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道標

作者: 結城つばさ

 昨日、オレの妹が死んだ。

 妹はまだ十四歳で早すぎる死だった。

 十七歳のオレは人の死を受け入れられるほど大人ではなく、妹を失ったことは、まるで唯一の希望を失ったかのようなものだった。


 妹が死んで一週間が経ち、オレはいつもどおり古びれた高校の校門を抜け、ある部屋へと向かった。

 そこは陸上部の部室。今日は朝の練習があり、部室の外まで漏れる同級生と先輩たちの楽しそうな雑談。

 オレは躊躇いながらも部室のドアをゆっくりと開け、朝の挨拶を淡々とした口調で言った。

 予想通り、あれほど騒いでいた皆が静まりかえる。

 オレは長椅子に向かい合わせに座る皆の真ん中を通り、自分のロッカーの前にくる。

 椅子の一番端に座っていた同級生で部員の中では一番、快活な男子が気まずそうに、

「……よう。元気だったか?」

 と、話しかけてきた。

 他の部員は再び雑談を始める。

 オレはその同級生の問いかけには答えなかった。

 一週間ぶりに顔を出した部室。元気じゃないから休んでたんだことくらいわかるだろ、と思った。

 無言のオレを見て、同級生は困った風に丸坊主の頭をかき、雑談している皆の所に戻った。

 陸上部のユニフォームに着替えたオレは、

「練習、行ってきます」

 そう言って部室を去った。

 まだ練習は始まってはいないが、あの気まずい空気の中に居たら窒息してしまいそうだ、とオレは思った。

 オレが去った部室の中はまた静まりかえっていた。

「あいつの妹、死んだんだってよ」

「確か、白血病だろ」

「可哀想だな」

などと言っているのが聞き耳を立てなくても想像できた。

 そう、オレの妹は半年前、白血病にかかり病気と前向きになって闘っていた。

 妹はオレと同じ陸上部で彼女の走る姿はたとえるならば、カモシカのように鮮やかで優れた走りだった。

 日差しで焼けた黒い肌。男の子のような短い髪に大きな茶色い瞳で愛らしい笑顔で走る姿が今でも頭の中に残っている。

 妹にとって走るのが生きがいのようだった。

 ある日、オレが高校のグラウンドで百メートルを走り終えてタイムを聞いていると、至急職員室にくるように、とグラウンド内に放送が響いた。

 言われたとおり職員室に行くと、オレの担任の先生。まだ二十代前半で若く、頼りのない顔をしている彼が手招きしてオレを呼んでいた。

 その時に聞かされたのだ。

妹が走っている最中に倒れたということを――。

 病院には行ったが本人は一時的なものとして詳しい検査を受けなかった。それがいけなかったのか半年で命を落とした。

 妹は病名を聞かされてた時は流石にショックだった。両親の支えがあったから前向きに闘ったのだろう。


 オレは小さい頃から夢も希望も持ってなかった。

 父親が大きな夢を持って追い続け挫折してきたためか、両親から夢を見つけても「お前には無理だ」「やめろ」などと耳にたこができるくらい言われ続けてきた。

 それで何度も夢を諦めた。自分は何をやってもダメなのかもしれない、と思うようにな

った。けれど中学に入学して間もない頃。ちょうど今の夏の時期だっただろうか。下校中にグラウンドで走っている偉丈夫な先輩が走っていた。いつも見る景色なのに、天気も良いためもあったのか、その姿が輝いて見えた。この炎天下の中よくがんばれるな、と思ったが先輩の清清しい顔を見て、胸が高鳴

った。オレにもできるかもしれない。

 陸上部に入りたい。この両親がイエスと言うはすがないのはわかっていた。それでも反対を押し切って入部した。やっと夢中になれるものを見つけた。

 オレは想像よりも現実はそう甘くはないことを知らなかった。

 毎日の厳しい特訓。同級生との優劣の差。

 陸上部に入って半年が経ちもうやめようか、と考えだした。その考えを変えてくれたのが妹だった。

 消極的なオレとは対照的な性格をしている妹。いつも言っていた言葉がある。

「人より何十倍も努力すればきっと夢は叶う。それでもダメならまだ努力する」

 最初は諦めという言葉を知らないのか、と思ったが彼女の言う言葉は一理あった。

 オレは妹の様々な言葉に励まされ、陸上を続けた。挫けそうになっても、励まされての繰り返しだった。

 妹が病気で大変な時にまでオレを支えてくれた。

 亡くなった今、オレはどうすればいいのだろう。

 今のオレは一番大事な柱を一つ失った家のようで地震が起きればすぐに崩れ去ってしまうほどもろかった。


 陸上部の部活が終わり、壁の色が剥げている古びた部室を出る。日はもう暮れていた。

 帰りに道、小さくて寂れた公園で幼い兄妹がおいかけっこをして遊んでいるのが目に入った。

 その姿を見ていると懐かしくて寂しい気分になった。

 ドアノブをひねり、家に入るなり母親が妹の部屋をかたずけてほしい、と言ってきた。

オレはため息をつき、一歩進むたびに音の鳴る狭い階段をゆっくりと上り、妹が亡くなって十日は経つ。

 琥珀色のドアには自分の部屋だと判るように妹の名前が記されている花柄の可愛らしいプレートが飾られていた。

 オレは妹の部屋に入った。亡くなって以来誰も彼女の部屋に入っていないのだろう。乱雑に散らかっている場所などがあった。年頃の女の子だな、と思わせる人気アイドルのポスターが壁に飾られてたり、シーツや枕が空色のベットの上には大きなクマのぬいぐるみが置いてあった。

 オレはちらかっている場所を片付けようと妹の勉強机に向かった。

 そこには何通もの封筒が散乱していた。

 いまどき文通するやつがいるんだ、と感慨深げに思った。

 封筒をひっくり返し差出人を見た。まったく知らない人。住所に目をやると市内の人だった。クラスメイトか誰かだろうか。

 どんな内容が書かれているのか気になり、封筒から紙を出した。

 最初に日にちが書いてあり、三ヶ月前だ。読んでみると、妹はオレの話ばかりしていたのだろう。文通相手はオレのことをあまりよく思ってないのか兄のくせに情けないと言った文章がつづられていた。

 気分が悪くなり手紙を読むのをやめ封筒に手紙をしまった。

 急に、階段の下から大声でオレの名前を呼ぶ声が聞こえた。母親だ。

 部屋のドアを半分開けて顔を出し、

「何?」

 と、叫んだ。

 オレ宛に手紙がきている。そう母親は言った。

なぜ、自分宛に手紙がきているのか、怪訝に思った。オレは誰とも手紙のやりとりなどしていない。

 部屋を出て階段をかけおりて、母親から封筒をうけとった。その封筒はやけに分厚い。

 差出人を見ると妹の名前が書かれていた。

 一瞬、驚いた。こんな非現実的なことがあるはずがない。

 誰かのいたずらだろう、と思い封筒をズボンのお尻のポケットにしまって妹の部屋に戻った。

 再び手紙を整理をする。一通の手紙を床に落としてしまい、屈んで拾う。

 立ち上がりまた同じ作業を繰り返していると、足で何かを踏んでしまった。

 足元を見ると先ほど親に渡され、いたずらだと思ってしまった封筒があった。

屈んだときに落ちたのだろう。

 拾ってまたポケットにしまおうとしたがオレはなぜか引き寄せられるように封筒をあけた。封筒の中に封筒が入っていて一枚の手紙も一緒に入れてあった。

 手紙の方には『最初に読んでください』と書いてあった。指示通りに手紙を読む。

『封筒を開いてマーカーで記されている部分だけ読んでください』

 そう書いてあった。封筒を開けマーカーの部分だけ文章を読む。

『お兄ちゃんの走っている姿がとても好きで見ていて、私に生きる力をくれる』

『お兄ちゃんは頼りなくて、私の励ましがないと走ってくれない』

『一番、頼りたかったのは私なのに……』

 オレは最後に目にした文章を見て読むのを止めた。

 妹の自分への思いが痛いほど胸に突き刺さってくる。

 次の文章を読むのが怖かった。一体、なんて書いてあるのだろう。妹はオレのこと恨んでいるのだろうか。

 勇気を出して、最後の文章を読んだ。

『最後だけでもお兄ちゃんらしいところ見せてほしかった』

 オレは魂が抜けたように全身の力がぬけ、その場にひざまづいた。

 自分はなんで妹の気持ちに気づいてやれなかったのだろう。情けない、その言葉しか頭の中に出てこない。

 ふと、もう一枚、手紙の後ろに紙が付いているのに気づいた。それは、妹の文通相手からのものだった。

『妹さんの名前を使って手紙を送ってすいません。

 そうでもしないと読んでいただけないと思ったからです。驚かれたことでしょう。

 そこにお兄さんの走っている姿が好きとかいてありますよね。だから天国にいる妹さんのためにも走ってください。

 それがお兄さんにできる唯一のことだと思います。

 落ち込んでいるでしょうが、妹さんができなかったことをやりとげてください』

 手紙を持つ手はなぜか震えていた。

 こんな情けない自分を走らせるためにここまでしてくれる人がいるんだ、と感動した。

 オレは決めた。妹のできなかった陸上。オレが叶えてやろう。

 こんな自分を変えるのには時間がかかるだろうけど、きっと成し遂げてみせる。

 希望の灯火を瞳に宿し、立ちあがった。

希望や夢のない人たちに読んでほしい。

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