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11. 渇望の石

遺跡の最深部は、これまでとは全く異なる様相を呈していた。

そこは自然の洞窟と人工の建造物が融合したかのような、奇妙な空間だった。壁には鉱石が星のように煌めき、足元には清らかな水が流れる小川があった。

だが、その美しい光景とは裏腹に、空間全体には魂を直接圧迫するような強大な魔力が渦巻いていた。

【危機感応】が常に最大レベルの警報を鳴らし続けている。

『警報。この空間の魔力密度は致死レベルに到達。長時間滞在すれば、魂そのものが崩壊する』

「……くっ、息をするだけで全身が軋むようだ……」

ガレンが苦悶の声を漏らす。彼の青いオーラは強大な圧力によって激しく明滅していた。

エリスもまた、聖なる光の結界を最大出力で展開し、かろうじてその身を守っていた。

だが、にえは平気だった。

いや、平気というのとは少し違う。

渦巻く強大な魔力は確かに脅威だった。だが同時に、それはにえの魂に不思議な、懐かしさのような感覚を呼び起こしていた。

マリアンヌが渇望した力。カインが恐れた力。

その根源である『渇望の石』は、にえの魂の何か根源的な部分と共鳴しているかのようだった。

一行は洞窟の奥へと進んでいった。

そして開けた巨大な空洞にたどり着く。

その中央に、それはあった。

巨大な心臓のように明滅を繰り返す、黒い水晶。

『渇望の石』。

その石からはオーラは出ていなかった。それはオーラという生命の輪郭さえも超越した、純粋な「無」の塊だった。

それはただそこにあるだけで周囲の空間を歪め、光さえも吸い込んでいた。

そして、その石の周囲には三つの人影があった。

彼らは石に向かって一心に祈りを捧げている。

その姿を見たガレンが、驚愕の声を上げた。

「……馬鹿な。……お前たちは、あの時の……!」

それはかつてガレンの部隊が壊滅したときの、騎士団の同僚たちの姿だった。彼らはこの谷で死んだはずだった。

だが、その身体は生前のまま腐敗もせずにそこに存在していた。

そして、その瞳はカインに操られていた魂たちと同じ、憎悪の赤い光を宿していた。

「……ガレン……。ようやく来たか……」

騎士の一人がゆっくりと振り返った。

「我らを見捨て、一人だけ生き延びた裏切り者よ……」

「違う! あれは……!」

ガレンが叫ぶ。

だが騎士たちは聞く耳を持たない。彼らは剣を抜き放つと、一斉にガレンへと襲い掛かってきた。

それはガレンの過去そのものとの対峙だった。

「……エリス、にえ! お前たちは石を! ここは俺がケリをつける!」

ガレンはそう叫ぶと、かつての仲間たちへと一人立ち向かっていった。彼の青いオーラが、過去の罪を償おうとする悲壮な決意の炎で燃え上がった。

にえとエリスは、その背中に一瞬ためらった。

だが、ガレンの固い決意を信じた。

二人は頷き合うとガレンに背を向け、『渇望の石』へと駆け出した。

だが石はそれを許さなかった。

石の表面が脈打ち、その中から無数の黒い触手が伸びてきた。

その触手は、これまでのにえの敵とは次元が違った。

それは因果律そのものに干渉する、悪夢の具現。

にえの【危機感応】が初めて回避不能な、絶対的な「死」を予測した。

触手の一本が、エリスの聖なる結界をまるで紙のように貫いた。

「きゃあっ!」

エリスの身体が宙に持ち上げられる。

「エリス!」

にえが叫んだ。

その時だった。

にえの懐で、あの謎の詩が書かれた羊皮紙が温かい光を放ち始めた。

そしてカインの恋人であった古代の言霊の使い手の、優しい声がにえの脳裏に直接響き渡った。

『――大丈夫。……答えは、あなたの中にあるのだから』

その声に導かれるように、にえは無意識に日本語を紡いでいた。

それは破壊の言葉でも防御の言葉でもない。

ただ自分が生まれてからずっと渇望し続けてきた、たった一つの言葉。

「――光」

その一言が放たれた瞬間。

にえの身体から、これまでのどの光とも違う、全ての闇を包み込み浄化する絶対的な温かい光が溢れ出した。

その光は、黒い石の絶対的な「無」と衝突した。

世界が白く染まる。

光と闇の最終戦争が、今この場所で始まろうとしていた。

にえの魂から放たれた「光」の言霊は、純粋なエネルギーの奔流となって『渇望の石』が放つ「無」の波動と激突した。

その余波だけで巨大な地下空洞が激しく揺れる。天井から岩が次々と降り注いできた。

黒い触手に捕らえられていたエリスは、その衝撃で解放され地面に落下する。にえは咄嗟に彼女の元へと駆け寄り、その身体を庇った。

一方、ガレンはかつての仲間たちの猛攻をたった一人で受け止めていた。彼の身体はすでに満身創痍だった。だが、その瞳の光は決して揺るがない。

「……すまなかった……。お前たちを死なせてしまったのは、俺の弱さだ……」

ガレンは血を吐きながら言った。

「だが今の俺には、守るべき新しい仲間がいる! だからここを通すわけにはいかないんだ!」

その魂からの叫びが届いたのか。

騎士たちの赤い瞳の奥に、ほんの一瞬だけ生前の理性の光が宿った。

「……ガレン……隊長……?」

その一瞬の隙を、ガレンは逃さなかった。

彼は最後の力を振り絞り、騎士たちを武器ではなくその腕で強く抱きしめた。

「……もういいんだ。……もう安らかに眠ってくれ」

その温かい言葉が、彼らの魂を数十年もの間縛り付けていた憎しみの呪縛から解き放った。

騎士たちの身体が光の粒子となって消えていく。

「……ありがとう……隊長……」

最後にそう言い残して。

ガレンは、その場に膝から崩れ落ちた。彼の役目は終わったのだ。

その頃、にえは未だ『渇望の石』との壮絶な綱引きを繰り広げていた。

光と闇。

生と無。

二つの相反する絶対的な力が拮抗し、世界そのものを消滅させかねないほどのエネルギーを生み出していた。

『……ダメだ。このままでは押し切られる……!』

にえの魂の光が、石の底なしの闇に少しずつ飲み込まれ始めていた。

その時だった。

背後から温かい光が、にえの身体を包み込んだ。

エリスだった。彼女は満身創痍の身体で立ち上がり、にえの背中にそっとその手を当てていた。

「……一人じゃないわ、にえ」

エリスの橙色のオーラが、にえの魂の光に流れ込んでくる。

さらに遠くで膝をついていたガレンの青いオーラもまた、光の帯となってにえの元へと飛んできた。

「……当たり前だろ。……俺たちは三人で一つのパーティなんだからな」

二人の魂の光。

それは、にえの孤独な光を何倍にも何十倍にも増幅させた。

そして、にえは思い出した。

あの謎の詩の最後の句を。

『――答えは、君の中に』

答えは自分一人の中にあるのではない。

君――仲間たちと共にある。

にえは確信した。

『渇望の石』が本当に求めていたもの。

それは破壊でも無でもない。

ただ孤独な魂を癒してくれる、温かい「絆」の光だったのだ。

にえは石に向かって最後の言霊を放った。

それは彼女が生まれて初めて心の底から叫んだ、魂の言葉だった。

「――私たちは、ここにいる!」

その言葉と共に、三人の魂の光が完全に一つになった。

それは太陽よりも眩しく、何よりも温かい生命そのものの輝きだった。

その絶対的な「生」の光を前にして、『渇望の石』の絶対的な「無」は雪のように溶けていった。

黒い水晶はその姿を、純粋な透明な水晶へと変えていく。

そして最後には、穏やかな光を放つただの美しい石となって、静かに祭壇の上へと着地した。

全ての戦いは終わった。

だが勝利の昂揚感はどこにもなかった。後に残されたのは、張り詰めていた糸が切れたかのような深い疲労と静寂だけだった。

にえは、その場にゆっくりと座り込んだ。全身の骨が軋み、酷使した筋肉が悲鳴を上げている。

痛い。熱い。苦しい。

【絶対精神障壁】が砕け散った魂に、これまで遮断し続けてきた身体からの信号が濁流のように流れ込んでくる。

『……これが、生きているということか』

それは不快な感覚だった。だが同時に、自分が確かにここに存在するという揺るぎない実感でもあった。にえは、その未知の感覚に戸惑いながら自分の身体の中で起きている変化をただじっと観察していた。

一方、ガレンは光の粒子となって消えていったかつての仲間たちを見送った後も、その場に膝をついたまま動けずにいた。彼の太い肩がかすかに震えている。その青いオーラは、長い間魂に突き刺さっていた棘が抜けた後のような、深い悲しみと静かな安堵が入り混じった複雑な色をしていた。

「……ガレン」

エリスがふらつく足で彼の元へと歩み寄った。彼女自身の魔力もほとんど枯渇しかけている。だが、その瞳には仲間を気遣う強い光が宿っていた。

エリスはガレンの背中にそっと手を当てた。そして残された最後の力を振り絞り、浄化の光を彼の魂へと注ぎ込む。

「……もう自分を責めないで。あなたは最後まで、彼らの誇り高い隊長だったわ」

温かい光が、ガレンの傷ついた魂を優しく包み込んでいく。

やがてガレンの口から、嗚咽のような押し殺した声が漏れた。それは数十年もの間たった一人で背負い続けてきた罪の重さだった。

「……すまなかった……。俺がもっと強ければ……」

「いいえ」

エリスは静かに首を振った。

「あなたは強い人よ。本当に強い人は、自分の弱さを認め、それでも誰かのために立ち上がれる人のことだから」

その言葉に、ガレンは何も言えなかった。ただ子供のように、静かに涙を流すだけだった。

にえは、その二人を黙って見ていた。

他人の痛みに寄り添うエリスの温かい橙色のオーラ。

過去の罪を認め、涙を流すガレンの誠実な青いオーラ。

その光景に、にえの心にこれまで感じたことのない新しい感情が芽生え始めていた。

『……私も、何かすべきだ』

それは論理的な思考ではなかった。ただ衝動に近い強い意志だった。仲間が傷ついている。ならば自分も何かをしなければならない。

にえは、おずおずと立ち上がるとエリスの隣にそっとしゃがみ込んだ。そして何をすればいいのか分からず、ただエリスの真似をするようにガレンの分厚い背中に自分の小さな手をそっと当てた。

その瞬間、にえの手のひらから淡い、しかしどこまでも優しい光が溢れ出した。

それは言霊の力ではなかった。ただ仲間を助けたいという純粋な想いが生み出した、魂の光だった。

その光に触れたガレンとエリスが、はっとしたようににえの顔を見た。

にえは少し戸惑いながらも、ただまっすぐに二人を見つめ返した。

その瞳にはもう、色のない虚無はなかった。

『……温かい』

初めて感じたその感覚。にえは、その言葉の意味を魂で理解した。

しばらくして、三人が少しだけ落ち着きを取り戻した頃、背後から、厳かな声が響いた。

振り返ると、そこに立っていたのは、真の姿を取り戻した、石の守護者だった。美しいミスリル銀の自動人形オートマタの身体は、静かで気高いオーラを放っていた。

『――見事だった、言霊の使い手よ。そして、その仲間たちよ。あなた方はこの地の呪いを解き、数千年の悲劇に終止符を打った』

守護者は、祭壇に静かに鎮座する透明な水晶――浄化された『渇望の石』を指し示した。

『――この石はもはや災厄の源ではない。この谷に満ちる膨大な魔力を安定させ、大地を癒すための「鎮めの石」へと生まれ変わった』

「では、もうこの遺跡は……」

エリスが尋ねる。

『――うむ。この遺跡のguardianとしての我が役目も終わった。だが、この石とこの地に眠る古代の知識を悪しき者の手に渡すわけにはいかぬ』

守護者はその視線を三人に順番に注いだ。

『――そこで、あなた方に頼みがある。この遺跡の新たな「守り手」として、未来永劫この地を見守ってはくれぬだろうか』

それはあまりにも重い役目だった。

だがガレンは静かに首を振った。

「……すまないが、それはできない。俺たちにはまだやり残したことがある。それに俺たちは、ここに縛られるのではなく世界をこの足で歩きたいんだ」

その言葉に、エリスもにえも強く頷いた。

守護者はその答えを予測していたかのように、静かに頷いた。

『……そうか。それもまた良き選択だろう。……ならばこの遺跡は再び封印しよう。次にこの地を訪れるべき資格を持つ者が現れる、その日まで』

守護者はそう言うと、その美しいミスリル銀の身体を、祭壇の前の玉座へと静かに戻した。

『――我が魂は、この石と共に、再び永い眠りにつこう。だが、我が祈りは、常にあなた方と共にある』

その言葉を最後に、守護者の瞳から光が消え、その機能は完全に停止した。数千年の時を超えて解放された魂は、その役目を終え、再び、穏やかな眠りへとついていったのだ。

後に残されたのは、静寂と未来への確かな選択肢を手にした三人の冒険者たちだけだった。

彼らは、互いの顔を見合わせると、疲れた顔の中に、確かな信頼と絆の笑みを、浮かべた。

そして、光差す、地上へと続く道を、ゆっくりと、歩き始めた。

霧の谷からロンドの町への帰路、三人の間には、以前とは違う、穏やかな空気が流れていた。古代の謎を解き明かし、ガレンの過去にも一つの区切りがついた。立て続けの死闘による疲労は深かったが、彼らの魂に灯る絆の光は、もはや何事にも揺るがないほど、強く、確かなものとなっていた。

ロンドの町で数日間の休息を取り、心身の傷を癒していた彼らの元に、王都から一羽の伝書鳩が届いた。それは、マリアンヌを討った後、宰相アレンと交わした約束の時が来たことを告げる、短い知らせだった。

『約束の刻、来たる。王宮にて待つ』

「……いよいよ、か」

ガレンが、決意を新たにした顔で呟く。

三人は、再び王都へと向かった。一月前とは打って変わり、街を覆っていた狂信の熱は冷め、人々は戸惑いながらも、新しい時代の息吹の中で、自らの生活を再建しようとしていた。その穏やかな、しかし力強い日常のオーラに、にえは、自分たちが守ったものの重みを、改めて感じていた。


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