赤、その手にて。
彼は私に銃口を向けた。
そのことが信じられず、私はぶんぶんと首を左右に振った。
「どうして? ねぇ、二人で逃げようよ」
「逃げたところでどうせ捕まるよ」
彼の意志は固いようで、私の言い分など全く聞き入れてくれない。
今まで私たちがしてきた事への、天罰が下ったと、彼は言う。
生きるために仕方なかったんです。どうしても生き延びたかったんです。
そんな言い訳は、きっと奴らにとっては無意味なものなのだろう。
「考え直してよ、ねえ。きっとまだ逃げていられるよ」
「もう無理だ。明日の朝には奴らが来る」
「分からないじゃない!」
「いい加減にしろよ」
ぐっと彼は私を睨み付ける。一瞬怯んでしまったが、私も負けじと睨み返す。
「お前、知ってるか? ここら一帯じゃ俺らが一番の凶悪犯罪者扱いだ」
「そんな……」
私たちが、何をしたというの?
お腹が空いたからトマトを食べた。そしたら店の人は盗み食いするなと怒った。
だから、殺した。
逃げるためにどうしても車が欲しかった。
どうせ乗るなら高級車に乗ってみたいと私は言った。
たまたまロールスロイスが通りかかった。
だから、運転手を殺して車を奪った。
海で次の潜伏先を考えていたら知らない子供が話しかけてきた。
機嫌が悪かったし、ストレス発散がてら邪魔だから口をふさいでそのまま海に突き落とした。
それの何が悪いの?
「どうして? 何か悪いことした?」
「賢いよお前は。無知を振る舞い、生きるのは確かに得策だ」
「何を言ってるの?」
「いいか、よく聞けよ」
彼は鼻で笑う。私はぐっと唇をかみしめる。
「逃げようと言ってる時点で、お前は善悪の区別がついてるってことだ」
今まで見た中で一番、呆れたような顔をして彼は言った。
私はその顔を確認すると、笑みがこぼれた。
「いつから気付いてたの?」
「そうだな、最初にお前が人を殺してからかな」
「なぜその時点で私から離れなかったの?」
「見ていて面白いと思ったからだ」
「そう」
怯える演技をやめて彼を見る。
私はどうもモラルが欠如しているらしい。
しかし、決してサイコパスではない。
窃盗や人殺しが悪いことだという事は十二分に承知している。
だけど、自分の感情と欲望が勝ってしまうのだ。
「答えろ。ここで殺されるか、それとも俺を殺して生き延びるか」
「そんなの、決まってるでしょ!」
私は素早く自分の懐から銃を取り出し、彼を撃った。
目の前に広がる広がる鮮血は、とてもきれいに見えた。
今までたくさんの人を殺め、血を見てきたけれど、彼のは特別だった。
「じゃあな」
それが、彼の最期の言葉になった。
完全に動かなくなるのを確認するまで、体中を撃ちまくった。
「もう死んだかな?」
銃をおろし、彼に近づく。血まみれで倒れている彼は、もう息をしていない。
人型の、たんぱく質の塊だ。
「さよなら」
彼の死体にそっと口づけをする。
死体は見慣れているし、人も殺しなれているはずなのに。
どうして。
「涙が止まらないんだろう」
私はやっと気付く。彼を殺してからやっと。
逃げようと言った理由。彼と行動を共にしたいと思っていた理由。
そして、彼に殺されたくないと強く願ってしまった理由。
「好きだったのね、あなたのことを」
彼に自分の存在を、否定してほしくなかった。
そんな理由で今日、初恋の人を自分の手で殺した。