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ビンカン勇猛殿下とほんわかドS令嬢の、電撃契約婚

作者: 鰯野つみれ
掲載日:2026/03/07

 足早に廊下を進み、皇帝執務室のドアを乱暴に開け放って、中に踏み込む。


「父上!!俺に全く断りなく婚約者を決めたとは、一体どういうことです?俺は結婚するつもりはないと……!」

「わぁっ、ちょっと、ランドルフ殿下!いくら何でも、陛下のお部屋にアポ無し突入するのはいけませんって!」


 側近のディアドラが追い縋って来るが、構うものか……!


「何だ何だ。そのように声を荒げるでないぞ、ランドルフ」


 響いた俺たちの大声に、室内にいた全員が驚いて注目していた。

 父上がこちらの興奮をなだめるかのように大きく吐息をつく。


「む、失礼しました、父上。謁見中でしたか」

「はっ。申し訳ありませんでした、陛下!」


 俺とディアドラは揃って頭を下げる。


 大きめのテーブルを囲むように置かれたソファー、父上の対面に座っているのは、貴族の男と令嬢の2人。


 父上が謁見室でなく、あえて執務室に、側近でもない者を呼ぶというのは珍しい。

 しかも、俺以外の皇族も勢揃いしている、というのも異例だった。


 父であるブランドン帝国皇帝・オーガスト、母である王妃・アデラ、まだ8歳の双子の弟のクリフォードとオズワルド、そして俺、ランドルフ――これでブランドンの直系王族全員が勢揃いだ。


 貴族たちが席を立ち、俺に対して臣下の礼を取る。


 ……確か、この見るからに温厚そうな男の方は、スプリングフィールド侯爵家のアーチボルド卿だったな。

 令嬢の方は見覚えがないが、侯爵と栗色の髪の色みがそっくりだから、娘なのだろうか。


 真面目な表情の2人、どうやら込み入った話題について語り合っていたようだ。


「……出直します」

「いや、このまま話を聞いていけ。元々お前も呼ぶ予定だったのだ」


 だったら後でいいか、と回れ右をして立ち去ろうとしたが、そのまま父上に引き留められてしまった。


「彼らとは、お前との婚約について話そうとしていたのだからな」

「なっ……!?まさか」

「その、まさかだ!」


 少しおどける口調になった父上は、いやに楽しげだ。


 俺はバッと令嬢を見る。

 つまり、そこに座っている彼女こそが、俺の婚約者になると決まった令嬢……!?


「ランドルフ、こちらに来い」


 こう呼ばれたからには、従うしかない。

 俺は父上の前に。

 ディアドラは壁際に立ったまま控える。


「シャロン嬢も、ランドルフの前へ」

「はい」


 父上に名を呼ばれ、その令嬢が俺の前に立った。

 ゆるく波打った栗色の髪は背中までの長さ。

 ふわふわと動くたびに揺れていた。


 ……春の花の匂いがする。

 香水だろうか。


 何の花の香りかは武骨な俺には分からんが、とても女性らしい「いい匂い」だった。


「っ……!」


 ――れ、令嬢が。

 こんなに近くに。


 もの慣れない状況、思わずザッと一歩下がって自分の心に言い聞かせる。


 近づきすぎてはいけない!

 か弱い令嬢にとっての俺は、とても「危ない」のだから……!


「スプリングフィールド侯爵家の次女、シャロン嬢だ。これ以降、彼女を婚約者、つまり将来の皇太子妃として取り扱うことを宣言する。シャロン嬢も、良いな?」


 父上に「良いな?」と言われてしまった。


 つまり、もうこれは確認ではなく皇帝が決めた確定事項で、俺の一存では覆せない……。


「ありがたきことにございます」


 答えて頭を下げるシャロン嬢、と侯爵。

 ハーフアップに結ばれている彼女の髪には、俺の髪の紺と瞳の金色に合わせた紺に金の刺繍入りのリボンが眩しい。

 皇帝の許可がない限り、そんなふうに皇太子を示す色を身につけるなんてことは許されない……。


 つまり、俺には内緒でこちらにはとっくに話を通していた、ってことだ。

 俺が婚約から逃げられないように。


「さて、シャロン嬢。お主のギフトが『一切の他人のギフトを、相手に触れて無効化することができる』という能力であることは間違いないな?」


 正直、俺は内心ではまだ、この結婚について飲み込めてはいない。

 ただ、父上のシャロン嬢へのこの台詞には、普通に心惹かれた。


「……は!?」


 思わず声に出して驚いてしまうくらいに。


 この世界の住人に対して、創造神様はたまに恩寵として「ギフト」という特別な力をお与えになることがあるわけだが……。


 確かにこの令嬢なら俺のためにもなるか……と、俺はふと考えてしまい、いやいや、と頭を振る。


 それにしても、「他人のギフト無効化」なんて!!

 チート過ぎるだろう!?


「はい。左様でございます」


 しかし、こちらの驚きはさておき、シャロン嬢はさしてそれを誇りもせず、淡々と肯定していた。


「……そうか。じゃあ早速だが、ランドルフの体に触れてみて欲しいんだが」


 父上はそんな彼女に一度、納得顔をして。

 それから、とんでもないことを言い出した。


「な、何を突然に仰るのですか、父上!?」


 この俺に触れる、それは普通の人間にとって、令嬢にとっては、増して禁忌に近い行為ではないか!


「それは、一体どういう……?」


 ああっ、その顔!

 やっぱりシャロン嬢も戸惑ってしまっているじゃないか……っ。


「ち、父上」

「そうだな、話すしかない」


 どうやら、彼女の表情で、父上も「俺の事情」を隠したままではいられないと悟ったらしい。


「今から話すことはごく一部、この場にいる者だけにしか知らせない。スプリングフィールド侯もシャロン嬢も他言無用に願いたい」


 改めて念を押す父上に、ゴクリと息を飲み、侯爵もシャロン嬢もその姿勢を正す。


「我が息子・ランドルフは王国の歴史始まって以来、最強の雷属性のギフトを創造神様より賜っている、ということは知っておろう?」

「はっ。有名な話ですな」

「私も存じ上げております」


 そう、俺には雷魔法を使えるという、武の面では最強に近いギフトが与えられている。

 ここまでは広く公開されているため、国民皆が知るところだ。


「だがしかし、その威力があまりにも強すぎてだな。今やあらゆる魔道具も効かなくなり、長時間の公務には支障が出るほどになってしまったのだ」


 秘されているのはこちらの情報。


 そのギフトの強さこそが、俺が他人に、とりわけ女性に全く近付けないでいる理由なのだった。


 今や、感電しないような耐性を持ったギフトの者しか俺には触れられない。

 そして、そんな珍しいギフト持ちはこの世にめったにいないのだ。


「そんな……」

「何と!」


 シャロン嬢もスプリングフィールド侯も驚きの声を上げる。

 実際、今では家族さえも全く俺に触れられてはいない。


「そしてここ最近、またお前の雷の力が強くなったそうだな。ランドルフよ」

「それは……はい」


 父上が確認するように聞いてきた。

 いたたまれず、俺は口ごもるしかなかった。


「先日も、我が国最高峰の実力者が作った制御用の魔道具を故障させ、パーティーで握手をした他国の外交官にうっかり電撃を食らわせていたな?」

「確かに、その通りですね……。も、申し訳ありませんでした……」


 うっ、やはりお叱りをうけることになった、か……。


 俺は父上からそろりと視線をそらす。

 自分の両手を所在なく握りしめて。


 実は3年前の俺がまだ18歳の頃、この国では謀反が起こりかけていた。

 当時はその鎮圧のために、神から俺に与えられた雷のギフトはかなり重宝したのだ。


 その頃は戦うたびにどんどん放電できていたが、ここ最近は平和になったことでなかなか荒事が起こりにくくなり、放電する機会も減ってしまった。

 そのせいか、俺の身体に加速度的に「雷の力が溜まってしまう」ようになった。


「このままでは公務もままならぬ。何としても平和的な形で雷の力を抑える必要がある。それはもう分かっておるだろう?」

「っ、分かっています……」

「そういうわけでお前のギフトに対応できる者を婚約者として選んだ。ランドルフ・ブランドン皇太子。これはブランドン帝国皇帝としての命令である!」


 ビシッ!と父上が俺を指差し、母上も言葉は発さないものの、ウンウンと隣で大きく頷いている。


 そんなお前にこの上なく利益がある令嬢を選んだのだから納得して受け入れろ、ということを両親は言いたいらしい。


「そういうわけでな、シャロン嬢には余の不肖の息子のために、協力を求めたい」


 父上は改めてシャロン嬢に呼び掛ける。


「婚約者、将来的には皇妃として、私のギフトでランドルフ殿下の力を抑えて、その治世をお支えするのですね?」


 心得ております、と言いたげに胸に手を当てて、少しキリッとした表情になるシャロン嬢。

 そうするとキラキラと瞳に輝きが増す。


「頼めるか?」

「はい!」


 そうして、シャロン嬢は、くるりと父上から俺の方に向き直る。


「ヒエッ……!」


 俺はまたザザッ、と後ずさった。


 だって、まずこの令嬢、俺よりも体格がずっと小さいじゃないか……!?

 背丈は俺の胸部にちょうど頭がくるくらいだ。


 子猫ちゃんなのか……?

 いや、むしろ、俺の上背がありすぎるのか?


 そして紺のドレスの袖から覗く腕は、とんでもなく華奢じゃないか!

 雷の危険がなかったとしても、ほんの少し触れただけで骨折させそうな気がするな……!?


 そして次に、滅茶苦茶可愛らしい容姿。

 きゅるんとした瞳はヘーゼルの色で、興味深そうなキラキラした目線で俺を見つめ続けている。


 飛び退いた俺を不思議に思ったのか、?マークを頭の斜め上に浮かべて首を傾げているさまも、ピンクの唇がポカンと少し開いてしまっているのも、小動物みがある。


 やっぱり子猫ちゃんなんだろう、この子?


 髪をハーフアップにしたせいで小さな耳が露になっていて、その耳から肩にかけてのラインに、自然と目線が行ってしまう。

 肌、スベスベしてそうだな……。


「コラコラ、そんなに乙女を凝視するな。ランドルフよ」

「っ、あっ、も、申し訳ない!」


 思わず吸い寄せられるように見つめてしまっていた事実に気が付いて、俺は慌ててシャロン嬢の肌から視線を外す。


「え?いえ……!そんなふうに目線を合わせてお話して下さること、嬉しいです!」


 不躾だったと反省したが、シャロン嬢はほんわかした微笑みを浮かべている。


 い、いい子……!

 性格も優しくて人を疑わない、いい子じゃないか……!


 しかし騙しているようで申し訳ない、今チラ見していたのは、完全に邪な気持ちからだった!

 見ていたのも、君の目じゃなくて、首筋だ……ッ、すまない!


 ここは土下座すべきか!?

 やはり俺は令嬢に近付いてはいけない男ということなんだろう、彼女が危険だ……!


「……ふむ、成人の儀を終えているというのに浮いた話のひとつもないから、正直、機能面を心配していたが。思ったより悪くない反応で何よりだ、ランドルフ!」

「ウフフフ、ランドルフの部屋にロゼット隊の精鋭を差し向けて、ベッドの下あたりをくまなく情報収集させたかいがあったわね~!」


 おい、待て。

 今、父上と母上、とんでもないこと言ったな?


「はあッ!?何てことしてるんですか、あんたたちは……!!しかも、ロゼット隊って、我が国軍の諜報活動における精鋭部隊じゃないですか!!何てことに使ってるんですか……!!」


 俺はあまりの状況に、さすがに声を荒げる。


 べ、ベッドの下に隠している「通称・コレクション」のことが、国一番の諜報部隊によって丸裸にされ、両親にバラされているだと……。


「未来の帝王とその子供に関わる、重大な任務ですもの。必要なことでしょう?それはそうと、隠しものはもっと念を入れて隠しなさいね」

「正直なのは王としての美徳にもなり得るが、単純過ぎるのは良くないな!気を付けるがいい!」

「は、恐れながら、ランドルフ殿下。ベッド下は、いささか分かりやすすぎるのではと……」


 父上・母上・スプリングフィールド侯、それぞれが好き勝手なことを口走り、ディアドラは黙ってはいるものの、笑いをこらえようとして、プルプルと肩を震わせていた。


「そういうダメ出しも、やめて下さい……本当に。スプリングフィールド侯も、真面目に進言しする必要はないからな……!ランドルフ、その生暖かい視線と微笑みをやめろ!やめてくれ!」


 俺は頭を抱える。


 ……泣きたい。

 一番この話を聞かせるべきでないシャロン嬢が、頭の上の?マークを増量させながら更に大きく首を傾げていることだけが、唯一の救いだ……っ!

 そういうことに疎い子のようで、本当に助かったぁぁ!


 弟たちについても、母上はふざけているようで、しっかり自分の「防音」のスキルで子供に聞かせられない話題は聞こえないようにされている。


 クリフォードはお菓子に夢中、とオズワルドは本に夢中で、それぞれ楽しげだ……。


 よかった!

 弟たちよ、お前たちはまだまだ無垢で無邪気なままでいてくれ……!


「まあ、そういう細かいことは置いといてだな」


 そのようにひとしきり俺をからかった父上だったが、改めて俺とシャロン嬢を見据えた。


「シャロン嬢。ひとまず、今からランドルフに触れてみて、雷の力をそのギフトで封じてみてはくれまいか?」


 つまり、どうやらこれが今回、父上がシャロン嬢と俺をここで引き合わせようとした、最大の理由らしかった。

 本当に彼女が俺のギフトを封じられるのか試したい、ということだ。


「や、やってみます……!」


 国王陛下直々のお願いに、シャロン嬢は少し緊張感をはらんだ表情になる。

 すっ、と足を踏み出して俺に一歩近づいて来たと思ったら、その大きな二つのヘーゼルの瞳が真剣に見つめてくる。


「~~っ!」


 俺はやはり、自然と身構えてジリッと距離を取ってしまう。

 すると、シャロン嬢はほんの少し、しょんぼりした表情になってしまった。


 き、傷付けてしまったか……?

 心配になってきて恐る恐るその顔を見ると、彼女はキッとその瞳に力を込めて、決心した様子で言ってきた。


「あの……ランドルフ殿下。突然の婚約話で、殿下もとても驚かれているのではと思います。私のことも、お気に召さないと感じられることもあるかもしれません」


 ぎゅっと握りこぶしを胸に当てていて、この子はきっとそうやって皇太子に進言する勇気を出している……。

 それはとても、いじらしい。


「ですが、せめて一度だけでも、私が触れることをお許し頂けるでしょうか?ずっと触れられなかった陛下、そしてアデラ皇妃殿下、クリフォード殿下とオズワルド殿下のお気持ちを思うと……」


 この指摘に、俺はハッと気づいて父上と母上、そして弟たち二人の表情も確かめた。


 父上は表情こそ変えないが、わずかに目線が下がっている。

 母上も何も仰らず、けれども切なげに目を伏せていて。

 弟たち二人も、そんな両親の気持ちにつられたように、不安げに俺を見つめていた。

 そのため、これは家族たっての願いであると俺にも伝わってきた。


 そう、俺はもう何年も、誰ともまともに触れ合えてはいない……。

 家族であってもだ。


 俺が思っていた以上に、自由に触れ会えないことが、家族の心の内に重い感覚をもたらしていたらしい……。


「……家族が望むのなら、俺に異議はない」


 とうとう覚悟をして、俺は折れることにした。

 ただ、本当にこの俺がシャロン嬢に触れて大丈夫なのかは、分からないが……。


「よし。……ディアドラよ。ギフト鑑定を頼む。そして万が一の際には……分かっているな?」

「はっ」


 ディアドラは「他人に付与されたギフトをの性質を確実に鑑定できる」という、珍しいギフト持ちだ。

 そのため、父上に命じられて俺に近づく者のギフトを常に鑑定しているし、緊急時に限り使用できる、俺の雷魔法を封じるための特別な魔道具を与えられてもいる。


 もし力が暴走してシャロン嬢を危険に晒すことがあっても、きっとディアドラが防御してくれるはずだ……。


「それでは。両者、手を」


 父上に促されて。

 俺は注意深く、そろりと手を伸ばす。

 シャロン嬢の方も、小さな爪がつやつやと光り輝く、細っこい指先を差し出してきて。


 ちょんっ、とお互いの中指が触れ合う……。


 何だ、何も起こらない……?

 俺の電撃が彼女をさいなむことはない、のか?

 

 しかしそう考えた瞬間、雷魔法とは全く別の感覚がこの指先に感じられた。

 途端、ブワッと身体の奥の奥がざわめくような感覚が駆け抜ける。


「っ!すごく強い、ギフト……でも!!」

「まさか、抑え込まれた……!?」


 同時に声が上がったあたり、俺だけじゃなく、シャロン嬢も同じ感覚を味わったようだ。


 しかし、彼女が雷魔法に打たれた様子は、全くない。

 先日俺が卒倒させた他国の外交官のようにはなっていない。

 ディアドラの瞳は鑑定眼使用時に特有の強い赤みを帯びた色に変化しているが、特に俺たちを止める様子がない。


 ということは、彼女の「一切の他人のギフトを、相手に触れて無効化することができる」というギフトは、確かに本物だった。


 であれば……父上に命じられた通り、その手に触れなければ。


 改めて、俺はシャロン嬢の華奢な指先を捕まえる。

 それでも、何も問題は起こらない。


「ああ、俺はもう、人に触れても、いいのか……」


 いつの間にか、自然と口走っていた。

 禁忌だったことをやっと許されている状況に、ホッと心が和んでいる。


 実は意外と、気にしていたんだな……俺は。

 他人に触れられないことを、ずっと。


 まるで全ての感覚を確かめるように触れていく。

 それは久しぶりの人の質感だった。


 しばらく、感覚を取り戻すように指先を動かしたり力を込めてみたりしているうちに、じわじわと実感が湧いてくる。


 触っている……。

 びくりと相手の指先が動く様子や、体温、触覚が伝わってきている。

 そういえば、触れるというのはこういう感覚だったな、などと考えた。


「あ、の……?ランドルフ、殿下」


 そのように真剣に「触れる」を堪能していた俺だったが、鈴の音のようなか細い声に呼びかけられて、声の方を見る。


 困惑顔のシャロン嬢が所在なさげにしていて、俺は「しまった」と、やっと正気を取り戻した。


 そうして、記憶の底から思い起こす。

 ずいぶん昔、まだ弟たちよりも幼かった頃にマナーの教師に基本として習っていたはずの、婚約者となる令嬢に触れる時の作法を。


 どうだったか。

 確か……手を取って、お辞儀をして、甲に触れるか触れないかのキスをする……。

 教本や他の人がしていたことを思い出して、その通りに。

 感謝を込めて。


 ――よかった!!

 シャロン嬢を傷付けることなく、触れることができたぞ……!

 こう無骨に見えて、俺はエスコートもできる男、ってことだ!!

 自分で自分を褒めてやりたい気持ちだ!!

 

 俺はホッと胸を撫で下ろして、シャロン嬢の指を解放する。

 すると、父上が俺を呼んだ。

 

「ランドルフよ、ここへ。」

「はい」


 改めて、今度は父上と握手をする。

 こちらも難なくできてしまった。


「おお……これは!」

「ランドルフ殿下の雷が……完全に治まっている!」


 父上とスプリングフィールド侯の口からも驚きの声が漏れた。

 母上の瞳からも、ポロポロと涙が溢れ出す。


「ああ、やっと、やっと、触れられるのですね、わたくしたち……!」

「ランドルフお兄様っ……!」

「えへへ、ランドルフお兄様だ!」

「母上。クリフ、オズ……」


 震える母上の手が俺の手を握り、弟たちも無邪気に俺の足に抱き着いてきた。

 それからは母上は泣き通し。

 弟たちには肩車を要求されて、かわるがわる担ぎ上げることになった。


「よ、よかったですっ……」


 そんな俺たち家族の交流に、シャロン嬢はもらい泣きをしてしまったらしい。

 目の端に涙を光らせながらも、少し安心したような微笑みを浮かべている。


 きっと「もし陛下の前で、皇太子相手にギフトが作用せず失敗したら」などと考えて、内心怯えていたのかもしれないな……。


「シャロン嬢。家族を笑顔にすることができた。公務も……これまでよりもずっと多くのことをこなせるようになるかもしれない。心より感謝したい」


 助けてくれた者にはきちんと敬意を示したい。

 言葉でも、俺は丁寧に感謝を伝えることにする。


「殿下……。私こそ、触れさせて頂き、ありがとうございました」


 はにかむシャロン嬢。

 本当に、彼女を可愛いと思う。

 

 ただ。

 結婚生活となると、それほど簡単なことではないかもしれない……。


 恋愛物語はあまり自分からは見ないが、人気の本や舞台などは教養として目にしている。

 女性歌手が「愛し愛されることこそ、女性としての幸せ~」なんて歌っていた。


「だが、白い結婚となる可能性もあり、そういう意味で俺は貴女を幸せにはしないかもしれない。申し訳ないとは思うが、俺はこれまで他者に恋愛感情らしいものを抱いたことが一度もないのだ」


 だからこそ、俺はきっぱりとその事実を伝えた。


「ランドルフ、そのような言い方は……」

「男としての俺に期待をもたせることの方が、申し訳ないのです」


 父上も母上も「そこまで言わなくとも」「まだ分からないし」という表情だが、心から感謝しているが故に、「俺が貴女を幸せにする!!」などと軽い気持ちで断言することはできない。


 ああ。

 俺はシャロン嬢を、本気で好きになってしまうかもしれないな……。


 そういう気持ちが、湧かないはずがなかった。

 だからこそ、「芽生えかけたこの気持ちにはふたをして、遠ざけなければ」と強く思ってしまう。


 だって、今回のことで、彼女は俺にとって「どの令嬢よりも特別、救いの女神、絶対に守りたいとても大切な子」になってしまった、らしいからな。


 何から守るって?

 この無骨な雷男の俺からに、決まっているだろう……!!


「ただ、これで皇太子としての公務は滞りなく進む。それに対する感謝は本当に大きい。至らぬことは多いだろうが、婚約者……将来的には夫として、その恩は返していきたい」


 ここからは、そのための提案をしたかった。

 せめて彼女の一生が闇色に染まらないように、と。

 

「この結婚は、一種の契約のようなものと思って貰えると助かる。シャロン嬢のギフトを使わせて頂くかわりに、こちらもシャロン嬢やスプリングフィールド侯爵家に対して同等の礼を返すこととしたい」

「はい。そのお気持ちを聞かせて頂けただけで十分です」


 ……正直、自分でも「ずいぶんと都合がいいことを要求しているな」と思う。

 けれども、シャロン嬢は嫌がるどころか、ニコッと俺を安心させるような笑顔を浮かべていた。

 そして内緒話をするように、意識的に小声になって口走る。


「実を申しますと、私もまだ恋をしたことが一度もなくって。そこは殿下と一緒なのです」

「そう、か」


 俺たちは顔を見合わせて、クスリと笑い合う。

 お互い様ならば、悪くないのかもしれない、と。


「やぁ、よかった……!!これで一安心だな!!」

「これで直近の問題は解決したわね!!」

「このような機会に立ち会えて、恐悦至極にございます……!!」


 父上・母上・スプリングフィールド侯が笑顔で拍手をして、弟たちも大人の真似をしてパチパチと無邪気に両手を打ち鳴らす。

 ほんわかムードになったところで、そろそろ婚約についての詳細を詰めることとなった。


「それでは、その前にお力をお返ししますね」


 話によると、彼女によって無効にされたギフトは、もう一度触れ合えば俺に戻ってくる、ということらしい。

 そのため、俺たちは再度握手をすることにする。


 単純に、相手を傷つけることがない状況で握手ができるのは、嬉しい。

 俺は一度目ほどの警戒感は持たず、サッと彼女の手を握る。


「ひうっ……!?」


 そうして……様々な意味で、陥落した。

 ガクリと絨毯に両膝をつく。


「でっ、殿下……?」

「ど、どうしたっ、ランドルフ!?」

「まあっ、一体何が……!?」

「お兄様?あたま痛い?」

「お兄様?おなか痛い?」

「殿下、お加減が悪くなられましたか!?」


 全員に口々に問われる。

 が、反応しなければと思いつつも、さすがにこれはッ……!!


「あの、ランドルフ殿下……?」


 座り込んだまま、どう周囲に説明すればいいんだ、と逡巡する俺。

 そんな俺を心配したようで、シャロン嬢は覗き込むみたいに俺の表情を確かめようとする。


 その瞬間。

 つんっ、と彼女の指先が俺の方に触れる。


「ひんっ……!」


 おかしな声が、漏れた。

 いけない、たぶん今のは、皇太子が出してはいけない声だった……っ。


「で、殿下?」

「どうした、何があった、息子よ!」


 問いに答えようとすれば、今のおかしな声がまた出てしまう……!!


 俺は必死に息を殺すしかなくなった。

 何故って、少し身じろぎしただけで、全身がぞわぞわと泡立つからだ。


 な、何で……?

 一体、何が起こったんだ?


「これは。シャロン嬢が二度目に触れた瞬間、殿下に雷の力が、逆流して……!?」


 その時、側近としてひたすら控えて沈黙を守っていたディアドラが声を上げた。

 顔は、上げられない……ただ、奴はその鑑定眼で、何が起こったのかを完全に理解しているはずだ。


「ディアドラ!ここへ……っ、早く!」

「はっ……!ランドルフ殿下!!」


 性急に呼びつけると、緊急事態を察してディアドラが駆けつけてくる。

 俺は状況をそのまま伝えようとして、しかしすぐ近くにシャロン嬢がいることに気が付く。


 こ、これは、良くない。

 こんなこと、彼女にはとても、聞かせられない……!!


「みんなを、特に彼女を、下がらせてくれ。彼女の前では……」


 は、恥ずかしくて、言えるわけがない……!!


 俺はそうして、ポソポソと小声でディアドラに命令する。

 ディアドラがその場の全員に対して、俺の周囲に近づかないようにと距離を取らせて戻ってきて、やっと俺は俺の状況を伝える。

 やっぱり小声で。


「体が……敏感に……淑女の前では言えない事態……」

「こっ、声が大きい!……っ」


 要するに、俺はとんでもなく、皮膚刺激が過敏な人間になっていた。


「ふ、う……っ」


 ちょっとでも動いたら、またあの声が出そうだ。

 だから、必死に動きを止めようとする。

 だが、そういうふうに動かないようにと身体に力を込めると、それが何とも言えない感触で、自然と身をよじってしまう。

 するとまた、声が出そうになる。


 繰り返し繰り返し。

 そのぞわりとした感触は止む気配がなく襲ってくる。

 

「ディアドラ、説明せよ!!」


 焦れた父上が促して、ディアドラは俺の横から立ち上がり、状況を説明する体勢になる。


 ううっ、ディアドラや父上の動きや声でさえ空気が動いて、それで反応する!!

 下半身がまでもが……何てことだ……!!


「は。お話を伺いましたところ、軽い感電状態が生じたと思われます。二度目のランドルフ殿下とシャロン嬢の握手の際、殿下のギフトが元に戻られる瞬間に、ギフトの力が強いあまりに、塞き止められていた雷の力が一気に戻ってしまい……」


 簡単に言ってしまうなら、俺は自分が生み出したはずの威力抜群の雷の力で感電している、らしい。


「体に害があったと!?」

「いえ、害があるわけではないのです。ほんの一瞬のことでしたので」


 一大事か、と身を乗り出すようにした父上。

 けれども、ディアドラはその頭を振る。


「ただ、全身に一気に雷の力が駆け抜けたため、一時的に感度が数千倍……いや、そうですね、痺れているといいますか。特に皮膚刺激に過敏な反応をもたらしている、というのが私の見立てでございます」


 よ、良かった、助かった。

 これは一時的なことらしい。


「たとえば、足や手が痺れている際に触れられると、時に悶絶して転げ回るはめになります。それが全身で起こっている状態、に近いと認識して頂けると。しばらく安静にされていると調子もお戻りになるはずです。……詳しくは、また後程」

「そ、そうか。大事ないのなら安心ではあるが」


 深刻な状態異常が起こっていれば、ディアドラもここではっきり言っているはず。


 けれども、つらい……!!

 起こったことはともかく、その結果、ろくに立てないほどの過敏な反応に陥っていることの方が、よっぽど痛恥ずかしい!!


「大丈夫で、あられますか……?」


 心配してくれている、シャロン嬢の声。

 そしてその指先が、またしても俺の身体に触れようとしている……!!

 うわっ、万が一、今触られたら、大惨事になるぞ……!!


 俺はつい、牽制のために顔を上げて、ジロッと強く彼女を睨んで叫んでしまう。


「ヒッ、さっ、触る、なぁ……っ!」

「っ、申し訳ありませんっ!!」


 俺の剣幕に、びっくりしてその両目を見開いてしまっている、シャロン嬢。


 ち、違うんだ……。

 怖がらせたかったわけじゃないんだ。

 ただ、こんな時に君に触れられたら、快感がっ……こらえきれなくなるだろうが!!


 俺は最後の望みをかけて、この場の最高権力者たる父上に対して必死になって、視線と念力を投げる。


 父上だって男だろう!?

 分かってくれ、伝われ……!!


「――ふむ。スプリングフィールド侯とシャロン嬢よ。本日はここまでとしようか。また後日、正式な婚約のための機会を作らせてもらう。そして、アデラ。クリフとオズも。お前たちもそろそろ予定の公務や勉強の時間であろう」


 願いが通じたのだろうか。

 父上のその口から助け船が出される。

 

「確かに、そうですが……」

「で、でも、お兄様が」

「お兄様、大丈夫……?」


 くっ、母上と弟たちの視線が、心に来る。

 ……股間にもきているが。


「うむ。大丈夫だ。お前たちの兄様はとても強い。やれと言われたらどこまでもやる男だ。クリフもオズも、ちゃんと知っているだろう?休めば治るようだしな」


 父上がまるで目くばせを送るかのように、俺を見る。

 その台詞には「今は全力を振り絞って虚勢であっても自分の強さを見せろ」という思いがこもっている、ように見えた。


「あのね、また、ぎゅってしてもいい……?」

「また肩車、できる……?」


 だからこそ、俺はあえて、弟たちに向かって笑顔を作る。


「……ああ、もちろんだ」

「クリフもオズも、行きましょう。ランドルフ、またの機会もあるのでしょう?」

「当然、です」


 母上にも言い切る。

 ――とんでもなく、全身がブルブル震えているがな!!


「わかった。ランドルフお兄様、またね!」

「わかった。また肩車してね!!ぜったい!」

「それではランドルフ殿下、失礼します」

「どうかお大事に……」


 バタン、と重々しくドアが閉まり、複数の足音が遠ざかっていく……。

 それが聞こえなくなった瞬間、俺はその場に崩れ落ちた。


 もはや限界だった。

 帝王の執務室ならではのほわほわの絨毯に、行儀悪くへにょりと座り込み、とにかく乱れ切った呼吸を整える。


「っ、う、はひっ……!」


 もうっ、腰がっ、立たない……っ!!

 よく耐えた、俺!!

 完全に涙目だ。


 そんな俺に、ディアドラは茶化すように言ってきた。


「いやいや、よく辛抱なさいましたね、ランドルフ殿下。未来の雷帝、常に凛々しく正しき皇太子殿下。さすがの忍耐力でございます」


 クソッ、皮肉か!!

 ぐううっ、少しでも動いたら、また……っ。


「して、ディアドラよ。先程言わなかった続きとは?」


 いまだ悶絶している俺をよそに、ティアドラから父上に、正式な鑑定結果の報告がされることになる。


「は。今の殿下は、媚薬を盛られた乙女もかくやというほどの感度数千倍モロ感ボディをもて余し、服の布地の感触にさえ悶絶しておいでだということです」

「こ、コラ!貴様、あけすけに言う奴があるか!ふあ……っ!」


 い、いかん、キレたせいで動いてしまった。

 あぶ、危ない……!!

 身に着けた全ての布地が、擦れる!!


「陛下に直接問われて詳細なご報告をしないなど、そんなことはあり得ませんよ。あっ、弟殿下たちや淑女の方々の前で発言しなかったこと、当然褒めて下さいますよね?これも私の忠誠心の現れと思って頂けるなら誠に幸いにございます!!」

「う、ウソだ。忠誠心なんて。はう……っ、絶対、んっ、面白がっているだろうが……っ!」

「いやいや、まさか、そんな不敬な。物珍しくはありますけども」


 もぞもぞと快感を逃すように身じろいで、何とか耐える。

 だというのに、ディアドラはいつもの調子で茶化してきた。


 幼なじみだからって!!

 コイツはいっつもこうだ……!!


「ほう……?感度が数千倍のモロ感エロエロボディ……とな」

「ちっ、父上も、んあっ、興味深そうな顔して座り直さないで下さい!あとっ、王が口走ってはいけない、ひっ、危険な発言も、ううっ、控えて、下さい……!」


 エロエロとか口走りながらニヤニヤしてその目を輝かすの、本当にやめて下さい、父上!!


「そ、それでっ、解決法はあるのか!?」


 何だかんだ、一番確認しておきたいのはこのことだ。

 俺はいろんな意味で前のめりになりつつ、ディアドラに問う。


「ないですね」

「な、何だと……」


 しかし、返ってきた返事はあまりにも無情だった。


「そもそも殿下自身の元のギフトが強すぎるのですよ。微弱であれば、逆流した力の影響も少なかったはずです」

「そんな……」


 ギフトの力は強ければ強いほどいいと思い込んでいたが、いいことばかりではない、ということだったのか。


「しかし、さすがにランドルフ殿下のギフトを封印したり、手放したり、というわけにはいかないでしょう?陛下」

「うーん、この国の国防の一端も担っておるからな……。さすがに手放すのは。上手いこと操作できればと、シャロン嬢に頼ったわけだが」


 ディアドラが確認すると、父上は渋い顔になる。


「ひとまず、シャロン嬢が触れることで、殿下のギフトを無効にするところまでは、特に何事もなく。問題は、これこのように、力が戻った直後から一定期間のみ……」

「うーむ。……我慢、できんか?息子よ」


 こちらに振り向いて訊いてきた父上の視線の先は、あろうことか、俺の顔ではなく、下半身だった。


「それは俺、ランドルフに聞いてるんですか……。それとも俺の股間への問いかけですか……」


 父上まで面白がって……。

 こっちは必死に耐えているっていうのに!!


「ははは、殿下、上手いこと言いますねぇ~!意外と余裕がおありで?」

「お前は黙れ……」

「おや、思ったより余裕はないようで。ブフッ。下半身のお召しかえの手配は必要ですか?」

「笑うな、ディアドラっ……!あうっ……まだ、不要だっ!」


 くうっ、全く、何でここまで動けなくなってしまったのか……!!


 おそらくそれは、全身が痺れた直後に、シャロン嬢の指先がチョンと触れてしまったからだ。

 俺の異変を心から心配してくれてのことだったのだろうが、さすがに、ダイレクトに刺激がキた。


 10歳を超えた頃から他人に被害を及ぼすほどに力が強まってきてしまったため、それ以降は誰もこの体に触れさせてはいない。


 ……分かっている。

 圧倒的に、俺には女性に対する経験値が足りていない。


 感電の恐れありとなれば、か弱い女性に対しては巻き込まないようにと基本遠ざけるしかない。

 ここ数年は軍務中心に公務が偏っていたし、ただでさえ軍なんて男所帯だ。

 女性がいたとしても、その中でも感電への耐性持ちとなるとごく少数なので、特に接触することもなく。


 そんな状況で、今回の事態。

 あまりにもシャロン嬢が可愛過ぎた。


 諜報部隊まで投入した成果か、ぶっちゃけてしまうなら、総合的に、俺の女性の好みドンピシャだった。

 ……我が国の諜報が優秀過ぎて、本気で泣きそうだ。


 そんな彼女に、あちらから触ってもらえるという機会。

 それはほんの少しの時と触感だったはずだ。


 だが、あれでみるみるうちに立っていられなくなってしまって、別のところがたっ……いや、今は最後まで考えたくない……。

 これ以上考えてはいけない、早く下半身から意識を逸らせ、ランドルフよ。


 こんな時は素数を数えればいいのか?

 それとも天井の染みを数えるのか?


「うう、母上と乳母以外の女性に、初めて触れてしまったせいだ……」

「触れただけでここまでとは。何だかんだ、まだ童貞でいらっしゃいますもんねぇ、殿下」

「なっ、あけすけに言うなと、いうにっ……!ひ、あっ、ああっ……!」


 聞き捨てならない単語が聞こえ、さすがに俺は文句を言おうとして。

 しかし、その文言は、喘いだ俺の口の中で完全に立ち消える。


 ――しばしの沈黙が訪れた。

 少し同情がこもった視線が父上から飛んできているのが、分かってしまう……。


 さすがに、ディアドラも茶化すことはしなかった。

 ただ一言だけ、訊ねてきた。


「お召しかえのご準備はいかがいたしましょうか?」

「……頼む」





 スプリングフィールド侯爵家に戻る馬車の中、私の頭に繰り返し思い浮かぶのはランドルフ殿下のお顔だった。

 それも、「両頬を真っ赤にしながら、プルプルと震えて泣きそうになっている」という、とても珍しいお顔。


 お、おかしいわね、私。

 どうしてかしら?

 さっきから、殿下のことを思い出すと、ドキドキしてくるの……!!


 どうしてなの?と私は首を傾げる。

 けれども、理由が分からないまま、胸の鼓動だけは高まってしまう。


 馬車の中、お父様はスプリングフィールド領からの報告書に目を通している。

 一人手持ち無沙汰な私は窓の外を眺めていて、それは一見、ゆるりと流れていく景色を楽しく見ているように思えるかもしれない。


 けれども、賑やかな帝都の商業区も、今の私には色褪せて見えてしまう。

 高まる気持ちを抑え込むように、こっそりと両手でこの胸を押さえる。


 ランドルフ殿下のことを初めて知ったのは、3年ほど前。

 アダルベルト砦で発生した謀反を殿下自ら率いて、その雷のギフトによって瞬く間に制圧したという戦果だった。

 その後も華々しい武功がたくさん。


 それに、他家の令嬢たお茶会で「素敵な殿方」のお話になるたびに、その名が挙がっていたわ。

 とても容姿が美しくて、間違ったことは仰らないし次代の帝王としても素晴らしくて、なんて称えられていて。


 だけれど、「ただ……雷に打たれるのだけは、乙女としては無理よね」なんて、皆様に怯えられていた。


 雷の力を振るう時には金の瞳がらんらんと輝いて、恐ろしい目付きをされていて、「まるで獰猛な狼のよう」なんて噂になっていたこともある……。


 パーティにお出ましになった時も、お見合いの打診の際に頂いた絵姿でも、とても隙がない印象で。

 私も「怖い方なのかも」と内心怯えていたのよね。


 そもそも、私は侯爵家の娘で、本来なら帝妃になれる立場ではない。

 単にギフトが殿下にとって有用だっただけ。

 婚約者として受け入れて下さるのかも分からなかった。


 でも、実際にお会いした殿下は、少しも怖い方じゃなかった。

 突然に婚約が決まったことについては、さすがに驚愕されてはいたようだけれど、優しく声をかけて下さった。


 それに「もう、人に触れても、いいのか……」なんて、ぽつりと仰っていた。

 まるで殿下の方が、人に触れることを怖がっていたみたいだわ。


 しかもね、私に触れて大丈夫と安心されたみたいで、改めて紳士としてのご挨拶をして下さった後に「やった、ちゃんと挨拶できたぞ!!」と言いたそうな、少し得意げな顔をされていたのよ!


 私よりも4歳も年上なのに、もっと幼い少年のようだったわ。

 だから私、あの時は「良くできました!」と頭を撫でて褒めて差し上げたくなったの。

「恋をしたことがない」と言った時だって、笑い合って下さった。

 契約婚、と仰られたけれど、これも私にとってもありがたいお話だったし。


 少しの間だったけれど、殿下の誠実さに触れて、色んな表情を拝見することもできて、それが嬉しかった。

 それにね、時々申し訳なさそうにしゅんとした顔になった時の殿下は、まるで子犬のように見えたのよね。

 狼じゃなくて。

 

 けれども、今一番この脳裏に強烈によみがえってくるのは、不思議なことに、私たちが陛下の執務室を辞す直前のランドルフ殿下のお姿で……。


 涙目になって、まるで捨て犬のように震えていらっしゃったわね。

 それだけ雷の力の逆流は辛いものだったんだわ。


 私のギフトの制御が未熟なせいでご迷惑をかけたのかも、と思うと申し訳なくて仕方ない。


 でも……でも。

 申し訳ない、意外に思ってしまっている気持ちが、実はもう一つある。


 私よりずっと背も高く立派な体躯で、いつも凛と背筋を伸ばし、強い視線をたたえていらっしゃる殿下。

 そんな殿下が、立ち上がることもできずに赤面して瞳を潤ませて、床に突っ伏して、小さくなって震えていらっしゃった。


 ああ、あのお姿……。

 何だかとても珍しくて、お可愛いらしいご様子で、私……。


 どうしてかしら。

 何故か、目が離せない気分になってしまったの……。



 ドキドキドキドキ、ますます鼓動が早くなっている。

 胸がときめく、ってこういうことなのかしら。

 これが、恋だったりするの……?


「あの時、もしもう一度触れていたなら……ランドルフ殿下はどうなさったかしら……」


 私はいつの間にか、こう呟いていた。

 聞きつけたお父様がギョッとした顔つきで手元の書類から目を上げる。


「な、何と意地悪なことを言うんだ、シャロン!」

「だって、全身が痺れていらしたのでしょう?ということは、涙をこぼされながら悶絶する殿下という、とても得難いお姿を拝見できた可能性が……」


 本当のことを言うと、もっと見たかった。

 とっても見たかったわ。


 震えているその肩に触れようとした瞬間、まるで手負いの狼のような勢いで睨まれてしまって、びっくりして手を引っ込めてしまったの。

 惜しかったわ。


「う、うわー!よ、よかった、陛下が先に退出を促して下さって!全く、肝が冷える!お前はおっとりほんわかしているように見せかけて、毎度内心の好奇心が強すぎるのだ……!不敬罪だけは!!やめなさい!!」


 お父様は大声を上げて頭を抱えている。

 涙目でその肩も震えているけれど、さっきの震える殿下を目にした時ほどの強い楽しさは、お父様からは特に得られなかった。


 ということは。

 もしかして私、殿下がとうとう泣いてしまわれるところが、見たかった……?


 ――ふふっ、なんてね。

 そんなこと、不敬極まりないわ……。


 思い浮かんだ気持ちを振り切るように私は頭を振る。

 そうして、手のひらを見つめる。


「とても大きな、温かい手だったわ。ランドルフ殿下……」


 まだ触れ合った時の感触が指先に残っている気がするわ。

 この手の甲に、触れるか触れないかのところまで、殿下の唇が近づいたりもしたわね。


 殿下にとってもだけれど、私にとっても、今日が生まれて初めて殿方としっかりと触れ合った1日だった。


 契約婚するお相手がランドルフ殿下で、本当によかった……。

 もっと婚約者として仲良くなりたい、触れたかったと思っているのは、気のせいじゃないみたい。

 

「正式に婚約者となったのですもの。また改めて機会はあるはずね……」


 私は遠ざかっていく王城を眺めて自然と微笑む。

 入城する時にはなかった晴れ晴れとした気持ちとときめきに、明日以降の日々がとても楽しくなってくる。


「次もまた、お可愛らしい殿下を拝見できるのかしら。楽しみだわ……!!」








(おわり)

最後までお付き合い頂きありがとうございました!!


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