「足の刻印」
2010.10.04 の作品
・内容
纏足、というものをふと思い付き、何故か勢いで文章にして仕舞ったのですが、案外良い出来になった様に思います。タイトルは文中の踏みつけた小さい足跡、とそれがいつまでも残り、囚われることになる、という意味も少し。あまり考えてつけていない。
女が美しくあらなければ、他に何を価値とすると謂うのだろうか。軈て男に隷属する身を、それ故に褒称を受ける身を有することの、それ以外に。この肉体を数多の男たちに求められる。それだけが女の価値を上げる。伸ばされる手を撰ぶことを経て――いつしか妾を奪い合う男たちの群がるのを見下す高みへ上り詰めること。そして最後には自らが撰んだ一人の男の懐に落ち着く。美の寿命を迎える迄、愛玩人形の如く愛でられ嬲られる為に尽くすのだ。それは女の性として当然だと識っている。故に今更哀しみや怨みを懐くこともない。
それなのに主はそれ以外に、女という生き物の宿すものの内に、如何程の意義が存在しようと謂うのか……。
妾の母は常日頃同じ言葉を聞かせた。ただヽ貧しく、この村近辺一体の中でも妾の家庭は最下層に位置していた。妾等は家族共々に忌避され、邪険に扱われた。そして何よりも都合の好い儘に。酒浸りの父も昼間は重労働の場へ赴いた。そして帰る度に酒を煽る。酩酊の父は日頃の鬱憤を、総じて母に向けた。
母は醜かった。青痣に塗れた躯と、緑や紫の入り交う目蓋。それは或る種の恐ろしさを覚える程に醜悪であった。然しそれ以前に、元より美しくはないのだ。傷跡が生々しく残り、汚らしく脹らんだ足。その先端に在るモノは、足とさえも形容し難い。地を踏む大きな“肉塊”は、際限なく醜さを放っていた。
その忌まわしきモノを持つ母の存在を、人々は嘲る。妾もその内の一人だろう。妾は自身の起源となる母の醜いことを恥じた。突き付けられる現実を知るが故に、醜い母は妾に唱え続けるのだ。
「誰よりも美しくなりなさい。女は美しくなければ、生きることそのものが恥じらいとなるのよ。女はその躯にしか、価値はないのだから。」
母は学問に秀でていた。世では男にしか学は必要のないものとされている。独学で身に付けられる知識など、限られているのは当然だ。故に母が幾ら知識を持っているとしても、精々一般男性の教養程度にしか追い付かないだろう。学に熱中する女とは、自己の存在意義を忘れた愚者に過ぎない。
医学の知識を少しばかり習得していた母は、手先の器用さも加えて妾の“足”を完成させるべく闘った。母の生まれた理由はその為だけであったのだろう。妾が産まれたことによって、母はその存在に意義を持ち始めたのだ。
生後すぐに妾は足を麻の布で固く縛られた。当然の如く血は廻らず、青白くなったソレは、物心がつく頃には既に烈しい痛みを伴うようになる。歩くのを身につけると同時に、砕いた茶碗の破片や尖った石を底に入れた靴を履かされ、より多く歩くことを強いられた。初めてその痛みを識った時を忘れることはない。
幼い妾はその痛みを理不尽に思った。斯様な苦痛を与えるばかりの母を怨みさえした。泣けど喚けど、母は躊躇うことなく足の肉を削ぐ為の――地獄の産物のようなその靴を履かせては歩かせた。妾が地面に怯えを為す程に。
意識を失い、目が覚めるた時にはいつも母の姿が傍らにあった。其処にいる母の表情は極めて穏やかなもので、痣だらけの醜い顔に暖かい笑みを浮かべている。そして妾の足を丹念に、磨り潰して煮詰めた薬草で消毒するのだった。優しさを垣間見るのは其処迄である。消毒を終えた後には、清潔な布を再び固く巻きつけられる。その布は白くあるのも束の間だった。直ぐに妾の血と血漿、膿を吸収して、惨たらしい色に染まるのである。
妾の足の小ささは擢んでていた。そのことは軅て街中に知れ渡った。特注の靴は、妾にしか履けないのを誇らしく思う。妾が十四になった頃には、家に押し掛ける男が幾人も現れ始めた。母はその度に無理な条件を口にし、金銭を少しばかり出させては追い払う。その母の表情は、嘲笑や欺瞞を含んだ深い歓喜の笑みだった。そして背中には常に誇らしげな光を放っていた。
足の傷は完全に癒え、妾の足はどの女よりも小さく、美しい代物として完成した。それを知らない者はいないと断言出来る程に妾の名は広まっていた。街を歩く度――母は妾の後ろで目立たぬよう、護衛として付き添い、見張りの眼を光らせていた――男たちは妾に釘付けとなった。地を踏んだその跡は赤子のように小さなもので、その足跡を下等な男たちは感嘆の声を漏らしながら、届くことのない存在を想って触れるのだ。
妾より美しい女は存在しなかった。同性からは嫉妬され、異性からは憧憬を向けられる。――快感だった。その視線の何れもが。醜い母を蔑みながら、妾は“彼女”を愛していた。妾を誰よりも美しく育てたこの醜い“女”を、妾は他の何よりも『愛してやった』のだ。忌み嫌われてきたこの最も下層に位置する女を、最も高みに位置する妾が。
靴を脱いだ素足を母の前に付き出すと、それを彼女は愛おしそうに触れ、或いは頬を擦り寄せる。それがこの女の至上の悦びであり、妾が示す愛のかたちだった。
妾は街へ出ては己れに向けられるあらゆる情念の含まれた視線を堪能した。憎悪という負の眼でさえ、妾に敵わぬことを認めざるを得ないと識ってのものであった。故に酷く心地好く、嗜虐性を煽った。母は後ろで……まるで姫に添う従者そのものに成り果てたかの如く、己れの姿を包み隠しながら、休むことなく見張りに当たっていた。
小さな森の前を通る時、人混みはいつしか消えていた。辺りは閑静に満ち、視線を放つ眼の数々も既に失せている。
不図、何か子供心にも似た解放に身を委ねたい気持ちになる。妾は何かに心を奪われたように放心し、母を退かせ、我が身ひとつで森へと足を踏み入れた。面積の小さなこの足にも、確かに砂地の外とは違う、湿り気を帯びた柔らかな土の感触が伝わってくる。それは何か、今の心境を具現化したようにも思われた。妾は我武者羅に奥へと突き進む。如何程歩いたのか、小さな湖の畔が眼前に現れた。青い空の色を反射した水面が陽光に煌めいているのを忽然と眺める。そうしていると、まるで産まれ堕ちてからの今迄、この足の小ささに相俟って、縛られ凝縮させられていた感覚が緩やかに解けていくのを感じた。固形の砂糖が微温湯の中で融和していくような。――あれ程に彼の畏敬と嫉妬の視線を快楽としてきた筈なのに、妾はどうしてかその自身を、酷く惨めにさえ想えてくるのだ。不思議なこの感覚が忌わしくて堪らない筈なのに、醜い母がただの哀れな女で、妾はその母に対し、羨望にも似た感情が込み上げてくるのを感じる。その感情を抑えようと諍うものの、収まることは疎か、次々と溢れて止まない。
「妾はどうしてしまったというのだ……。」
口から無意識に漏れた言葉の音に、酷く違和を覚えた。同時に久しく自身が音を発していなかったのことに気付かされる。妾は、こんな声をしていたのか。……こんな、平凡で、幼い声を。――
木々が烈しく揺さぶられる音がした。人の気配を感じ、妾は焦燥に駆られながらも咄嗟に振り向いた。小柄で身窄らしい風体をした男が其処にいた。男は僅かに驚いた表情を見せたが、直ぐに幼子を見るような表情に変わった。――それはまるで妾を哀れむようであり、包み込まんとするように。その初めて向けられた、普段のものとは対極の眼差しであった。慾など微塵も感じさせない、親が子に向けるような暖かみを含んでいるような。妾は思わず狼狽えたが、自身の立ち位置を思い直し、苛立ちを顕わにして睨め付けた。
「其方は、噂の静芳殿か。」
男は穏やかな口調で囁いた。その声色と表情は得も知れぬもので、妾を更に不快にさせる。
「主には随分と遠い存在であろう。妾は最早御主のような下層に生きる人間の手の届く対象ではないのだからな。主も充分理解していることであろう。」
妾は目の前の不快な男に嘲笑を向けて放った。男はそれでも猶、表情を変えない。
「そんな悲痛に満ちた顔で、不安で一杯だといわぬばかりの表情で、……其方は何をそんなに強がっている?」
男の奇妙な言葉を、妾は現実のものと思えなかった。然し目の前にこの男がいる。その存在と浮かべられた表情は、現実のものに相違ない。妾はそれを否定してしまいたいと躍起になる。
或いはその言葉は“妾”に向けられたものではなかった。――現実に存在する、人々の視的感覚で築き上げられた“妾”には……。
「御主は何を言っているのだ?妾が、不憫な顔をしていると……?妾が嘆くことなどありはしない。他のどの女よりも美しい妾が、何を不憫に想うことがあると言うのだ…?
……この妾が、――」
叫びながら、妾は突然に自身を取り巻くものが判らなくなった。肢の力が抜けていくのを感じる。それさえも、その感覚が自身のものではないような、眩暈のする程に奇妙なものだった。
「妾が、哀れな女だと申すのか……。」
その言葉は、男に向けて放ったものなのかを自身でも知り得ない。
「其方は弱い。……少なくとも、己にはそう見える。傲慢に満ちた振舞いをしても、同時に其方は怯えている。足の小ささを美しさだと、真に思っているのか?……その意味を、其方は識っている。その美しさが、男の慾の都合に過ぎないことを……」
「煩い!……女は、……女は、美しくなければ価値はない。端から弱く産まれてきたのだ。弱者は強者に抗うことは適わない。弱き者はその場所で強き者の犠牲となりながら生きなければ……。
男の気に召され、妾に集るのを嘲り、その瞬間の悦楽を堪能出来ればそれ程に幸せなことはない!譬えその後に生き残った強者が手に入れるのを待つのみであれ、手中に収まった後に甚振られたとして、其処に初めて価値が……女である妾の価値が、“産まれる”のだから……。」
口からその言葉を吐き出し終えると同時に、烈しい虚無に襲われた。美しい筈の妾が、酷く哀れに想われ、賞讃である筈の、名誉である筈のこの形容詞が、同情や憐憫のものに想われてくる。何故かは分からない。ただ、価値とは何なのか。その疑念が生じる。それはすぐに霧散して翳りとなった。覆われた視界は曇りを増していく。――本当は分かり切っていたのだ。
「妾は、醜いのか……。この矮小な足に価値はなく、それに気付かずに意のままに誑かされ続けて高飛車になっていた妾は、愚かしく、醜い女なのか……。」
「足の大小などに価値はない。それが人間の秤だなどと、それ程に莫迦げた噺などありはしない。――其方の美しさは、その謙虚な心の内に、在るではないか。」
その場景を全て把握したのは、ずっと後になってからであった。崩れる妾に男は歩み寄ったが、男は妾に触れることさえしなかった。垢で黒ずみ汚れた掌は、洗い落とせば赤みを帯びた鮮やかな肌色であろうことは直ぐに判った。痩せて骨張ってはいるものの、分厚く大きな掌は、温かく、何より清いものだろうと、直感的に想ったのだ。
妾を迎えたいと申し出る男の格は上がっていき、高嶺の花と成った妾に無暗に近付く者は遂に現れなくなった。暫く後に、妾は隣町の最も富豪長者である男の許に嫁ぐことが決まった。妾へ向けられる感情は嫉妬から羨望へと変わり、一部から上がる歓声が大きく響く中、盛大に祝福を受けた。
妾はあの日から、その無表情を決して崩すことはなかった。微笑さえも、既に浮かべることはない。苦痛も悦楽も感じ得ない。全てが感覚や神経を道連れにして、忘却の彼方に葬り去られたかのように。もうそれらを手繰り寄せることも叶わない。――ただ、不図あの時を憶い起こし、あの掌が妾に触れていたら……と考える。
あの汚れた掌は、垢の一つさえなかった妾白い膚を汚したであろう。……それは真の汚れであったのだろうか。何かあの男の手は、妾の内側を清めて呉れたかも知れないと下らぬ回想をしては、目蓋を閉じて再び闇の中に葬った。
最後に見た、初めて白粉を纏った母の祝福の表情は、丹念に粧し込まれ、真白く生気を失った妾の容貌よりもずっと美しいものに想われた。その感情は敬愛という、新たな感情であったように思う。
妾は母を、初めて尊敬の意を込めて……愛した。本の束の間の感情だった。
「静芳…。やっと我が物に成って呉れた。……美しき、静芳――。」
広い屋敷の中で、妾は初夜を迎えた。女として生まれた証明である儀式を受けたのだ。そしてその真の意を、我が身を以て識ることとなった。今迄の苦痛や、女同士の競べ合いは、このひとつの目的の為だけに在ったことを。この讃美を受け続けた躯の奥底にある、価値という紛い物を。
痛みに顰めた顔の上を赤黒い舌が這い、男が厭くまでソレは続けられた。それは気紛れに、幾度となく、妾の何かを摩耗するべく。一糸纏わぬ妾の、青白く小さな丸みを帯びた先端の“美の証”を男は慾に満ちた表情で見遣り、嘗め回した。執拗に這い廻る、ぬめぬめとした不快な温度を放つソレに翻弄されながら、幼い頃の記憶が脳裏を掠めた。鈍い痛みが襲い掛かる。
母の表情と、――あの時、ただの一度だけ出会ったあの男の表情が交互に憶い起こされる。妾は記憶の中の温もりを感じながら、現実のあまりに冷やかで忌わしいことに、無言の内に泪を一滴零した。
目の前の男はそれを見て、卑しい笑みを一層湛えた。耳許に生温い風を送ると共に、嗄れた声で何かを囁きながら、頻りに舌を動かし続けた。
・解説
美の褒賞、という事の惨酷さを描きたかった。昔の文化を通じて、性差というものを意識した上で、「侮蔑」の感情の無意味さや、親子間での愛情の形は文化によって左右されるのも仕方ない、..etc。
「価値」というものの捉え方を考える、という意味も込めたがその辺りはあやふやに。
・反省点
マニアックなテーマにも拘らず、余り活用できなかった。"纏足"の文化は好きです。すいません。




