1話 あの子よりは幸せ
第2章-1話
2068年、世界は平和になった。
世界から戦争がなくなり、テロ行為を行うと仄めかすようなこと自体が違法となった。
けれど、無くなったのは戦争だけじゃない。
その時、この世からありとあらゆる争いがなくなった。競争も、格付けも、何もかも。
成果を競った研究者たちも、自己満足以上の報酬は無くなってしまった。スポーツに興じる人々も、その順位はただの連続値でしかない。
この世界は、2068年からその歩みを止めてしまったのだ。
だから、私の白い髪が治ることはないのだろう。
簡潔に言えば、チロシナーゼの減少。
原因は主に、不規則な生活、バランスの悪い食事、ストレスなど。
2242年現在、それを治す方法を私は知らない。
……言ってしまえば、私は実の母親からかなり酷いネグレクトを受けている。
幼い頃、と言っても今も十分幼い自覚はあるのだが、それよりもずっと前。
私がまだ、保育園という公的な教育機関に属することのできていた頃こそ、私のことを"まーちゃん"なんて呼び、慈しんでくれていたものだったのだが、
10歳現在。私は小学校に行くことが叶わないでいる。
それがこの髪の原因だった。
こんな状況を見かねて市や国の人間が誰か1人でも、義務教育を受けに来ない少女のために我が家へ来てくれて良いものだが、一体私の母はどんな嘘をついているのか、そのような人に私は出会ったことがなかった。
というより、母が仕事を昼間の弁当屋から夜中のあやしい仕事に変えたあたりからだろうか。
この家に1本しか存在しないドアの鍵の持ち主であり、私の存在を無視することにした母のせいで、私は随分長くこの家から外に出ていないのだから、誰かに会うだなんてことはそもそもありえない、というべきだろうか。
自分がこの世に存在していることを、認めてくれる人がいない。
それは私の、人間として生まれつき備わっている承認欲求の枯渇を促進させるにはもってこいで。
幼い頃の私は、よくその寂しさに泣いたし、我が身の不幸を呪ったりもした。
けれど、今私がこうやって客観的に"ネグレクトを受ける10歳児の話"ができているのは、私が"読書"を好んでいたから、ということに違いない。
普通の10歳児というのがどれほどの知識を持つのか、ここ5年ほど20も年上の女性としか触れ合っていないせいで、私には皆目見当がつかないが、少なくとも私の学のない母よりは幾分か賢いであろうという自負はあった。
私が読んだ本。それは、私の5年前に死んだ父が本棚10個分も残してくれたものだった。
父の死は母をこんな風に変えこそしたが、同時に私に、私だけの知識の世界を与えてくれた。
はじめの頃こそ何一つ理解できなかったが、それでも根気強く続けていけば、3年も経つ頃には全てを読破し、今ではその全てをそらんじることも造作無い。
本は素晴らしいものだった。
この私の脳に刻まれた知識は、必ず私の人生に役立ち、私が"幸せ"を掴むのに必要不可欠なものとなっていくだろう。
それほどに知識というものは、人を生きやすく、そして同時に死なないようにしてくれるものなのだから。
それに父が遺してくれたものはそれだけではない。私は、考えることを知った。
この世の遍く全てに理由がある。そして考えることで、それを導き出せる。そのことを知って以来、少なくとも今の自分の状況を悲観するだけの生活は終わった。
おそらく母は、自分より不幸な人間を自分の近くに置いておきたいのだ。
碌に学のなかった若い女性が、夫に先立たれ、貧しい上に娘も手がかかり、頼れる人もいない。それがどれほど辛いことか。
だから子供の養育を放棄した。子供をこの家に閉じ込めた。
子供の髪の白さは、彼女の行動の結果を如実に表していた。
辛いだろう、という母の気持ちに共感はできた。ただ、この母の行動は尤もである、だなんてことはこれっぽっちも考えられなかった。
さて、そんなただの子供から「考える葦」となった私の目下の目標は、この家から出ることである。
というより、それのほか私がこの現状から"幸せ"をつかめるようになる方法など存在しないだろう。
私は今の自分の、ひもじいながらもかろうじて回っている生活が、あの母によるものであるとよく理解していた。
たとえ私が今、母から鍵を盗みこの家から飛び出したからと言って、誰かが助けてくれるわけではない。
あの母に養われる生活から逃れられるわけではない。
要は、場所がないのだ。私がここを飛び出しても、自分1人で生きていける場所が。
けれどもし、そのときが来たら。
そんな妄想はもう何百回とした。
私がここを飛び出したら、手を広げて私を迎え入れる警察官がいれば。
はたまた、慈しむように抱きしめてくれる、父がいれば、、、
「……お腹すいた。」
そう呟いた自分の声があまりにもか細くて、発した自分自身で驚いてしまう。
そういえば、声を発するのはかなり久しぶりだ。
いつもは話す必要がないから、ついつい黙って1日を過ごしてしまうのだ。
けれど、今日は違った。
只今の時刻は午後10時。
母のいつもの起床時間を、3時間も過ぎてしまっている。
金銭的な理由なのか定かではないが、母はよく自炊する人だ。
そしてそれを出勤前に食べ、化粧をし、繁華街へと消え、早朝に帰宅する、というルーティンで生活をしている。
そして私が唯一食事にありつける時間、というのが母が出かけた後。
母は自炊をするにはするのだが、ほとんど後片付けをせず、具材もそのまま、皿もそのままに出かけて行ってしまうのだ。
そこで私の仕事は、これらの処理をすること。
つまり、母が無造作に放置したレタスのカケラも、ハムの切れ端も、溶き卵のあまりも、それらは全て私に委ねられている、ということ。
なので、母が食事をとらなかった日。それは私が、その日食事にありつけないということを意味する。
大きな音を立てて私のお腹が鳴る。
母が起きてこない。つまり母が外出しないことは、同時に私が食事にありつけないということ。
ただ今日の母は休みではなかったはずだし、休日だとしても母だってお腹は減るはずだ。
それなのにこんな時間まで起きてこないなんて……
なんだか妙な予感がする。
私がうずくまる薄暗いキッチンの冷蔵庫前から、母の寝室の扉を見つめる。
まるで誰もそこにいないような。あまりにも生気を感じない、全てが止まっているような気配。
私は、ゆっくりと立ち上がる。
そっと、そっと、母の薄暗い寝室のドアを開く。
そこにあったのは、変わり果てた姿の母だった。
眠るように死ぬ、とはまさにこういうことなのだろう。彼女は暖かい布団の中で、ひやりとするほど冷たくなっていた。
寝転がったまま、もう二度と起き上がることのない母。
もう二度と開くことのない、その目。
何の感情も湧いてこないのが意外だった。
こんな最悪な親でも、一応は唯一の肉親だったのだから、少しは悲しいとか寂しいとかいう感情が込み上げてくるかと思ったが、全くそんな感情が浮かんでこない。
ただ私に浮かんだのは、これで私は自由になれるんだ、という確固たる事実。それを実感していくと同時に内から湧き上がる高揚感。
とっさに私は母のカバンから、常日頃焦がれていたドアの鍵を取り出していた。
親が死んだというのに自分のあまりの冷静さに、なんだかおかしくなってきてしまいつい口元が緩んだ。
終わるのだ、私の不幸が。
髪がこんな色になるまで私を苦しめた不幸が、今日終わる。
そんなとき不意に、母の違和感に気がついた。
妙に毛量が多いな、と思った。
気になった私は、母の髪にそっと触れる。
すると母の黒髪は、いとも簡単に彼女の頭から"ずり落ちてしまう"。
そして現れたのは、私と同じ真っ白な髪だった。
チノチシナーゼの減少。原因は主に、不規則な生活、バランスの悪い食事、ストレスなど。
「……なんだ、私達、お揃いだったんだ」
黒髪のセミロングのカツラを手に、私は呟く。
母はこの事実を、見ないものとしていた娘にも気づかせなかった。
白髪染めでなく、カツラを使ったのもそのせいだろうか。一瞬たりとも白髪を見せないためには、いくら染めても次々と白髪が生える頭を見せるわけにはいかない。それとも単に出費を渋っただけなのか、今となってはわからない。
何にせよ母は、こんな死の間際まで黒髪でい続けた。
常に完璧に、常に隠して。
そうまでして彼女は、自分に言い聞かせていたのだろう。
自分は、この不幸な子供とは違うのだと。
さっきまで母のつけていたそのカツラを、ゆっくりとつけてみる。
すると薄暗い部屋の鏡には、黒い髪をしたボロ雑巾のような服を着た私が、見たこともないような笑顔で立っていた。
私は"幸せ"になれるという実感が、我が身を包む。
私は、外に出られる。私の髪は、白くない。
自信が、身体中から溢れてくる。
母がいなくても、私が生きていける幸せな世界。
真っ暗で不幸な生活からの夜明け。
「……今までありがとう、お母さん。」
私は動かない白髪の彼女にそう言うと、ゆっくりと母の枕元にあった携帯を操作し、電話をかけた。
私は今から、愛する母を突然に亡くした身寄りのない幼気な少女だ。
そんな少女に待つ未来なんて、何度妄想し、何度待ち望んできただろうか。
今の私の前には、私の、『喜梨 円』としての明るい人生の希望が広がっていた。
ーーーーーーー
私が入ることになった養護施設は、普通の民家となんら変わらない小さな家だった。
園長曰くアットホームな雰囲気、というのがセールスポイントらしいが、子供が複数暮らしていくのに果たしてここは良い環境か、と言われるとなんとも言えない。
私はそんな養護施設の、10人目の子供として入ることになった。
私を出迎えるために玄関に集結した、この建物に似つかわしいとは言えないたくさんの子供たちに、私は漠然とした不安を抱きながらも、その家の玄関を閉め中に入る。
「はじめまして! 君が喜梨 円ちゃん?」
するとすぐに、幼い子供たちを掻き分けて一人の少年が私の前へ出てくる。
彼は私と同じくらい年頃に見えたが、どうやらこの養護施設の子供たちの中では、リーダー的存在のようだ。彼がつけている、明らかにサイズの大きいエプロンや、穏やかそうな笑顔、それにわざわざ彼が私を迎えに来たということからもそれがよくわかった。
「僕は、錫守 宙。小学4年生で、ここでは最年長なんだ。これからよろしくね。」
そう言って彼が差し出した腕に、ひとりの少女がしがみついているのに気づく。
「あ〜ほら、未知。どうした? 未知も円ちゃんに挨拶しなよ?」
錫守がそう促すと、彼女はふてくされ、彼の腕に顔を埋めてしまう。
「あ〜〜、えっと、ごめんね? この子、人見知りで」
錫守がひどく申し訳なさそうに言うので、私はいえ、と小さく声をかけた。
「この子は、紫之寺 未知。円ちゃんと同じ小学3年生だから、仲良くしてあげて?」
その言葉に、一瞬ぞっとするが、すぐにうん!と子供らしくーーと言っても彼にはすぐ本性が露呈してしまったのだがーー私は返事をする。
こんな人が、私と同い年だなんて。
こんな、人にすがって、嫌なことに口を膨らますことしかできないようなやつと仲良くだなんて、正直、ありえないと思った。
不意に彼女の目を見ると、どうやら私を見つめる彼女も仲良くしようなんて気は毛頭無いようで、その目つきはとても鋭かった。
結果的に、私はソラとかなり仲良くなったため、この少女とも多かれ少なかれ関わりは持つことになったのだが、一度だって、私も彼女も、お互いに仲が良いだなんて思ったことはなかった。
自分の弱さを晒しだすことで、人から守ってもらい、逆に自分よりも弱い者には、自分が守ってあげていると、迷惑をかけられているという、後ろめたさと罪悪感を植え付ける。
いつか、彼女が母親になったら、その子供はかわいそうだ、と思った。
それほどに、彼女は弱く、恐ろしい。
ーーーーーーー
「大学受験って、興味ない?」
そう言って、施設職員の繭純さんが初めて本気でそれを勧めてきたのは、私が中学二年生の時だった。
その頃から私は、こんな時代には珍しくバイオテクノロジーなんぞに強い関心を持っていて、将来的には奨学金か何かで大学に入りそれを学びたいとはたしかに思っていた。
それに、昨今はギフテッドへの対応が手厚くなり飛び級が日本国内でも珍しいことではなく、高校に行かずに中学卒業から大学に入学した人もそれなりにいるという。
しかし彼が勧めてきたのは、あろうことかアメリカの大学。
「もしかして繭純さん、私をこの施設から追い出したいんですか……」
私はキラキラとした笑顔でアメリカの大学の案内パンフレットを見つめる繭純さんに向かってあえて冷たく言う。
すると繭純さんはわかりやすくショックを受け、手にしていたパンフレットを背中に隠す。
「諦めないでくださいよ繭純さん!」
「え〜〜だって〜〜」
どうやら共犯だったらしいソラが繭純さんからパンフレットを奪い返そうとすると、繭純さんは拗ねたような表情でそれを逃れる。
たしか繭純さんは子供もいるれっきとした父親だと言っていたが、こんな様子だと、その子供のこれからがかなり心配になる。
「あ〜もう〜繭純さんってば〜
……というか、How do you feel about collage in actually? I recommend it highly too. (実際、円はどう思ってるの? 僕もすごく良いと思うけど。)」
繭純さんにいちいち反応されるのが面倒になったのか、ソラはいつものように繭純さんの苦手とする英語で会話をしてくる。
こんな風にソラは私の学力をかなり評価してくれてるが、その実彼の学力もかなりのものであると思う。中2の私が言うのも変な話ではあるが、中3でここまで英語が堪能な人はなかなかいないだろう。
それに、こうすることで私はソラにだけは本心を伝える、ということを彼はよく理解していた。
「……If I said I’m not interest in it, I would be lying.(……興味がないって言ったら、嘘になる。)」
私はいつも、こうやってソラにだけは本当に思っていることを伝えられた。
彼にはこんなふうに人に心を許させるような、誠実さと、能力がある。
それは将来、彼にとって大きなアドバンテージになると思うし、実際彼だって本気を出せば大学までの飛び級も難しくはなかったはずだ。
しかし彼の欲しかったものは、全きそんなものではないとわかるのは、まだまだ先の話だ。
大学、か。
自室に戻った私は、ベットに横になると、結局繭純さんが渡してくれたパンフレットを見つめる。
この大学は、留学生に対しての支援が厚く、飛び級も歓迎、奨学金制度も手厚いというのが売りらしい。まさに、お金のない私のような学生にはうってつけの学校だ。
「……でも、」
小さく呟く。
断る理由などない。
だけど、強い「罪悪感」が私に決断を渋らせていた。
罪悪感。それは母に対してか、この施設の子供たちに対してか、それとも、髪の白かった私か。
もし私が大学になんて行ったら、"幸せ"すぎるのだ。
我ながら、今まであまり幸せとは言えない人生だった。
幼い頃に夢見ていた、"幸せ"。それ以上のものが、夢見てすらいなかった幸せが今、見えようとしている。
それが私には、とても恐ろしかった。
「ーーねえ、円ちゃん。」
そんなとき、不意に近くから声がする。
「……どうしたの?」
私は彼女ーー紫之寺未知を見ないままに呟く。
なんの因果か、私の彼女はこの施設で同室に当てられていた。
最初は他にも何人かもルームメイトがいたのだが、愛想のない私と、ソラから離れようとしない彼女だけが、里親に引き取られることなくここに残り、気がつけばこの部屋は私たち2人となっていた。
「ソラから聞いたよ。大学に飛び級するんでしょ?」
そういう彼女の態度は、ソラといるときの、甘えたようなものとはまるで違う。
今まで彼女から私へ直接的に嫌味を言われたことはソラの手前なかったが、それでも彼女の私への嫌悪の気持ちは明らかだった。
自分の拠り所である人間と、対等に話をする友人。
そんな人間は、縋る側である彼女の地盤を崩すのに足るということを、彼女はよく理解していた。
「……あのさ、今まで言ってこなかったんだけどさ。」
未知が、ベットに寝転がる私に視線を合わせるようにしゃがむ。
どうやら、とうとう彼女の本心をさらけ出すのだろうか。
それでも私はパンフレットを見つめたまま、彼女の目を見ることはない。今までだって、私が目を合わせたところで彼女と打ち解けることなど一度たりともなかった
それでも、未知は話を続けた。
「……あたし、あなたのこと尊敬してるのよ?」
身構えていたのに、そんな彼女の口から出て来たのは、そんな優しい言葉。私は驚いて視線を彼女に移す。
「どうしたの? まさか、私に嫌われてるとでも思った?」
けれど、そう言う彼女の表情を見て、今の言葉が嘘であることなどすぐに分かった。
そうだ、彼女はそういう人だった。
自分はあくまで弱いものでいなければならない。誰かに守ってもらわなければ、構ってもらわなければ。誰かに、いや、ソラに縋っていなければ。
そのためなら嘘をつくことなんて、造作もない人。
「円ちゃんは本当に頭もいいし、英語だってペラペラだし。
本当に、私、円ちゃんのこと応援してるからね。頑張って、アメリカの大学入ってね。」
早く出て行け。
彼女がそう胸のうちに秘めているのが、よく伝わった。
そう思うと、私の気持ちも急に軽くなる。
そうか、私は決して"幸せ"なんかではないのだ。
彼女に嫌悪され、彼女にここを追い出されて、私は大学に行く。
「……そうね、ありがとう。未知ちゃん。」
その私の言葉に満足したのか、彼女は私へ笑顔を向け、じゃあ、とだけ言うとドアを力任せに閉めて出て行ってしまった。それは嫌いな人を褒めたストレスが隠しきれなかったのか、それとも私に見せつけたのか。
何にせよ、彼女のお望み通り私はこの施設を追い出され、大学進学を果たしたのだった。
ーーーーーーー
「おーい喜梨さん!こっちこっち!」
教授は、研究室の前から私へと大きく手を振る。
2253年、あれから実に6年。
無事アメリカの大学を卒業した私は、日本のとある研究所で研究員をしていた。
といってもこんな進歩の止まった時代に、研究職がすることと言えば専ら大学への協力程度。そんな仕事でも研究職としてはまだ恵まれている方だった。
したがって私は今日も、研究所近傍の大学で教授の助手として働いているところ。
「あ〜忙しいところごめんね。ほら、彼がこの間話した飛び級生の子。
良かったら飛び級生の先輩として相談乗ってあげてよ。」
そう言って、教授は隣に立つ少年を私の前へと促す。
飾り気のない服装に、整える気すらないのだろうもじゃもじゃの髪。
「上手裏です。よろしくお願いします。」
彼はぶっきらぼうにそう言う。
私はその態度に少し顔を顰めるも、すぐに私も名乗ろうと口を開く。
が、しかし、彼はそれを聞くことすらなく、そのままその場を去って行ってしまったのだ。
「……あの。相談、必要なさそうですけど。」
「いや〜〜それはそうなんだけど、うちの大学飛び級生の対応ってあんまり慣れてないから、上から喜梨さんに頼むって決まったって言われちゃったんだよ〜〜〜」
と、教授はヘラヘラと言うが、直後教授は勢いよく頭を下げる。
「どうか頼まれてほしい!
これ以上研究費減らされたら本当にむりなんだ!」
私はその様子を見て、すぐに頭を上げるように促すと、小さくため息を吐く。
「……….わかってますよ。
私だって少しでも研究がしたくて、わざわざ日本に帰ってきたんですから。任せてください。」
私はそう言い、仕方なく教授へと笑いかけた。
ーーーーーーー
とは言ったものの。
「………………疲れた。」
私は自宅に帰るや否やすぐにベットへと倒れ込んだ。
あれ以来私は上手裏君と話をしようと隙を見ては彼に声をかけていたが、何故かそのたびに彼はすぐ立ち去ってしまうのだ。
正直、舐めていた。
確かに私の人生は普通とはかけ離れてはいるが、留学の経験からコミュニケーション力には自信があったし、外面だってある程度ちゃんとはしている筈だ。
私はため息をつきながら頭を掻き、そしてそのまま、「黒い髪」を引っ張った。
はらりと、私の白い髪がそれに続いて垂れる。
その光景に、私は少し自分の心が凪ぐのを感じた。
「……確かに、大変だけど。」
あのころの自分の姿が脳裏に浮かぶ。真っ白な髪に、いつもお腹を空かせ、母にいないものとされていた自分。
「……あのころよりは、まだ全然マシだ。」
私はそう呟くと、よしっと声を上げてベットから起き上がった。
これも雀の涙のような研究費を守るためだ。大学一年生の一人や二人、懐柔させて見せようじゃないか。
ーーーーーーー
「あの……」
件の上手裏少年との攻防を続けて早1ヶ月。
ある日のお昼休み。今まで無視を決め込んでいた彼が、突然私に話しかけてくる。
「え!?
あ、う、うん。……どうかした?」
あまりに突然のことで、私は食堂の喧騒の中で大きな声を上げてしまう。もしかしてとうとう私の苦労が報われる時がきたのかと、身を乗り出し心臓をバクバクさせながら私は彼の次の言葉を待つ。
「あの……」
そう言うと向かいに座り俯く上手裏君は、初めて私の前で、勢いよくその顔を上げる。
その顔は……真っ赤だった。
「好き、です。」