―10
次に目を覚ました時、光が舞っていた。桃色と檸檬色と蜜柑色。ふわふわと球体になって私を包んでいた。それを作り出す魔力を放っているのは、愛らしい顔立ちのロサ。くるっと毛先がはねた桃色のボブヘアー。
「天使だぁ……」
天使にしか見えない。
「バカ言わないの」
ロサはムスッとして言い返す。そんな顔も可愛い。合流できたことに安心して、深く息を吐いた。左肩はまだ動かないけれど、右腕も何故か動けない。見てみれば、右にはメラマヴロ。私の右手をきつく握っていた。革手袋は外していて、温もりを感じる。メラマヴロは酷く心配している表情をしていた。当然か。私は握り返して、笑みを向ける。
「動かないで、ラメリー。無理に回復を速めているの。負担が疲労になって残るから、まだ安静にして」
「はぁい」
ロサの指示に従った。身体は重いし、まだ動く気はない。空を見てみれば、少し明るい。夜明けかな。メラマヴロの手を握ったまま、もう一度眠る。
夢を見た。大きなドラゴンの姿で寄り添うエレクドラーロも、私を心配そうに見つめている。
甘酸っぱい匂いで目を覚ます。横を見れば、赤い粒が山になっていた。
「野イチゴだ……」
美味しそうだとは思うけれど、食欲はない。
「この辺にたくさんあったんだ」
拾ってきたのは、レーガ。身なりはボロボロだけれど、すっかり元気そうだ。
「本当に、ごめん。守るって約束したのに……本当に、本当にごめん」
私に魔力が残っていれば、転落を防げた。守ると約束して魔力を使わせたのは、レーガ。その責任を感じて、誠意を込めて謝罪をする。
「出発前日にドラゴンに乗って空飛ぶのは、もうやめようね」
明るく笑いかければ、レーガは笑い返してくれて、何度も頷いた。
「申し訳ありません、ラメリー。離れたばかりにこんな目に……」
「謝らないでください、私の方が謝らなきゃ。離れるように言ったのは私なのに、心配かけてすみません」
「違います。私は君を守ると約束したのです。なのに……落ちたことをすぐ気付くことも出来ず……君にあんな、怪我を……」
メラマヴロは手強い。融通が利かないくらいの真面目さん。怪我した私は酷い姿だったらしく、苦しそうに言葉を詰まらせた。
「皆怪我をします。危険な旅なのですから、メラだってわかっているでしょう? 怪我を負ったのは魔力を使いきってしまった私のせいです。気を付けますから、どうか今回のことで自分を責めないでください。メラは最善を尽くしました、そうでしょう?」
「……」
微笑んで諭すように言うのだけれど、まだ自分を責めているしかめっ面のまま。
「やめてください。メラマヴロ」
そこでジオスが歩み寄ってきたのが見えた。レーガの隣に立つジオスは、昨夜とは違い、身なりを整えている。まるで何事もなかったみたい。白を貴重にした上着やYシャツ。それと束ねた長い青い髪。眼差しは普段通りで、凛としていた。
「自分を責めるのは、彼女を責めていることに等しいです。彼女の指示でポルとロサは離れてレーガの手当てを優先させ、あなたに僕の援護をさせた。あの状況では正しい判断でした。おかげで誰も死なずに済んだ、彼女のおかげです。責めるならば、気を失ってしまい巻き添えにした僕を責めてください」
メラマヴロを見据えたジオスは、畏怖堂々としている。ジオスらしい。やっぱり夢だったのだろうか。でも私の指示は正しかったと説得してくれた。打ち解けたのは、夢じゃないかも。
考え直してくれたようで、メラマヴロが表情を変えた。私を見下ろした彼は、また謝罪を口にすると思って、先に左手で野イチゴを入れてやる。心から私を心配しているってわかっているから、微笑んで両手でメラマヴロの手を握り締めた。メラマヴロは私を見つめ下ろすと、静かに頷く。
「ラメリー、水どうぞ。この先に池があるの、少し休んだら一緒に水浴びしましょ」
ポルが水筒を差し出してくれる。水浴びか。血塗れだし汗も掻いたし、洗い流せるならしたい。
「今がいいな」と起き上がれば、身体が軋んだ。背中から落下しただけはある。呻いてしまったから、レーガもポルもメラマヴロも顔を覗き込んだ。なんとか背伸びしてほぐしてみるけれど、まだ痛い。怪我が直っているだけましと言い聞かせて、メラマヴロに支えられながら立ち上がる。ジオスはもう私達に背を向けて離れていた。私と同じくジオスの背中を見ているレーガは、口元をつり上げて笑いを堪えている様子。面白がっているみたいだ。
メラマヴロに近くまで送られたあと、ロサとポルと一緒に服を脱いで池に入る。透明で冷たくて、気持ちいい。緑豊かな森に囲まれていると、癒しの効果があるようにも感じる。首まで浸かってから、肌を撫でて汚れを取った。左肩を掴んで背中を覗けば、少し赤みがあるだけで傷跡はない。痣のような痛みも感じる。まじまじと見ていたら、冷たい水が降ってきた。
「あたしの魔法を疑ってるの?」
ロサが笑いながら水をかけてくるから、私も仕返しをするけれど、痛くて断念する。力を抜けば、楽になった。三つ編みをほどいて池に浸かりながら、冷たさを堪能する。
「ねぇ、ラメリー。ジオスとなにかあったの?」
「ん?」
「さっき、ジオスがあなたを認めてたじゃない」
「それにいつもはあたしの手当てを受けないのに、すんなり受けたのよ。なにか話したの?」
ポルが問い詰めてくると、ロサも来た。私よりジオスと長く旅をしている二人にも、さっきの発言は珍しかったらしい。
「ちょっと、打ち解けられたの」
私はそれだけを答える。話したことをジオスは、他の人には言われたくないだろう。あんなジオスは、もう見ることはない。
「そう言えば、仲間があと二人、別行動してるって聞いたけれど……」
昨夜の会話からそのことを思い出して、代わりの話題に使ってみた。途端にロサとポルとは嫌そうに顔を歪めて、身を引く。話したくないと態度に出ている。ポルとロサは横目で見合うと、首を小刻みに振り合った。
「別に……知らなくてもいいのよ。彼らは私達とは別行動がいいんだし、陛下だってなにも言わないなら……ね?」
ポルだけが答えてくれるけれど、立派な胸を抱えるように腕を組んでしまい、これ以上は話してくれなさそう。気が合わなくて喧嘩別れでもしたのか。ジオスもよく思っていないようだったし、なにがあってどんな人達なのか興味が湧く。でも、会うこともないなら、聞かなくていいのかも。それより、私は今回のことを忘れないうちに書きたいし、物語を街に着いたら書きたいと思っていた。
わかったと答えてから、指で髪を撫で付けて洗ってから、ギュッと絞る。すると、物音が森の奥から聞こえてきた。メラマヴロが見張ってくれる方とは真逆。ポルが魔法を使おうと身構えた。
茂みから飛び出したのは、アドリンという名の草食動物。犬ほどのサイズで、胴体と尻尾はリスみたいだけれど、足は鹿のように駆ける。それを光の矢が突き刺さり、仕留めた。
「よっしゃ!」
続いて飛び出したのは、光の弓を持ったレーガ。食料のためにレーガが追いかけていたんだ。仕留めた獲物を拾おうとして屈んだレーガは、そこで初めて自分が池に来てしまったことに気付いたらしい。その体勢で池の縁を見て一度固まる。それから私達を見ないように、目を瞑って顔を背けた。
「ごめん! ほんっとうにごめん! 見てないからっうお!?」
後退りすれば、石に躓いたらしく、盛大に背中から倒れる。謝りながらレーガは這って離れた。私達は顔を合わせると、笑い出す。
スッキリしたあとは、髪を乾かすことに苦戦した。まだ身体が自由に動かないから、ロサとポルが協力してくれる。一息ついて戻れば、ご飯は出来ていた。食欲はないけれど、これ以上の心配はかけたくないから、口の中に突っ込む。レーガが摘んでくれた野イチゴは、美味しかった。
「あと一日、ここで休みましょう。付近に魔物はいません」
「一番近くの街で休んだ方がいいんじゃないか?」
今後について話すジオスとレーガが、私に目を向ける。私のための休息について話している。皆が休むべきだけれど、移動できないほどではない。街の方が安全で休める。私を気遣っているんだ。
「一日近くはかかるでしょう。長時間の移動は負担が大きい。ここで休むべきだ」
「私なら大丈夫。早く街に行こう?」
いつもならリーダーと副リーダーの話には加わらないけれど、勇気を出して言ってみた。ジオスは静かに私を見下ろす。昨夜のような微笑みはないけれど、睨んでいるわけじゃない。
「皆が街で休みたいって思うでしょ? 移動できないわけじゃないですし、休むなら宿にしましょう」
ジオスはなにも答えず、頭を掻いたレーガが少し考えたあとに頷いてくれた。メラマヴロも街で休む方がいいと考えているようで、サッと支度を済ませて私とカルディに乗る。しがみつけないと判断したらしく、私が前で、メラマヴロは後ろからしっかりと支えてくれた。
出発をして半日。森はとても長く、なかなか抜けられなかった。いいことでもある。魔物は荒野を好むし、陽を避けられるから。でもジオスの言う通り、病み上がりの私に長時間の馬の移動は苦痛だった。それでもグッと堪えて、手綱を握り締める。街までの辛抱だ。
「休みますか? ラメリー。息が乱れています」
「いいえっ……平気です」
メラマヴロにわかるほど息が乱れていると知り、深呼吸をした。森を抜けてから被ったマントを、深く被る。疲労が、私の意識を遠退かせた。顔も上げられなくなり、カクリと俯くと、メラマヴロが左腕をきつく抱き締めて支えてくれる。
「馬を止めましょう」
「顔色が酷い、寝かせてやらないと」
ジオスとレーガの声が、左右から聞こえた。
「だい、じょうぶっ」
顔を上げようとしたけれど出来ずに俯いたまま、魘されるような声を出す。
「まち、がいいっ」
ああ、吐きそう。カルディの上でそれは申し訳ない。ゆらゆらと揺れると吐き気が悪化しそうで、メラマヴロの腕にしがみついた。私のためだけに足を止めてほしくない。
「とまらないで……」
意識が朦朧とする中で、ジオスの声が聞こえた。
「駆けましょう。あと二時間もすれば着きます」
メラマヴロが私をきつく抱えると、たくさんの馬が声を上げて猛スピードで走り出した音も聞こえる。メラマヴロの固い鎧にしがみついたまま、私は意識を手放した。
揚羽蝶が私の目の前にいる。いや、小さなドラゴン。丸く大きな瞳が私を覗き込んでいた。夏の空のようなスカイブルーが、眠る私を映す。
「キュー!!」
「!!?」
ドラゴンが鼻の先で鳴くから、私は驚いて目覚めた。大型犬サイズのエレクドラーロが私の上にいる。目を覚ましたばかりの私には、眩しすぎる琥珀色のドラゴン。遊ぼうと言わんばかりに鳴きながら、私には頬擦りする。頭を撫でてやりながら、エレクドラーロが出てきていることに疑問を抱く。私にしか召喚できないはず。
「んー……よく寝た」
心地のいいシーツの上に横たわったまま、背伸びをする。石の天井を見つめながら、新しい疑問を抱いた。ここ、どこだ。そもそも眠る前は、なにしていたっけ。起き上がって見ると、コテンとエレクドラーロがひっくり返った。すぐ横には見知らぬ人。いや、知っている人だ。少し長めの黒髪と、黒い瞳の持ち主。私のよく知るメラマヴロだ。一瞬、わからなかった。黒い鎧を纏っていなかったから。薄そうな黒の長袖シャツを一枚。鎧でもっと逞しい筋肉がついているとばかり思っていたけれど、意外と細い。想像よりは。十分引き締まっている身体をしていると、シャツの上からでもわかる。逞しい腕と胸、腹筋まで見えそうな腹、腰の細さ。黒のシャツのせいで、より、なんというか、そう、色っぽい。
「気分は? もう、目覚めないかと……心配していました」
水を差し出され、我に返った私は受け取って飲む。メラマヴロの身体を見ないように、一気に飲み干して天井に目を向ける。
「ベッドで眠っていたおかげで、ずいぶん良くなりました」
落ち着け自分。寝起きから興奮しては体によくない。心臓によろしくない。落ち着くのよ。
メラマヴロの身体を見ないように、髪を整えながら自分を確認する。白の寝間着ドレス。ロサかポルが着替えさせてくれたのだろう。三つ編みがとけていて、波打った長い髪が垂れている。
「覚えがないので、昨日気を失ってしまいました? すいません、運ばせてしまいましたね」
「……昨日ではなく、一昨日宿に着いたのです。昨日は丸一日、あなたは眠っていました」
「……」
ひっくり返えったエレクドラーロは、まだ起き上がれずにいた。尻尾を掴んでひっくり返せば、エレクドラーロは着地に失敗してベッドにずり落ちる。しがみついて、床に落ちることはなかった。飛べばいいのに。
「……丸一日!?」
遅れて私は事実を受け入れる。どうりですっきりしているわけだ。
「そんなっ、もったいないっ。一日あれば報告も物語もどんなに書けるか!」
「必要な休息でした」
淡々と答えるメラマヴロは至って冷静だけれど、私は一日無駄にした分を取り返したくて、ベッドから降りた。上手く立てなくて、倒れそうになったけれど、メラマヴロが受け止めてくれる。私は心の中で、悲鳴を上げた。鎧みたいに固いメラマヴロの身体は、シャツの上からでもとても熱いと感じる。厚い胸板に押し付けた形になってしまった左耳から、じゅわりと熱さが広がった。
「顔が赤いです、熱があるのでは?」
「だっ、大丈夫です! うっ!」
慌てて飛び退こうとしたけれど、失敗。またメラマヴロがしっかりと受け止めてくれたけれど、今度は思わずメラマヴロの頭を抱き締めてしまった。私の胸が、むにゅっと……。心の中で、絶叫した。
メラマヴロは、私を投げるようにベッドに乗せる。顔を俯かせて、黙り込んだ。メラマヴロも胸の感触に気付いたから、離したんだ。気まずい。
「……わっ、私は、報告書を書かなきゃ」
「……医者を呼び、朝食を運んできます。無理をなさらないように」
メラマヴロは顔を上げないまま、部屋を飛び出した。エレクドラーロと残された私は、呆然としてしまう。でもエレクドラーロに小突かれて、のそのそとそばの机に移動をした。王様に報告書を、報告書を書かないと。そう、報告。報告……。最多の敵と苦戦。あの目まぐるしい戦場を思い出しながら、息を一つ。そして紙に書き出した。目にした限りの彼らの戦いぶり。そして、私とジオスが崖から落ちたこと。
「失礼します、ラメリー」
文字を書き綴ることに専念していたら、ペンを持つ右手が掴み上げられた。
「食べなくては」
「……はい」
無理に止められてムッとしたけれど、呼んでも止まらないなら仕方ない。胃に負担をかけない軽い朝食を、ゆっくり食べながらエクドラの構想を練る。レーガと夕陽を見てから、ずっと書きたいと思っていた。机の上で出来る限り書かなければ。
「そう言えば、エレクは何故出ているのでしょうか?」
「……目覚める少し前に、召喚されました。君が眠りながら召喚したのでしょう」
「!? そんなこと可能なんですか!」
「そのようです」
私の朝食を狙っているエレクドラーロに、林檎を一切れあげる。寝惚けて召喚だなんて、迂闊に夢を見られない。
「出発はいつですか?」
「二日後の予定です」
「……私のためですか?」
四日も滞在するのは、私のせいか。顔をしかめると、メラマヴロは首を横に振った。
「皆が必要としています。あの戦いで皆が激しい消耗をしました。体力と魔力の回復のためと、旅の準備のため、必要です」
「……はい」
メラマヴロがそう言うなら、私は罪悪感を持たずに休める。笑みで応えれば、メラマヴロは頷いた。
エレクドラーロには外を飛び回ってもらって、私は部屋をこもって報告書を書く。見直してから、今日はメラマヴロに魔力を込めてもらって、王様のいる城へ飛ばしてもらった。白い鳩のように、空の彼方へと消えていくのを見送ったあと、宿の食堂にいる昼食をとる皆に会いに行く。心配をかけたから笑顔を見せて礼を言う。レーガ達はホッとしたように笑い返してくれた。またジオスだけいなかったから、残念に思う。軽い会話だけして、部屋に戻って物語を書こうとしたら。宿の二階の廊下で、ジオスとばったり会った。私はニコッと笑みで挨拶したけれど、ジオスと穏やかに挨拶したことがなかったから緊張をする。でも、ジオスは柔らかい微笑を返してくれた。やっぱり打ち解けられたんだ。嬉しい。浮き立った気持ちで部屋に入ってから、エクドラを書き始める。
ずっと頭にメモしていたから、順調に進んだ。ちらちらとレーガと見た夕陽と、ジオスと過ごした夜空が浮かぶ。それに突き動かされるようにペンを走らせた。食事も寝る時間も惜しんだけれど、メラマヴロに無理矢理止められてしまう。ペンとインクは取り上げられてしまい、泣く泣くベッドに入った。
翌朝、ペンとインクを返してもらってから、またエクドラを書き進める。楽しくて楽しくて、止まらない。
夕方になると、王様の手紙が届いた。ついてすぐに返事を書いてくれたらしい。嬉しくて、ベッドにダイブして読んだ。先ず、私の怪我を心配してくれていた。前に送ったエクドラの書き下ろしも、キノキノ祭りのことも、書いてある。今までの分の感想が、そこにあった。報告書も手紙も、届くことが楽しみでしょうがない、と。エクドラの三章を待っていることと、最後には皆に向けた言葉で締め括っている。これはあとで皆に伝えておこう。
王様の手紙のおかげか、一週間後には三章は完結できた。早い上に、成長したと自負できるほどの出来に、宿の部屋の中でエレクドラーロと踊って喜んだ。
20150819