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空が赤みがかり、ペリドットの森の中が薄暗い闇に呑み込まれ始めた頃。ファメー達は、一斉に戻り始める。日が暮れる前に、獲物を食すため。
ドームの後ろに回り込んだ私は、茂みからファメーが出なず戻ったことを確認して、向かいに待機しているレムネーに合図を送る。馬ほどのサイズのドラゴンを召喚。これが合図だ。
木の枝の上で、レムネーの姿が見る見るうちに変わる。肌は黄色い毛に覆われ、鼻と口が突き出た。尖った獣耳と大きな尾がぶるっと震える。鋭い爪が、木を抉り食い込んだ。まさに狼人間の変身に、唖然としてしまう。レムネーは行動する。耳を塞ぎたくなるほどの咆哮が、ドームを揺らす。途端にドバッとファメー達が飛び出した。咆哮した方に向かって猛突進。網を仕掛けたところに、自分達からひょいひょい飛び付く。頭や足を引っ掻けて、見事捕まる。ざっと十匹。ちょっと爽快。
レムネーは続けて咆哮を飛ばして、呼び寄せる。網でもがく仲間を放っておいて、他のファメー達が向かった。狼姿のレムネーは剣を抜く。背中に背負うような構えをしたかと思えば、一振りで大地を裂いた。茂みと土が舞い上がる。いつもの五倍はある斬撃だ。おっかない。
唖然としていないで、私はエレクドラーロに指示をする。木々が多い中、エレクドラーロは器用に飛び回ってファメー達を攻撃した。羽や尻尾で叩き付けたり、掴んで放り投げたり。空からの奇襲に、ファメー達は困惑した様子。効果は抜群だ。
レムネーとエレクドラーロが存分に暴れている隙に、私は私の役目を果たす。ドームの中央目掛けて飛び込んだ。私が飛び込むだけで容易く突き抜けられた。転がって受け身を取ると、目の前には皆がいる。全員が縛られたまま俯せになっていたけれど、皆が顔を向けていたのでニッと笑顔を見せておいた。可哀想に、馬も倒れている。
ジオスはレーガとポルの間にいた。ジオスをロープを切ったら、レーガとポルのロープも素早く切ろう。直ぐ様駆け寄ろうとしたけれど、メロマヴロが口を塞がれたまま叫んだ。後ろを振り返れば、ロープを持ったファメーが一匹飛び付いた。咄嗟に腕を振って殴り飛ばす。でも、まだいる。今度は二匹。
けれども、備えは万端。例の道具、左の袖に忍ばせたオモリを投げつけて、ピンと糸を張らせれば、一瞬宙ぶらりんとなる。間入れず、更に力を入れてバネのようにして跳ね返した。さっき振り払ったファメーが再び飛び掛かるから、両腕を軸にして身体を回転させてその勢いで蹴り飛ばす。すぐにその足でジオスの元に駆け寄り、拘束するロープを切った。起き上がるなり上着を脱いだジオスは、片膝をついたまま呪文を唱え始める。それを聞きながらポルの拘束を解いたら、さっきのファメー達がまた向かってこようとしていた。獲物の見張り役のようだ。ジオスはまだ唱えている最中、ポルも唱える暇がない。私が相手しなくては。私はナイフをポルに渡して、ジオスの前に出る。
次は両手のオモリを交差するように投げて、糸で作ったバツ印で二匹のファメーを防ぐ。思いっきり引けば、摩擦が起きて切りつけられる。左手を横から振っれば、もう一匹の身体にオモリに続いて糸に巻き付く。外に向かって投げ飛ばせば、ヨーヨーみたいに上手く放せた。初めてにしては上々。たくさん練習すれば、もっと多くの糸を駆使して戦える。是非とも物語に活用したい。
「ラメリー!」
「!?」
ポルの声に、反応しきれなかった。後ろから飛び付かれ、私は押し倒される。まずい。捕まる。でもすぐに、背中に乗る重みが消えた。鼻の先で、ファメーが氷柱で地面ごと突き刺さっている。氷柱は水になって崩れた。
振り返るとそこには、神々しい生き物がいる。旋風のような水を、纏っていた。ノースリーブの白いYシャツのボタンは全て外れ、上半身が露になっている。肌は蒼白く、キラキラと艶が見えた。くっきりある腹筋、厚い胸板、鎖骨と太い首。まるで芸術品のように美しく、艶かしい身体。指の一本一本に這いずり回るように水がまとわりついていて、まるで鋭利な爪となっていた。束ねていた青い髪は、広がって靡く。まるで髪の毛一本一本が、宝石のサファイア。尖った耳の上には、海の底のようなねじ上げられた角が二つある。左目から頬にかけて、波模様の入れ墨が浮かんでいた。顔は、ジオスそのもの。
「……ガラ、の民……」
「おや、ご存知でしたが。流石ですね」
神々しい姿のジオスは、微笑む。唇の隙間から、牙が見えた。
人間の国の隣に、まさに水の都と呼ぶことがぴったりな水の国。水の種族、水の民、その名はガラ。通称、ガラ民。真の姿の時は、名前にガラをつける。だから彼の真の名前はガラジオス・キュアス。ガラ国の王子様。
「怖いですか?」
ジオスは静かに問う。青い瞳の中は揺れている。波が揺れている海のよう。
「素敵……」
地面に座り込んだまま、私はうっとりとしながら溢す。今まで我慢してきたけれど、はうっと漏らしてしまう。どこを見ても、素敵だ。この世で一番、美しい人なのかもしれない。
「よかった……気に入っていただけて。僕のような種族はあなたのような世界にいないそうなので、怖がられると思っていたのですが」
ジオスが私の手を取ると、彼の手に巻き付いていた水がボタボタと地面に落ちた。とても冷たいけれど、気持ちがいい。
「これが僕です。以後お見知りおきを」
「あぁ……」
ジオスはその姿のまま、私の手の甲に唇を重ねた。立たせてもらったのに、それだけで腰が砕けそうになる。
「おい! 馬の用意は出来たぜ!」
レーガの声が聞こえても、私はジオスから目を逸らせなかった。ジオスは私を引き寄せたかと思えば、後ろから抱き締めるような体勢にする。
「よく見てください、ラメリー。僕の魔法は水ではありません。氷の魔法です。ガラ民だからこそ、水を自在に操るのです。僕はガラの王族の血を継いでいる故に、こんなことができます」
ひゅん、と水の爪を嵌めた左手が上げられたかと思えば、森が、地面が、揺れ始めた。よろけて、ジオスの冷たい右腕にしがみつく。目の前から水の柱が飛び出してきた。ドームが吹き飛び、刹那だけ雨が降り注ぐ。
「辺りの水を全て掻き集めました。さぁ、狩人を流します。この光景を是非、物語に使ってください」
ジオスが私の耳にそっと囁くと、左手が振った。津波のように、水は突き進んだ。ファメー達が呑み込まれ、森の奥へと消えていく。ファメーは、一掃された。残っているのは、網に引っ掛かった数匹。水浸しになる森、その上に避難したレネムーとエレクドラーロがいる。無事のようだ。
「時間稼ぎは済みました。街まで六時間でしょうか、飛ばしますよ」
ポカンとしている間に、ジオス達はもう馬に跨がっている。水で流しても執拗に追われるみたいだ。
「エレク! 先導して!」
エレクドラーロなら、少しばかり闇を照らせる。頼んでから、メラマヴロの馬に乗ろうとした。その前に、ひょいっと身体が浮き上がったかと思えば、ジオスの膝の上。ジオスはただニコッと笑いかけると、馬を走らせた。
「それ、初めて見ます。見たところ、即席で作った武器ですか?」
「あ、うん。ファメーが使っていたロープと同じ素材で、その、うん」
「面白いですね。網もあなたが?」
「うんっ」
水の民の王子様と白馬に乗っている。指と指の間にジオスは指を入れながら眺めている上、顔が近い。戸惑いながら、私は精一杯笑みを作る。つい、笑みを浮かべてしまう。
「素晴らしいですね」
優しい眼差しと微笑のジオスは、やがて見る見ると姿が変わった。魔法が解ける。そう表現することは正しくない。でもまさにそう見えた。真の姿が、水滴となって剥がれ落ちていく。角も肌の蒼白さも刺青も、落ちていった。残るのは、髪を靡かせるいつものジオス。色白の上半身が、触れるほど近くにある。細身なのに、引き締まった身体。つい、本当につい、凝視してしまった。
「すみません、ラメリー。ボタンをしめてくれますか?」
「はい喜んで、っいえ! はい、やります」
動揺を押し隠して、私はYシャツのボタンをかける。白馬は走っているし、動揺もしているから、手が震えて上手くいかない。その上、何度も手がジオスに触れてしまうから、私は顔が熱くなった。ジオスに見られないように、顔を伏せる。王子様と白馬に乗って、狩人の森を抜けた。
20150828