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07. 魂の叫び

聖誕祭、当日。

王都アークライトは、異様な熱気に包まれていた。神殿へと続く中央広場は、聖女マリアンヌを一目見ようと集まった、無数の民衆で埋め尽くされている。

彼らのオーラは、一様に、陶酔と、盲信を示す、きらびやかな緑色に輝いていた。それは、国中の信仰心が、一点に集束していることを示していた。

神殿のバルコニーに、純白のドレスに身を包んだマリアンヌが姿を現すと、広場から、割れんばかりの歓声が沸き起こった。

「「「聖女様! マリアンヌ様!」」」

マリアンヌは、その歓声に、慈愛に満ちた笑みで応える。だが、にえの【心象読解】には、そのオーラが、集まってくる信仰心を、まるでご馳走のように、愉悦と共に喰らっているのが、はっきりと視えていた。

『儀式、最終段階に移行。民衆の信仰心、臨界点に到達寸前』

隠れ家の一室で、にえ、ガレン、エリスは、その時を待っていた。

「……時間だ」

ガレンが、低い声で言う。彼の顔には、決死の覚悟が浮かんでいた。

エリスは、深く息を吸い込むと、二人に向かって、力強く頷いた。

にえは、胸に下げた護符を、強く握りしめた。

「……行く」

その一言を合図に、三人は、護符に魔力を込めた。

瞬間、三人の身体が、淡い光に包まれる。視界が白く染まり、浮遊感と共に、空間が急速に転移していく感覚。

次の瞬間、彼らが立っていたのは、見慣れた隠れ家ではなく、ひやりとした、大理石の床の上だった。

目の前には、巨大な黒水晶のコアが、禍々しい光を放ち、壁一面には、苦悶の表情を浮かべた、無数の魂が囚われている。

魂の貯蔵庫。

そして、その中央、玉座の前には、黒い騎士の姿に戻った守護者が、静かに、彼らを待っていた。

『――来たか、言霊の使い手よ』

守護者の声が、脳内に響く。

『――儀式は、最終段階に入った。マリアンヌは、今、バルコニーで民衆の前に立ち、自らの神格化を宣言すると同時に、国中の魂の収穫を始めるだろう。残された時間は、ない』

ガレンが、剣を抜き放った。

「上等だ。俺とエリスで、奴の側近どもを、足止めしてみせる」

「ええ。一体たりとも、にえの元へは行かせないわ」

エリスもまた、杖を固く握りしめている。

だが、その時、広間の入り口である巨大な扉が、轟音と共に、内側から破壊された。

現れたのは、マリアンヌの側近である、神殿騎士団の精鋭たちだった。その数、二十名以上。彼らは、一行の突然の出現に驚きながらも、即座に、戦闘態勢を整える。

「……どうやら、こちらの動きは、筒抜けだったようだな」

ガレンが、忌々しげに呟く。

騎士団の隊長らしき男が、叫んだ。

「反逆者どもめ! 聖女様の神聖なる儀式を妨げる者は、万死に値する! 全員、皆殺しにせよ!」

騎士たちが、一斉に襲い掛かってくる。

守護者が、その前に立ちはだかった。

『――ここは、我に任せよ。お主たちは、マリアンヌの元へ』

黒い大剣が、薙ぎ払うように振るわれ、数人の騎士を、紙切れのように吹き飛ばす。

「……すまない、頼んだぞ!」

ガレンは、守護者に後を託すと、にえとエリスを促し、広間の奥、マリアンヌがいるであろう、神殿の上階へと続く、秘密の階段へと駆け出した。

騎士たちの怒号と、守護者の剣戟の音が、背後で遠ざかっていく。

一行は、螺旋階段を駆け上がった。

そして、一つの、豪華な扉の前にたどり着く。

扉の向こうから、マリアンヌの、強大で、邪悪なオーラが、漏れ出してきていた。

ガレンが、扉を蹴り破る。

その先にあったのは、神殿のバルコニーへと続く、マリアンヌの私室だった。

そして、その中央には――。

「……お待ちしておりましたわ、裏切り者のネズミたち」

民衆の前から、いつの間にか姿を消していた、聖女マリアンヌが、一人、静かに、立っていた。

彼女の背後には、バルコニーから、熱狂する民衆の歓声が、鳴り響いている。

決戦の舞台は、整った。

マリアンヌの私室は、彼女の歪んだ精神を体現したかのような、異様な空間だった。壁一面が、生きた蔓薔薇で覆われ、甘く、むせ返るような香りが満ちている。

そして、その中央に立つマリアンヌのオーラは、もはや、どす黒い紫と、禍々しい赤色だけではなかった。バルコニーの向こうから流れ込んでくる、無数の民衆の信仰心を吸収し、そのオーラは、神々しいとさえ思える、巨大な金色の輝きを放ち始めていた。

だが、にえの【心象読解】には、その輝きの奥にある、醜い本質が視えていた。

『対象の魔力量、計測不能レベルまで増大。これは、一個人が扱えるエネルギー量を、完全に逸脱している』

「まさか、あの古代の番人を、手懐けるとは。あなた、本当に、面白いオモチャですわね」

マリアンヌは、うっとりとした表情で、にえを見つめている。

部屋の左右の扉から、マリアンヌの側近である、二人の屈強な神官騎士が姿を現した。

「にえ! ここは、俺たちに任せて先に行け!」

ガレンが叫びながら神官騎士の一人へと斬りかかっていく。エリスもまた、もう一人の神官騎士の前に立ちはだかり、防御魔法を展開した。

部屋は、瞬く間に、二つの戦場へと分かれる。

にえは、その隙を突き、マリアンヌの背後――バルコニーへと続く通路の、さらに奥にある、コア制御室へと向かおうとした。

だが、マリアンヌは、それを許さなかった。

「どこへ行くのかしら?」

マリアンヌが、指を鳴らす。すると、壁の蔓薔薇が、生命を宿したかのように動き出し、無数の鋭い棘を持つ触手となって、にえの行く手を阻んだ。

にえは、白銀の短剣『真理の刃』で、その触手を切り裂いていく。だが、切っても、切っても、薔薇はすぐに再生し、キリがない。

「無駄ですわ。この神殿に満ちる、人々の祈りが、私に無限の力を与えてくれるのですから」

マリアンヌは、余裕の笑みを浮かべていた。

「あなたも、もう、諦めて、私の『子供』になりなさい。私が、あなたに、本当の『愛』と『安らぎ』を与えてあげますわ」

その言葉は、かつて、前世の母親が、にえを支配するために使った言葉と、全く同じだった。

『――警報。強烈な精神干渉。対象の過去のトラウマに直接リンク』

にえの脳裏に、忘れたはずの光景が、鮮やかに蘇る。

――偽りの笑顔で、自分を「宝の子」と呼びながら、その実、道具として扱い続けた、母親の顔。

――「あなたのため」と言いながら、全ての自由を奪い、心を殺させた、あの冷たい声。

【絶対精神障壁】が、激しく軋む音を立てた。これまで、どんな精神攻撃も完全に遮断してきた壁が、過去の記憶という、内側からの攻撃によって、初めて、大きく揺らぐ。

「そうよ。あなたは、良い子。ただ、私の言うことだけを聞いていれば、幸せになれるの」

マリアンヌが、ゆっくりと、にえに近づいてくる。彼女の赤いオーラが、毒のように、にえの心を蝕んでいく。

思考が、鈍る。身体が、動かない。

これが、彼女の本当の力。魂を、直接支配する、偽りの母性。

「さあ、その剣を、お捨てなさい」

にえの腕から、力が抜けていく。白銀の短剣が、カラン、と音を立てて、床に落ちた。

絶望。

その色が、初めて、にえの色のない世界を、完全に塗りつぶそうとしていた。

「にえ!」

エリスの、悲痛な叫び声が、遠くで聞こえる。

『……ああ、また、これか』

にえの思考が、諦めにとらわれる。

『結局、私は、何も変えられない。ただ、奪われ、支配されるだけの、壊れた人形……』

その時だった。

にえの胸の奥で、エリスと交わした、小さな約束が、か細い光を放った。

『――もし、全てが無事に終わったら、一緒に、ロンドの町に帰りましょう』

未来の、約束。

自分を、一人の人間として扱い、未来を共に歩みたいと、願ってくれた、仲間の顔。

『……違う』

にえの魂が、叫んだ。

『私は、もう、人形じゃない!』

その強い意志が、トリガーとなった。

にえの身体から、これまでとは比較にならないほどの、凄まじい光が、溢れ出した。

それは、日本語という、彼女の魂そのものと結びついた、根源の力。

【言霊術式:日本語】が、暴走に近い形で、覚醒したのだ。

「――いやだ」

その一言が、世界を、震わせた。

いやだ」

その言葉は、音ではなかった。

それは、にえの魂が発した、絶対的な拒絶の意志。空間そのものを震わせる、純粋な力の奔流だった。

マリアンヌの精神支配を構成していた、禍々しい魔力の網が、その一言によって、ガラスのように砕け散る。

「なっ……!?」

マリアンヌが、初めて、完璧な笑顔の仮面が凍りつき、彼女の赤いオーラが信じられないといった様子で激しく揺らめく。

にえは、ゆっくりと顔を上げた。

その瞳には、もはや、色のない虚無はなかった。

そこにあったのは、これまでの人生で押し殺し続けてきた、全ての怒り、悲しみ、苦しみ、そして絶望が渦巻く、燃え盛るような、魂の炎だった。

【絶対精神障壁】が、完全に砕け散ったのだ。

「……あなたは、間違っている」

にえの声は、もはや、か細くはなかった。それは、凛とした、力強い響きを持っていた。

「愛を語りながら、その実、支配しているだけ。救いを説きながら、魂を喰らっているだけ。あなたは、ただの、空っぽの偽物だ」

その言葉は、マリアンヌの最も触れられたくない核心を、容赦なく抉った。

「だまれ……だまれ、だまれ、だまれぇっ!」

マリアンヌが、初めて、感情的な金切り声を上げた。彼女のオーラから、神々しい金色の輝きが剥がれ落ち、どす黒い、本性の赤色が、剥き出しになる。

「私こそが、この国を導く、唯一絶対の聖女! 愛されず、誰からも必要とされなかった、お前のような欠陥品に、何が分かる!」

マリアンヌの背後から、集束された魔力が、巨大な黒い槍となって、にえへと放たれた。それは、神殿の一部を、容易に消し去るほどの、破壊の力。

だが、にえは、動じなかった。

彼女は、床に落ちていた『真理の刃』を、再び、その手に取る。

そして、日本語で、静かに、しかし、はっきりと、詠唱した。

「我が魂の形、我が意志のままに――顕現あらわれろ

その言葉に応え、白銀の短剣が、凄まじい光を放ち始めた。

それは、もはや、短剣ではなかった。

にえの魂の形――理不尽な暴力から、大切なものを「守る」という、絶対的な意志を体現した、巨大な、白銀の「盾」へと、その姿を変えていたのだ。

黒い魔力の槍が、白銀の盾に激突する。

凄まじい轟音と、衝撃波が、部屋全体を揺るがした。

だが、にえは、一歩も、引かなかった。

盾は、魔力の槍を、完全に、防ぎきっていた。

「……ありえない。私の力が、通じない……?」

マリアンヌが、愕然とする。

「あなたの力は、偽物だから」

にえは、盾を構えたまま、静かに言った。

「他者から奪った力は、所詮、借り物だ。……でも、私のこの力は、違う」

にえの背後で、ガレンとエリスが、神官騎士を打ち破り、駆けつけてきた。

ガレンの青いオーラと、エリスの橙色のオーラ。

その二つの温かい光が、にえの魂の炎に、そっと、寄り添う。

「これは、私が、私の仲間が、未来を掴むために、魂を燃やして生み出した、本当の力だ!」

にえが叫ぶと、白銀の盾が、再び、その形を変え始めた。

今度は、偽りを断ち切り、真実を貫くための、一本の、長大な「槍」へ。

にえは、その白銀の槍を、マリアンヌへと向けた。

その瞳には、もはや、迷いも、恐怖も、何一つなかった。

ただ、奪われ続けた人生に、終止符を打つという、揺るぎない決意だけが、星のように、輝いていた。

「――これで、終わりにする」

その言葉と共に、にえは、光の槍を手に、偽りの聖女へと、最後の突撃を開始した。

白銀の槍と化した『真理の刃』を手に、にえはマリアンヌへと突進する。その動きは、もはや、これまでの回避と反撃を主としたものではない。自らの意志で、敵を粉砕するという、明確な攻撃性を宿していた。

「小賢しい真似を……! 神の器たる私に、傷一つ付けられるものか!」

マリアンヌもまた、残された全ての魔力を解放する。彼女の背後に、無数の黒い魔力球が生成され、それが一斉に、にえへと降り注いだ。部屋の床や壁に着弾した魔力球が、大理石を容易く溶解させていく、恐るべき集中砲火。

だが、にえの【危機感応】は、その無数の攻撃の、僅かな隙間を完璧に見抜いていた。

にえは、その弾幕の中を、まるで縫うように駆け抜けていく。身体を掠めた魔力が、衣服を焦がし、肌を焼く。

痛い。

初めて感じる、明確な「痛み」。

だが、その痛みは、にえの心を、折ることはなかった。むしろ、その逆だった。

『……これが、痛み。これが、生きているという、感覚』

【絶対精神障壁】が砕け散った今、にえは、世界の全てを、ありのままに感じていた。

痛みも、熱も、そして、背後から飛んでくる、仲間たちの声援も。

「行けえええ、にえええ!」

「あなたの魂を、信じて!」

ガレンとエリスのオーラが、温かい光となって、にえの背中を押す。

マリアンヌは、驚愕の表情で、傷も顧みず弾幕を突破してくるにえの姿を見ていた。

「なぜだ……なぜ、私の力が、当たらない……!」

「あなたの力は、ただの破壊だ。そこには、魂がない」

にえは、マリアンヌの目の前まで、肉薄していた。

「でも、私の槍には、想いが乗っている!」

古代の王の、国を憂う想い。

仲間たちの、未来を信じる想い。

そして、にえ自身の、初めて抱いた、「守りたい」という想い。

その全ての想いが、白銀の槍の穂先に、一点に集束していく。

「――これで、終わりだ!」

にえが、渾身の力を込めて、槍を突き出す。

マリアンヌは、最後の抵抗として、自らの前に、最も強力な魔力障壁を展開した。

だが、にえの槍は、その障壁を、まるで紙のように、たやすく貫いた。

穂先が、マリアンヌの胸の中心を正確に捉える。

「そん……な……」

マリアンヌの瞳から、光が消えていく。

その瞬間、にえの脳裏に流れ込んできたのは、共感できるような孤独な過去ではなかった。そこにあったのは、ただ、底なしの渇望。愛されることを求めるのではなく、全てを支配することでしか満たされない、空虚で自己中心的な魂の叫びだけだった。

『……あなたと私は、同じじゃない』

にえの瞳から、一筋の涙が、水道橋での戦い以来再び、こぼれ落ちた。

それは、憐れみや共鳴の涙ではなかった。

絶望の淵に立たされた時、自分は決して彼女と同じ道を選ばなかったこと。仲間を信じ、未来を掴もうと魂を燃やした、自分自身の人生への、初めての肯定の涙だった。

その涙が白銀の槍を伝い、マリアンヌの魂へと触れた瞬間、彼女は最後の罠を仕掛けた。

武装が溶けるように消え失せ、そこにいたのは、神々しい聖女ではなく、ただの無力な一人の女性だった。その瞳が、みるみるうちに潤んでいく。庇護欲をかき立てる、か弱く、美しい表情。だが、その瞳の奥からは、一滴の涙もこぼれ落ちてはこなかった。

言葉はない。懺悔もない。

ただ、その潤んだ瞳は、まるで理不尽な仕打ちに傷ついた聖女のように、「なぜこんな酷いことをするの」と無言で問いかけていた。それは、自らの非を認める表情ではない。あくまで自分を絶対的な正義と信じ、それを理解できないにえの行動を心から訝しむ、純粋な非難の眼差しだった。

それは、どんな人間でも良心の呵責に苛まれるであろう、完璧に計算され尽くした無言の演技。にえの心が、ほんの一瞬、揺らぐ。

その刹那、マリアンヌの顔から表情が消えた。潤んでいたはずの瞳は嘘のように乾ききり、その奥に、剥き出しの憎悪と渇望がぎらついた。

「――その魂をよこせ!」

マリアンヌは叫びながら、隠し持っていた最後の魔力で、にえの魂を直接掴み取ろうと襲い掛かってきた。

だが、にえの槍は、すでに彼女の核心を捉えていた。

穂先は、マリアンヌの心臓ではなく、その胸の中心で禍々しく渦巻く、彼女の力の根源ーー悪しき魔力の根源だけを正確に貫いていたのだ。そして、どの言葉を告げれば良いのか、今のにえには、はっきりとわかった。

「ーー解き放つ」

「ああ……ああああああ……ッ!?」

マリアンヌの身体から、魂を奪い続けてできた膨大な魔力が、悲鳴のような音を立てて霧散し、今まで奪ってきた魂があるべき場所へ還っていく。彼女の美しい顔は、聖女でも、ただの女でもない、誰が見てもマリアンヌだとは認識できない、美醜の区別さえつかない、無個性な貌へと変貌していく。

槍が引き抜かれると、マリアンヌだったものは、呆然と自分の両手を見つめた。その瞳には、もはや知性も、記憶の光も宿っていない。

「……わたしは、だれ……? ここは、どこ……?」

幼子のような言葉を呟き、虚空に手を伸ばしながら、彼女は途切れ途切れに続けた。

「……おかあ、さん……? どこ……?」

その言葉を最後に、彼女はふらりと立ち上がり、ガレンとエリスが呆然と見守る中を、何の目的もなく、部屋から続く廊下の暗闇へと、おぼつかない足取りで、さまよい消えていった。

それと同時に、神殿全体を覆っていた、巨大な金色のオーラが、ガラスのように砕け散った。窓の外から、民衆の、困惑した声が聞こえてくる。

偽りの神が、消えたのだ。

にえは、槍の姿から、元の短剣に戻った『真理の刃』を手に、静かに立ち尽くしていた。

戦いは終わったが、にえの心に勝利の昂揚感はなかった。そこにあったのは、偽りの聖女の空虚な魂に触れたことへの静かな疲労と、そして、自分は彼女とは違う道を選べたという、自らの頬を伝う温かい涙の感触だけだった。

偽りの神が堕ちた王都は、熱に浮かされたような大混乱に陥った。

信仰の対象を失った民衆の戸惑い、そして明らかになった教会の腐敗。国そのものが、根底から揺らいでいた。

その混乱の最中、宰相アレンが彼らの元をひっそりと訪れた。彼の紺色のオーラは、感謝と、そして深い疲労の色をしていた。

「国を救っていただいたこと、心より感謝する。だが、見ての通り、今の王都は火薬庫も同然だ。陛下も、民が落ち着きを取り戻すための対応に追われている」

アレンは深々と頭を下げた。

「誠に申し訳ないが、あなた方を英雄として正式に称え、褒賞を与えるには、国が落ち着きを取り戻すまで、どうか、しばしの猶予をいただきたい。必ずや、改めてあなた方を正式に王宮へお招きし、最大限の礼を尽くすことを約束しよう」

それは、理に適った申し出だった。三人は、その言葉を受け入れた。王都の喧騒から離れ、傷を癒すため、彼らは一度、自分たちの拠点であるロンドの町へと帰還することを選んだ。

王都を離れる馬車の中で、にえは、初めて自らの意志で流した涙の感触を、思い出していた。それは、まだ名前のつけられない、温かい光の始まりだった。


偽りの聖女篇を読んでいただき、ありがとうございました。


「マリアンヌを倒したのに、なんで新しい冒険が始まるの?」と思われたかもしれません。


答えは、シンプルです。

本当の敵は、倒すべきボスだけではないからです。


ガレンを縛り付ける、過去という名の亡霊。

にえの魂の奥底に眠る、力の本当の意味。

そして、この世界に隠された、さらなる謎。


「霧の谷」の物語は、決して蛇足ではありません。マリアンヌとの戦いが「外科手術」だったとしたら、この物語は、魂に残った傷を仲間と共に癒していく、静かで、しかし、なくてはならない「リハビリ」の物語です。


三人の魂が、本当の意味で夜明けを迎える瞬間を、ぜひ、見届けてください。この霧の谷編を読んでいただくことで、最後のエンディングが、きっと、何倍も心に響くはずです。

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