小さく震えた。
「あなたに見合うピアスを見つけたらプレゼントをするので、その時は受け取ってもらえますか?」
耳を触られていると、ぞわぞわしてくすぐったい。早く離してくれないだろうか。ピアスをプレゼントしてくれる話をあまり深く考えないまま、受け取ると頷いた。ジオスの冷たい手は離れない。まだなにかあるのかと見上げると、青い瞳で見つめ返された。
人間の姿でも優雅な人。他の種族の王子様なのだから、当然なのかも。初めこそは氷柱のように冷たい印象だったけれど、今は優しい眼差しと甘い微笑み。うっとりしてしまう美しさの彼に見つめられて、ドキドキと心臓が高鳴った。
「あと、一言だけ」
私の頬を滑るように手を離したジオスは、穏やかに笑みを深めると告げる。
「愛しています」
ジオスは青い髪を揺らしながら、歩き出した。
「あり、がとう、ございます」
なんとか反応してそれだけを返すと、振り返ったジオスはおかしそうにクスリと笑う。私はただただ放心して、離れていくジオスの背中を見送っていたけれど、手にてんとう虫がよじ登ってきて意識が向く。てんとう虫が、私の手を這う。ジオスとてんとう虫を交互に見てから、私はジオスからそっぽを向いて「私の愛する人を連れてきて」と囁いて息を吹き掛けた。羽を広げててんとう虫は飛び立つと、ふわりと風に乗るように迂回して、ジオスの肩に留まる。
気が付いたジオスは、てんとう虫をつまみ上げると息を吹き掛けて飛ばす。また羽を広げたてんとう虫は、私の元に舞い戻って三つ編みに留まった。
「……っ!」
私はテーブルに顔を叩き付けるように突っ伏する。頭の中で、悲鳴を上げた。耳まで真っ赤になっている。
もう二度と、もう二度と! てんとう虫のおまじないをしない。一生しない。絶対にしない。
落ち着くのよ、自分。愛しています、はあれだ。仲間として、だ。もしかしたら、ファンとして愛しているという意味かも。どちらにせよ、深い意味はないはず。そうだ。王子様に愛していますと言われたくらいで、動揺のあまりのたうち回ってはいけない。胸が、痛いくらい高鳴っている。なんだ、これ。心臓が爆発してしまいそうなほど、この胸の中で暴れている。
「ラメリー……大丈夫ですか?」
「ふぁい!? 大丈夫です!」
いつの間にか、そばに戻っていたメラマヴロに声をかけられて、跳ねるように起き上がる。
「……ジオス殿下は、なにを言ったのですか?」
「へ!? いや、あの、えっと、魔法を教えてくれるそうです!」
「……そうですか」
あわてふためきながら、魔法を教わることになったことを伝えた。
「……君の顔に、なにかついていたのですか? 顔に、触れていましたね」
「え、いや……ただ……髪型を変えたらどうかと、言ってきただけですよ」
「……そうですか」
メラマヴロは静かな声を出したあと、花屋を通り過ぎていくジオスを目にやる。私もジオスの背中を見送った。収まった高鳴りが、再び胸を痛めようとする前に、深呼吸をする。
そうだ。王子様に愛される物語を思い付いた。王子様は実は魔法使いで、運命の人を異世界から召喚し、出会った。そんな物語を頭に描いて、混乱を抑え込んだ。ああ、いや待て。エクドラの四章を書かなくてはならない。その前に、二章の狩人の森のシーンを書き直そう。木の上ならば、ファメーに見付からないことを書き記したい。本だけでは得られなかったことを、ちゃんと書いておきたいもの。
髪に触られたことに気付いて見れば、メラマヴロがてんとう虫をすくい上げている。ふぅー、と息を吹き掛けると、てんとう虫は羽ばたいて青い空に消えていった。
20150902