04. 偽りの聖女
スケルトンナイトを討伐した後、一行は遺跡の最奥で、アンデッド発生の原因となっていた邪悪な祭壇を発見し、破壊した。
ロンドの町へ帰還した彼らを待っていたのは、英雄に対するような、熱狂的な歓迎だった。
「嘆きの水道橋」のアンデッドは、長年、町の人々を悩ませてきた脅威だった。それを、たった三人のパーティが、しかも一晩で解決した。そのニュースは、瞬く間に町中に広まったのだ。
特に、聖なる力でアンデッドを浄化し、巨大なスケルトンナイトを討ち滅ぼしたという、にえの活躍は、尾ひれがついて吟遊詩人の歌にまでなっていた。「銀髪の聖女」「沈黙の守護者」など、様々な二つ名で呼ばれ、子供たちは憧れの眼差しを向け、大人たちは畏敬の念を込めて道を開けた。
だが、にえにとって、その熱狂は、理解不能なノイズの奔流でしかなかった。
『賞賛、畏敬、期待。全て、私には関係のない情報。目的は、生存資源の確保。それ以上でも、それ以下でもない』
にえは、周囲の喧騒を【絶対精神障壁】で完全に遮断し、ただ、ギルドのカウンターで受け取った、ずしりと重い報酬袋の感触だけを確かめていた。
銀貨五十枚。それは、今の彼女にとって、数ヶ月は生存できることを意味する、極めて重要なリソースだった。
パーティの関係性も、あの日を境に、わずかに変化していた。
ガレンは、にえを「嬢ちゃん」ではなく、「にえ」と名前で呼ぶようになった。彼の青いオーラは、にえに対して、対等な仲間としての明確な信頼を示している。
そして、エリス。彼女のオーラは、もう悲しみの藍色ではなかった。にえと話す時、彼女のオーラは、常に穏やかで温かい橙色に輝いていた。まるで、にえの色のない世界を、少しでも照らそうとするかのように。
彼女は、以前のように心を閉ざすのではなく、時折、自分のことを、ぽつり、ぽつりと話すようになった。
「……私の村も、貴族に全てを奪われたの。父様も、母様も……私の目の前で……」
「だから、私には分かる。あなたのその瞳が、どれだけのものを見てきたのか」
にえは、その言葉に、どう返せばいいのか分からなかった。ただ、エリスの橙色のオーラが、自分に向けられているという事実を、静かに受け止めるだけだった。
食事の量も、少しだけ増えた。まだ、美味しいという感覚はない。だが、仲間と同じものを食べ、同じ時間を共有するという行為が、にえの中で、未知のデータを蓄積させていく。
日常は、変わった。世界の色も、少しだけ、増えた気がした。
だが、にえの内面は、何も変わっていなかった。
夜、一人でベッドに入ると、思考は、いつも通り、生存確率の計算と、脅威のシミュレーションを始める。
涙を流した、あの瞬間の感覚。それを再現しようとしても、どうすればいいのか分からない。あれは、計算外のバグのようなものだった。
『感情の再現性、ゼロ。思考ルーチン、正常に復帰』
そんなある日、ロンドの町に、一枚の布告が張り出された。
それは、王都から発せられた、聖女マリアンヌの名によるものだった。
「各地で功績を上げた、優秀なる冒険者たちよ。王都へ集え。聖女様が、汝らに直接、祝福と、さらなる使命を与えん」と。
その布告を見たガレンの顔が、険しくなった。
「……聖女マリアンヌ。きな臭い話だ」
エリスもまた、その名を聞いて、オーラを不安げに揺らめかせる。
救世教会、そして聖女マリアンヌ。それは、この国で絶対的な権威を持つ存在だ。だが、その裏では、黒い噂が絶えない。
にえは、その布告を、ただの文字列として見ていた。
だが、【心象読解】が、その布告の羊皮紙から、微弱ながらも、禍々しいオーラが放たれているのを感知していた。
それは、かつて対峙した、偽りの善意を振りかざす大人たちと、同質のオーラ。
他者を支配し、搾取することを、微塵も悪びれない、独善に満ちた、淀んだ色だった。
『警報。高レベルの脅威の存在を感知。ただし、現時点では間接的』
にえは、その布告から、視線を外した。
王都。聖女。
その単語が、自分の生存戦略に、新たな、そして極めて危険な変数を、追加したことだけは、確かだった。
王都からの召集。それは、事実上の命令だった。断れば、救世教会に逆らう者として、どんな扱いを受けるか分からない。
「……行くしかない、か」
ガレンは、苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。彼のオーラは、厄介事に巻き込まれたことへの不満と、騎士としての使命感が混じり合い、複雑な色合いを見せている。
エリスは、不安そうに俯いていた。王都は、彼女の故郷を奪った貴族たちがいる場所でもある。そのオーラは、過去のトラウマを刺激され、再び悲しみの藍色へと傾きかけていた。
『状況分析。王都への移動は、未知の脅威との遭遇確率を著しく上昇させる。しかし、拒否した場合の社会的リスクはそれを上回る。結論:召集に応じることが最適解』
にえは、二人の様子を観察し、淡々と状況を分析する。
数日後、一行は王都へ向かうための準備を整え、ロンドの町を出発した。
道中は、比較的穏やかだった。ガレンが用心深く周囲を警戒し、にえの【危機感応】が、事前に危険な獣や盗賊の気配を察知することで、無用な戦闘を避けることができたからだ。
夜は、街道沿いの村で宿を取る。
そんな旅の道中、一行は、奇妙な光景を目にすることが増えていた。
立ち寄る村々で、人々が、ある特定の薬草を、まるで貴重品のように高値で取引しているのだ。その薬草は、「聖女の涙」と呼ばれていた。
「これを煎じて飲めば、どんな病も癒え、心に安らぎが訪れる。これも全て、聖女マリアンヌ様のおかげだ」
村人たちは、そう言って、有り難そうに薬草を買い求めていく。彼らのオーラは、盲目的な信仰を示す、均一な、穏やかな緑色に染まっていた。
だが、にえの【心象読解】には、その緑色が、ひどく不自然なものに見えた。まるで、何者かによって、無理やり上から塗りたくられたような、薄っぺらで、生命感のない緑色。
そして、その「聖女の涙」と呼ばれる薬草からは、微弱ながらも、人の精神に緩やかに干渉する、粘つくような紫色のオーラが放たれていた。
『この薬草には、未知の毒性、あるいは精神作用効果が含まれている可能性が高い』
ある夜、宿屋の食堂で、エリスがその薬草を手に取り、眉をひそめた。
「……おかしいわ。この薬草、ただの『ネムリグサ』よ。安眠効果はあるけれど、病を治すような力はないはず。それに、長期的に服用すれば、思考力を鈍らせ、判断力を奪う副作用がある……」
治癒師である彼女の知識が、村人たちの熱狂の裏にある、不都合な真実を暴き出す。
ガレンが、険しい顔で言った。
「……救世教会が、この薬草を意図的に広めているということか。民衆を薬漬けにして、思考力を奪い、支配しやすくする……。やりそうなことだ」
彼の青いオーラに、義憤を示す赤い光が混じる。
にえは、その会話を黙って聞いていた。
人々を、緩やかな毒で支配する。それは、かつて自分が経験した、目に見えない暴力と、構造がよく似ていた。
『脅威の正体を特定。聖女マリアンヌは、物理的戦闘力だけでなく、情報操作および民衆心理の掌握に長けた敵であると断定。警戒レベルを引き上げる』
王都が近づくにつれて、「聖女の涙」を売る出店は増え、人々のオーラは、ますます均一な、生命感のない緑色に染まっていく。
まるで、国全体が、ゆっくりと、見えない毒に侵されているかのようだった。
やがて、一行の目の前に、巨大な城壁が見えてきた。
王都アークライト。
この国の中心であり、そして、全ての偽りが渦巻く、巨大な脅威の巣窟。
その城壁の上空には、無数の人々の信仰心を集めて形成されたのであろう、巨大で、しかしどこか空虚な、金色のオーラが、巨大な天蓋のように、街全体を覆っていた。
その光景に、にえは、初めて、自分のスキルでは計り知れない、巨大な何かの存在を、肌で感じていた。
王都アークライトの正門は、地方のそれとは比較にならないほど壮麗で、威圧的だった。分厚い壁には、救世教会の紋章が大きく掲げられている。
門を通過するには、厳重な検問を受けなければならなかった。兵士たちのオーラは、職務への忠誠を示す硬い鋼色だが、その奥に、選民意識のような、傲慢な紫色が混じっている。
ガレンが、王都からの召集状を見せると、兵士たちの態度は一変した。彼らは、畏敬と、わずかな嫉妬の入り混じった視線を、一行、特ににえへと向けた。
「『ロンドの聖女』御一行様ですね。お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
すでに、にえの噂は王都にまで届いているらしい。
王都の内部は、ロンドの町とは比べ物にならないほど、洗練され、そして整然としていた。石畳は磨き上げられ、建物は白亜で統一されている。道行く人々の服装も、上質なものばかりだ。
だが、にえの【心象読解】には、その美しい街並みが、ひどく不気味なものに映っていた。
道行く人々のオーラが、驚くほど似通っているのだ。誰もが、あの「聖女の涙」に汚染された村人たちと同じ、均一で、感情の起伏を感じさせない、薄っぺらな緑色をしている。まるで、美しい仮面を被った、魂のない人形の群れのようだった。
『王都の住民の大多数が、精神干渉下にあると断定。この都市そのものが、巨大な罠である可能性が高い』
一行は、兵士に案内されるまま、街の中心にそびえ立つ、巨大な神殿へと向かった。救世教会の総本山、白亜の神殿。
その神殿全体からは、王都の上空を覆うものと同じ、巨大で、空虚な金色のオーラが放たれていた。
神殿の内部は、ステンドグラスから差し込む光が、荘厳な空間を幻想的に照らし出している。だが、にえの【危機感応】は、その神聖な雰囲気とは裏腹に、空間の至る所から、微弱な悪意と、魂を吸い上げるような不快な波動を感知していた。
やがて、一行は、最も大きな謁見の間へと通された。
広間の最奥、純白の玉座に、一人の女性が座っている。
聖女マリアンヌ。
純白のドレスに、金色の髪。その顔には、慈愛に満ちた、完璧な笑みが浮かべられている。その姿は、まさしく、人々が思い描く「聖女」そのものだった。
だが、にえには、その正体がはっきりと視えていた。
彼女の身体から放たれるオーラは、これまで見た、どの悪意よりも、強大で、そして邪悪だった。
それは、他者の信仰心を喰らい、自らの力へと変換する、底なしの渇望を示す、どす黒い紫色。そして、そのオーラの中心で燃えているのは、傲慢と、支配欲、そして他者への侮蔑が渦巻く、燃え盛るような、禍々しい赤色だった。
前世で、自分を支配し続けた、あの母親のオーラと、全く同じ色をしていた。
「よくぞ参られました、勇敢なる冒険者たちよ。ロンドでのあなたたちの活躍、聞き及んでいますわ」
マリアンヌが、鈴を転がすような、美しい声で語りかける。
ガレンとエリスは、その圧倒的な存在感を前に、緊張で身体をこわばらせていた。
だが、にえは、ただ静かに、その邪悪なオーラを、無感情な瞳で見つめ返すだけだった。
マリアンヌは、にえの視線に気づくと、その完璧な笑みを、さらに深めた。
「そして、あなたが『ロンドの聖女』、にえですね。お会いできて、本当に嬉しい」
その言葉とは裏腹に、彼女の赤いオーラが、獲物を見つけた捕食者のように、一瞬だけ、激しく揺らめいた。
【心象読解】が、その魂の本当の声を、正確に読み解く。
『――面白いオモチャを見つけた』と。
にえの脳内で、警報が鳴り響く。
『警報。最大級の脅威個体と断定。接触は、即時の生命の危機に繋がる』
だが、にえは、逃げなかった。
ただ、その場に立ち尽くし、自分と同じ色をした、巨大な絶望の化身を、静かに、観察していた。
この世界に来て初めて出会った、自分を支配したあの魂と「同質」の魂。
その事実に、にえの色のない心に、初めて、殺意とも、嫌悪ともつかない、形容しがたい感情のさざ波が、静かに立った。
「あなたのその聖なる力、ぜひ、この国のために役立てていただきたいのです」
マリアンヌは、慈愛に満ちた表情を崩さぬまま、言葉を続けた。その声は、聞く者の心を蕩かすような、不思議な響きを持っていた。おそらく、微弱な精神干渉系の魔法が付与されているのだろう。
ガレンとエリスは、その声に抗えず、無意識に頷きそうになっている。だが、にえの【絶対精神障壁】の前では、そのような小細工は意味をなさなかった。
「あなたには、特別な任務を与えましょう。それは、私が運営する『救済の家』……恵まれない子供たちを保護する施設で、子供たちの心を癒し、導くという、とても大切なお仕事です」
救済の家。孤児院。
その単語に、にえの魂が、再び強烈な拒絶反応を示した。
マリアンヌの赤いオーラが、愉悦の色に、さらに深く染まっていく。彼女は、にえがこの提案を断れないことを見越しているのだ。
『これは、命令であり、罠である。受諾すれば、敵の支配領域に組み込まれる。拒否すれば、反逆者として社会的に抹殺される。詰みの状態』
にえの思考が、高速で打開策を検索するが、有効な手立てが見つからない。
ガレンが、我に返って口を挟んだ。
「お待ちください、聖女様。我々は冒険者です。子供の世話は、専門外かと……」
「あら、謙遜なさらないで。あなたたちのパーティには、優秀な治癒師もいるではありませんか。それに……」
マリアンヌは、そこで言葉を切ると、その視線を、再び、にえに注いだ。
「……にえ、あなた自身が、最も子供たちの気持ちを理解できるはずです。なぜなら、あなたも、彼らと同じ、『寄る辺なき魂』なのですから」
その言葉は、優しさを装った、最も残酷な刃だった。にえの過去を、全て見透かしているかのような、悪意に満ちた一撃。
エリスが、はっと息をのんだ。彼女のオーラが、にえを庇うように、怒りの橙色に燃え上がる。
「……聖女様、その言い方は……!」
だが、マリアンヌは、エリスの抗議など意に介さない。彼女の視線は、ただ、にえの反応だけを楽しんでいた。
どうする。どう、切り抜ける。
思考が、袋小路に追い込まれる。
その時だった。
にえは、謁見の間の隅に、もう一つのオーラが存在することに、初めて気がついた。
それは、これまで完全に気配を消していた、極めて練度の高い隠密能力を持つ者のオーラだった。
そのオーラは、興味深そうに、しかし、決して敵意はなく、この謁見の様子をうかがっていた。色は、夜の闇のように深く、それでいて、星の光のような知性を宿した、美しい紺色。
『未知の個体。第三勢力か?』
にえは、マリアンヌから視線を外さずに、思考の片隅で、その未知の存在に意識を向けた。
そして、無意識に、一つの言葉を、心の中でだけ、呟いた。
『――助けて』
それは、生まれて初めて、他者に向けて発した、救いを求める魂の言葉だった。
その瞬間、謁見の間の空気が、わずかに揺れた。
「――聖女様、長々とお話中のところ、失礼いたします」
凛とした、涼やかな声が、広間に響き渡る。
声の主は、謁見の間の入り口に、いつの間にか立っていた。黒い衣服に身を包んだ、銀色の髪を持つ、一人の青年。彼のオーラは、先ほどにえが感知した、あの美しい紺色をしていた。
「あなたは……宰相閣下! なぜ、ここに……」
マリアンヌの完璧な笑顔が、初めて、わずかに引きつった。彼女の赤いオーラに、予期せぬ邪魔者に対する、明確な苛立ちの色が混じる。
宰相と呼ばれた青年は、マリアンヌに一礼すると、まっすぐに、にえたちの元へと歩み寄ってきた。
そして、にえの目の前で、ひざまずくと、その手を、優雅な仕草で、そっと差し出した。
「『ロンドの聖女』にえ、とお見受けする。私は、この国の宰相を務める、アレンと申します」
その紺色のオーラは、どこまでも澄み切っており、嘘や偽りの色は一切見当たらない。
「聖女様からのお話、大変光栄なことでしょう。ですが、その前に、あなたには、王である我が主君がお会いになりたいと、そう仰せです」
「……私に、王が?」
にえは、初めて、自分の声で、問い返した。
アレンと名乗る宰相は、その美しい顔に、穏やかな笑みを浮かべた。
「ええ。あなたのその『祝福されし力』、ぜひ、我が主君にもお見せいただきたい。――さあ、こちらへ。私の手をお取りください」
それは、蜘蛛の巣に絡め取られようとしていたにえにとって、唯一差し伸べられた、救いの糸だった。
にえは、マリアンヌの禍々しい赤いオーラと、目の前で差し出された、宰相アレンの澄んだ紺色のオーラとを、交互に見つめた。
そして、小さな躊躇の後、その白い手を、アレンの手に、そっと重ねた。
その瞬間、にえの色のない世界に、また一つ、新しい、そして極めて重要な変数が、加えられた。
にえがアレンの手を取った瞬間、マリアンヌの赤いオーラが、嫉妬と怒りで激しく燃え上がった。だが、宰相という立場のアレンを前に、彼女は完璧な笑顔の仮面を崩すことができない。
「……まあ、宰相閣下がそうおっしゃるのなら、仕方ありませんわ。ですが、王への謁見が終わりましたら、必ず『救済の家』へお越しくださいね。子供たちが、あなたを待っていますから」
その声は、優しさを装いながらも、決して逃がさないという、粘つくような執着に満ちていた。
アレンは、その言葉を意に介さず、優雅に立ち上がると、にえたちを促した。
「では、参りましょう。ガレン、エリス、あなた方もご一緒願います」
一行は、マリアンヌの刺すような視線を背に、謁見の間を後にした。
アレンに導かれて歩く神殿の廊下は、先ほどとは打って変わって、人影一つなかった。まるで、彼が通る道は、あらかじめ人払いがされているかのようだ。
やがて、一行が通されたのは、王の私室と思われる、質素だが気品のある部屋だった。
部屋の奥、窓際に、一人の老人が座っていた。痩せてはいるが、その背筋はまっすぐに伸びている。この国の王、レオニダス三世その人だった。
王のオーラは、長い年月と、重い責務によって磨かれた、深みのある黄金色をしていた。だが、その光は、どこか弱々しく、病の色を示す、灰色の影がまとわりついている。
「……よく来た、冒険者たちよ。そして、そなたが『ロンドの聖女』か」
王の声は、か細いが、威厳があった。
「宰相から、話は聞いておる。そなたの力、まこと、神の祝福か、あるいは……」
王は、そこで言葉を切り、意味深長にアレンに視線を送った。
アレンは、静かに一歩前に出ると、口を開いた。
「陛下。聖女マリアンヌは、近年、その力を増しすぎております。彼女が広める『聖女の涙』は、民の心を癒すと見せかけて、その実、思考力を奪い、教会への盲目的な信仰を植え付ける、緩やかな毒に他なりません」
その言葉に、ガレンとエリスは息をのんだ。国の宰相が、聖女を公然と批判している。これは、国家を揺るがす、極めて危険な発言だ。
王は、静かに頷いた。
「うむ。私も、それに気づいておる。だが、もはや、教会の力は、王家を凌ぐほどに肥大化してしまった。下手に手を出せば、国が内乱に陥るやもしれん」
王の黄金色のオーラが、無力感を示すように、さらに弱々しく揺らめく。
アレンは、その視線を、にえへと向けた。
「だからこそ、あなた方の力が必要なのです。特に、にえ。あなたのその、教会の精神支配が一切効かない特異な魂と、常識外れの力。それだけが、マリアンヌの計画を打ち破る、唯一の鍵となりうる」
それは、依頼だった。王と宰相からの、極秘の依頼。
「聖女マリアンヌが運営する『救済の家』。あそこが、彼女の力の源泉であり、そして、全ての悪意が渦巻く巣窟だ。……潜入し、その実態を暴き、彼女の計画を阻止してほしい」
あまりにも危険すぎる任務。一介の冒険者が、国家の最大権力者である聖女に、喧嘩を売るに等しい。
ガレンが、ゴクリと唾を飲んだ。彼のオーラが、危険と使命感の間で激しく揺れている。
エリスは、青ざめた顔で、にえの服の裾を、固く握りしめていた。
だが、にえは、冷静だった。
『状況分析。依頼受諾のリスク、極めて高い。死亡確率、70%以上。しかし、マリアンヌの脅威を放置した場合、いずれ破滅は避けられない。ならば……』
にえは、王と宰相を、まっすぐに見据えた。
「……報酬は?」
その、あまりにも場違いで、即物的な問いに、その場にいた全員が、虚を突かれた。
アレンは、一瞬、驚いた顔をしたが、やがて、面白そうに口元を綻ばせた。
「……そうですね。成功の暁には、あなた方が望むもの、全てを。地位、名誉、金、あるいは……誰にも脅かされない、安息の地。この国の王の名において、約束しましょう」
にえは、その言葉を聞くと、小さく頷いた。
「……分かった。その依頼、受ける」
感情のない瞳で、彼女は、この国で最も危険な契約を、あっさりと結んだ。
金のためではない。名誉のためでもない。
ただ、自分と同じ色をした、あの禍々しいオーラを、この世界から消し去ることが、今、自分が生き延びるために、最も優先すべきタスクだと、本能が告げていたからだ。
こうして、にえたちの、本当の戦いが、静かに幕を開けた。