6話 素数
第1章-6話
1話をもう一度読み返してから読むのオススメです。
「……茜の、体の中?」
私は世界の発言の意味を理解できず、ぽかんと口を開いたまま、世界は茜を見つめていた。
"核爆弾は茜の体の中にある"
そんな突拍子もないこと、簡単に信じられるわけがない。
「……そ、そんな、そんなこと、あるわけがーー」
「事実よ」
私が動揺しながらも捻り出した呆れ声に、世界ははっきりと強く言葉を返す。
そして彼女は自分の胸に手を当て、そして少しだけ、その表情を悲しく歪ませた。
「茜の心臓の横、そこに核爆弾はある」
そう言った彼女は、悲しみがにじみ出た自分の声色に気がついたのか、ハッとすると、またすぐに自分の意思を示すかのような険しい顔に戻り話を続ける。
「世界平和、とか言っておきながら、どの国だって一つは核爆弾を備えてる。ほんと、バカみたいな話よね」
その口ぶりは、まるで自分のいる世界の話でないかのように、冷たく、淡々としていた。
そして彼女はまた続ける。
「今から13年前、この国は、ほかの国からの突然の攻撃に対抗できるよう、移動や潜伏が最も容易い"人間"に"核爆弾を埋め込む"という技術を、どこの国にも先駆けて完成させようとしていた。
それで、日本中から優秀な研究者を募って、
……その実験台が、茜だった。
大昔、日本に落とされた核爆弾の、その何倍ものパワーを持つ核爆弾を、人間の体の一部にする、という、あまりにも非人道的な実験の。」
そして世界は、彼女の膝の上に頭を乗せたまま力なく横たわる茜の頭を、そっと優しく撫で、そしてさらに続けた。
「……あたしは、今からここで、この核爆弾を爆破させる」
世界はいつもより激しい海風に吹かれながらも、その中で穏やかに笑っていた。
その笑顔は、そんな恐ろしい発言とは真逆で、とても優しい。
そんな世界が、恐ろしく怖い。
「……そんな、嘘でしょ? ねえ、世界ーー」
「……近づかないで」
私は世界に縋るように言うと、ゆっくり彼女たちに近づこうと足を踏み出すが、そう低く言う世界の声に驚き、一歩踏み出した足をすぐに止めてしまった。
ふいに私は、逆光のせいで今まで見えなかったが、世界のすぐ後ろに、大きな黒いリュックがあることに気がつく。
「ああ、これ」
私のリュックへの視線に気づいたのか、世界は少し体を捻ると、そこから銀色のアタッシュケースを取り出し、そしてそれを開く。
すると、中からはいくつもの配線や点滅するスイッチなど、まるで、高度な人工知能によって動くロボットの中身のような、複雑な機械が現れた。
「……これは、核爆弾の起爆スイッチ。
おととい、私が繭純さんの研究所から盗んできたの。」
世界は淡々とそう言った。
……これが、繭純さんが私を世界と勘違いして、私に「返して欲しい」と言ってきたものだろう。
でも、なぜ核爆弾の起爆スイッチなんてものを繭純さんが……そんなものが、茜の体の中に……?
「……信じられないでしょうね。
なんだって、世明は何にも知らされなかったのだから。」
世界は、あたかも何も知らない私が悪い、とでも言いたげにそう言って、これ見よがしに大きなため息をついた。
それに頭にきた私はすぐに彼女へ言い返す。
「……当たり前でしょ?!
そんないきなり言われたって……そうだ、証拠! 証拠だってないし!」
「証拠……そんなのが欲しいんだ。」
私の言葉に、世界は吐き捨てるようにそう言うと、口に手を当てなぜだか険しい表情をした。
そして、おもむろにその起爆スイッチに手を伸ばし、何かをカタカタと打ち込み始める。
すると、
「……うああああああぁっ!!!」
気を失っていたはずの茜が、いきなり大声を上げ、そして自らの胸を押さえて、うめき始めたのだ。
「なっ、なにこれ…! いや! やめて!!」
私は驚き、世界に止められるのも聞かず茜に走り寄る。
彼の額に、みるみるうちに玉のような汗が浮かび、その顔色も悪くなっていく。
しかしまたすぐ、世界がひどく冷静に起爆スイッチに何か打ち込むと、茜の胸の痛みはだんだんと落ち着き始めたようで、彼は胸を押さえていた腕を、再び力なく放り出す。
そして世界は荒い息をする茜を、呼吸しやすいようにと思ったのか、彼の上半身を少し起き上がらせ、それを彼女の両腕でしっかりと支えた。
「……これで満足?
世明でももうわかったでしょ。茜の心臓はもう、限界よ」
力ない茜の手を握り、ただじっと彼を見つめていた私へ、一息ついた世界は遠くを見つめて言った。
さっきよりも少し日が落ちてきているからなのか、ここの空気は少し肌寒くなっていく。
「今も、少し核爆弾に信号を送っただけで、こんなにも茜の心臓に負担がかかってしまう。
……こんなんじゃ、そう遠くないうちに、茜は歩くのも、話すのだって難しくなる。」
「そんな……」
私は、未だ息も荒く、苦しそうな茜の手をさらに強く握る。
茜は、昔から痛みや悲しみを決して人に言いふらしたりしない、本当に「良い子」だった。
けれど、その言わない苦しみを背負うのだって茜自身で。
茜はずっと1人、病気と、そしてこの"核爆弾"を、その体に抱えてきていたのだろうか、なんて考えると、とてもじゃないけど、今苦しんでいる彼に、なんて声をかければ良いかわからなかった。
「……今日の夜、研究室のやつらが茜を引き取りに来る。」
世界は自分の意思を決めたように、今度はしっかりと私の目を見てそう言った。
けれどその目は、今まで見た世界のなによりも悲しくて、苦しい。
「そんな、どうして……」
「茜が生きてるうちに、しっかり実験しておきたいのよ。自分達の研究成果を。
……ちゃんと爆破できるかどうかを。」
私は息を飲んだ。
そんな、それじゃあ……
「茜は……どうなってーー」
「ーー死ぬわよ」
世界はそう言うと、ゆっくりと俯いた。
そして、彼女の頬をキラキラした粒が流れ落ちていく。
何年も見ていなかった、彼女の涙が、いまだ荒い呼吸を続ける茜の頬へ、ポツリと落ちた。
そして、その雫はとめどなくそこへと零れ続け、茜の頬に水滴が溜まっていく。
「……そんなことになったら、茜は死ぬに決まってるじゃない!!
だって核爆弾は、茜の体の中にあるのよ?!
茜は、大人たちの勝手な都合で殺される。
でも、もし茜がそれを避けられたとしても、もうこの心臓じゃ、どのみちもう長くは生きられない!!」
世界の、本心からの絶叫。
私はつい、全てを忘れ彼女に見入ってしまう。
茜のことを想い、彼女の頬を伝う涙。
夕焼けの中、それはとても美しかった。
「……そんなこと、あまりにも茜がかわいそうよ!!
そんなのって…そんな理不尽なことって、ないじゃない……」
世界はそう言って泣きじゃくった。
……世界が。
あの冷たく怖い目をしていた世界が、こんなにも茜のことを……
しかし、その喜びは、無理矢理涙を拭って泣き止んだ世界の言葉にかき消されてしまう。
「……だから、あたしは今、ここで、核爆弾を爆破させる。」
世界は自らの決意を強く固めるように、力強く、そして迷いなく言う。
その意思は、何よりも硬く、強い。
そんなことは、世界のただただまっすぐなその目を見ればすぐにわかった。
「今ここで核爆弾が爆破すれば、多くの人が死ぬことになる。
そうすれば、他の国だって日本を警戒し、きっとすぐに核戦争は始まる。
そうすれば、きっとこんな世界すぐに滅んでしまうでしょうね。」
そういうと、世界は自分が支えていた茜を離してしまわぬよう、茜の手を握る私の手を突き放してまで、彼を両腕で抱きしめる。
そして、世界は言った。
「茜が幸せになれない世界なんか……
ーーこんな世界なんか、私はいらない。」
彼女はそう言い、涙をまた一筋零した。
その小さく、愛しい"核爆弾"を、両手に確と抱えながら。
……私はそんな彼女になんと声をかければ良いのかわからなかった。
それどころか、茜の核爆弾を爆破させて、この世界を終わらせることが、本当に正しいことなのか。自分がどうしたら良いのかさえも、もうわからなくなっていた。
「……世明は関係ないのに、色々巻き込んでごめん。」
そんな中、突然世界が優しく私に声をかけてくる。
その声色に、私はいつかの優しい世界の笑顔が脳裏に浮かんだ。
「私は核爆弾を、研究室の人たちが近づいた時に爆破させるつもりなの。
……だから、まだ走れば、世明だけは巻き込まれずに逃げられる。」
「……ちょっと待って」
私はそう、世界に言おうと"した"。
2人を置いて私1人だけだなんて、ありえない、と。
しかし、その言葉は、私が言うよりも先に、言葉となって現れる。
その言葉を世界に言ったのは私ではなく、紛れもなく、世界の両腕に強く抱きしめられた茜だった。
「あか……ね……?」
世界は動揺しながらも、彼を抱きしめる両腕の力を弱めることはない。
「……せっちゃん。せっちゃんが死ぬのだって……だめだよ」
その表情は、世界の腕の中に隠されて良く見えないが、その声は、とても、とても優しい。
その茜の声を聞き、私は急いで世界の手に触れ、茜が話しやすいよう彼を抱きしめる彼女の手を解くように促す。
するとその腕は案外あっさりと解け、再び茜は世界の膝の上に頭を乗せ、私も彼の手を再び握る。
しかし世界はその事を全く気に留めておらず、ただただ、笑顔の彼へと、その驚いた表情を見せていた。
「なんで……?だって、茜はこれから殺されるんだよ……?
そんなのってーー」
世界は驚きながらも、自分で自分の気持ちがよくわかっていないのだろうか、表情を様々に変えながらも、やはり涙を流し続ける。
「……それでも、2人を殺すのは……いやだなぁ……あはは」
茜は彼女の顔を見上げ少し笑いながら、力ない指で世界の頬を伝う涙を拭った。
「でも…でも!」
気持ちばかりが先行してしまい、うまく意思を伝えられない世界のその言葉に、茜は優しい笑顔を向ける。
けれど、その茜の瞳は、決して全てを諦めたような、そんな目ではなかった。
それは、救いへと繋がるような、とても穏やかな眼差し。
「……これで、わかったんだ」
茜はそう言うと、ふいに優しく私の手を握り返し、そして、こう告げる。
「……よっちゃん、覚えてるよね?
この爆弾の、"停止コード"。」
茜はそう言うと、私の目を見つめ、いつものように私に優しく笑いかけた。
「……な、何よそれ。そんなものを、何も知らない世明が知ってるわけないじゃない!」
世界は涙を流しながら、驚いた表情で茜にそう言う。しかし茜はそのいつもの笑顔のまま、じっと私を見つめる。
なぜなら……
"……私は、それを覚えているから。"
決して忘れないと誓った番号がある。
あの日、あの場所で。
私は、あの少年……茜と誓っていたのだ。
あの"30桁"を"絶対に忘れない"と
「……覚えてる、よ」
私は彼の手を強く強く握り返すと、ぼろぼろと泣きながら、力なくそう言い、茜に笑いかける。
「……どういう、ことなの?」
世界は私と茜の顔を交互に見て言うが、私と茜には、その"奇跡の巡り合わせ"の喜びがただただ駆け巡り、だんだんと周りを暗くし出す太陽にさえ気がつかない。
「せっちゃん……よっちゃんが今から言うことを…」
茜がそう言って、世界の少し後ろのアタッシュケースに目をやると、世界自身は状況を把握できないながらも、再び体を捻りアタッシュケースに手を伸ばす。
いつのまにか、強かった海風は止んでいた。
私は息を大きく吸い込み、そして吐いた。
夏の終わりを感じされるような、いつもよりも早い日没が、もうすぐそこまで来ている。
「……イチ、ゼロ、ゼロ、ゼロ」
私は、決して間違えぬよう、目をつむり心を落ち着かせる。
「イチ、ゼロ、ゼロ、ゼロ……」
しかし、その数字はもう、何も考えなくても思い浮かぶほど、私の体に馴染んでいて。
「イチ、イチ、ゼロ、イチ、イチ、イチ、ゼロ、ゼロ」
物覚えの悪い私でも、この30桁だけは必ず忘れない自信がある。だから、私はずっと、パスワードにも、スマホのロック番号にもこれを使ってきた。
「ゼロ、ゼロ、ゼロ、イチ」
でもまさか、この数字が、停止コードだなんて。
私は一呼吸置いた。
背中に冷や汗が垂れて止まらない。
それでも私は、最後の一息を、大きく、大きく吸いこむ。
海の匂いが、心地よかった。
「ーーイチ、イチ、ゼロ、ゼロ、
イチ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、
イチ、イチ」
"100010001101110000011100100011"
そんな、ゼロとイチだけの羅列。
私はこれを、10年以上忘れられないでいた。
そうでないと……私は、殺されてしまうから。
世界が文字を打ち終えたその瞬間。
その起爆スイッチ上の点滅していたスイッチが全て止まり、それは一瞬で、全ての光を失い、動作を停止する。
「……止まった…の?」
世界は、未だ止まらない涙を流しながらそう呟き、茜の顔を見る。
茜は世界に笑顔で頷いた。
世界の表情が喜びへと変わろうとした、その瞬間。
ーー茜が、ふたたび胸を押さえて身を捩る。
そして
「……ゴホッ」
彼らの影を刻む白い階段の上に、血が飛び散る。
「茜……?」
私は呆然とし、その場に立ち尽くす。
同様に世界は目を見開き、動けないでいた。
まるでその状況を、認めたくないかのように。
そんな私たちよりも、先に口を開いたのは茜だった。
「………今の数字、僕の…パパの、生年月日、なんだって……」
「生年月日……?」
私の口から、反射的にその言葉が漏れ出る。
「そうだよ……あはは、ほんと…びっくりだなぁ」
茜はそう言うと、再び咳き込む。
赤いシミが、さらに増える。
それにやっと我に返った私は、慌てて茜の体を支える。
けれど、今の私は混乱しきっていて、一体何をすれば良いのか分からず、ただ強く強く、彼の手を握ることしかできない。
「……あのさ、よっちゃ、ん。覚えてて…くれて、ありがと…ね」
茜はまた私の手を握り返そうとする。けれどその手にの力は殆ど変わらなかった。
声が出ない。
何をすれば良いのか。
何をすれば、茜が助かるのか。
助けを求めるように世界の顔を見ても、未だ彼女はその血の跡を見て、目を見開いたままだった。
「……せっちゃん。」
茜が、そんな彼女に声をかける。
世界はその呼びかけにやっと我に返るが、やはり世界も、動揺していて、その現実にただ涙を流すことしかできないでいた。
「……さっきの、数字さ。2進数、から16進数に直すと、何になる…?」
茜は、まるでクイズでも出すかのように笑う。
「…っ! なんで、そんなことーー」
「ーーお願い」
世界の言葉を遮って言う茜の言葉は、今まで聞いた彼の言葉で、一番強い意志だった。
それに折れた世界は、しぶしぶと目をつむり、その2進数とかいうものを考え始めた。
「……22、3、70、723?」
少しして、世界は不思議そうにそう呟く。
「それが、一体何なの……?」
私も世界同様、意味がわからずそう言うと、茜は目をつむり、そして優しそうに微笑んで、こう言った。
「僕のパパが…"2237年7月23日"に、生まれたってこと。
ねぇ、よっちゃん。
……これ、全部、素数なんだよ。」
そう言って茜は、一粒、涙を零した。
……そんな、そんなまさか。
私は声が出なかった。
そしてすぐに、"あの人"の顔が頭に浮かぶ。
……あの人が、"素数"と言う名を持った、その由来も。
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