新しい水彩画
サイトは条一郎に油絵を教えてくれるという先輩の挙動不振さを横目で見ながら、詠進先輩がノートに筆を走らせていくのを見た。
まず詠進は薄い灰色のような色を真ん中に薄く塗りだした。あれ?薄い色から塗ってくんじゃないのか?その色が乾くのを確認すると
詠進は白の絵の具をパレットに搾り出し、その灰色の上から塗っていった。筆先で器用に描かれていく絵を見てサイトは先輩が
何を描いているのかわかってきた。おそらくこの灰色は背景でこの白いのは猫のアウトラインだろう。そんな予想を立てていると
詠進は茶色でその猫に模様を付け始めた。なるほど、こういう色を重ねる描き方もあるのか。サイトはいままで水彩画というのは
物体に1つ色を乗っけて終わり、という描き方しかしてこなかった。油絵のように少しずつ色を塗り重ねていくその描き方は
1匹のメス猫の繊細さと、鮮やかさを引き立たせていた。最後にヒゲと目を描きこんだあと、ふー、と息を吐き出して詠進先輩は言った。
「完成。ちょっとラフな絵になったけどどうかな?」
所要時間わずか5分。先輩からノートを手渡されて改めて見つめるとノートの中央に猫が寝転がっている絵が描かれていた。
背景を灰色にしたのは猫の地毛が白だったのが理由なようだ。白のノートにそのまま白を塗ってもほとんど効果がない。
そのための下地だったのか。それにしてもこの短時間でしかも人に見られながら絵を描いてしまうのは凄い。たまに商店街の路肩で
商売をしている似顔絵師を思い出した。サイトが目をきらきらさせていった。
「先輩、俺こんな絵の描き方があるなんて知りませんでした!この色を重ねる描き方を参考にさせてもらってもいいでしょうか?」
詠進先輩はいいよ、サイト君の参考になってよかった。と言ってくれた。なんて性格の良い先輩なんだ。初めて玄関先で会ったときとは
大違いだ。サイトはさっそく自分でもやってみます、と言い詠進が描いた絵と同じ写真を見ながら絵の具に色を乗せ始めた。詠進は
少し満足そうな顔をして、他の生徒の様子もみてくるよ、と言って神崎とノマ部長がいる席に向かった。サイトは、もしかしてこれ、
いけるんじゃね?と神崎のような口調で独り言を呟いた。先輩に新しい絵の描き方を伝授してもらったので、この描き方なら本当に
優勝できるかもしれない。と思い始めた。しかし、その軽はずみな気持ちはノートに描かれたぐちゃぐちゃと色が絡み合った猫が
奪い取ってしまった。まるでサザエさん家のお魚をくわえて逃げるドラネコみたいに。