特異点
ごくりと唾を呑みこんだ。
「おれは、あんたを最初に見たときから惚れていたぜ……」
時姫は甚左衛門を振り返る。頬が赤らみ、怒りの表情になっている。
「何を馬鹿なことを!」
「本気だ……。一目惚れだった。誰にもこの気持ちは報せていないがね。あんたとこうして死ぬことができて、おれは本望さ」
ひくひくと唇が動き、笑いを浮かべようとする。だが、うまくいかない。甚左衛門は自分は今、泣きだしそうな表情を浮かべているのではないかと思った。
時姫は無言である。
さっと前方に向き直る。
「特異点発生まで、あと二分です」
検非違使が冷静に報告した。
宇宙空間に異常が発生していた。
藍月を動かそうとする【御舟】の戦いは漸く勝利を齎そうとしていたが、船内の重力制御装置に掛けられた負荷は、今まさに限界を越えようとしている。
めきめきめき……と【御舟】の船体が歪み始めた。内部からの力が船体を引き裂き、折り曲がった空間の傾斜に沿って畳まれていく。
強大な重力波を発生させた代償に、【御舟】それ自体が重力錨となっていたためだ。
遂に船内に発生した重力特異点が総てを呑み込み始めた。船体は事象の地平線に落ち込み、直径が原子核より小さな黒穴に船体全体が呑み込まれたのである。量子効果により、黒穴は瞬時に〝蒸発〟し、後には僅かの伽馬射線と光子が放たれる。
後には何も残らなかった。
ただ、藍月が静かに元の軌道に戻っているだけだった。