12. 王都の夜明けと三つの選択
王への正式な謁見を翌日に控えた夜。
一人の訪問者が、アレンが用意した王都の隠れ家をひっそりと訪れた。宰相アレンだった。
彼はいつもの堅苦しい執務服ではなく、簡素な旅装に身を包んでいた。その紺色のオーラは、公人としてではなく一人の人間としての誠実さを示していた。
「……夜分にすまない。少しだけ話がしたくてね」
アレンはそう言うと、三人が囲む小さなテーブルの空いていた席に腰を下ろした。
彼はまず深々と頭を下げた。
「……改めて礼を言う。あなた方のおかげでこの国は最悪の未来を回避できた。本当に、ありがとう」
その言葉に嘘はなかった。彼のオーラが心からの感謝の色に染まっている。
「明日は陛下があなた方に公式に褒賞を与えるだろう。だがその前に、私個人の一つの願いを聞いてもらえないだろうか」
アレンは、その星の光を宿したような瞳でまっすぐににえを見つめた。
「……にえ。私はあなたに、この国の新しい教会の指導者になってほしいと考えている」
そのあまりに唐突な提案に、ガレンとエリスは息をのんだ。
「宰相閣下、それは……!」
ガレンが何かを言いかけたが、アレンはそれを手で制した。
「もちろん、マリアンヌのような偶像になることを求めているのではない。教会は本来、人々の魂に寄り添う場所であるべきだ。だが今の教会は完全に腐敗しきっている。それを内側から改革するには、マリアンヌの偽りを唯一見抜き、打ち破ったあなたの力がどうしても必要なのだ」
アレンのオーラは国を憂う強い使命感に燃えていた。だがそこには、宰相としての冷徹な計算の色も混じっていた。にえというカリスマ性を秘めた存在を、国の安定のために「利用」したいという為政者の顔。
にえは、そのオーラをただ静かに見つめ返していた。
そしてゆっくりと首を横に振った。
「……できない」
「……なぜかな? あなたならそれができるはずだ。人々を正しく導く力があなたにはある」
「私は、導けない」
にえの声は静かだった。
「私はまだ、自分のことさえよく分からないから。……それに」
にえは隣に座るエリスとガレンの顔を順番に見た。
「私の居場所は、ここにはない」
その言葉に、アレンは全てを悟ったようだった。
彼はしばらく何かを考えていたが、やがてふっと息を吐くと、その顔に穏やかな笑みを浮かべた。
「……そうか。……そうですね。……愚かなことを言いました。……どうか、忘れてください」
アレンの紺色のオーラから、為政者としての計算の色がすっと消えていった。そして後に残されたのは、一人の青年の純粋な安堵と少しの寂しさの色だった。
「……あなたの人生はあなたのものだ。誰にもそれを縛る権利はない。……明日、陛下はあなた方に望むものを与えると言われるだろう。……どうか、あなた自身の本当の望みを伝えてほしい」
アレンはそれだけ言うと、静かに立ち上がり闇の中へと去っていった。
後に残された三人の間に沈黙が流れた。
やがてガレンが腕を組みながら唸った。
「……ったく、とんでもないことを言い出す。……だが、それだけこの国はお前の力を必要としているということか」
「……にえ」
エリスが心配そうににえの顔を覗き込んだ。
「……本当にいいの? あなたならきっと素晴らしい指導者になれると思うわ」
その言葉に、にえは静かに自分の胸に手を当てた。
心臓がとくんとくんと、穏やかなリズムを刻んでいる。
【絶対精神障壁】があった頃には感じることのなかった、確かな生命の鼓動。
「……私はもう、誰かの道具にはならない」
にえは言った。
「誰かの期待に応えるために生きるのは、もうやめたんだ」
それは、にえが自分の意志で掴み取った新しい生き方だった。
「……じゃあ、にえはこれからどうしたいんだ?」
ガレンが尋ねた。
その問いに、にえは少しだけ迷った。
そして二人の顔をもう一度まっすぐに見つめ返した。
「……二人と、一緒に、いたい」
その言葉が口からこぼれ落ちた瞬間、にえの脳内で、最後の思考が弾き出された。
『対象:ガレン、エリス。関係性:仲間。未来予測:不確定要素多数。リスク:計測不能。……だが』
思考のルーチンが、そこで止まった。
これまで世界を分析し続けてきた無機質な声が消え、代わりに、魂の奥底から、全く新しい、温かい言葉が、静かに浮かび上がった。
『結論:幸福』
それは生まれて初めて自分の口から発せられた、偽りのない魂の「願い」だった。
その言葉に、ガレンは照れくさそうに頭をかき、エリスは嬉しそうに涙ぐんだ。
三人のオーラが温かい光となって、小さな部屋を優しく満たしていく。
もう、にえの心に迷いはなかった。
明日、王に何を伝えるべきか。その答えはすでに出ていた。
翌日。
王の私室に、にえ、ガレン、エリスは招かれていた。
王は以前よりもさらに衰弱しているように見えた。だが、その瞳には未来を見据える力強い光が宿っていた。
「――改めて礼を言う。そなたたちのおかげで、この国は滅亡の淵から救われた」
王は深々と頭を下げた。
「宰相アレンとも話した。これからのこの国のあり方について、な」
王は続ける。
「私は退位する。そしてアレンを摂政とし、貴族ではなく民の中から新たな代表者を選び、共に国を治める新しい議会を設立するつもりだ。……真に民のための国を作る。それが私にできる最後の償いだ」
それはこの国の歴史を根底から覆す、大改革だった。
「そして、そなたたちには約束の報酬を与えねばなるまい」
王は三人に問いかけた。
「地位、名誉、金。望むものを言うがいい」