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第一話 旅立ちの日

 ここから本編に入ります。主人公の旅立ちの日です。

 燃えるような夕陽が、山間に沈んでいく光景を記憶に焼けつけるように見つめて、静かに目を閉じる。そうすることで、幼い頃から何度も見た夕焼けを忘れる事などないように、脳裏に焼き付けた。

 空を赤く染めながら藍色の闇に身を沈めていく夕陽は、何処の世界も変わらないから不思議だ。そんな事を考えながら、今生の十五年を振り返る。前世と違い、戦争や異種族、魔法や魔獣、貴族や王が存在する今の生は以外にも穏やかで幸せなものだった。

 地方都市の魔道具屋の跡取りとして生まれた俺は、厳しくも優秀な魔道具師である父に魔法の使い方と魔道具の作り方を教わって日々を過ごした。戦う必要など無く、温かい家で飢えることを知らず、優しい母と可愛い弟と妹、気のいい友人達とご近所さんに囲まれて育った。

 そんな楽しくも安穏とした日々に不満など無く、穏やかな流れに身を任せて生きてきた。

 前世の記憶が在って無いようなものだったというのも良かったのだろう。何しろ前世の記憶といっても、自分はこんな性格で、こんな身分だったとか細かく覚えている訳では無い。ただぼんやりと、学校っていう学園と同じような所が在ったなとか、冷蔵庫とかオセロとかこんな便利ものが在ったな、程度のあやふやなものだ。記憶と呼ぶには怪しいが、しかし確かにそういったものが存在した世界に居たという記憶、いやどちらかと言えば知識に近い代物だ。

 お蔭で、前世の記憶をうっかり口にしてしまってもそのあやふやさに、想像力豊かだなとか、確かに在ったら便利だなと言われる程度で済んだ。その甲斐あってか周囲の俺に対する評価は概ね良好で、『大人っぽくて落ち着いていて、頭の回転も速く独創性もある将来有望な魔道具屋の跡取り息子』である。更に友人達や近所の子供達からは『頼れる兄貴分』というのもつく。

 そんな俺は俗にいう勝ち組という奴なのだろう。女にもそこそこモテる。そんな満ち足りた日々に不満などあるはずがないのだ。それほどまでに俺は恵まれた幸せな人生を生きてきた。そして、そんな幸福に溢れた日々は俺が望みさえすれば一生続くのだ。

 しかし、それは同時に幼い頃からの夢を諦めることでしか手に入らない人生。


 目を開けて、膝の上に乗せていた古びた本をそっと撫でる。【創国の騎士の英雄譚】と書かれたこの本は、書店に行けば必ず置いてあるこの国で最も愛されている、実在した英雄の立身出世の物語だ。

 平民の青年が、祖国を失った若き王子と共に国を再建し、騎士になるというありきたりな物語。前世でもこの手の物語は沢山あったと思う。この国に住まう者なら誰でも知っていて貴賎や老いも若いも関係無く、女性なら英雄のような騎士と恋に落ちることを夢見て、男なら己が第二の英雄になることを夢見る。

 勿論、俺も例に漏れず英雄に憧れ、夢を見た。

 普通の人だったら、その夢は憧れで終わる。何処の世も子供達は夢に破れ、現実を知っていくのだ。そして大人になり、身の丈にあった人生を送る。しかし、普通ならば成長にするにつれて無くなるはずの憧れは、初めて英雄譚を読み聞かせられた日からずっとこの胸に燻り続けていた。その熱は収まることを知らず、見習い騎士と出会った五年前のあの日に消えぬ火となって灯った。それからは、日に日に燃え盛る一方だった。


 そして、十五歳の成人を迎えた今日。


 俺は温かく幸せなこの街を捨て、大切な人達を捨て、この胸で燃え盛る火の勢いに身を任せ、夢を追う。ずっとそう決めていた。


 目の前に広がる、燃えるような赤い赤い夕陽を目に焼き付ける。

 幼い頃から父や母、弟や妹、友人達と数えきれないほど見てきた、俺の一番好きな景色。二度と見ることは叶わないかもしれないこの景色を、この先いつでも思い出せるように。




「あー! やっぱりここにいたわ!」


 見納めになるお気に入りの景色に魅入っていると、聞き覚えのある女の子の声が辺りに響いた。突然聞こえてきた可愛らしい声に振り向けば、俺の可愛い弟と妹が仲良く手を繋いでこちらに向って歩いてきているのが見えた。


「兄さん、今日の主役がこんな所で何してんの。探したよ?」

「………… それは、悪かったな」


 二人の目から本を隠すように服にしまって、立ち上がる。


「早く帰りましょう? 今日は兄さんの成人祝いでご馳走だもの!」


 自分の事のように満面の笑みを浮かべて、嬉しそうに笑う二人の頭を撫でる。まだ頭一つ分は小さい弟とそれよりも更に小さい妹。彼らはこんなどうしようもない俺を心から慕い、尊敬してくれており、正直目に入れても痛くない程可愛い。


「迎えに来てくれて、ありがとな。帰ろうか」

「「うん!」」


 俺の言葉に嬉しそうに頷いて、俺の両脇を固める二人の手をそれぞれ握ってやる。そうすれば、楽しそうに握った手を揺らしながら歩き出す二人に、この時間が永遠に続けばいいと身勝手にも思った。

 後数時間もすれば、この幸せそうな表情は俺の裏切りによって、悲しみと絶望に染まるのだろう。これは自惚れでは無く、確かに起こる確実な未来。それだけ愛されている自信はある。


「帰ったらきっと皆集まってるわ!」

「皆、兄さんの成人祝いを楽しみにしてたからね」

「それは、楽しみだな」


 そう言って、俺に笑いかける二人に俺も笑いかける。あの夕陽と同じようにこの笑顔も、再び見ることは叶わないと思うと胸が痛んだ。

 無邪気に握った手を揺らしながら鼻歌交じりに歩く二人に、心の中で「どうしようもない兄でごめんな」と繰り返しながら俺は家に向って歩いた。







 赤かった空がすっかり黒くなった頃、俺達は家に辿り着いた。家の中には、妹の言う通り友人や近所の人々、それから沢山のご馳走と両親が待っていた。入るなり浴びせられた祝いの言葉の合唱と乾杯の声に父から渡された祝いの品とお酒の入ったグラスを受け取り、俺も感謝の言葉を返した。


 賑やかな晩餐は続く。

 何度も何度も繰り返し皆からかけられる祝いの言葉に、この後の事を思い胸が軋む。それでも、こんな俺を優しく祝ってくれる近所の人や友人、家族達に俺は精一杯の笑みと感謝の言葉を返していた頃、俺は父に呼び止められた。


「シキ、ちょっと来い」

「何?」


 何時切りだそうかと考えていた所での父からの呼びかけに、まさかばれているのかと心臓が騒ぎ出す。しかし、何食わぬ顔で返事をして近づけば、父は珍しく酔っているようだった。常には無い父のその様子に首を傾げる。


「何かあった?」

「………… いや、明日からお前にも店の仕事の一部を任せようと思っている、と伝えておこうと思ってな」

「えっ?」


 思わず聞き返した俺を無視するように、顔を背けて酒を煽る父をまじまじと見つめる。

 今、父は何と言っただろうか? 俺に一部とはいえ仕事を任せる? あの、魔道具に関しては滅茶苦茶厳しい父が? 今日の昼間だって、まだまだだと俺を怒鳴りつけていた父が? 

 突然告げられた、父の思いがけない宣言に一瞬頭が真っ白になった。


「………… なんだ、その顔は」

「いや、だって、仕事を任せるとか聞こえたんだけど……」

「そう言ったんだ。ただし! 任せる、と言ってもあくまでも一部だ。卓上灯の修繕とか本当に簡単な奴だけだからな。調子に乗って気を抜くなよ。お前はまだまだ未熟者だからな」


 照れているのかいつもより饒舌に、そして早口にそう告げて再び酒を煽りだす父に唖然とした。俺に任せるという言葉は聞き間違いではないらしい。そう認識すると同時に、父に認められた喜びが腹の底から込み上げてくる。


「おいおい、シヴァさん。そんな、言い方は無いだろう?」

「そーだぜ。素直に、お前は自慢の息子で優秀だから仕事を任せるっていってやりゃいいのに」

「おいおい、そりゃシヴァには難しすぎんだろ」

「そりゃそうだ!」


 ワハハハハ! と盛り上がる父の友人達を見た後、父を見る。酔いの所為か先ほども薄ら色づいていた頬が、朱に染まっている。聞こえた言葉が聞き間違えじゃないということにも驚いたが、何よりも驚いたのは、いつもならこうやって父を茶化すおじさん達にかけられる怒声が無かったことである。普段なら、「シキを甘やかすな!」、「未熟者を調子づかせるな!」と言った声が飛ぶのだがそれが無いのだ。

 俺と目が合うと恥ずかしいのか珍しく視線を泳がせた父は、それ以上何かを言うでもなく再び酒を煽りだす。そんな父に、おじさん達が「よく言った!」と言いながら酒を注いでいる。

 予想外の事態に驚き母を見れば、嬉しそうに笑っていて、弟や妹は目をキラキラと輝かせていた。


「凄いわ! 兄さん!」

「あの父さんが、仕事を任すって!」


 妹と弟の言葉を皮切りに、友人達や近所の人達が俺を褒め称えた。しかし、皆が口々に褒めれば褒めるほど、俺の胸中は複雑だった。

 職人気質な父は魔道具に関しては、それはもう厳しかった。同じことを二度間違えればすぐに拳が飛んでくるし、俺の造った魔道具を家族や周囲の人が褒めてくれても、父は「まだまだだ」としか言ったことがない。さっきも言ったが、今日の昼間だって怒られたばかりなのだ。

 英雄譚に憧れ、騎士を目指そうとしている俺だが、これでも魔道具師として父を心から尊敬しているし、その期待に応えようと努力してきた。お蔭で、その辺の下手な魔道具師なんかよりよほど腕が立つようになった。これは王都にも行く機会のある、商人のおっちゃんにも言われたから、自惚れでは無いはずだ。

 だから最後まで魔道具師として、少しも認めて貰えなかったことが心残りだった。だというのに、このタイミングでそんな事を言うなんて反則だ。それも少し嬉しそうに、明日の話など。

 俺は今日、この街を出て行くというのに。


 照れながらもおじさん達のからかいを否定しない父と、そんな彼らを見ながら誇らしげにおばさん達と話す母。興奮したように俺を褒め称える弟妹と俺の友人達。俺が父に認められたことを、己の事のように喜び合ってくれる彼らに胸が詰まる。今さらながらに、己の夢の為に捨てようとしているものの重さを思い知った。こんなにも優しく暖かな人々を傷つける未来しか選べない自分が、どうしようもなく許せなかった。

 しかし、皆の大切さを再認識してどれだけ罪悪感に苛まれようとも、己に灯った炎は弱まりさえしなかった。それどころか、父に認められて心残りが減ったのか更に燃え上がっていくのを感じる。


「(ほんっとうに、俺はどうしようも無いな)」


 絶え間なく贈られる賛辞に笑顔で返事をしながら、己の馬鹿さ加減に呆れる。しかし、諦めることは出来ないのだ。そんな選択肢があったなら、五年前にとっくに諦めている。


 俺は、覚悟を決めて父の元へ向かう。

幼い頃から燻り続けた憧れは、もう本人でさえ消せない大きさまで成長してしまっているのだ。ならば、もう腹を括るしかない。それに、これ以上先延ばしにして、皆の傷を深くする訳にはいかない。


「(いや、それは単なる言い訳だな……。皆うんぬんよりも何よりも、これ以上は俺が辛い)」


 ふと思い浮かんだ考えにわらいが込み上げる。何処までも自分勝手な考えしか出てこない自分を心の中で嗤いながら、友人達に断りを入れた。

 輪から抜けようとした俺を引き留める友人達に謝りながら、友人達から離れると様子を窺っていた弟妹が逃すものかと、嬉しそうに駆け寄ってくる。


「「おめでとう、兄さん!」」

「ああ、ありがとな」


 元気よく駆け寄ってきて祝いの言葉をくれる弟と妹を受け止め、二人の頭を撫でてやる。そうすれば、二人は嬉しそうにはにかんだ。やっぱり、二人とも可愛い。決意したはずなのに、可愛い二人に足を止めてしまった自分の意志の弱さが嫌になる。友人達はまだしも、この二人を振り切るのは中々勇気がいるというのに。

 どうしたものかと焦る俺の心情など知らぬ二人は、無邪気な笑顔で俺を褒め称えてくれる。


「もう仕事を任せて貰えるなんて、やっぱり兄さんは凄いね」

「本当! でも、よかったわ。―――― 本当に良かった」

 

 尊敬してます! と言ったキラキラした瞳で俺を褒めた弟の言葉に、心底安心したと言った声でそう言った妹を見る。迷子の子供を見つけた母親の様な、心底安堵した声。大人びたその声に驚きまじまじと妹を見つめる。すると妹は、桃色に染まった頬を両手で隠しながら、まるで内緒話をするかのように声を潜めて俺に告げた。


「………… 私ね、実は、ずっと兄さんはいつか王都に行ってしまうんじゃないかって思っていたの。五年前、見習いの騎士様の話を聞く兄さんは本当に輝いた笑顔を浮かべていたから。兄さんが英雄譚を誰よりも好きだったのも知っていたから、騎士様に兄さんを取られてしまうんじゃないかって本気で思っていたの」

「ああ! そういやそんな事もあったな。だから他の子供達がこぞって話を聞きに行った時も、お前は見習い騎士様達に近づかなかったのか!」

「小さい頃の可愛い勘違いよ」


 そう照れた表情で語る妹とからかう弟。嬉しそうに話す弟妹と、そんな彼らの話を聞きながら優しく頷く近所の人達に、俺を褒める友人達。

 俺が騎士になることを諦め、王都に行く訳が無いと信じきっている彼らの言葉に胸が痛んだ。果たして、この胸の痛みは優しい彼らをこれから裏切る故か、それとも俺の夢と覚悟が子供の憧れで済まされていることに対する悔しさかは分からない。

 一つ確かなことは、俺の胸に燻り続ける想いを皆に告げた瞬間、この優しくも温かい、ぬるま湯のような此処には、もう戻れないということだけだ。


 静かに目を閉じて、深呼吸を一つ。

 そっと目を開ければ、そこに広がるのは安穏とした時間。この穏やかな空気を壊すことに一抹の罪悪感を覚えながら、それでも諦めきれない夢を追うために俺は覚悟を決めて父の名を呼んだ。


「父さん」

「………… どうした」


 普段は殆ど晩酌などしない父は、珍しく首まで薄ら染めるほど上機嫌に飲んでいた。しかし、先ほどまでとは変化した俺の空気を感じ取ったのか、父は少し声を低くして俺に答える。

 白髪が混じり始めた父の髪を見て、歳を取ったなと思った。厳しくも、そっと見守っていてくれたこの人を裏切るのは辛い。ひたむきに慕ってくれる弟妹、いつだって優しかった母さんを思うと胸が苦しい。俺に期待してくれる近所の人や、長い時を一緒に過ごしてきた友人達を置いて行くのは寂しい。

 しかし、俺は夢に生きると決めたのだ。

 呼びかけて置いて、何も言わない俺を怪訝そうに見る父と、そんな俺達の空気に気付き話を止める人々。静まっていく周囲の人々に心の中で謝罪する。そして、怪訝そうな表情の中に僅かな不安を滲ませ始めた父に、「親不孝な息子でごめん」と心の中で謝った。どこまでも身勝手俺に、声に出して許しを請う資格など無い。

 俺は覚悟を決めて、口を開く。

 諦めきれない夢を追う為に。


「魔道具作りに関しては厳しい父さんが、一部とはいえ仕事を任せてくれるというのは、凄く嬉しい。尊敬してる父さんが認めてくれた証拠だから、本当に嬉しいよ。―――――― でも、ごめん。俺は、王都に行くよ。騎士になる為に」


 そう俺が告げた瞬間、ぬるま湯のようだった空間が氷ついたのを肌で感じた。そして顔を歪め、首まで真っ赤に染め上げた父の表情だけがいやにはっきり目に映った。






「―――― っこの、親不孝者が! お前など、もう息子では無い! 二度とこの敷居を跨げると思うな!!」


 激しい怒声と共に、ガンッと蹴りだされる。ジャリと土が額をする感触と、口に広がる血と砂の味に殴られたことを自覚する。

 王都行きたいと言った俺に返ってきたのは、力一杯の拳と罵倒だった。周囲が止めるのも聞かずに俺を罵倒する父に「王都に行く」とだけ返した結果、たった今父に勘当を言い渡され、あの温かな家から蹴りだされた。自業自得である。

 冷たい地面に転がりながら父を振り返れば、逆光で表情こそ見えないが肩で息をしているのが分かった。父から聞こえる荒い呼吸音を聞きながら、痛む体を動かして地面に正座する。

 見慣れた家の扉の前には、逆光で表情の見えない父と父を必死に止める母さん。そしてその後ろで涙を流しながら母同様に父に縋る弟と妹。そんな彼らにもう一度、心の中で「馬鹿な息子でごめん、最低な兄でごめん」と謝り、静かに頭を地面につける。


「―――― お世話に、なりました」

「っ! 王都なり、何処にでも行け! 何処へなりとも行って、好きな所で野たれ死ね!」

「あなた! そんな言い方は―――-」

「「―― 父さん!」」

「金輪際、その顔を俺に見せるな!」

「おにい―― バタン!」


 微かに聞こえた俺を呼ぶ妹の声を遮るように扉は締められた。ゆっくり頭を上げれば、扉の向こうで言い争っている声が聞こえる。土下座をしていた俺には彼らの最後の表情は見えなかったが、きっと彼らを酷く傷つけた。その事実に唇を噛みしめる。殴られた頬が焼けるように熱かった。

 己の白い息を見送りながら、暗く、誰もいない道で十五年間生まれ育った家に向ってもう一度深く土下座する。そして、ゆっくり立ち上がり、歩き出す。そのまま振り返ることなく、一歩一歩足を動かした。頬を一発殴られ、家を追い出される時に一度蹴られただけなのに体中が痛かった。全身に感じる痛みを誤魔化すように、徐々に早くなる足は、何時の間にか全力疾走になっていた。冷たい空気の所為で喉と肺が痛むし、わき腹も痛い。しかし、そんな痛みさえも振り切るように俺はひたすら足を動かし続けた。




 そうやって無心になって走り続けた結果、いつの間にか町の入口に着いていた。目の前を白く染める、己の息を調える。しばらく間、深呼吸を繰り返す。そうして呼吸を落ち着けた後、門の影に昼間こっそり隠しておいた旅道具を背負い、夜勤の門番に声をかける。


「出して下さい」

「―――― 随分と男前になったじゃないか」


 俺の要請にからかうように声をかけてきた門番の名を咎めるように呼ぶ。


「ルドルフさん」

「あの親父さん、魔道具師としての腕は最高なんだが、恐ろしく頭が固いからなぁ」

「ルドルフさん」


 もう一度名を呼べば、ルドルフさんは降参といったように肩を竦めた。そして、先ほどまでの笑顔から一転して凄く真剣な表情で俺を見据える。


「そんな目に遭っても、王都に行くのか?」

「行きます」

「王都は大変だぞ? 物価は高いし、危ない奴らも結構な数居る。運よく学園に入学できても、平民を見下す馬鹿な貴族が一杯居る。此処とは違って、安穏とした時間なんて無いぞ」

「それでも、俺は行きます」

「お前は愛されている。親父さんも奥さんも弟ちゃんや妹ちゃんにも、この町の連中にも、皆お前を愛している。今ならまだ引き返せるぞ。お前がいなくなったら皆泣くし、悲しむぞ」

 

 射抜くような真剣な目は、この人も俺を愛していてくれた証拠だ。

 ルドルフさんの言う通りだった。俺は、皆に愛されているし、大事にされていた。

 そんな人達を、空間をぶち壊したのは他でもないこの俺だ。

 この手で、壊したあの温かい場所を思い返す。

 そして、同時に思い出すのは表情の見えなかった父の顔。

 何処よりも温かいこの場所で、柔らかな綿で包み込むように、ずっとずっと大切に守られてきたことを、俺は一生忘れない。


「それでも行きます。―――― 俺は王都に行って、英雄と呼ばれる騎士になる」


 強く強く、真っ直ぐに。ルドルフさんを射抜くつもりで、見つめ返す。俺を愛してくれた人々を裏切り、捨ててでも追いたい夢がある。


「―――――――――― そうか」


 たっぷりの間を置いた後、ルドルフさんは俺の言葉を噛みしめるように目を閉じた。そして、寂しげな笑みを浮かべると、人一人通れる位門を開けてくれた。


「―――― 行って来い」


 その声に背を押されるように、俺は十五年暮らした故郷を出た。ギィと鳴いて門は直ぐに閉まった。

固く閉ざされたこの門の向こうに居る、力ずくで止めることも出来たのに、そっと背を押してくれた人に頭を下げて、俺は隣町まで繋がる道をひたすら駆けた。

 

 真っ直ぐ続く道を振り返らずに走る。

時折頭を過る、俺が捨ててきたものを思うと目が熱くなったが、その熱に気が付かない振りをして、ただ真っ直ぐに走った。目一杯、精一杯、もがくように、決して振り返らず、前だけを見据えて、ひたすら走った。

 全てを捨てた、愚かな俺に泣く資格など無い。

 夢を叶える、その日まで。



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