不安でいっぱい
一年生部員達はノマ部長の提案に少し驚きを見せたが、夏の大会が近づいていることもあり、そろそろ力試しをしてみようかな
と気持ちを入れ替えたようだった。ただ1人サイトを除いては。俺は2日前部活に入ったばっかなのになんで2ヶ月前に入ったみんなと
同じ扱いなの?それに絵を描く道具ももってないし、どうすればいいの?サイトは頭の中にさまざまな疑問符が浮かんだが
詠進先輩の前で情けない姿を見せたくなかったので自分の気持ちを必死に押し殺しながら絵のテーマを考えている部員達の
輪に加わった。松野を始めとする1年生部員は2週間後の発表の為に1日も時間を無駄にしたくない、と言った表情を浮かべていた。
ノマ先輩が「あ、あたしこの事を伝えるためだけに部活に来たんだ。帰るね」と言うと足早に部室を後にした。
何か用事でもあったのだろうか。詠進先輩もこの後就職担当の先生と打ち合わせがあるらしく、失礼するよ、みんな無理を
せず頑張って。と彼なりのエールを残し部室をあとにした。部室のドアが閉まり、足音が遠くなっていくのを確認すると、
部室に残された一年生部員は全員ふあぁ~と大きくのけぞりかえった。みんなサイトと同じように不安や驚きを抱えていたのだろう。
神崎がイスを傾けながら愚痴をこぼした。
「いきなり2週間で絵を描けって言われても...無茶振りにも程があるんじゃね?2週間で出来る事なんて限られてるって。」
「逆に考えるんだ。2週間で出来る絵を描いたらいい。」
条一郎が珍しく自分の意見を出したので部員達はそうか、そういう手もあるな、と思った矢先、空気を読まずこの男が発言した。
「僕は2週間で出来るだけ質の高い絵を描きたい。先輩達を見返すぐらいのクオリティの絵でね。そうすれば夏の大会で
全国大会を目指せる。さっきは失敗しちゃったけど、僕はこのチャンスをモノにしたいと思ってるんだ。」
部員達の気持ちがすこし楽をする方向に傾きかけたのにやる気マンマンの松野が水を指したので、あのなぁ、お前、と神崎が
ため息をついた。大和が荒れそうな空気を察知して言った。
「別にみんなで協力して絵を描くわけじゃないから...真剣に描きたい人はそうすればいいし、期間に間に合わせたい人は
それなりの絵を仕上げればいいと思う...」
大和がぽつりぽつりとした口調で言うとみんな静かに頷き始めた。結論はでたようだ。これから1年生部員は締め切りの2週間後まで
にそれぞれ絵を描き先輩達に評価してもらうのだ。条一郎がよし、今日から俺とお前達は敵同士だ!と啖呵を切り出した。
松野がうえぇ?とおののくと、冗談冗談、と笑って弁解した。美術未経験者の彼も不安な気持ちを吹き飛ばそうと必死なのだろう。
サイトが不安を通り越して諦めの境地に達していると、大和が準備室からおもむろに袋を持ってきてその中身をサイトの机の前に広げた。
黒い棒が勢い良く机の上を転がり、練り消しゴムのような塊、汚れた手のひらサイズの布切れが机の上に広がると大和は言った。
「これ...デッサンの為に必要な道具...油絵は描けなくてもこれだったら絵は描けるから...とりあえずこれで下書きなり
なんなり、絵を描いてみたらどうかな...」
サイトは大和の心遣いにすこし感動したが、どうやって使えばいいかわかんねぇよ、と小さく本音を漏らした。
詠進先輩が自分をデッサンしてくれた時にこれらの道具を使っていた気がしたが黒い棒を鉛筆とは違う持ち方で使っていたり、
練り消しを絵に貼り付けていたり、およそサイトがやった事がない技法で詠進先輩は絵を描いていた。素人の俺が真似してできる
ものなのだろうか。サイトは心配事が次から次へと顔を出してきたので、頭が痛くなってきた。
しばらくして神崎が俺、帰りに本屋にでも寄って絵のアイデアをさがすわ、と言って帰る準備を始めた。他の部員達もここで
油を売っているよりもなにか絵を描くきっかけを探したほうがいいな、と思ったのか神崎に続いた。サイトも今日は彼らと一緒に
部室を後にした。頭痛が治まってくるとサイトは大和に言われたようになんでもいいから絵を描く、という事を実践することにした。
大和から借りた袋を抱え、サイトは別方向に帰る戦友達にまたな、と手を振り帰りのバスに乗り込んだ。